たった5分だけの夜

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作者:水のミドリ
読了時間目安:26分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 人狼ゲーム。



 平和に暮らすルガルガンの一団に、異形な姿をしたものが生まれたという。

 その恐ろしい化け物――後ろ足だけで立つ人に近い形をした狼をルガルガンたちは〝人狼〟と呼んだ――は、己の飢えを満たすため月あかりにまぎれ集団の棲む丘をさまようのだ。

 夜が明けるとそこには襲われた1匹のルガルガンの無残な姿が。夜ごと迫り来るこの恐怖にどう対処するか、昼になると健全なルガルガンたちは首周りの岩を突き合わせて話し合う。議論の終わりに、仲間のうちのひとりが疑いをかけられ、見せしめにリンチされてしまうのだ。厄介なことに、月の出ていない時間帯では人狼は真昼の姿をしていて見分けがつかない。夜を生き延びたルガルガンたちは、化け物ともわからぬ仲間を信用し探りあい、真の人狼を見極めなくてはならないのである!











「――で、これが人狼の役職カード。配られたカードがこれだったら、そのゲームであなたは人狼としてプレイすることになる。つまり他の5人に自分が人狼じゃないって信じ込ませれば勝ちってわけ」



 真夜中の姿のルガルガンが描かれたカードを手に、ゲーマー(私たちの間でのニックネームだ。背が高く女の子にモテるのにゲームにしか興味のない残念イケメンなのだ)が淡々とルールを説明していた。真夜中の姿のルガルガンは、ここアローラ地方において野生で確認されている数が限りなく少ない。トレーナーに懐いた個体も、すべて真昼の姿へと成長するのだ。進化する条件もよく分かっておらず、というのもイワンコは進化するときトレーナーの元を離れ、終えてから親元に戻ってくるという習性を持つのだそう。ルールブックの後ろのおまけに、そんなことが書かれていた。

 小冊子をひと通り読み終えて、私はそれを元の箱に戻した。スーパー銭湯の休憩所みたいな広い共用スペースの隅の方、こげ茶の四角い木のテーブルを囲んで各辺にふたりずつ(ゲーマーはひとりだけだけど)、いつもの7人がくたびれた座布団に座っている。



「えーやだー、独りぼっちなんてやだよー。ねーサク~」

「モモチ大丈夫、ボクも横でプレイしてるからね。独りじゃないよ」

「あーはいはい、イチャつくならオレの目の届かないところでやってくれよなー」

「カリュードさん、いつもそればっかり……。わたし初めてだから、いきなり人狼だったら大丈夫かな。キョウジさんは、やったことありますか?」

「ン俺もこれが2回目だから。安心しなウラナ、ゲーマー以外まず初心者だって。なぁ、タブラも初めてだろぉ?」

「……うん」



 教室で他のグループの子たちが遊んでいるのは見たことあるけど、実際にやるのは私も初めてだ。それに人を騙すとか、嘘をつくのは大の苦手。もし自分が人狼役だったらどうしようかと考えを巡らせ、ダルがらみしてくるキョウジを適当にあしらっていた。こんな感じで、いつも放課後に教室の後ろで駄弁っているみたいに時間が過ぎてゆく。



「――話し合いは毎回5分、多数決でその昼に吊られる奴が決まるんだ。……ってみんな聞いてないな? ま、1回聞いたくらいじゃルールの把握なんてできっこないから、実際にプレイしてみようか。ちなみにこの人狼ゲームのモデルになったのが、今向かっているテンカラットヒルなんだ」



 パッケージに描かれた休火山のカルデラを見せながら、ゲーマーは慣れた手つきでカードをシャッフルし始めた。視線を窓の外に向けると、そこは一面の海。白波を立てて進むフェリーに置いていかれまいと、キャモメたちが群れをなして滑空している。

 高校2年生の長い夏休みを利用し、みんなでどこか遊びに行こうという話になった。バイトだ部活だとなんだかんだみんな忙しく、全員の予定が揃ったのが夏休み最終日。調べたところ、運よくそのテンカラットヒルで皆既日食が見られるそうで。正直なところ誰も天体になんか興味なかったのだけれど、日帰りで遊べる場所にめぼしいところもないし、見に行こうという話になった。

 大型フェリーに乗って一同、アーカラ島からメレメレ島を目指す。日食まであと5時間、入港するハウオリからそう遠く離れていないから、ショッピングモールとかで軽く遊んでからになりそうだ。

