-8- 大飛翔

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読了時間目安:10分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 天井近くの壁掛け鏡に、空間のゆがみがひらいた。映しは移し。ハイフェン・レストロイ卿に牢から出された嫡子は、嫌がらせであろう転送位置の高さから、真っ逆さまに飛来する。落下防止ネットになりきれなかった天蓋を突き破ったが、白雲のような柔らかいキングサイズベッドが衝撃を和らげた。破れ目からスワンナの羽毛である中綿が飛び散って舞う。ニダンギルの片割れを片手持ちし、素早く跳ね起きした黒髪の男子の名を、喜びと驚きが半々のラルトス=ウルスラが呼び当てた。
(ミナト様!)
 無情にも、黒いモンスターボールが赤い角に押し当てられた。
 ラルトスの姿が吸い込まれて、椅子脇のテーブルから消え失せた。

「感動の再会だったな。めでたしめでたし」
 肘掛け椅子にふんぞり返っている、眉目秀麗な城主。
 立襟足丈の白服。後頭部で一束に結った黒緑の長髪の持ち主はにやりとした。 
「男に二言はないな、せがれよ? 負けた時は城にとどまり、国際警察と縁を切れ」
 
 ふざけんな。
 ミナトは特殊警棒を持った手を突き出した。
「オレは、負けねえ。絶対返せって、これを託された。国際警察の生命線をだぞ。この意味が分かるか? 分からねえよな、父性の風上にも置けないねえゲスには! ウルスラを返せ!」
 側近は出払っている。手薄なうちに一気に攻める。
 対になる手にはニダンギルを構え、二刀流で走り出した。
 
 頭をぽりぽりと掻き、ハイフェンは大げさに呆れて見せた。うなじ近くの虚空を利き手で掴み、上へ引き揚げるように抜刀の動作をした。向かってくる我が子を見据え、蹴散らす強者の面構えを秘めた。ニダンギルは二振りで一振りの力を発揮する霊剣。たかが国際警察の棒切れに、戦力の代替は務まらない。
 刀身がまるで、ハイフェンの肉体という鞘から出ていくかのように実体へと昇華していく。ミナトの知覚能力を越える練度の透過を解いた背後霊の全貌は、最強の切断力を誇る王剣ギルガルド。ハイフェンの口角が不敵に上がり、身の丈に迫る刃渡りを片腕で一振りした。
 
 太刀筋に入っていたミナトが、霊力の風刃で吹き飛ばされた。こけおどしだ。体はどこも斬られていない。空中でひらりと体勢を立て直し、ニダンギルの刃に立ち乗りした。得意のサーフィンを披露するように、滑空して接近しようとした。
 ほんの時間差で、床に転落させられた。
 受け身で着地したミナトは、一瞬理解に悩んだ落下原因を知らされた。

 ニダンギルが。
 真っ二つに折れた。

「イチル……」
 ミナトはそれ以外の言葉を飲み込んだ。

 鍔の一つ眼から、急速に光が失なわれていく。  
 
「他愛もねぇ。ついでにもう一つ、格の違いを分からせてやろう」
 ハイフェンは鏡の中の亜空間に棲む忠実なしもべに、手招きした。霊格の高い魂を混ぜ合わせて遺跡の儀式で神格に転生させた、切り札と呼んでも良い守護竜である。能力的には反物質を司る真の冥王に格落ちするが、造形は完璧だ。壁を飾る鏡面に総がかりでひらいた空間穴から、質量を持った影が黒い霧のようにくだり落りて来る。 
 
 ガス状の闇が、ミナトの膝の高さまで満ちてきた。私利私欲で魂をもてあそぶ実父のやり口には、反吐が出る。この世の裏側を支配するという伝説の存在を模した、人造ペットのおでましだ。びりびりと空気が振動している。レストロイ卿が意のままに空間をゆがめて鏡面にワープホールを作り出すことや、鏡面を通じて現実世界の監視ができるのも、すべてこいつの仕業だ。アナザーフォルムと呼ばれる六脚二翼の威厳ある姿が実体化していき、真紅の両眼がミナトを照らしつけた。

 愛剣の柄を手離さずに、身を護る。

 口と、砲台のように変形した両翼から休む間もなく『シャドーボール』が撃ち込まれてくる。一撃一撃が重い。反射バリアをまとえる特殊警棒で受け流した。酷使して、バッテリーを使い切るまで。

「雑魚だなあ、せがれよ」 
 レストロイ卿が手を挙げると、霊竜の独壇場が止まった。
「国際警察の訓練が大したことねえのは、よーく分かった。修行を完成させてやる。城暮らしも悪くないぞ。働かなくていいし、女遊びもやり放題……」

「うるせえ!」
 悪趣味な享楽に付き合う気も、修行とやらが何なのかも興味がない。 
 単眼の瞼は閉じられてしまった。
 預かり物のトランツェンも、沈黙している。
「オレは、あいつらと帰る。こんな所で、終われねえ!」
 ドクン。
 と、ミナトの握る、冷たくなっていく剣の柄が脈打った。
 
