-6- 誘拐

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読了時間目安:10分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 アルストロメリア市の市街エリアに戻ってくると、すっかり夜になっていた。
 市内の病院駐車場。アシストのための【シンクロ】は人間側の精神に負荷をかける。眠気や意識障害といった副作用が、時間経過とともに現れる事例が、全くないとは言い切れない。
「しばらく車内待機よ。異常があればすぐ診てもらえるから」
「俺にかこつけて、親父さんのそばにいたいだけでは?」
 息を吐くように毒を吐くキズミ。
 堪忍袋の尾が切れるすんでの所で、アイラは言い捨てた。
「それもそうね。あなたといるより、父を見舞うほうが百倍生産的」

 車を降りた女上司は一度も振り返ることなく、つかつかと夜間出入口に消えた。
 キズミはレバーを引いて運転席の背もたれを倒し、ネクタイを緩めて息を吐いた。
(アイラ様だけではありませんわ。わたくしも、キズミ様が心配で……)
 膝上に乗ったラルトス=ウルスラは頭を撫でられて、熱弁を渋々くじかれた。
 この話はおしまいだ。
 キズミはおもむろに口を開いた。
「助けられなかったな……ムクホーク」
 帰りたかっただろうに。最期に思い浮かべた、忘れられない誰かの許へ。
 しめやかに、青い瞳が質素な外装の病棟を向く。あそこに警部が入院している。


◆◇


 空っ風のような早足で、アイラはあっという間に病室の前に着いた。部下への不満が攻撃的な溜め息になる。収まりのつかない顔をして中に入りたくない。廊下で呼吸が落ち着くのを待ってから、ドアをひらいた。

 横たわったまま動かない、昏睡状態の父。
 
 部屋の隅からパイプ椅子を持ってきて、ベッドの脇に腰を下ろした。寝顔を見守るうちに、徐々に直視が辛くなり、うつむく。大嫌いな部下と口を利きたくなくてここへ来たというのに、かえって情緒がごちゃ混ぜになっている。顔のあちこちが熱っぽい水分を帯びてきて、すんと鼻をすすった。

 ベッドシーツの擦れる、かすかな音。

 弾かれたように顔を上げ、固唾を飲んで見守るアイラ。
 生涯意識が戻らないかもしれないと医師に宣告されていた患者の目が、開いた。
「パパ、パパ!」
 ぼんやりとして無表情な父の胸に、気が動転しながらすがりついた。よかった。本当によかった。毎日、心配で心配で、見舞いに来るたびに頭がどうかしそうだった。鼻がつぶれるくらい顔をうずめながら、くぐもったうめき声で騒いだ。心の容量を越えた感情の昂りが、目から溢れてぽろぽろ零れていく。 
「待ってて、誰か……看護師さんすぐ、呼ぶから」
 ナースコールのボタンを押そうとした。

 その手首を、折れそうな強さでねじ上げられた。
 
「感動の対面でしょ? 親子水入らずで愉しまなくちゃ」
 アイラそっくりな声を出したジョージ・ロングが起き上がる。 
 ぐにゃりと景色がゆがむ。病室が仮想空間のごとく、掻き消えた。
 非常口を背にして立つ、全身を覆う黒い外套姿。フードから覗く口元が嗤っていた。


◆◇


 サイレントモードの携帯端末が振動する。
 運転席のキズミは、通話着信に小休止を中断された。 
「連絡遅いぞ、ミナト。首尾はどうだ」
 スピーカーから聴こえた返事が引っかかり、オウム返しをした。
「警部補につながらない? ……ちょっと見てくる。一旦切るぞ」

 下りた車にロックをかけ、本館の夜間出入口に向かう。
 窓口員に軽く会釈をして通り過ぎ、男性上司の入院個室へ行こうとした。

(キズミ様)
 肩に乗るラルトスが呼び止め、一階の自動販売機コーナーを手で示した。空き缶を捨てるリサイクルボックスの蓋をあけて、ラルトスが青ざめた顔で振り返る。連絡が付かない訳だ。真っ二つに折られた、女性上司の持ち物と同型の携帯端末。キズミは他に捨てられている貴重品はないかとボックスを漁った。開閉スイッチの壊されたモンスターボールを二つ、掴み出した。

