雪に埋もれし真実は

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作者:絢音
読了時間目安:25分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 一寸先も見えない猛吹雪の闇の中、途切れ途切れに声が聞こえる。

 ──────寒いよ。

 ──────寂しいよ。

 ──────置いてかないで。

 ──────早く、早く。











































       迎えに来て。ノエル。





























 岩のベッドから転げ落ちる勢いで俺は飛び起きた。オレンジ色の体は気持ちの悪い汗に濡れ、先程まで寝ていたベッドも湿り気を帯びている。尻尾の先の火も自分の汗で消えてしまいそうなくらいだ。
 俺は荒れる息を整えようとなんとか深呼吸を繰り返す。毎日の事だと言うのに未だ慣れそうにもない。俺はいつまであの悪夢に魘され続けるのだろう……いや、魘され続けるべきなのだろう。これが俺への罰なのだから。

 大事なパートナーを見捨てた俺への罰。

 目を閉じれば嫌でも思い出す。
 真っ白な雪原。隣を歩くピカチュウ。はぐれないようにとしっかり繋いだ手。
 なのにいつの間にか離れていた手。位置感覚も分からなくなる真っ暗な空。視界を覆う雪礫。最後に聞いたあいつの断末魔──────

「ノエル!」
 ふと現実に呼び戻された。目の前にはあいつとそっくりの黄色い姿。黒い瞳には憔悴しきったヒトカゲが映る。
 一瞬あいつが帰ってきたのかとドクンと心臓が跳ねるが、すぐに認識を改め彼女の名を呼ぶ。
「……ムー…………」
「ノエル、大丈夫……?」
 心配そうに寄せられた眉間やつぶらな瞳までそっくりで本当に嫌になる。兄妹だからってここまで似るものだろうか。真っ直ぐに見つめる視線が痛くて、俺はすぐに目を逸らした。
「あぁ……心配かけてごめん。大丈夫、大丈夫だから」
「ノエル……また、あの夢?」
 言い聞かせるように大丈夫を繰り返す俺にムーは核心を突くように尋ねる。思わず俺は言葉に詰まってしまった。
 ここで肯定すればまた彼女を苦しませてしまう。どうすれば──しかし、刹那の沈黙でムーはすぐ察してしまった。
「……ごめんね、僕のお兄ちゃんのせいで」
「違う、違うんだ、ヴァレンのせいじゃなくて、俺が、俺のせいで……」
 これ以上話そうとすると泣きそうになってきた。だから俺は口を閉ざし俯くしかなかった。
 その時、ふわっと優しく包み込まれた。ぽんぽんと子を宥めるように背中を叩かれる。その仕草さえ昔のパートナーを彷彿とさせて縋りつきたくなるが──この子はヴァレンじゃない──そう思い直しすぐに体を離した。
「ノエル……」
「ほんとにごめん、もう大丈夫だから」
 俺は気だるさの残る足で立ち上がり足早に玄関に向かう。途中で、使い古された青いスカーフも忘れずに首に巻いて。
「ノエル!」
 必死に呼び止める声に振り返ると、ムーが俺とお揃いの青いスカーフ──兄の唯一の形見だ──を揺らして駆け寄ってきた。
「ノエル、あのね、お兄ちゃんが亡くなったのはノエルのせいじゃないよ。誰もノエルを責める人なんていないよ。だからもうこれ以上自分を責めないで」
「それは……無理だよ。だってあの時、俺が、ヴァレンを、ちゃんと助けに行っていれば、あいつは……今もここにいたかもしれないのに」
「あの吹雪の中での捜索は困難だったって皆言ってたじゃない。ノエルが助かっただけでも奇跡なんだよ」
「あいつを見捨てておいて助かったって嬉しくないっ!」
 昂った俺の大声にムーは閉口してしまった。困ったような泣きそうな彼女にこれ以上なんと声をかければ良いか分からず、決まりが悪いまま俺は黙って部屋を出て行った。





