外の景色を遮る木々を抜ければそこには雪原が広がっていて、あの子はその更に先にあるところから来たそうな。
気を紛らわせる為の木の実と、塗装の剥げた大事な珠を鎖に繋げて、始めよう。
しろのたびを
1
「っ……」
外に出てまず私を迎えたのは、葉が落ちてから随分経った木々の間から差し込む陽の光と、どこかから滴れ落ちてきた水滴。水が身体に付着する感覚に顔をしかめながら空を見上げて、ああ、本当に寝床を出たんだな、といった感想を静かに浮かべる。
春の陽気が雪を溶かし始めているのだろう、そこかしこでとぎれとぎれに木々からどすどすと重みのある、なにかが落ちるような音が聞こえてくる。旅への決心をつけようとする気持ちと、雪に頭を打たれる可能性に急かされ、浮早に、鎖をかばいながらしろの舞台へと向かう。
雪の落ちる音も随分遠くなり、太陽を遮るものも何一つなくなった。晴れの雪原に繰り出すのはいつ以来だろう。身体を照らす眩しい光にうつむいたが、その目線の先にも罠がある。
「っあぁ、これだからよりにもよって晴れてほしくはなかったのだが」
空を見上げる甲斐はなく、下を向いても雪のしろに光が反射され、容赦なく私の視覚を貫くのだ。日を改めようかと迷いもするが、
「……いや、この程度で折れていたら辿り着けるものか」
それに、この雪原には近くの城下町からやってきた者共も多くいる。せめて気でも紛らわせながら、彼女の故郷を探すことにしよう。
2
『きゃっほーーーい!!』
「うおおおおおお!!!」
『ちょっと!みずでっぽうでブーストかけるの禁止!!』
枯れた森を抜けてしばらく歩けば、板に乗って風を切っている者たちの歓声が聞こえてきた。ここは雪原といえど傾きがないわけではなく、あのように板に乗り、坂を滑って遊ぶ者がよく遊びに来るのだ。特に今日のような晴れて暖かい日には。
昔はその様子を遠くからぼんやり眺めたこともあったような気もするが、今日限りでは事情が違う。できるだけ迂回できる場所を探しながら、安全を第一に進み続ける。
『わわわわわっ!!?』
「ギャーーーーッ!!」
「……」
安全などここにはないようだ。
「リフレクター!」
『あでっ!!!』
先程速さを求めて、後ろにいる子にみずでっぽうをせがんだ者か。半透明の壁に頭から衝突し、目尻には涙が浮かんでいる。ただまあ、この激突は単なる合図にしか過ぎないのだろう。
『いってて……おっ!野生のポケモン発見伝!行くよゴロー!』
「マジで!?合点!!!」
「想像通り血の気が多いようだな」
目と目が合ったらポケモンバトルという言葉は一体誰の言葉が始まりなのか。前に駆け出しと思える子が突然勝負を申し込まれて困り顔になっていたのは見たことがあるが、まさか私も同じ目に遭おうとはな。
『ねえ!だから禁止って……ってフリージオ!?……バトルとかしちゃだめだよ?』
「おやっ」
『大丈夫!こおりタイプはみずタイプに効果は今ひとつなんだよ!!!』
「まかせろーバリバリ!」
『そういうことじゃなくって……!』
……ああまあ、最初から期待はしていなかった。やはりどこまでもここにいるのは野蛮人なのだ。逃れようがない。
木の実は雪の上に置いていい、珠は……持ったままでも支障はないはずだ。
『よーっし!ゴロー、みずでっぽう!!』
「おりゃさっ!!」
「ひかりのかべ」
勢いはさほど強くないにしても、それは立派な技。防げるのであれば防いだ方がいい、のだろう。こういったフラットな戦いは初めてだからどうにも勝手がわからない。
ぽたぽたとひかりのかべから落ちた水が、雪をくぼませていく。土混じりの水はその勢いを落とすことなく、私の生成した障壁を突き破らんとしているが、まだまだ未熟のようだ。
『っ!?ゴロー後ろ!!』
「はっ」
「フリーズドライ」