 甲板に出て潮風に当たったり、食堂で朝ごはんを済ませて駄弁ったりしていたけれど。フェリーが港に着くまでまだ時間が余っていたし、海風が強まってきたから船内に戻ったのだ。暇を持て余しゲーマーが取り出したのが、この人狼ゲーム。売店で買ったポップコーンをパーティ開けして、それをみんなでつつきながら第1回戦の幕が開けた。



「はい、タブラのはこれ」



 裏向きに私へと差し出されたカードを、友達に見られないよう自分だけで確認する。表に描かれていたのは私のよく知る、真昼の姿のルガルガン。どうやら私は〝真昼〟陣営のようだ。










 夜が来た。

 テンカラットヒルに棲むルガルガンたちはみなばらばらに、目を閉じ頭を下げ眠りについていた。

 むくり、そのうち1匹だけが起き上がる。淡い月の光をバックに照らし出されたシルエットは、他の5匹のそれではない。やつれた人間みたいな猫背、赤いくせっ毛の目立つ前脚は力なく垂れ下がっていた。喉元までぱっくり裂けた口には鋭利な牙が覗き、荒い息とともに真っ赤な舌がだらり、とこぼれ落ちている。おぼろげに光る紅い目が闇の中をすいっ、と泳いで、の目と合った。



 



昼が来た。



『いやあぁぁぁぁッ!!』



 常夏の太陽を迎える小高い草原の上に、若い雌のルガルガンの鋭い悲鳴が轟いた。この声は――モモチだ。ちょっと脂肪のついた喉を張り上げて、力が抜けたようにへなへなとその場にへたりこんだ。



『どうしたそんな――うおっ……』



 モモチの後から丘を駆け上ってきた恋ポケのルガルガン――サクがそれを見て一瞬固まったが、すぐに彼女をひょろ長い腕で抱き寄せてその眼を遮った。それもそうだ、彼らの視線の先にあるのは、血の池に沈む同胞の無残な遺骸だったのだから。



『いゃ、なんで、タブラ、なんで……っぐ、ぅぇぇ……』

『誰だよこんな……こんな、むごったらしいことした奴はっ……!!』



 苦しげに胃を裏返し小さくえずくモモチをぎゅっと抱きしめて、サクは絞り出すように吐き捨てた。ぎり、と地面に食い込んだ彼の鋭い爪に、変色し固まった私の血塊がこびりつく。そう、ひとり目の被害者は私だったのだ。

 丘に棲む残りのルガルガン――カリュード、ウラナ、キョウジが集められ、緊急の会議が開かれた。普段は1匹狼で暮らす彼らだが、さすがの異常事態にそうも言っていられなくなったのだ。私の遺骸のそばで、円になって5匹は座っていた。



『この中に……こんなことをした化け物がいるの!? ど、どうしようサクぅ!』

『安心してモモチ。ボクがその紅い目の化け物から守ってあげるから』

『…………っ』

『化け物……かどうかはともかく、わたしたちの中に犯人が紛れているのは間違いありません。この丘に、タブラさんを手に掛けられるほど強いポケモンは他にいませんから』

『だとしたら、ン俺らの中に犯人――人狼ってぇ呼ぶことにするか――がいるとして、ソイツを見つけ出すヒントが欲しいなぁ』



 雲ひとつない心地よい快晴のもと、重苦しい沈黙が地を這っていた。怪しい仕草はないか、自分に疑いの目が向けられないように慎重にお互いの表情を探りあう。そんなぎすぎすした雰囲気に耐えきれなくなったのか、恐る恐るウラナが口を開いた。



『あ、あの! 実はわたし……けっこう鼻が利くんです』

『……それが?』

『わたし、〝かぎわける〟ことで、そのひとが人狼かどうか分かる……気がするんです!』

『!!』



 マズルが低く少し小柄で、けれどもひと一倍周囲の雰囲気を察知するのが得意なウラナのことだから、占い師みたいな能力を持っていても不思議ではない。またとない手掛かりに、おお! とみんなが盛り上がった。昼はにおいが多すぎて夜にしか利かないんですけど、と照れ臭そうに付け足して、ウラナはまた真面目な顔に戻る。