 風向きが変わった。

 壁中の鏡が曇りだす。破魔の力だ。
 父子の脳裏には同一の、銀色の羽を蓄えた海の化身が浮かんでいた。ホワイトアウトした故障画面を張り巡らせたモニタールームのような、外部の情報を遮断された密室が出来上がってゆく。
 唯一の例外は、光の反射の才能を開花させた折れ刃だった。
 高く掲げたミナトへ、レストロイ卿はたわむれに問いかけた。
「一縷(いちる)の望みをかけてみるか?」

 噴光。

 ミナトを真下からまたがらせた長い首の主へと、襷をつなぐ。
 生贄らの憑依を浄化された瀕死の依り代が、星屑のように砕けた。 
 禍々しい白金の霊竜と対極をなす、神々しい白銀の聖竜が顕現した。
 
「よお、ちびルギア。祭神から相乗りタクシーに転向か。似合うぞ」
 ハイフェンの皮肉が、亡き妻のもう一つの形見である“月白げっぱく”を猛り狂わせた。乗せている国際警察たちの重みでよろめきながら、口腔から『水の波動』を発射した。霊竜も『悪の波動』を吹いて迎え撃つ。息のつづく限り、白と黒の波動がしのぎを削る。
「おー! 生で見たほうがやっぱ美少女だな!」
 レストロイ卿がボディスーツ姿の剣士を見上げて、呑気に笑う。

 先頭の席をミナトに空け渡しながら、血で汚れた金髪が声を荒げた。
「ウルスラは!?」
「これからだ! イチル、麹塵を!」
 命じられた双子剣の片割れが、栗色髪の刑事の手元から飛び立った。
 氷像を叩き割り、紫色の腕のような飾り布でネイティを引きずり出した。
(やだやだ! 都合のいい時だけ命令しないでよ、もう最悪!)
 逃げようとするのを締め上げて、言うことを聞かせる。
 
 ギルガルドの剣先が妨害しようと突っこんできた。
 飛び降りたエルレイドの肘の刀が、身を削って押しとどめた。

 『シンクロ』で、月白を鎮めてやる。全員が振り落とされる前に。ネイティの特性を媒介して、ミナトは精神世界にダイブする。時間経過の感覚がぱったりと消失した。重力の向きが分からない。目も見えない。夢の中をただよっているかのような、意識だけの状態で、暴れている強大な存在を感じ取る。無い手で、無い羽毛を撫でてやるように、怪物的な逆上を落ち着かせてゆく。
 あのクソジジイを、ぶっ殺してえ気持ちはよく分かる。
 けどそれは、今やるべきことじゃねえ! 
 背中に乗せてる奴らを忘れるな。
 オレもお前も、救命第一の国際警察だろうが!
 
 暴走していた瞳がまたたくごとに、あどけなさを取り戻していった。悔し気に潤んでいるが、もう怪物の形相ではない。『水の波動』を中止して、泳ぐような動きで『悪の波動』を回避した。
 「クラウ!」と若い娘の凛々しい言い方に反応して、肘から血を流したエルレイドが『トリック』を使った。隠し持っていた、月白を閉じ込めていた空のアレストボールが、「お?」と反応したレストロイ卿のラルトス入りのアレストボールと入れ替わる。今にも膝を付きそうなエルレイドの体が、レーザーに変換されてモンスターボール内へ帰還した。ネイティの冠羽を鷲掴みにしたニダンギルも、ミナトの元へ戻ってきた。
 
「総員、退却!」
 栗色の髪をなびかせた上司の指示。
 ミナトは狙いを指差し、伝家の宝刀を抜いた。
「エアロブラスト!」
 圧縮空気のえがく大螺旋と、その中心を突き抜ける一条の風光。閉塞的な寝室の、採光を排するカーテンに隠された格子入り窓ガラスもろとも壁を粉々にし、広々と天窓を穿つ。清き風が城上の陰の気を祓い、一筋の濃霧の晴れ間から太陽の奔流がなだれ込んできた。日影を好んで巣食う霊竜がひるんだのを尻目に、四十日もの嵐を起こすと言い伝えられる羽ばたきで、離昇する。

「おいおい。通行料、置いてけよ」
 風に煽られているハイフェンが腕組みをして、小さく首を傾げた。飛び去ろうとした三つ指の後ろ脚へ、黒い翼の変形した触手が巻き付いた。引きずり戻そうとする。首の付け根にしがみついているミナトを守ろうと、ニダンギルの片割れが触手に回転斬りを見舞った。
 脚の自由がもたらされた瞬間、霊竜が逆襲の業火を吐いた。
 ミナトの目の前で、煙と熱と光に包まれて落ちていく愛剣の姿。
 炎の切れ目から一つ眼が、残りの力で、にっこりと、笑いかける。

 燃え尽きた。
 
「飛べ!」 
 嘘だ。嘘だ。
 と呆然とした脳内の連呼に耳を塞ぎ、二重人格のようにミナトは発破をかけた。
 ついさっき進化して、元気だったイチルの両方が。あっという間の最期だった。
 城外へ飛び出すと、ミナト達を乗せた守護竜は銀翼と全身のひれをたたみ、流線形に抵抗をなくすフォルムを取る。ありのままの像を反射する、鏡面と鏡面を表裏につなげた霧深い湖へ突入した。潜ったはずの水中ではなく、向こう側の空気中へはじき出される。降り竜が昇り竜へと反転していた。

 最果てに見えたものは――青空。

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