トレーナー、といったか、の指示も大きなアドバンテージなんだろうな。しかしそれでも遅い。
「うあああああああ!!!」
『ごっ、ゴロー!!?』
戦う前に慢心も見えた。やはりこの技は知らなかったか。軽く放ったつもりだったのだが、ゴローと呼ばれた子は目を回して倒れている。
パートナーを倒された子はどうしていいのかわからないのだろう、その場でおろおろしている。それでも、思ったよりかはずっと早くゴローに駆け寄り抱き上げた。
『ああもうっ、その子かして!』
『あばばばば……めのまえがまっくらに』
『ならないから!シミュレーション感覚でやらないでって言ったでしょ!!』
付き添いの子はトレーナーの子に文句を言いながらも、その子のバッグから黄色いかけらや紫色のなにかなど色々取り出して……手当、だろうか?をゴローにしてやり始める。と、思っていたら、
『ごめんね、私の友達まだ駆出しでやんちゃなの……あなたもすぐ手当するからね』
私の身も案じてくれたのか、例の不可解な道具を両手に持って私に詰めてきた。
「……いや、特に傷は負っていないが」
『きずぐすりを……ええと、どこに吹きかけるべきかな?』
得体のしれないこともあり、遠慮したはずなのだが、付き添いの子の様子は変わらず。いたるところに霧状のなにかを吹きつけられる。
しばらくして、そういえば私の言葉は人間に届かないのだと思い至った。元々低めの私の声が弱っているかのように受け止められたか、それならばと二本の鎖をちゃらちゃらと揺らせば、やっと付き添いの子は私に手当を受ける意思がないということを受け取れられたようだ。
『そっか。って、これは……ボー』
パシッ
『いたっ……!?』
「……これに触れるな……」
『きゃあ!?』
「あっ、おい!」
心優しい子ではあるのだろう、だが、これに手をかけるのは許さない。空いている鎖で両手を縛り上げ、珠を持つ鎖と付き添いの子との距離をできる限りに遠ざける。次はどう来るか……、なんだ、目を伏せて……?
『危ないゴローみずでっ』
『っ、だから動くポケモンをみんな敵だと思わない!!!』
「おぐっ、……」
「おらーーー!!」
「おぶっ」
……近い距離で突然の大きな怒号の余波を浴びせられ、そしてちらと見たこの子の表情から、ついでに水を被ったことにより少しは冷静さを取り戻してきた。気がはやってしまったな。
鎖のどこかが肌に噛み合わないように、ゆっくりとした動作でこの子の両手首に巻き付けた鎖を解く。身震いもしたいところだが、したらこの子に飛び散った水がかかるか。我慢だ我慢。
開放された付き添いの子は一つ二つ咳き込み、一回背を傾けて。そしてゆっくり、先程の怒鳴り声とは打って変わって静かに私へと言葉を連ね始めた。
『……ポケモンが、モンスターボールを持ってるとは思わなかったからつい、手が出ちゃった。……ごめんね?』
そういえば、この珠は人間以外に使っていなかったな、私が持つのは物珍しいのも当然か。そしてそれにこの子が興味を示すのも。
付き添いの子がそうしたように、私もぺこりと身体を傾けると、へにゃりと付き添いの子の表情が緩くなった。
『……本当にそのポケモン、大人しくなったの?あんまりダメージは受けてないと思うけど……』
「なにおう!スゴイ・シツレイだぞ!!」
『だから、シミュレーション感覚でやらないってうるさく言ってるでしょ。このフリージオだって生きているんだし、ミナのゴローだって、戦わなくても心は通じてるでしょ?』
『私とゴローはバトルしてるときが一番一緒になってるよ!!!』
「いえあ!!!」
『……はぁ、そういうことじゃなくってぇ……』
「想像以上に野蛮だな……」
トレーナーの子とゴローが一緒に、大きな笑顔でなにもわかっていないような返答をして、私と付き添いの子は揃って呆れ返る。っと、これほど使っていられる時間はなかったな。