『それで、昨晩たまたま小川でお会いしたキョウジさんの首回りをこっそり嗅いだのですけど……変なにおいはしませんでした。キョウジさんは人狼じゃないと思います』

『……ン良いこと言ってくれるねーぇ、ウラナはぁ! ……しかしなんだ、においフェチなのかぁ?』

『ちっ違いますっ! 断じて! その!』

『……まぁどっちでもいいとして、これは重要な手がかりだぞ。キョウジの言うことは、全面的に信じることができるからな。キョウジは誰が怪しいと思うんだ?』



 解決の糸口が見えてサクが言う。みんなの視線を集めて得意げなキョウジは、くくっ、と喉を鳴らしたっぷりと間をとって詰め寄った。



『カリュードぉ……。ン俺はオメーが怪しいと思ってるンだぜーぇ?』

『はぁ!?』

『さっきから黙りこくっちまってぇ、味方どうし潰しあってンのを眺めて楽しんでる人狼サンなんじゃぁねぇの?』

『な……お、オレは違うッ!』



 みんなの冷たい視線がしどろもどろになるカリュードを突き刺していた。よく磨かれたネックレスみたいな岩の飛び出た彼の首が縮み上がり、いつもは吊り上がっている蒼い目が丸くなる。普段はラブラブなサクとモモチに茶々を入れているが、逆に詰め寄られるのには慣れていないみたいだ。



『じゃぁ証明してみせてくれよぉ!』

『それは、その……! そ、そうやって突っかかってくるキョウジこそ怪しいじゃないかッ!』

『ン俺はぁ人狼じゃあねぇんだよなーぁ。……なぁ、ウラナ』

『え……ハイ、そうです。わたしの鼻はキョウジさんが人狼じゃないって言ってます! これは間違いありません!』

『そんな……! でも、オレはやってないんだってば!!』



 そうこうしているうちにタイムリミットが迫り、誰を潰すべきか多数決を取る時間だ。状況は圧倒的に、カリュードの不利。



『くそ、くそッ……お前ら揃いも揃って、恨んでやる……!! うぅ……し、死ぬ前に1度、雌のコとイチャイチャしたかった……!!』



 丘にもういちど、悲痛な叫びが響いた。







 夜が来た。

 昼の議論でもう人狼は始末されたはずなのに、ウラナはなかなか寝付けないでいた。

 縄張りの中でも普段あまり使わないほうの寝床に移ってみてもダメだった。小柄な体を丸めふわふわのしっぽに鼻をうずめてみても、どうにも気持ちが落ち着かない。諦めて小川で喉でも潤すことにした。もしかしたら同じように目が冴えてしまった仲間に会えるかもしれないから。



『そこにいるのは……サクさん? もしかしてサクさんも眠れませんでした?』

『その声は……ウラナか。どうしてか体が疼いてね、水浴びしていたのさ』



 思いが通じたのか、ウラナが高原の川べりに着くと先客がいた。珍しく出ていた厚手の雲が月を覆い隠し、暗くてその姿ははっきりとは見えなかったけれど、声には聞き覚えがある。ざぶざぶと立つ水音を背に、ほっと胸を撫でおろしたウラナはそっと水面に口をつける。足首の毛が水を吸ってびとり、と冷たく張り付いた。



『昼のときは助かったよ。ウラナの鼻のおかげでこうして生き延びることができた』

『ええ、解決してよかったです。でも……どうしてカリュードさんは人狼になってしまったのでしょう? 昨日まではいたって変わりなかったのに……』

『……さあ。元々そういう奴で、ボクたちが今まで騙されていたのかもね』

『サクさん、どうしました? なんだかちょっと、変……』



 灰色の雲が流れ、覆い隠れていた月が顔を見せた。あと少しで満月になりそうないびつな正円が、スポットライトを当てたようにウラナたちを照らし出す。

 ウラナは動けなかった。ひたり、すぐ後ろから漂ってきた背筋を凍らせるにおい。今まで嗅いだことはないけれどわかる、自分たちとは相容れない異質感。水を浴びても拭いきれない血のなまぐささ。



『……まったく、どうしてなのかボクが教えて欲しいくらいだよ』



 やっと気づいた違和感の正体。もしカリュードが人狼でなかったとしたら? 寝付けなかったのは、頭の隅でそのような考えが巡っていたからだろう。生き延びた人狼からすればこの夜はまたとないチャンスだ。〝かぎわける〟ことで殺人鬼と見抜かれる危険のあるウラナは、最優先に排除しておくべき存在であったのだ。







