ラシンバンⅥ
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
ラシンバン基地 牢屋
あくまで形式的にだけ作られたかのように、その牢屋はもぬけの殻ばかりであった。…ただ一つを除いて。
「はあっ!?冗談じゃねぇよ!?」
鉄格子を掴んで怒鳴っているのは天野。鉄格子越しには昭博がいる。
「金持って指詰めた上に、組長・幹部の交代なんて重すぎだろうが!!なめとんのかぁぁ!!」
どうやら、昭博は一度に全部をやれ、と提案したらしい。当然、不満の声をあげる天野。
「何が重すぎだこの野郎。話聞いたらお前から喧嘩全部吹っ掛けてんじゃねぇか!」
先ほどの紳士的な会話から一変。ドスを効かせた話し方だった。もはやどっちがヤクザか分からない。
「んな喧嘩吹っ掛けた覚えなんかねぇよ!!」
「何寝ぼけたこと言ってやがんだ。部下が仕事でトチってから、こうなったと言ってる記録がこっちにはあるんだよ!!
酒に酔った勢いで、全部自分で白状してるんだ!」
これは本当だった。あの凛との話し合いの時に、酒に酔って、一気にベラベラと喋っているのだ。
「……………………」
しばらく記憶を辿っているようだが、やがて思い出したようだ。
「悪かったよ………」
自身無さげに小さく言う。これに昭博は追い打ちをかける。
「だったら責任とれるよな?『ラシンバン』の方々は、大層お怒りでいらっしゃるぞ?」
「だからって全部やる必要あんのかよ!」
「そもそも堅気に手を出してる時点で、お前のやり方に問題があるっつってんだよ!!」
「…だからって、こんなつまらねぇことで、指も金も渡せるか!」
このフレーズに、流石の昭博もカチンとくる。
「…おい、お前自分で対処できないから、うちに仕事頼んだんだろうが!!大体進捗報告する相手があっさり捕まりやがって…向こうはそれで許すと言ってんだよ、せめて俺たちに感謝するのが筋じゃねぇのかよ!」
昭博の口答えが気に食わなかったのか、憤怒の表情を顕わにする。
「……てめぇ……ヤクザ舐めんじゃねぇぞ!!ぶち殺すぞゴラァァ!!」
「何がぶち殺すだバカ野郎、今の状況を考えてもの言えよ!!例のツタージャはこの交渉まとまらなかったら、お前を嬲り殺しにする気満々だからな」
「はっ…ツタージャごときが嬲り殺し?出来るもんならやってみな!」
天野は鼻で笑う。しかし、次の昭博の言葉が強烈な返しとなった。
「馬鹿にするのは止めとけ。なんせ、ついさっき凛がアイツと戦って負けたんだぞ?」
この言葉、天野が怯む。『凛が負けた』……北畠が凛と協力した一件は『品川会』内部でも有名な話で、かなりの強さを持っていたという噂で持ち切りになっていた。
だからこそ凛に依頼してきたわけだが、その彼女が負けたと聞いてツタージャの強さを瞬時に理解する。
「…それマジか?」
「マジだよ、そんな奴である以上、あのツタージャがお前にどんな仕打ちするかは分からんぞ」
途端にさっきの勢いはどこへやら、怒りの表情すら消え失せ一気に対応が大人しくなる。
「…け、けどよ……やっぱり全部は重い。賠償金を相場以上に出すから、それで許してくれるか?」
「…許すかどうかは向こうの対応次第だが。というか、指詰めやればいいだろ?ヤクザらしく。刃物はここにある」
昭博はリーフブレードの準備を整えた。これを見た天野の焦りは増幅した。
「いやいや!!指詰めるなんて軽い!だから、金だ!!金はしっかり出す!!」
そういう天野の声は端から見ると明らかに震えている。
「(ダメだコイツ…ヤクザ失格だな………)」
この時点で昭博は勝利を確信していた。昭博の狙いは、賠償金の増額をあっさり認めさせることにあったのだ。
組長交代は首を縦に振るとは考えにくい、指詰めは嫌がる可能性があるし正直こちらにメリットは無い。