『あ、もう行っちゃうんだね』
「ああ……もともとこんなに時間を潰すつもりもなかったが」
『そっかぁ、気をつけてね』
『え?そのポケモンなんて?』
『多分、どこかに行かないといけないんだって』
『なるほど!ガンバ!!!』
「どっか行くのか!頑張れよー!」
「はは、ありがたい」
この子たちに旅の幸福を願われると、この衝突も起こってよかったと思えてしまえるな。
雪の上に置いた木の実を持ち直し、最後に珠を持った鎖を彼らに振り、背を向ける。
「それじゃあ」
緩やかな雪の坂を下っていって、転落防止であろう柵を越えれば、そこは人気のない、しろの上だ。
3
私以外に誰もいない。人のみならず、ポケモンまで。春が近づくにつれ雪も溶けてきているが、まだ土の焦げ茶色は見えておらず、そして季節の移り目には、普通はこおりタイプも出歩かない。春に活気を取り戻すようなポケモンたちは……ああ、まだ、冬ごもりをしているべきだ。十分な食料があって、体温も保てるような場所で。
坂の上から風が吹き下ろす。春風とするにはまだ暖かくはないが……この分だとやはり、もっと早くに出る決心をつけるべきだったな。トレーナーの子たちと別れてから色々と整えはしたが、それでも先を急ぐ方がいいだろう。
「……っと」
しろの上に、周りの雪とはどこか様子の違う白い盛り上がりがある。急ごうと思い立ったばかりなのだが……恐らくあれはポケモンだな。
近づくにつれ見えてきた、黄色く大きなくちばしには私にも見覚えがある。確か、ペリッパーと呼ばれるポケモンだったか。
「おい、意識はあるか」
「……うっ、お……」
元気はなさそうだが、途絶えていないならなにより。雪の上に寝そべっても体力を消耗するだけだ。とりあえずペリッパーの体を起こして、
「おなか……すいた……」
「なるほどな、ここに木の実があるが?」
「……ください……」
「ああ、冷たいのは我慢しておくれよ」
食料が尽きてしまったのだろうか、それにしても、この雪原に飛び立つにはまだ時期が早いのだけどな。
鎖に繋がっている木の実を、ペリッパーの大きなくちばしにぼとぼとと落とす。全ての木の実がくちばしの中に収まり、鎖を引き下げた後。ペリッパーは慌てた様子で己のくちばしを両翼でまさぐりはじめ、たと思えば四角く薄い紙を何枚か引き出した。便箋だったか、ならば食料目当てで飛んできたわけではないのか。
「んぐぐ……っぷふぅ。あっ、ありがとうございました!あなたが通りかからなかったらどうなるかと……」
「本当にな。咎めたいわけではないが、雪原を抜けるのであれば必要以上に備えを持っておいた方がいい。雪の上で力尽きてはどうしようもない」
「はっ、はい!気をつけます!」
このペリッパーも新米といったところだろうか。先程のトレーナーの子よりも初々しさが目立つ、いやあれは単に色々よくわかっていないだけだったな。
ひとまず落ち着いたぺリッパーは、うーん、と唸ったかと思うと、
「なにかお礼をしたいです……そうだ!あなたはここに住んでいるわけではないですよね?どこかに行きたいのであれば、僕がお連れしますよ!」
空のタクシー、あれは確かアーマーガアが運営していると聞いたが、確かにペリッパーにも私のようなポケモンを運ぶことはできそうではある。だが、私自身前にかなり重いのだと言われたこともあり、なにより、私の旅に他者を巻き込むのは忍びない。
「気持ちはありがたいが……恐らくその手紙は城下町宛だろう。私の行き先はそことは真逆だからな、遠慮しておくよ」
「いやいや!だとしても僕は大丈夫ですよ!」
「……もし君がそうだとしても、仕事を放棄するのはまずいだろう?怒られるぞ」
「あっ」
凍りついたな、表情が。