 俺は街の掲示板に張り付くように陣取り、目を皿にして隅々まで見回していた。
 探しているのはただ一つ、ピカチュウの目撃情報だ。ピカチュウの救助依頼でもいい。兎に角、何でもいいからヴァレンに繋がる何かをあの日からずっと探している。
「あらやだ、あのヒトカゲまた来てるわ」
「あのポケモン、なんか近寄り難いから、来ると掲示板見にくいんだよね……」
 遠巻きに俺を窺う連中がひそひそ話を始める。毎日ここに来ては一心不乱に掲示板を凝視しているからか、俺を不気味に思う者も多いらしい。
 横目に声の主を確認してみると、ノーマルランクのブルーとテブリムだった。彼女達は聞かれている事に気づいていないのか、そもそも構わないのか、噂話を続けている。
「まあ、あのヒトカゲも気の毒よね。一緒に救助へ向かった先でパートナーに死なれたんだから」
「しっ!……まだ死体は見つかってないんだから。だからああして毎日飽きもせずに掲示板見に来るんじゃない」
「でも正直な話……ねぇ? 行方不明になったのいつの話よ? もう三ヶ月経ってるのよ。元パートナーの妹さんの方がよっぽど現実見てるわよ」
「その妹さんが今のパートナーなんだっけ? 彼女も、一体どういう魂胆で自分の兄を見殺しにしたポケモンと救助隊組んだのかしらね」
「実は復讐が目的だったりして!」
「やだ、怖ーい」
 何が面白いのか二匹はくすくす声を抑えて笑っている。自分が何と言われようと構わないが、ムーの事まで好き勝手言われるのは気に食わない。何も知らないノーマルランクのくせに、俺が彼女達に突っかかろうと後ろを振り返ったその時。
「もし、そこのお兄さん」
 すぐ目の前、というか更にその下、丁度俺の足元にとても小柄なデデンネがいた。年老いて腰が曲がっているせいで、その小ささに拍車がかかって見える。
「は、はい?」
 突然の事で素っ頓狂な返事しかできなかった俺に対し、デデンネの老婆は嗄れた声で会話を続ける。
「ピカチュウを探してるってのはあんたの事かい?」
「っ!」
 唐突な、しかしずっと探し求めていた話題に思わず息を飲む。そして次には彼女に問い詰める勢いで迫っていた。
「そ、そうです! 何かご存知なんですか!?」
「いやね、こないだ随分ボロボロのピカチュウがふらつきながら歩いてるのを見たのよ。儂が声かけても聞こえてねぇのか無視してどっか行っちまって」
「場所は!? どこですか!?」
「んーと、あそこだ、ハクマ雪原」

 ────ハクマ雪原。
 その言葉を聞いて一瞬思考が止まる。だってそこは。

 ヴァレンがいなくなってしまった場所だ。

「お兄さん?」
「あっ、はい、すみません」
 ぼんやりし過ぎたのか、気づけば心配したデデンネが俺の顔のすぐ目の前で手を振っていた。俺はそれをやんわり退けてお礼を言う。
「貴重な情報ありがとうございます。それではここで失礼します」
 こうしちゃいられない、ヴァレンが待ってるなら一分一秒無駄にはできない。すぐに探しに行かないと。はやる気持ちを抑えることもなく、駆け出そうとした俺を止めたのは老婆のある一言だった。
「そういえば一つ思い出した」
「なんですか?」
 早く救助に向かいたい俺に対し、デデンネはペースを崩さずゆっくりと言葉を続ける。
「そのピカチュウ、なんだか変なうわ言繰り返してたねぇ。

 『早く迎えに来てノエル』

 ってねぇ。ちょっと不気味だったわ。もしかしてノエルってのはあんたの事かいねぇ。
 ま、そういう事だから。よろしくねぇ」
 絶句する俺を気に留めもせず年老いたデデンネは話すだけ話して満足したのか、よたよたと立ち去った。彼女の姿が見えなくなっても俺は暫く立ち尽くしていた。

 あの老婆の話が本当なら。件のピカチュウはヴァレンで間違いない。
 でももしそうなら──あいつはずっと夢の中から俺を呼んでいた事になる。それなのに俺は。真実を確かめるのが怖くて。ずっと探しているふりをして本当は。

 あの発端の地に行くのをずっと避けていた。

 だって行方不明になってすぐ何人もの救助隊のポケモン達であの雪原を捜索したのだ。それでも見つからなかった。だから俺はあそこにはいないと決めつけたのだ。
 でも、それは間違いだった。俺が探しに行かないと。だって。