となれば、実利のある賠償金の獲得が一番だった。
医務室
相変わらず、全身の痛みで起き上がれない凛はミラージュの監視下にあった。
そんな中で凛は天井を見ながらミラージュに尋ねる。
「『ラシンバン』って何?訊ねたはいいけど、結局まだその答えを聞けて無かったから」
そういえば答えてなかったな、とミラージュは話し始める。
「例えば、お前は何を目的に生きている?」
「さっきも言ったけど復讐ね」
「じゃあ、復讐が済んだらお前は死ぬのか?」
「さあ、どうするだろうね」
「何故分からない?自分の人生であり、自分の未来なのに」
「…そりゃあ、未来のことは分からないでしょ」
「それは何故だ?」
「…………………」
凛は何となく分かった、これは質問がずっと来るパターンだと。
ミラージュは凛が答えに詰まったのを確認して続けた。
「簡単に言えば、『ラシンバン』ってのはその根源を解明していく組織。
いくつもの世界を巡り時に戦闘も辞さない。とにかく、真実をひたすら追い求める。そんな組織よ」
「……どこぞの宗教みたいね」
「否定はしない。実際、考えることは宗教チックな問題だし」
妙な団体にいるものね…と凛が呟き、それにミラージュが噛みつこうとしたとき、コノハが走って医務室に現れた。
「ミラージュ、昭博が交渉を終えたみたい」
「早かったのね」
突然現れたゾロアークに、凛はポカンとしている。
「………誰?」
「あ、目が覚めたんだね」
嬉しそうに言うコノハと対照的に、クエスチョンマークだらけになる凛。そのコノハにミラージュがお願いする。
「昭博はここに呼んで、結果報告させてくれ。この通り凛も起きたしな」
「分かった~、伝えてくるね」
コノハは了承すると、昭博を呼びに再び医務室を出ていった。
「ミラージュ、さっきのゾロアークは?」
「ああ、アイツは……」
コノハと昭博が来るまでの間、凛にコノハのことを紹介する。3分も経たないうちにコノハが昭博を連れて医務室に戻ってきた。
「よう、凛」
昭博は一番に目覚めた凛に声をかける。
「……迷惑かけたね、昭博」
「全くだ、心配させやがって…」
言葉とは裏腹に、安堵の表情が浮かんでいるのをミラージュは見逃さなかった。
「(ユンゲが生きていたら、こんな感じになっていたかもな……)」
ほんの少し、昔のことを思い出し遠い目をするミラージュだった。
「天野は損害賠償800万円と幹部の交代を提案しました」
『800万円!?』
想定以上の高額で思わず、昭博以外全員が驚いた。
「最初は組長・幹部引退と1000万とのセットで払わせようとしましたが、流石に無理だと言われまして、800万と幹部引退で妥協してやりましたよ」
本当は引退の話は無かったのだが、何故か向こうが幹部だけ引退させると言い出してきたことは内緒にしておいた。
だが、ミラージュは一つ疑問を投げる。
「800万円の支払いは本当にできるんだよな。後で嘘だと言われたら、それこそ俺は天野どころか、貴様も八つ裂きにする」
質問どころか脅迫に近いものだったが、気にせず昭博は答える。
「そこは心配するな。誓約書を書かせて、違反すれば品川会に報告する、という約定にもサインさせてる。ここまですれば、踏み倒しはできまい」
凛の名前を出した瞬間に気弱になったところにつけ込んで、しっかりと追い込んでいた。
「指を斬り落とす話は?」
「あまりに嫌がるもんでできなかった」
ミラージュは苛立ちのあまり舌打ちする。
───指と800万で迷わず800万を選んだのか……。意外と気弱なんだな───
凛も当然詳細な事情は知らないが、賠償の額から見れば釣り合わないようにも思え、何よりもあそこまで他人を恫喝しまくるヤクザがこれでは、聞いてる側も情けなく思えてくる。だが、ともかく和解という形でことは収まりそうであった。