 彼女は何処へ。

 悪夢のようなシナリオが脳内を横溢する。
 落ち着け。落ち着け。動揺する思考を強引に束ね上げ、指示を出した。
「警部補を探せ。ウルスラは二分後、銀朱は口笛吹いたら戻れ」
 腕時計を貸し与えられたラルトスと、ガーディが二方向に散った。 
 ブラックスーツの上着の内ポケットから、携帯工具ケースを取り出した。持ち歩いている予備モンスターボールから必要なパーツを外し、破壊されたパーツと取り替える。前足を痛めているハーデリア入りの球には手をつけず、フライゴン入りの球に集中すること約二分、素早く修理を終えた。
 ほとんど同時にラルトスが戻った。ジョージ・ロングの病室とその経路のどこにもアイラはいなかった。キズミの口笛から十秒以内に走り込んできたガーディは、拾い物を咥えていた。
 トランツェンだ。軽い。細い。初めて持った女性用警棒の心許なさに、耳の奥で脈打つ血流が聞こえてくる。キズミはウルスラの通訳をせかした。アイラの匂いが病院の外へ続いている。知らない匂いも一緒に嗅ぎ取れるらしい。
 ガーディに案内された非常口は、錠が壊されていた。
 館外へ走り出たキズミは即座に、モンスターボールからフライゴンを呼び出した。
「何があった、ライキ!」
 ウルスラが通訳した。
(ブロックモードにされて、球外で何が起きたか分からないそうですわ)
「ただの失踪じゃないな」
 穏やかではない碧眼が向けられた途端、長く仕えている妖精の小柄がすくんだ。
「ウルスラはここに残って、ロング警部を守れ」
(でも、キズミ様!)
「自分の弱さは、自分が一番よく分かってる。無茶はしない」
 厳しい現実を知る目つきと、人として出せる戦闘力の限界を認める自虐。

「警部補を探そう。俺のパートナーは『神速』使いだ。気にせず飛べ!」

 いななきが了解を示した。赤い縁取りの緑翼が広がり、風が地面を殴る。
 キズミを乗せて、フライゴン=ライキは薄曇りの夜空へ飛翔した。


 
 置き去りにされたウルスラは暗い顔で、言われた通りに病室に引き返す。
 アシスタントである自分の不在時に、無傷で帰ってきたことのほうが少ない。面と向かって強く責めたとしても、すまない、の一言で片付けられてしまうだろう。キズミがアイラを邪険にしているのは、怒り、苦しんでいるからだ。許せないからだ。そんな彼の真意を、ウルスラは見抜いている。彼はそれに勘づきながらも、女性上司に密告しない身内の善意を信頼している。
「そんなの……ずるいですわ。キズミ様」
 独り言をつぶやけば少しは楽になるかと思えば、背徳感が増すばかりだった。




 機微に鋭い重心移動。高い対応力のぶれない騎乗姿勢。『神速』を使える相棒がいると自称したキズミ・パーム・レスカの腕前を、乗り手にうるさいフライゴン=ライキは気に入った。アイラが目の敵にしていようが、オハンが嫌っていようが、背中から伝わってくる人柄は冷血漢とはあべこべだ。この状況で力を借りられるのは、自分が乗せている若い男だけだ。
 長い頸を水平に構え、墨のような色の外気をひし形の翼で掻き捌いてゆく。

 見下ろす夜の底。窓群がはめ込まれたビーズのような都市明かり。エサを運ぶアリのように往来している走行車のランプ。橋梁を越え、腹から光の漏れる長魚のような旅客車が対岸へ渡る。人工光の集合地を横断している真っ黒な帯は、市内を流れる河川だ。風下のガーディは、竜の腕に抱えられながら懸命に鼻をひくつかせていた。

 骨組みの鉄筋コンクリートを野ざらしにしている、建設中のビル。

 嗅覚が取り柄で争いを好まない警察犬はくぅんと弱気に鳴いた。
 上空からのキズミによる目視では、人影を確認できない。
「警部補はあそこにいるんだな、銀朱」
 十中八九、誘拐犯もそこにいる。緊急配備をミナトに頼む通話はすでに切ってある。ジョージ・ロングを襲った被疑者と関係があるのだろうか。目的不明の敵の懐に独断で乗り込むリスクは重々承知だ。しかし、上手く注意を引き付ければ、応援が到着するまで足止めできる。
 兎にも角にも、どんな状態か分からない警部補を放っておけない。
 キズミは携帯工具で自分の特殊警棒をいじった。
「ビルの周りを飛んで、出方を窺おう」
 落ち着いた声と、首の付け根を優しく叩く手。
 フライゴンは音を立てないように滑空する。子犬の丸顔は震えていた。

 闇の中にたたずむ最上部のタワークレーンに、一点の赤い光。
 操縦室の屋根からだ。航空障害灯の赤とは違う、天然石の煌めきのような。その瞬間、闇を突き抜けてきた雷撃がキズミ達をかすめた。二撃目が来ないうちに一旦上昇。翼をすぼめた急降下で、反撃に燃える緑竜が突入した。
 複数の敵影がすかさずグレーンから飛び降り、屋上へ。
 ひらりと旋回し、キズミ達も追いかけて着陸した。
「ペール、ロータン!?」
 そこにいた見知った顔のニックネームを、キズミが大きく口に出した。ジョージ・ロングが襲われた夜、ロングの手持ちは収容ボールごと消息を絶っていた。何通りも想定したケースのなかでも最悪の部類だ。
 呼ばれたことを恥じ入るように、身を固くする二体。。目を瞑りぐったりとしたアイラを横抱きしている、デンリュウの瞳のまわりが涙で汚れている。未進化によらず内面の成熟したミズゴロウは、寡黙を貫いている。

 コンクリート面をなぶる風を貪り、膨れる、黒い外套。

 全身を覆う丈長とフードで正体を隠した影が発する、女の声は嘲笑を含んでいた。
「待ちくたびれちゃった。今どき遅刻のヒーローは流行らないわよ、ポリ公くん」

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