「そうだそうだ午前中に届けないといけないんだった!!!ごめんなさいあなた近いうちに必ずお礼するので!!!」
「焦りはするなよ、忘れ物とかな」
「さよならーーーーー!!!」
はてさて、私の声はペリッパーの耳に届いたのか。仕事という言葉を言った辺りから顔は曇り始めていたが、怒られるで決定的になったな。忙しない様子で坂の上に飛び去ってしまった。トレーナーの中には厳しい人間もいると聞いたが、彼のトレーナーは温厚な性格であってほしい。
さて、私も旅路に戻らないとだな。木の実が全てなくなってだいぶ鎖が軽くなった、まあ、途中の暇つぶしがなくなったことも意味するのだが。生活するという観点からではそれほど重要ではないが、幸いなことに私は味を感じることが出来た。舌に残りやすいカゴのみぐらいは残しておいたほうが良かったか……
「…………おーーーーーい!!!!!」
「おや?」
呼びかけの声が後方から聞こえてきた。この辺りには私以外に誰もいない、恐らく私に対しての声だろう。振り返れば、先程坂の上に飛び去っていったはずのペリッパーが切羽詰まった形相で戻ってきている。忠告したはずなのだが、手紙でもくちばしに戻し忘れたのか?
……ん?目の前が急に暗く
「っ!?まっ、待て」
「ぅわぅあうぇうぇひゅ!!!!!」
「吐き出せ!私も飛べる!」
っぺ、と大きなくちばしから吐き出されたことによってようやく視界が確保された。ペリッパーに頭から咥えられてからかなり高度をつけられたのか、目下には雲と思しき白いもやのようなものが広がっている。
ここまで私を連れてきたペリッパーといえば、……相当焦って私を咥えたのか、顎の調子がおかしくなったようだな?あががががとくちばしを開けて微妙な顔をしている。
「一体、なにがあって私をここまで連れてきたんだ?」
「がっ、ぐ!!!……雪崩が起きたんです」
「……なるほどな」
下のもやは雪煙か。それならペリッパーの尋常でない焦りざまも納得がいく。それにしても、まさかこんなところでも雪崩が起こるとは。
「坂を飛んでる時にどどどって音が聞こえて、雪崩だってことはすぐわかったんです。僕は飛べるわけだから雪崩に呑まれることはないけど、あなたはどうなのだろうって。それで急いで飛んできたんですけど……もともと飛べたのかぁ……」
「いやいや」
ペリッパーは差し出がましいことをしたとでも思っているのだろうが、事実として、私は彼にとても救われたのだ。
「なにも知らずに呑まれていたら、恐らくこれはどこかに行ってしまっただろう……助かったよ」
「……それは」
「私の旅が終わるまで、いかなる事情が佇んでも手放してはいけないものだ」
「……なるほど……」
訝しげに珠を覗き込んでいたペリッパーだが、それ以上の詮索は止してくれた。私としても、これ以上はあまり口にしたくなかった。
「……すまないね、それと淡々としているようになって悪いのだが、早く手紙を届けに戻るべきだ」
「そうですね……それでは!!」
「ありがとう」
午前中までにと言っていたはずだが、もう陽は天頂にある。それでも諦めずに飛び去っていく姿は、なんだ……健気なものだな。ペリッパーが雪崩に気がついたとき、戻ればこうなることはわかっていたのだろう。その上で彼は私のもとに飛んできてくれたのか。
……助け合いか。確かにこれは、いいものだな。
雪煙は完全には収まりきっていないが、前が見えるぐらいまでには薄くなった。ずっと空を飛んでいても方向を間違えるだろう、降りてまた進むべきだ。
一体この雪原のどこに雪崩が起こるような要因があったのだろうか、人間たちが雪玉を作って転がし……は流石にないな。雪解けの水で雪崩が起こったことも見たことが……
……おや?雪が茶色く濁って
『……う、ぁ……』
―――――――――――っ、
4
声がした。間違いないっ、雪の下からだッ!