凛は、その賠償金の支払いについて深掘りする。
「どういう感じで払わせるの?期日とかそこらへんは」
「組の本部に800万くらいはあるから一括だとさ。何ならすぐにでも用意できるそうで、幹部には『ラシンバン』と今後関わらないことを言いつけることも兼ねてその場で交代を言い渡すんだと」
「…手元にあるってのが恐ろしいわね」
「まあ、いろいろやって儲けているんだろうさ」
一先ず返済の目途は立っているということで一同は安心する。
「それじゃあ、天野を地上に帰さないといけないね~」
「しかしコノハさん、油断はなりません。一人で帰すと逃げられる可能性はあるので、俺とミラージュが連行し、数時間のうちに約束を実行させましょう」
昭博は、さらりとミラージュを巻き込もうとする。
「なんで私が一緒に行く必要が」
面倒くさいとばかりに疑問と不満をぶつける。しかし……
「記憶だ」
「記憶…………改竄しろってことか」
「流石察しが早い」
この場は収まったとしても、天野をここに連行・解放の際に『ラシンバン』の基地までの道順を覚えられていると、後に部下を連れて報復を食らう恐れがある。そうなれば今回の努力は水の泡だ。
そこで、ミラージュの能力でその記憶を無かったことにしてしまうという作戦だ。
「なあ、アタシはどうなるんだ?」
凛が自分の体を見回しながら尋ねる。こんな状態では何もできる訳がない。
「足手まといと同行はできないな」
「指くわえて黙ってみてな」
「アンタ達はもっと怪我人を労わりなさい」
昭博とミラージュからなじられるが、凛にはこう言い返すことしかできないのは当人が一番理解している。そこにコノハが、じゃあさ、と小さく挙手しながら提案する。
「一先ずちゃんとした病院に連れて行こうよ。一度皆で病院に行って、入院の手続きだけしたら、凛をおいて天野の組に行く。これが一番現実的じゃないかな?」
現状取れる手段としては最適なものだった。その場の全員が納得し、早速行動に移す。ミラージュは、部下に連絡して凛を担架に乗せ、同時に地上のバーのカメールにはタクシーの手配を依頼。
昭博とコノハは、天野に手錠をかけて牢屋から出した。
絶対余計なことするなよ、と天野の耳元で昭博は忠告する。天野はしおらしく二匹の指示に従って歩いていく。その表情には不満と怯えが見えた。
ラシンバン基地の出口で、コノハと一部の部下達が見送りに来た。
「コノハ、色々と迷惑かけたな」
凛がベッドの上で軽く頭を下げる。
「いやぁ~ぼくの方こそ、ミラージュが怪我させてごめんね。
それどころか、うちの問題まで解決してくれて、むしろこっちが感謝したいくらいだよ~」
コノハは逆に申し訳なさそうな様子だ。
「困った時はお互いさまですよ。うちの凛がお世話になりました」
昭博も頭を下げる。続いてコノハはミラージュに視線を移す。
「じゃあミラージュ。みんなをよろしくね」
「わかっているさ」
ちょうどそこに、エレベーターが降りてきた。
あまり知られていないが、多くのエレベーターは壁を剥がして担架を乗せるために広できるようになっている。凛の担架を先に乗せ、その後に昭博と天野とミラージュが乗る。
扉の外ではコノハが手を振っている。ドアが閉まり、エレベーターが上に動き出すとその姿は消えていった。
地上に出ると、だいぶ朝早い時間になっていた。カメールが事前に手配したタクシーが既に到着しており、一行は病院へ。緊急入院という形で、幾つかの軽い検査の後に凛は入院。手続き関係の書類は全て昭博が記入した。
一方で昭博は、留守番していた玲音に事情を話し、凛が入院したこと、入院期間中に必要な道具を持ってくるよう指示。
その待ち時間で、天野はミラージュの監視のもと、部下と幹部に本部へ集まるよう携帯電話で指示を出しまくっていた。