 ヴァレンが助けを求めているのは、俺なんだから。





 全速力で基地に走って帰ると、ポストの前にムーが立っていた。何やら手紙を読んでいるようだ。
「はぁ、はぁ、ム、ムー!」
「ノエル!? どうしたのっ? そんなに慌てて、何かあった?」
 久しぶりの全力疾走に息も絶え絶えに呼びかけると、ムーは驚いて目を丸くしながらも心配してくれる。俺は荒い息のままムーに先程聞いた情報を伝える。
「はぁ、はぁ……さっき、ピカチュウの、目撃、情報を、聞いた」
「えっ?」
「ハクマ雪原……俺とヴァレンが遭難した所だ」
 ムーはごくりと唾を飲み込んだ。そして手元の手紙に目を落としてから、それを俺に突きつけた。突然の行動に理解が追いつかず、頭にはてなマークを浮かべつつそれを確認しようとする俺に彼女は解説を始める。
「これ、ハクマ雪原への救助依頼。何人もの雄のポケモンが行方不明なんだって。それでその重要参考人が──ピカチュウってなってる」
「えっ!? それって、もしかして」
「お兄ちゃんかもしれない」
 俺の驚愕の声に被せるようにムーは矢継ぎ早に話し続ける。その表情は何とも言えない複雑なものだった。
「お兄ちゃんがポケモンを襲うなんて考えられない。でもダンジョンに迷って気が狂うなんて話もよく聞くし。だからもしそのピカチュウが本当にお兄ちゃんなら早く止めに行かないと」
 そこで一拍置いてムーは深く息を吐き出した。そして強い意志を持った真っ直ぐな眼差しで俺を見る。それはまるであいつとそっくりで。震える声は、それでも決意を固めていた。
「ノエル……一緒に行ってくれる?」
「うん、ヴァレンを助けに行こう」
 俺も彼女の決心に応える為に、しっかりと覚悟を決めて頷いた。





 真っ白な雪原は相変わらずこんこんと降り頻る雪に包まれている。あと少しでも風が強くなれば吹雪となりそうな天候の中、俺とムーは離れないようにぴったりとくっついて歩いていた。お揃いの青いスカーフが風に靡く。
 お互い声を掛け合う事もなく黙々と歩いていた。ホワイトアウトしそうな程、右も左も判別がつかなくなる視界で頼りになるのは手に持った方位磁針だけだ。
 その時、突然方位磁針が狂ったようにぐるぐると回り始めた。流石に足を止めてしっかり確認しようとすると、それに合わせて隣のムーも足を止めた。
「それ、どうなってるの?」
 俺の手の中で回り狂う方位磁針を目視したムーが不安そうに尋ねる。しかし俺にも原因は分からず首を捻ってしまう。とりあえず弄ってみるも方位磁針の反応は変わらない。
 そうこうしているうちに気づけば雪風は強まり、辺りは暗くなっていた。雪原なので寒いのは当たり前なのだが、それとはまた違った背筋が凍るような悪寒がする。
「ねぇ、ノエル……なんだか嫌な感じがする」
「ムー、気をつけて。俺から離れないで」
 少し怯えた様子でムーは俺にぴったりとくっついた。一回り小さい彼女を背に隠し、俺は周囲を警戒する。
 ムーの言う通り、命の危険を憶える程の不穏な雰囲気だ。誰かに見られている気配もある。吹雪で視界は遮られ、強風で音が掻き消される中、俺の早まっていく鼓動だけが妙に生々しかった。
 俺は自分を鼓舞するように尻尾の先の炎に力を込める。すると少しだけ周囲を強く明るく照らした。その分周りの闇は濃くなったが。
 その闇の奥から風の音に混じって何か聞こえた気がした。俺はどうにか聞き取ろうと耳を澄ます。