「どこだ!声を上げろ!」
『……あ……』
「……そこかっ!」
聞き逃しはしない、かすかだが確かに聞こえた反応はあそこからだ。深くは埋まっていないはず、鎖で引き上げる!
「ぐぐっ……はっ!」
『っ、はぁ……!?』
よし、引っこ抜けた。バランスの取れるよう雪原に座らせて下ろす。さらされている肌に付着した雪だけでも払い落とす。
……とりあえずは問題なさそうか。意識もあるようだし、服なるものも身につけているのだから凍えもしないだろう。
「ああ確か……トレーナーだったか。一体なにが―――
『ご、ろ、』
『ごろっ、ゴローーー!!!返事してよっ、ねえ!!!どこにっ、どこにいるの!!!!!』
巻き込まれた子が、まだ、いる。
「っ、とぎすます!!!」
あの体躯で雪に飲まれたら無事で済むはずがない、声はあてにならない。集中しろ。このしろにおけるいかなるイレギュラーを見逃すな。散らして、収束させる。絶対に途絶えさせるな。
……他より茶色が多い、そこか!!!
「はっ!!」
……まずい、意識がない、体温も温かくない!
「おい!今すぐにこの子を温めてやれ!!!」
『は……あ……』
「早く!!っああ、そうか言葉が……」
腕の中にゴローを入れても呆気に取られたままだ。むしろどこか青ざめ、て……っ!!!
ゴオオオオオオオオオオオオオオオォォォ……
……とととととどどどどどどどどどどどどどどどどどどドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッッッ!!!!!
――――――――――おさま、ったか?
鋭角に生成した二枚の透明な障壁は、あと少しでも衝撃を加えたら砕け散りそうな程の亀裂が走っている。珠も鎖から離れていない。ぎりぎりだったが、なんとか、防ぎきったようだ。
「ゴローは、」
「うごっ……」
『っ!ゴローーーーー!!!』
「いぎゃあああああっ!痛いタイ!!!」
「……はあ……」
安堵のため息が出る。元気そうだな……よかった。
「身体に問題はなさそうか?」
「うおっ!お前はさっきのか!?」
「ああ、どこか痛むところは」
『……あ』
……おや?またトレーナーの子が言葉を失っているな。まさか三度も雪崩が起こったわけではないだろう。となると……付き添いの子と同じように私の身でも案じてくれているのだろうか。
「ほら、この通り。私は問題ない」
『えと……』
鎖を勢いよく振ってもトレーナーの子の様子は変わらない。まさか己では気がついていないだけで、どこかにひびでも……いや、そんなことはないな?だとしたら一体この子はなにを……
「おーーーーーい!あなた!!!」
「……とんだ節介焼きだな」
もう姿を見なくてもわかる。またペリッパーが心配して飛んできてくれたのだろう。
「はあっ、大丈夫そうですね……ってその子たちは!?」
「雪崩に巻き込まれていたところを助けたのだ。……手紙は?」
「もう全部届けてます!」
また仕事を放り投げて来てはいなかったか、ならばよかった。それに、彼が来てくれたことは非常にありがたい。
「もしできそうであれば、この子たちを城下町まで連れて行ってはくれないか。一度上の方で出会った子たちだ、間違いはないだろう」
私を咥えて空まで連れて行ったほどだ。力不足はないだろう。
「もちろん!お安い御用ですよ。ささ、乗ってください〜」
……本当にいいポケモンだ。彼になら心置きなく任せられる。
「街まで連れてってくれるのか!やったぜミナ帰れるぞい!!!」
『あの……』
「乗れないのか?ほら」
『あ、えっと』
乗せてやっても反応が微妙だな……高いところが苦手なのだろうか?