病院到着からおよそ2時間
「待たせたな」
ロビーの待合所にいた天野とミラージュのところに昭博が戻ってきた。
「こっちも、さっき招集をかけた。後は現地につけば、交渉ができるだろう」
ミラージュはそう言って、天野を軽くにらむ。
「じゃあ、早いとこタクシーで移動しよう。……周りの目も気になるしな」
ヤクザ組織の組長と行動しているのだ。地元ではそれなりに評判なので、いちいち見られて同類扱いされるのも困る。
病院の外で手早くタクシーを捕まえ、『天野組』本部を行先に指定。助手席に昭博、後部座席にミラージュと天野が座る。
通勤ラッシュと被って交通量が多く、見事に渋滞に巻き込まれてしまった。
運転手はラジオを点け、朝のニュースを聞く。
「(そうだ)」
たまたま記憶喪失のニュースが流れ、ミラージュは基地の記憶改竄の件を思い出した。
「天野……」
「な、なんだ」
小さくつぶやいた声に、天野は顔ごとミラージュに振り返る。
「!?」
ミラージュと目が合い、天野は驚く。
ミラージュの瞳が赫色に光る。
「Ihre Erinnerung ist falsch.」
「………」
ミラージュは天野の目を見据えたまま誰にも聞こえない小声で囁く。二匹は目が合ったまま、硬直する。
「Sie haben die Erinnerung an den Standort der Basis verloren…」
「………」
天野の脳には、基地の場所の記憶を忘れた、という記憶の上書きができた。
この間、僅か1秒にも足らない出来事。
ミラージュの眼から次第に光が消える。すると、天野の硬直も収まった。
「な、なんだよ」
記憶を消した一連の動作の記憶までも消えているようで。天野はただ顔を合わせたことだけに対しての疑問を投げる
「…本当に約束は果たせるのだろうな」
「そ、そりゃ勿論だ。今更嘘なんて言わねぇよ……」
天野はミラージュの元からの眼力の強さにひるんでいる。
「………」
暫くミラージュは天野を睨みつけていたが、やがて視線を外に移す。
ちょうど信号が変わったのか、タクシーが進み始めた。それに合わせてミラージュの瞳に映った街並みや車が後方に流れていくのであった。
午前9時30分、タクシーは天野組本部前に到着。入り口の門で警備していた部下が、降りてきた天野を見るなり騒ぐ。
「大丈夫ですか親父!」
「心配するな、怪我はない」
一方、天野を連行する昭博とミラージュには攻撃的だ。
「おい、貴様ぁぁ!!」
「親父に気安く触るんじゃねぇぞ!」
そう言って殴りかかってきたが、止めないか、と天野が制止して事なきを得る。
そのまま彼らは失礼しましたと一礼し、3匹は門をくぐる。
屋内に入ると、スーツを着たポケモン達が待ち構えていたが、彼らは皆大人しかった。立派な庭の横に伸びる廊下を、手錠をされた天野が先頭で歩いていく。
「(種族はバラバラだけど、揃いも揃って目付きが悪い奴ばかりだな)」
昭博とミラージュの傍を何匹かの組員がついていて、その印象を心中で呟く。
ようやく組長室に到着する。襖を開けると、組長室は畳の間で、一番奥に組長用の座椅子。その上には天野組の代紋が描かれた額縁が飾ってある。
そして組長席から見て、右と左には幹部とおぼしきスーツのヤクザが数人、正座している。
「俺が一番奥に座らないといけねぇ。手錠を外してくれ」
憔悴しきった顔で天野は言う。
「余計な動きをすれば…分かるな」
ミラージュは低い声で囁く。
まだ信じてくれねぇのか、と天野はため息をつく。
数時間ぶりに手錠が外され、天野は解放された手をその場で振る。やはりキツかったようだ。
その後は何とか自力で歩いて座椅子に座る。だが、その座り方は半ば倒れるような感じで、いかにも疲れたような、ホッとしたような複雑な感情が入り混じっているように見えた。