 ────────────やっと、来てくれた。

 吹き荒ぶ雪に紛れて聞こえてきたその声は。

 ────────────ずっと、会いたかった。

 あまりにも聞き慣れた優しい声で。

 ────────────待ってたよ、ノエル。


「────ヴァレン」
 止める間もなく口をついて出た名前に、目の前に現れたピカチュウはにこりと微笑む。その顔は、その姿は、正しく『ヴァレン』だった。
 それを認識した途端、俺は今置かれている状況の全てを忘れて、ただただ待ち望んだ再会に心を躍らせた。膝まで埋まる深い雪も気にせず、待ち焦がれたパートナーの元へと駆け寄る。
「ヴァレン! 生きてたのか! まさか、信じられない……良かった、本当に良かった。あの日から俺は生きた心地がしなくて、ヴァレンに会いたくて仕方なくて、ずっとずっと探してたんだ。
 どうしてずっとこんな所にいたんだよ? 早く帰ろう、俺達の基地へ」
「ノエル、待って! それはお兄ちゃんじゃない!!!」
 ムーの悲鳴にも近い鋭い声で俺は一瞬踏み止まる。同時に目の前に立つピカチュウの影から、音もなく出現した漆黒の鉤爪がその黄色い体を引き裂く。
 突然の事に止めるどころか叫ぶ事さえできないまま、ヴァレンの体は────いとも簡単に霞の如く掻き消えた。
「あら……随分と目聡いのね。すぐバレるだなんて」
 代わりに立ちはだかるのは一匹の美しいユキメノコ。雪のように純白の体を揺らし、上品に口を隠して不気味に笑う。
「残念だわ、もっとゆっくり楽しむ予定だったのに……待ちに待った折角のご馳走だもの。貴女には分からないかしら?」
「分かりたくもない、私のお兄ちゃんを殺したくせに!」
「そうだったかしら……とにかく、邪魔しないで」
 その言葉と共にシャドーボールが放たれ、ムーの小さな体は軽々と吹っ飛ぶ。俺はすぐさま彼女を追おうと後ろを振り返る。
 しかしそこに立っていたのはユキメノコだった。
「よそ見しないの」
「っ!」
 ユキメノコは俺の頬を冷たい両手で包み込むと、無理矢理顔を突き合わせ、その妖しい瞳でじっと俺を見つめてきた。背後では雪に反射して妖しい暗黒の光がチカチカと舞う。
「ずっと貴方を待っていた。ずっと貴方が欲しかった。あの日──あのピカチュウの魂を食べてからずっと」
「………………」
 抵抗すれば良いものを、俺は何故か動けなかった。なんだか頭がぼーっとして、何をすればいいのか分からない。感覚もなくなる位の寒さのせいなのか、さっきから目障りに瞬く光のせいなのか。そんな事すらどうでも良くなってくる。
「あのピカチュウの貴方への執念が、私の男の魂への執着と重なって……貴方が欲しくて欲しくて堪らなくなった。あれからどの男の魂を食べても、この渇きを癒せないでいるの」
 視界もぼんやりしてきて、目の前で話しているポケモンがユキメノコなのか、ピカチュウなのか判別がつかなくなってきた。
 でも、朧気にあいつの気配を感じて俺は半ば放心状態で大事なパートナーの名前を呼んだ。
「…………ヴァレン……」
「……ねぇ、ノエル。君にどうしても伝えたい事があったんだ」
 何の感覚も無くなる中、ヴァレンの声だけが聞こえる。
「僕は、君のパートナーになれて本当に幸せだった。君と過ごした日々はとても輝いていて、僕の一番の宝物だった。
 でも、いやだからこそ、それを壊したくなくて、ずっと言えずにいた事があるんだ。君に嫌われたくなくて、気持ち悪いと思われたくなくて。傷つくのも、傷つけるのも怖かったんだ。
 でも、やっぱり、こんな形でもう二度と会えなくなるなら言っておけば良かったって、すごく後悔したんだ。だからね、今更になっちゃったけど言うよ。

 僕はノエルに恋してた。
 ノエルが世界中の誰よりも愛おしかった。

 こんな身勝手で狡い僕の事、嫌いになっちゃうかな。でもこれ以上独りで抱え込むのは苦しくて切なくて辛いから。どうかこんな僕の最後の我儘を許して欲しい。



 ──────ノエル、愛してるよ」

 はっと俺は目を見開いた。どうやら仰向けに寝ていたようで、見上げる先には今にも泣きそうな顔のピカチュウがいる。その姿は少しでも目を逸らせばすぐ見失いそうな程朧気だった。
「ヴァレン……」
 ヴァレンは俺の呼び掛けに応えようと口を開くも、もう声は出せないようだった。代わりに小さく首を傾ける。どうしたの、そんな声が聞こえそうだ。
「ヴァレン……さっきの、本当?──俺の事が、その……好きって」
 ヴァレンは目を伏せて小さく頷く。その顔はまるで告白を後悔してるようで。俺の心はチクリと痛む。
 俺は仰向けのまま右手をすっと伸ばし、消えそうなヴァレンの頬を撫でた。ヴァレンは少し驚いたように目を大きくする。見慣れたその顔に何故だか愛おしさが湧き上がってきた。
「俺もさ──────たぶん、ヴァレンの事、好きだと思う」
 ピカチュウの目が零れるのではと心配になる程、大きく見開かれる。その様が面白くて俺は思わず吹いてしまった。
「なんだよ、その顔。そんなに驚く事かよ……っておいおい、なんで泣くんだよっ!?」
 ヴァレンは今度は大きな瞳から大粒の涙を流し始めた。それは留まる所を知らず、俺の顔にまで降ってくる。
 ほのおタイプのヒトカゲである俺にとって、正直水は苦手この上ないが、この水で溺れるのは悪くないかもしれない、なんて思ってしまった。そんな自分の惚気けた考えに笑ってしまう。
 泣きじゃくるヴァレンを宥めつつ、俺は想いの丈を言葉を乱立して伝えようとする。
「俺さ、ヴァレンと離れてから、この世界が苦しくて苦しくて仕方なかった。ずっとヴァレンを求めてたんだと思う。
 けど、本気で探せばヴァレンがこの世界から本当にいなくなった事実を認めなくちゃいけなくなるかもしれないって怖くて。だからずっとここに来れなかった。
 でもこんな事ならもっと早く来れば良かった。それならヴァレンをこんなに苦しめる事もなかったのに……意気地無しでごめんね」
 俺が謝るとヴァレンはぶんぶんと勢いに任せて首を横に振る。その動きも面白くて愛おしくて俺は軽く笑ってみせる。するとヴァレンも微笑み返してくれる。

