【第156話】不合理な合理性、捨て去ったもの

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください



命……それは儚く脆く、弱いものだ。
風が吹けば飛ぶほどの、軽薄なものだ。
些細な事で壊れてしまう、繊細なものだ。

……少なくとも、ハオリという少女は「命」に対してそのような価値観を抱いている。
その裏付けは、彼女の実体験からだった。


暴力団の父親と、ヤミ工場勤務の母親の間に生まれた娘……それがハオリだった。
無論、カタギの人間とは到底言えないような家に生まれていた。
しかしそれでも、両親の彼女に対する愛は本物だった。

……そうでなければ、きっと父親は娘のために身体を張ったりしなかっただろう。
ハオリが4歳の時、敵対組織の組員が彼女の自宅に乗り込んできて母娘を人質に取った。
帰宅した父は、家族を助けるべく……相手から渡されたチャカを咥えて引き金を引いた。
その動作に、一切の迷いはなかった。
娘の目の前で、その脳天を貫いたのだ。

「………。」
思えばコレが、ハオリの中で何かが壊れ始める瞬間だったのかも知れない。

その翌年……母が工場の爆発事故に巻き込まれた。
全身の火傷とガス吸引の脳障害がひどく、かろうじて意識があるだけマシ……歩行は困難な状態だった。
母は重篤患者専門の病院で、ずっと寝たきりの状態になってしまった。
ハオリはそんな中でも、毎日……懸命に病院に通った。
声をかけても何も返さない母と話すべく、来る日も来る日も病院へと通い続けた。

ある時、見かねた担当医が、彼女に鍵盤の玩具を渡してきた。
毎日健気に病院へ通うハオリへの老婆心からだったのだろうか。
ともかく彼女は……その玩具を大層気に入った。
次々に多くの曲を覚え、それを誇らしげに母親の前で披露した。

何も返事をしなかった母だったが……それでも、彼女が演奏をしている間だけは、笑っていた。
その笑顔が原動力となり、ハオリは更に多くの曲を覚えた。
半年経つ頃には彼女の腕は院内で話題となり、次第に「ちびっこピアニスト」と呼ばれて患者たちから称賛されるようになっていた。

この病院自体、回復の絶望的な末期患者達の入院する場所であった。
謂わば、「死を待つ場所」にも等しいのだ。
そんな暗く絶望的な空間が、彼女の奏でる音色が流れる間だけは……笑顔と歓声で包まれていた。
患者……否、『観客』ひとりひとりの明るい笑顔は、幼いハオリの脳内に鮮明に焼き付いた。

そしてそんな患者たちは、次々と死んでいった。
風に晒された蝋燭の炎のごとく、消し飛ぶように死んでいった。
昨日彼女と握手をしていた老婆は、翌日には霊安室に運ばれた。
先週友だちになった年下の男の子は、半日発作でそのまま先立った。

……大切な人の別れが、何時しか彼女の日常になっていった。
ついぞ彼女は、悲しみの感情を忘れた。
忘れずには居られなかった。

彼女は嘆かない。
ただ、弱く儚い命に寄り添うべく……演奏を続けた。
彼らを笑わせることが出来るのは自分しか居ないのだと。
色褪せた人生を音楽で彩るのは自分の使命なのだと、そう言い聞かせながら。
喜び、悲しみ、慈しむ「感情」ではなく、……ただひたすら「合理」に従って、その指を運んでいた。


……そしてハオリが6歳の誕生日を迎えてしばらく経った時。
母親があの世へ旅立った。

だが、その時には……ハオリは既に何も感じなくなっていた。
『悲しむ』機構も、『喜ぶ』機構も……何もかも壊れていたのだ。
別れが日常になってしまった彼女にとって、そのような機構は邪魔でしかなかった。

身寄りの無くなったハオリは、母のいとこであるパーカーという女性が親権を引き受けることになった。
丁度独身で経済的な余裕もあり、母親としても適切な人物だった。
ハオリを見るや否や、パーカーは彼女の中の音楽的な才能に気付いた。

芸能プロデューサーという職業柄からだろうか。
どのみち、その慧眼に狂いはないことは確かであった。
パーカーは、娘となったハオリを直スカウトで芸能界入りさせることにした。
それは職業としてだけではなく……彼女に新たな生きる目標を与える意図もあった。

パーカーの出資のもと養成所に通ったハオリは、8歳でイベントのバックバンドとして仕事を始める。
10歳になる頃にはパーカーのプロデュースで正式にユニットが組まれ、『Aruku-Landorus』という4人組のガールズ・ロックバンドがメジャーデビューを果たした。
彼女は「Rio」という芸名を貰い、活動を開始した。
メンバーは他にもアイドル出身のボーカルギター「Maika」、子役から来たベースの「Emi」とドラムの「Saki」。
皆ハオリより2つ年上で、芸能界を長く経験してきた人物ばかりであった。

パーカーのプロデュースの腕は凄まじく、Arukuはデビューから間もなく一線級のバンドとして躍進した。
作詞作曲のほぼ全てをRioが担当しており、彼女の独特で荒んだ歌詞と激しいメロディーが、当時の不景気な世の中では大ヒットしたのである。
更には難易度の高い曲を演奏するキーボードの技術力もまた、大きく評価されていた。
それだけではなく、芸能界慣れしている他のメンバーのトーク力や愛嬌もあり、あらゆるラジオやテレビに引っ張りだこの状態であった。

そしてその活動が5年目に差し掛かろうとしていた時からだろうか。
「ねぇ、Rio……この歌詞なんだけど、流石にコレは不味くない……?ちょっとバイオレンスが過ぎるっていうか……」
ボーカルのMaikaが、歌詞の内容に苦言を呈していた。
「え?何か問題でも?」
「……私、こんなの歌えない。」
Maikaは首を横に振る。