 昼が来た。

 新たに出てしまった犠牲者のむくろを前に、残りの3匹のルガルガンたちは押し黙ったまま。発見したのはキョウジだった。小川の下流域を縄張りとする彼が水を飲んだところ、やけに鉄の味がする。水源を遡ってみれば案の定、ということらしい。



『……オメーがやったんだろーぉ、サクぅ……!!』

『違う。そう言うキョウジこそ人狼なんだろう!』



 サクを人狼と決めつけたキョウジのがっしりした体躯が、しっぽの先まで毛を逆立ててひと回り大きく見える。怒りで吊り上がった口許から覗く鋭い牙を軋ませて、恨みのこもった唸り声で威嚇していた。対してサクは冷静で、いつ襲いかかられても身をかわせるよう注意深くキョウジを睨んでいる。一触即発のふたりに挟まれたモモチはそわそわと狼狽するだけ。

 気の立ったキョウジをなるべき刺激しないよう、たしなめるようにサクは言った。



『……実を言うと、ボクは毎晩モモチを護っていたんだ』

『あァん!?』

『人狼は暗がりに突然現れ、その鋭いタテガミで〝ふいうち〟攻撃を仕掛けてくる。こっちが身構える前に突き殺されるんだ。ボクは〝ファストガード〟を覚えているから、奇襲から誰かを護ることができた。獲物を待つ狩人狩人みたいにね。それで、毎晩ぐっすり寝てるモモチを隣で護っていた』

『オメ……! 狙われるのはウラナだって分かってただろーがよォ! なんでそっちを護らなかった!?』

『それは……モモチが大切だから』

『さ、サクぅ……!』



 チッ、と鋭い舌打ちを鳴らし、瞳を輝かせるモモチを振り向いてキョウジはすごんだ。



『どちらにしろン俺はサクだと思うしサクは俺に票を入れる! 決めるのはモモチ、オメーだからな!? よーぉく考えりゃぁ分かるンだ、流されンなよ!!』

『モモチ……信じているよ』

『わ……私、は……!!』



 時間が過ぎ、多数決が執り行われた。

 テンカラットヒルの高原に、またルガルガンの断末魔が木霊する。







 浴びたキョウジの返り血を小川でそぎ落して、モモチとサクは身を寄り添うように丘の斜面を急いでいた。流石に今夜は独りで眠れそうにない、とモモチが弱音をこぼしたので、サクの寝床でひと晩明かすことにしたのだ。緊張のゆるみと恋ポケといられる嬉しさから、モモチの多毛なしっぽは微かに揺らいでいる。



『……これで一件落着よね。私怖かったの。言い争っているとき、なんだかみんながバラバラになっていくみたいで。でもよかった、こうしてサクと生き残れたんだもん』

『ボクも、最後に残ってくれたのがモモチで嬉しいよ』

『ずっと私を護ってくれていたんでしょ? うれしぃな! そのせいで襲われた仔は気の毒だけど……あれ』



 ねぐらに帰るモモチの軽い足取りが止まり、その少し後をゆったりと歩いていたサクが追い付いた。きょとんと振り返るモモチに、やんわりと微笑みかける。



『どうしたんだい?』

『サク……、ねぇサクは、夜のあいだずっと私の側にいてくれたんだよね?』

『うん、もちろんさ。ボクがモモチの側から離れるはずがないじゃないか』

『その隙にキョウジは――人狼は、タブラとウラナを襲った』

『……』

『つまり……私を護ってくれていたサクのところに人狼は現れなかったってこと……。じゃあ……じゃあなんでサクは、人狼の武器が牙でも爪でもなく、硬いタテガミだって知ってたの……?』

『……』

『な、なんで黙ったままなの!? そ、それに、人狼が〝ふいうち〟で襲ってくるってことも、紅い目を光らせるってことも……ッ! ねえ、何とか言ったらどうなのよっ!?』



 西の稜線に、太陽が沈んでいく。照らされたサクの体が、モモチにはいやに赤く染まって見えた。東の空に昇る満月、段々と輪郭をあらわにしていくそれが、ことの顛末を静かに見届けている。