「安全に飛びますからね!ああ、それでも掴まっておいたほうがいいかな」
「……ゴロー、その子を安心させてやってくれ」
「合点!高いとこなんて怖くないぞーーー!」
『あの――――――』
「それじゃあ行きますよ!やっ!」
『あっ、待って!』
突風が起こったかと思えば、既にペリッパーは木の実ほどの大きさにしか見えないところまで飛び去っていた。あれは安全……なのだろうか?まあとりあえず、鎖だけ振っておこう。
……先程とぎすますを使ったときには、他に生き物の気配はなかった。それでも、もし、他に誰かが巻き込まれていたら。考えかけて、浮かびかけたものを心中の奥に鎮める。もしいたとしても、それが、しろだ。
終
「…………ああ……」
春のかすかな陽気が風にのって流れるが、地面が顔を出すにはまだ早い時期。それにも関わらず、緑色の代わりに桃色が広がっている、巨大な一本の木が遠方に見えた。その周りには雪が積もっておらず、春先に顔を出すような植物たちが、既にその木の周りを埋め尽くすように広がっている。そうだな……まるで春のオアシスのようだ。
あそこが目的地で違いないだろう。鎖に繋いだ珠の確かな感触を確かめ、最後の助速をかける。
木の下までこれた、か。……桜、だったか、あの子が故郷にあると言っていた木は。暖かくなると桃色の花が咲き始め、瞬く間に広がりゆく。散り際さえも美しい樹木……この木こそが、桜なのだろう。
「死路の旅は、いかがでしたか?」
「っ」
……ふわ、ンテ。か、
「……いつから」
「いやなに、あなた方のことは前々から気になっていったんですよ?」
「……」
あぁ……結局、変わりはしなかったのか。もしかしたらと縋った奇跡は、やはり存在しなかったのか……
「しんみりした顔をしてますねえ。さてさてそれで、あなたが辿ってきた旅路はいかがなものだったのでしょう?」
「……はぁ」
一体このフワンテは私からなにを引き出したいのだ。観光の感想でないことはわかりきっているが、嫌に軽い言い草にはどれほどの意味があるのか。
いずれにせよ、こんな戯言と付き合う前に、やらなければならないことがあるのだ。
「つれませんねえ!」
「知ったことか」
ぷぅ、となにかが膨れるような音がする。後回しだ。まずは、この珠の中からあの子を出してやらねば。
しかし、どうやって取り出そうか。私はこういったカラクリの扱いには明るくない。……ああ、そういえば、トレーナーはこの珠を投げてポケモンたちを繰り出していたな。試してみようか。
「はっ」
……かさっ、と草の上に珠の落ちた音以外に、目立った変化は起こらなかった。
「だめか……」
「出てくるわけがないでしょう?それはですねえ……」
「……」
全く癪なポケモンだ、扱い方など知る由もないだろう。……しかしどうしようか。叩き割ることもできそうではあるが……いいや、そんなことはしてはいけない。あの子が中に入っているのだ。ならば…………
「おーい!き・い・て・ま・す・か!!」
「うるさい」
「うるさいとはひどいですねえ!?せっかくぷわわがそれの開け方を教えてあげたのに……」
「……なんだって?」
このフワンテは、知っているのか?いやそんなことはどうでもいい、この珠の開け方を、聞き逃した?