 あぁ、これだ、俺があの日からずっと探し焦がれていた幸せは。ここにあったんだ。そうか。なら。

「ずっと待たせて本当にごめん。もう俺はどこにも行かないよ。ずっと一緒にいよう。一つになろう」
 俺は目一杯微笑んでこの喜びを嘘偽りなく表現する。ヴァレンが心配しないように。これが俺の望んだ幸せだから。
 ヴァレンは一瞬戸惑う素振りを見せたが、俺の笑顔の圧に折れたのか、大きく頷くとゆっくり顔を近づけた。もうすぐ唇が触れようというその瞬間────

「『僕』のノエルに手を出すなああああああ!!!!!」

 ヴァレンの影から鋭い黒爪が飛び出し、その体を真っ二つに引き裂いた。
「あ、あ、あ、あああああ」
 愕然とする俺の目に映ったそのポケモンは。







 この世のものとは思えない見るもおぞましい姿をしていた。







































 岩のベッドから転げ落ちる勢いで俺は飛び起きた。オレンジ色の体は気持ちの悪い汗に濡れ、先程まで寝ていたベッドも湿り気を帯びている。尻尾の先の火も自分の汗で消えてしまいそうなくらいだ。
 どんな夢か覚えていないが、とても恐ろしい夢だった気がする。乱れる心と息をゆっくり整えていると、玄関から明るい声が聞こえてきた。
「おはよう、ノエル。随分な寝相だね?」
 ひょっこり顔を出したのは青いスカーフを巻いたピカチュウだった。
「……ヴァレン…………?」
「どうしたの? そんな死人でも見るような顔して」
「え、いや……なんでもない」
 えも言えぬ違和感を拭えないまま俺は何も言わなかった。起きたばかりで頭が上手く働いていないのかもしれない。変な夢でも見ていたのかもしれない。

 だってヴァレンは死んだなんて思ってたんだから。

 そんなはずあるわけない。現にこうして目の前にヴァレンは存在している。きっと、全部、悪い夢だったんだ。
「ノエル、大丈夫? 顔色悪いよ。体調崩しちゃった? 最近救助隊の仕事頑張ってたし、今日はお休みにしよっか」
「え、でも」
「たまの息抜きも大事だよ。そうだ、どこかデートでも行く?」
「っ!? な、デートって、おま、何言って」
「だって僕ら、恋人でしょ?」
 一瞬ぽかんとしてしまう。そうだったっけ? でもそうだったかもしれない。俺とヴァレンはお互い想い合ってて、それなら恋人でもおかしくない。うん。
「……そうだね、デートしよっか」
「やった! じゃあ僕、ちょっと準備してくるね!」
 そう言ってヴァレンは入ってきたばかりの玄関をまた駆け抜けて行った。その元気な後ろ姿に思わず笑みが零れる。