『同じ時期に生まれたボクたちの中で、ボクが1番進化するのが遅かったよね。羨ましかったよ、みんな次々に凛々しく大地を駈けるルガルガンに成長して、すぐにボクもあんな風になれるんだって信じて疑わなかった。それがなんだよ、ボクだけこんなひょろっちい格好に……! 恥ずかしくって本来の姿のままじゃ合わせる顔がなかったさ。イワンコだったときはみんなして駆け回ってたのに……! 友達のゾロアークに頼んで昼はみんなと同じ姿に化けてなんとか暮らしてきたけれど、夜は光の加減で無理なんだってさ。2日前の夜、タブラに本当の姿を見られたんだ。そしたらあいつ、なんて言ったと思う……? 「バケモノ」だと。今まで抑えてきたけどカッとなって、気づいたら殺してた』



 瞬きを忘れたモモチの瞳は、淡々と語るサクの横顔に向けられたまま動かせない。ちょっとずつ真相を理解し始めてしまった頭が、そんなの嘘! と叫んで力の入らない4本足をがくがく震わせた。



『で……でも、わた、私は、サクを避けなかったよね……? こっ恋ポケとして、サクのことをちゃんとすっ好きでいられたよ、ね……?』

『……もうそういうのはどうでもいいんだ。羨ましいとか憎いとか好きとか、そんなのはもうどうでも。あの鮮やかな血肉に歯を突き立てる感覚、それに柔らかい内臓の凄まじい味。あれが忘れられなくてさ。ああやっぱりボクはみんなとは違うんだって、改めて理解させられたよ。でもまぁ、今日の昼はモモチのお陰でリンチされずに済んだんだ、最期はひと思いに殺してやるよ。……ボクも好きだったよ、モモチ』



 ふくよかなマズルにそっとキスを落とされたモモチの前で、幻覚が解けるように恋ポケの姿が変わっていく。重たげに持ちあがる上半身、紅く光る化け物の眼。後頭部から前方に飛び出した岩のように硬いタテガミの先端には、まだ真新しい血の塊がこびりついたまま。それはモモチが恋ポケから聞いて想像した人狼の姿と、まったく変わらないものだった。



 夜が来た。











「――ラ、タブラ! ……ったく、暇だからってまた妄想の世界に迷い込むなよ。ほら、第2ゲーム始めるからカード返して」

「あ……ごめん」



 ゲーマーの荒い語気で私は現実に引き戻された。初めの夜に人狼から狙われ話し合いに参加することなくお役御免になってから、ゲームの進行をなぞらえて元になったストーリーを妄想していたのだ。しかもかなり悲しい結末にたどり着きひとり泣きそうになっていた。そう、1回目のゲームは〝真夜中〟陣営の勝利、つまりサクのひとり勝ちだったのである。



「うぇーん、サクひど~い! もう手も繋いであげないもん! ふんだ!」

「拗ねるなよモモチ、ただのゲームじゃないか」

「だー!! イチャイチャすんなって! こっちは傷心を癒してくれる恋人なんざいないんだぞ!」

「わ……わたし、もう誰も信じられなくなりそうです……」

「ン安心しろよウラナ、最期まで信じてもらえなかったオレに比べりゃ、アッサリ死ねたんだからいいモンだろーがよぉ」



 ワンゲームで疑心暗鬼に陥ったようだけどみんな気に入ったらしい。私としては、騙し騙されるよりこうして物語の背景を妄想する方がワクワクしたりする。実話を元に作られた、なんて眉唾ものだけれど、なかなか想像力を掻き立てられる設定じゃない。

 さて、次はどんな展開を想像させてくれるのだろう。それでも初めの夜に襲われることだけは避けたいな、と願いながら、新たに配られたカードの表をそっと覗きこんだ。










○










「わー! たくさん人がいる! もう日食始まってるよぉ!」

「はぐれるなよモモチ、ほら掴まって」

「あん!? 見つめあってないでお前らちゃんと太陽を見ろよ!」

「わたしハウオリでサングラスを買っておいたんです。安物ですけど、これなら直接見ても平気ですよ!」

「気が利くなぁウラナは。ほらタブラ、貸してくれるってよぉ」

「あ……ありがと」



 下船したハウオリシティで昼食がてら立ち寄ったマラサダショップ、そこで思いのほか時間を潰してしまい、私たちがテンカラットヒルのカルデラに到着したころにはもうだいぶ太陽が欠けていた。ここで日食が見られるのは10年ぶりとかで、アローラはもとより世界中からひと目見ようと観光客が押し寄せている。広く見渡せる南側の丘を中心に三々五々、チクチクする芝地に座って望遠鏡のようなカメラを立てている人もいる。