「どっ、どう開けるんだ!」
「えぇ〜?でも、ぷわわはもう言いましたも〜ん」
「っ……!」
愚かだった。このポケモンが素直に話をするはずもない、挑発に転がされたせいで聞くべき情報を落としてしまった。……一体なにをすれば、このフワンテからこれを開ける方法を引き出せるか、試せるだけの時間は……
「……なんて、そこまで性格を落ちぶれさせた気はないですよ」
……なん、て
「おし、えて、くれるのか?」
「全く、今回は大サービスですよ?ボールの真ん中についてるボタンを押してくれれば、蓋が開くって仕組みなんですねえ」
「……本当に、開くんだな?」
「壊れてなければ。ぷわわとしても開いてくれないと困るのです」
フワンテの言葉の通り、珠には一つの白いボタンがついていた。開かないと困るというのは、フワンテの目的に関わっているのだろう。嘘ではないはずだ。よし―――――――――――
「……待ちますよ、心の準備も必要でしょうし」
「済まない……」
なにがあるかなどわかりきっている、というのに。鎖が重く感じる。ボタンに触れること自体が……、とても、とても恐ろしい。
トレーナーが、珠からポケモンを繰り出すときに共に出てくるような鮮やかな光は、なかった。
さっ、と、フワンテが開いた珠の上で紐の先を重ねる。……仕事をしているのだろう。
「……大丈夫です。あなたに対する恨み言は、一つたりともありませんよ」
「そうか……」
珠の中を覗く。小さくなったまま収まっている、この辺りの気候としては春と区分しても違いないというのに、体毛は茶色いまま変わらない鹿の身体。目は、……やはり、閉じている。
「……やはり、結局。変わるものはなかったのだな」
吹雪の中でこの珠を見つけたとき、もしかしたら、そう思ってあの子をこの珠に入れたという行動は、なんの奇跡にもならなかった。……あるいは、目を背けただけだったのかもしれないな。変わらない運命からもだが、なにより。目の前で光が消えていく様をただ見つめることしか出来ない苦しさから。
「……へえ。えと、フリージオでしたっけ。も涙ってあるんですねえ?」
「……は、急がないとな……」
……次で、最後だ。小さい身体を珠から取り出して、鎖で丁寧に抱え、巨大な桜の木の懐へと。鎖で地面を掘り、十分な大きさの穴ができたら、あの子を穴に入れ、土を、被せる。身体が見えなくなる。……これで、いい、はずだ。
「埋葬ですか、お優しいですねえ」
「……あの子から教わったことだ…………」
それだけではない。あの子から私は、多種多様なことを学んだのだ。そこかしこで見つかる木の実はそれぞれ、様々な味を持つことも、人間が作り出した様々な技術や文化、その他人間によって区切られた事柄も、人間とのコミュニケーションの方法も、トレーナーと、共にあるポケモンたちは戦いは好むことも、ペリッパーが手紙を運んでくることも、人間の話ではあまりいい印象を持てないフワンテは、元来は行き場を失った魂の運び屋であることも、外の世界には白だけではない、数え切れないほどの色で満たされていることも。ありとあらゆる情趣的な事柄は、全てあの子から知ったものだっ、乱雑に凍りついていた私を、無機物のようだった私を、柔らかく、温かく溶かしてくれたのは……っ!!!
「……あの、大丈夫です?そろそろ戻ったほうが」
「いや、いいんだ……結局、君も優しいんだな」
今日あの洞窟から外に出るまで、いつも心のどこかには、あの子以外の誰かとの交流に対する疑いが、ほんの少しでも存在した。しかし、どうだっただろうか?最初こそ警戒すれど、あとに残る後悔は、一つもなかったはずだ。結局、あの子は正しかったのだ。もっと早くにあの子の話に乗っていたら、もっと早く、外へ向かっていたら。
……あの子はいつも、故郷の桜を、見せてやりたいと話してくれた。出会ってまもなくから、横たわったまま、動けなくなるまで。返答を何度渋るたびに、あの子は故郷の様子を、何度も話してくれた。今、この場の景色以上のもの、なのだろうな。見渡す限りに、何千本もの桜が咲き乱れている様子や、あの子の親や兄弟、友達のことも。私でも、故郷の皆となら話せるはずだと、ひと目見たら、感激すると、何度も、なんどもあの子は、私に、語りかけていたのだ。
共にこの景色を眺めるにはなにもかもが遅すぎたとして、も、それでも。あの子の最後は、ここであるべき、だったはずだから……
「冗談のつもりだったのに、まさか本当にその気だったとは意外でしたねえ?」
「……」
憎まれ口に答えてやれるほどの気力も、もう、残っていない。桜の木の幹にもたれかける。
やるべきことはもう、全てやりきった。そして、そんなことができる身の程でなかったとしても、私は、最後まで、あの子の傍に、寄り添いたいんだ。
「……お覚悟は、固いようで」
「ああ……」
体表に水滴が滴る。
「だから私は、ここまでやってきたのだ」