 これで良かったんだ。そう。これで。

 コレガオレノノゾンダシアワセダカラ。














 基地の裏山はよく緑が繁っていて、何かを隠すには丁度いい。四方で繁茂する草を掻き分けながら青いスカーフを巻いたピカチュウは迷いなくずんずんと突き進んでいた。
 一際鬱蒼と青草が生える場所を掻き分けると、そこには土がこんもりと盛られており申し訳程度の墓石が置かれていた。
 その石には────『ヴァレン』────そう彫られていた。
「寝心地はどう? お兄ちゃん」
 墓の前に座り込んだピカチュウ──ムーは永遠の眠りについた兄に淡々と語りかける。
「お兄ちゃん。どう? 今の僕の姿。お兄ちゃんにそっくりでしょ。だってこの『化けの皮』、お兄ちゃんだもんね、そっくりに決まってるよね」
 そう言ってピカチュウ──の皮を被ったミミッキュは得意気にくるくると回ってみせた。そのまま彼女はやはり淡々と言葉を続ける。
「ユキメノコが良い趣味してて助かったよ。獲物の死体を氷漬けにして保管するとかさ。本当に良い趣味だよね。保管状況も完璧だったし。お兄ちゃんのご遺体を僕が持って帰るのに疑問を持つポケモンもいなかったし、本当にいろいろと運が良かったよ。
 僕さ、お兄ちゃんには感謝してるんだよ。身寄りのなかった僕を拾って、実の妹みたいに可愛がってくれた事。お兄ちゃんみたいになりたいって言ったら、自分の毛で化けの皮を作ってくれた事。ちゃんとピカチュウとして扱ってくれた事。何より──ノエルと会わせてくれた」
 でもね、とそれまでゆったりと踊る様に回転していたムーはぴたりと動きを止めた。そして発せられた声には少しばかりの憎しみが滲む。
「でもね、それと同じくらい、お兄ちゃんが憎かった。妬ましかった。僕の欲しい物全て持ってて。そのくせ僕にはお下がりばっかり。
 ノエルの事だってそう。『男同士だから』って身を引いてるフリして、救助隊のパートナーって立ち位置で独り占めしてたでしょ」
 突然、ミミッキュはふつふつと沸き上がった怒りに任せて、影から出づる漆黒の鉤爪──シャドークローで墓石を何度も何度も攻撃する。
「僕はそれが何より許せなかった! 男のくせに! 男のくせに! 僕の邪魔ばかりして!」
 元から質素な墓石が文字も読めないくらいボロボロになったところで、ムーは攻撃の手を止める。冷静さを取り戻し、ふふふと今度は小さく笑い始めた。
「ねぇ、お兄ちゃん。気づいてた? お兄ちゃんが雪原に行く事になった依頼、僕が出したんだよ。
 あそこに男に飢えたユキメノコがいるの、知ってたんだ。だからゴーストタイプのよしみで教えてあげたの。
 『今度極上の魂を持ったピカチュウが行くよ』って……お兄ちゃん達がはぐれるように、念の為ノエルのお弁当にノエルの苦手なフィラのみも入れといたんだ。
 そしたら面白いくらい上手くいっちゃって。僕って策略家に向いてるのかも!」
 ピカチュウそっくりなミミッキュは一人芝居を続ける。今度は切ない表情を作ってみせた。
「けど、ノエルがあそこまで落ち込むとは思ってなくて。僕が欲しかったのはあんなしょぼくれたノエルじゃなくて、僕を見る度に自分を責めるような眼差しじゃなくて。
 お兄ちゃんに向けられてた強くて熱い眼差しが、生き生きとしたノエルが欲しかった。だからね────お兄ちゃんに成り代わる事にしたんだ。
 ノエルをハクマ雪原に向かわせるのには苦労したよ。デデンネに変装までしてさ。でもあれ、僕にしかできない芸当だよね!」
 ムーはおちゃめにウィンクを決めてみせた。対する兄の眠る墓は変わらず沈黙を守る。
「お兄ちゃんだってさ、ユキメノコと魂を同調させてまで伝えたかった想いを無事ノエルに伝えられたんだし? 寧ろ感謝して欲しいくらいだよ。
 けど、最後にユキメノコの中に取り込もうとしたのはいただけないなぁ。魂ごと一つになるつもりだったの? そうしてまで僕に取られるのが嫌だった? 残念だったね、あははははは!」
 嘲り笑いながらムーは墓を雑草で覆って更に上から何度も踏みつけた。一通り笑い終えると墓に背を向けて立ち去ろうとした。が、言い忘れた事を思い出し、はたと足を止め振り返る。
「そうだ、お兄ちゃん。僕、今日ノエルと初デートに行くんだ。良いでしょ? お兄ちゃんの分まで楽しんでくるね!
 最期のお下がりは大事にするから安心してね。じゃあね、お兄ちゃん」
 最後の台詞を言い捨てて、『ヴァレン』は意気揚々と愛するパートナーの元へ向かうのだった。

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