 陽のよく見える南側の斜面に7人で座ってその時を待つ。なかなか不思議な一体感だった。ここにいるみんなが、同じゲームに参加して楽しんでいるような。

 そうこうしているうちに、太陽がどんどん欠けていく。

 あと1分! と誰かが叫んだあたりから、かなり異様な雰囲気が丘全体を支配し始めた。浸した食パンにミルクが吸い取られていくように、どんどん光が無くなっていく。ぐるりと取り囲む山の稜線から、朝焼けみたいなオレンジがぼうっと立ち昇ってきた。雲もないのに灰色の空にのしかかる、隕石でも落ちてくるんじゃないかと疑いたくなる不安感。

 ところどころで悲鳴と、歓声が上がっている。カウントダウンとともに、その瞬間は訪れた。



 夜が来た。



「すご……」

「キレイだな……モモチくらいキレイだ」

「……そこは『モモチのがキレイだけどな』だろ……しかし綺麗だ」

「ほんと、すごくきれいです……。……? あ、みなさん、あれ見てください!」

「太陽から炎のもやみてェなのもでてきたぜ、ってどうしたウラナ……っおぉ?」



 私もつられて、ウラナの指す地表を見た。反対側の北の斜面、生い茂る草むらから飛び出してきたイワンコが1、2、3……7匹。みなそろって影の満月に向かって遠吠えを始めたのだ。



 ゎおぉ~ん……

 ぅゎおおおぉ~~ん。
 うぅぅ……ぅわぉおおぉ~~~~~ん!!



 テンカラットヒルの窪地に響き渡るような声音だった。幻想的な薄明かりの中、一層まばゆい光に包まれて、イワンコたちはその姿を変えてゆく。

 先頭で1番声を張り上げていた仔から順に、その遠吠えが太く、さらに遠くまで通るようになる。人狼のカードに描かれていたのと同じ紅い目、2足歩行のルガルガン。ポケモン保護区でもめったに見られない、生きた真夜中の姿を目の当たりにするのは初めてだった。

 さっき読んだ人狼ゲームのルールブック、その端っこにちょこんと書かれていたルガルガンの説明が頭をよぎる。



『イワンコは進化するとき、太陽のエネルギーを強く受けると真昼の姿に、月のエネルギーを強く受けると真夜中の姿に変化する』



 皆既日食、それは太陽、月、地球が一直線に並ぶ瞬間だ。つまりここ、テンカラットヒルに届く太陽エネルギーが月に防がれるということである。この丘から見て月が太陽の真上を通過する間――時間にして5分だけ、太陽のエネルギーよりも月のエネルギーが大きくなるのだろう。私たちが誰をリンチにすべきか話し合ったのと同じ5分間だけ、イワンコは真夜中の姿へと進化することができる。

 満月の夜の方が月のエネルギーは大きいんじゃないかとか、詳しい仕組みはわからない。でもきっと、ゲームの元になった真夜中の姿のルガルガンは、10年前のこの瞬間に1匹だけ進化してしまったのだ。そのせいで仲間から拒絶され、凄惨な運命をたどることになった。

 こうしてみんなで進化していれば他の仔を襲わないでも生きていけたんじゃないかな。ひと通り鳴き終わった彼らは、まだ冷めやらぬ体の熱を逃がすように全速力で駆け抜けて、遠く草むらの中へと飛び込んでいった。



「あ、見て! 太陽の端の方、もう明るくなってきてる!」

「ダイヤモンドリングだね。いつかモモチにもあんな指輪を……」

「っていうかお前ら2人だけで来るべきだったろ絶対! ふざけんな!」

「……タブラちゃん、泣いてるんですか?」

「んんン? ったく、オメーはすぐに泣くなぁ」

「……なんでもないよ、もう」



 茶化してくるキョウジを肘で押しやって、私は次第に明るさを取り戻してゆく太陽を仰いだ。黙って皆既日食の写真を撮っていたゲーマーが、自前の一眼レフをこちらに向けてくる。私たちは、いつまで経ってもずっと友達でいたいから。10年にたった5分だけの夜にそう誓って、みんなありがとう、これからもよろしくね! と思いっきりピースをつくった。

 

 

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