元々Arukuは、かなり攻撃的な内容の歌詞が多かった。
それはRioの手癖であり、信条の一つであった。
「弱者に寄り添うためには、強者を蔑む言葉が最も効果的」というものが。
元来、ロックという音楽ジャンル自体、そういう嫌いがある。
故にRioの紡ぐ言葉は、苛烈なものになりがちだったのだろう。

しかし彼女は、Maikaの申し出を断った。
「……駄目だよ。それじゃ伝わらない。」
「でも……」
「音楽ってのは、本当に弱っている人に寄り添ってくれるものなんだ。その形じゃないと、アタシの言いたいことは何も伝わらないの。Maika……アナタもプロなら、それくらい分かると思うんだけど?」
あくまで彼女は、クリエイターとしての自分の考えを曲げるつもりはない。
……否、曲げる理由がないのだ。
だって実際、「それが正しくて、結果を出してきた」のだから。


「……アンタ、ホントいい加減にしなよ!!」
そこに怒鳴り声とともに割り込んできたのは、ドラムのSakiだった。
「正直、Maikaの言うとおりだよ……!アンタ、最近ちょっと度が過ぎてる!」
「さ……Saki……」
「毎曲毎曲無茶な演奏を要求してきて……!32ビートのBPM240以上!?こんなの一線級のプロじゃなきゃ出来ないって!!」
実際……Rio以外の3人の不満は、直近1年ほどで大きく募っていた。
Rioは曲のクオリティを重視するあまり……他のことが一切目に入っていなかったのだ。

詰め寄られたRioは、一瞬だけ俯く。
そして彼女はこう言った。

「……じゃあ、不満を言ってる時間で練習すればいいじゃん。」
「え……」
「大丈夫だよ。アンタたちが1日10時間くらい練習すれば出来るぐらいの難易度にしてるから!」
「は……?」
「それにねMaika!アナタくらい可愛かったら何言っても許されるって!だから気にしないで!ね?」
全く悪びれず、彼女は屈託のない笑顔を浮かべる。
彼女は本気だ。
本気で出来ると思っているからこそ、純粋な気持ちでこの曲を書くのだ。
無理難題で暴力的な曲を……。



……既に3人は、限界だった。
Arukuはこれ以上、続けられない。
そう判断した彼女たちは、パーカーに直談判した。
彼女は頭を抱え、数日間の激しい胃痛に苛まれたという。

……間もなく、事務所はArukuの解散を決定した。

そのままホームページでの書面発表のみが行われ、世間でも大きな話題となった。
その話を、ハオリは事が大きくなった後に知ることになる。

「ちょっとP!!これ、どういうこと!!?」
社長室まで侵入し、詰め寄るハオリ。
パーカーは向き合って返答する。
「……事務所の判断です。アナタ達のバンドはもう続かない。」
「何でよ!?アタシ達、一線級のバンドだよ!?もっともっと曲を作って、色んな人に届けなきゃ!!でないと……」
そこまで言いかけたハオリの言葉を、パーカーが遮った。

「アナタのせいでしょ!!?アナタがメンバーを滅茶苦茶に振り回すから……みんなが悲鳴を上げたんですよ……!!」
「それの何が悪いの……?Pだって、『自分の実力を限界まで引き出せ』っていつも言ってるじゃん!アタシだってそうしただけだよ!!」
激しい口調で怒りの声を上げるパーカーに呼応して、ハオリも強く言い返す。

「違う……!私が言いたいのはそうじゃなくて……!」
「だってそういうことじゃん!!アタシは何をどうすればいいのさ!?」


「……もういい。アナタに何を言っても無駄なようです。アナタは今月限りで解約とします。」
「は……!?意味分かんないんですけど!!!」
「……これ以上話すことはありません。お引取り下さい。」
パーカーはそう言うと、モンスターボールを取り出す。
呼び出されたガブリアスがそのまま、ハオリを抱き抱えて社長室部屋から出ていった。
「ちょ、離してッ!!離してってば!!」
もがく彼女の声が、そのまま廊下の向こうへと消えていった。


「………ごめんなさい……ごめんなさい……。」
パーカーだけが取り残された孤独な社長室で……彼女は懺悔していた。
ハオリの無くしたものを、取り返せなかったことに。



だからせめて、彼女はハオリにチャンスを与えることにした。
イジョウナ地方のポケモンリーグで優勝できたら、事務所に戻っても良い……と。

ポケモントレーナーは言わずもがな、ポケモンの事を何より考えなくては務まらないものだ。
一地方のリーグで優勝できるレベルの実力者ともなれば、それはより顕著になる。
しっかりと、共に歩む者の事を考えなくてはいけない。
だからパーカーは、ハオリが旅の中で何かを学んでくれればいいと考えていた。
合理性よりも大切な何かを。


……だが、その意図はハオリにも予想はついていた。
きっとパーカーは「仲間意識」が大切だとでも言いたかったのだろう。
だからこそ、彼女はポケモンとのコミュニケーションを何より大切にした。
サルノリも、ラプラスも、その他のポケモンだって……セッションをすることで心を通わせた。
実際、その交流は功を奏した。
彼女の采配は遺憾なく発揮され、未経験とは思えぬほど凄腕のトレーナーへと成長したのだ。

しかし……彼女は行き詰まった。
トレーナーとして間違った点は無いはずなのに、行き詰まった。
このパーカーとの戦いを前にして、壁に当たってしまったのである。

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