第56話:昇格試験、再び――その4

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ヴァイスとオオタチの戦闘は膠着状態にあった。オオタチが炎の渦から解放されると、ヴァイスは既にオオタチと距離をとり、警戒態勢に入っていた。物理攻撃が得意なオオタチはヴァイスへの接近を試みようとするが、再び“炎の渦”の餌食になることを恐れてしまう。仕方がなく、その場で“火炎放射”や“バブル光線”などを繰り出してみるものの、特殊攻撃が得意なヴァイスとの技のぶつかり合いにはかなわなかった。戦闘開始直後は、不意打ちだからこそ通用した技だったのだ。
 どう手を出しても自分に不利になることを悟ると、オオタチは身動きをとらずにじっとヴァイスを睨みつける。ヴァイスもオオタチを睨みつける。そのまましばらくの時が経過した。

(ううん……。どうにかして、ヴァイスの妨害を受けずに、近寄ることができれば良いのだけれど。いっそのこと、私が透明になれればいいのに。姿が見えなければ――そうだ!)

 自分の姿が見えなければ、ヴァイスに妨害されずに攻撃できる。その方法を必死に考えていると、オオタチの中に策が浮かんだ。間髪入れずにオオタチは実行に移す。“穴を掘る”。オオタチは地面を掘ると、スラリと細長い身体を無駄のない動きで地中に潜めた。

「えっ……オオタチさん、どこ……?」

 ヴァイスはオオタチを見失い、地面をきょろきょろ。直後、答え合わせのように、ヴァイスの足元の地面が引き裂かれた。オオタチが地中からヴァイスに体当たりを仕掛ける。

「“穴を掘る”!」
「うああっ!!」

 土にまみれた身体の直撃は、ただの“体当たり”の比べ物にならないほどに炎タイプのポケモンに効く。柔らかいお腹に弱点の一撃を喰らうと、ヴァイスは苦しい悲鳴と共に弾け飛んだ。そのまま大きく身体が飛ばされ、引きずられ。――それでも、葉っぱの宝石はしっかりと右手に握りしめている。

「はあっ、はあっ……」
「ううん、しぶといわね。痛かったでしょ? 地面タイプの攻撃。宝石を手放しちゃえば、一撃で勘弁してあげたのに」
「うぐぐ……。だって、負けたくないんだもん。宝石を手放さなければ、ボクは、負けない!」

 柔らかく気弱そうに見えるヴァイスが、意外にも根性のある発言。オオタチは少々驚いたが、セナとホノオを追いかけ追いついた苦難を思うと納得してしまう。ヴァイスはピンチだ。だからこそ、特性の“猛火”も発動し、厄介な“炎の渦”がさらに強力になってしまう。ピンチで強化される特性は、根性のある性格と非常に相性が良いのだ。オオタチの表情が曇る。もう一撃“穴を掘る”を使っても良いのだが、こちらの手札を読んだヴァイスが何をしてくるか分からない。単純な攻撃にすがるよりも、何か良い方法は――。
 ヴァイスの攻撃を回避しながら考え込むオオタチの耳に、ふとシアンとチラチーノが戦う声が届く。シアンが苦し気に笑う、甲高い絶叫が。

(チラチーノ、さすが……相変わらず、えげつない戦い方をするわね。――でも。これ、私も使えるかもしれない)

 チラチーノの“くすぐる”をヒントに、オオタチは再び作戦を考えた。ヴァイスが“炎の渦”でオオタチを捕えようとしたが、“穴を掘る”で回避する。ヴァイスは苦手な攻撃に怯えつつも対策を練ろうとした。

(うぅ、また痛い攻撃だ……。でも。出てくる場所は分かっているもんね。ボクの足元が揺れたら“火炎放射”。これで、オオタチさんにもダメージを与えられるはず!)

 攻撃を耐えきり、反撃し、葉っぱの宝石を離さない。ヴァイスの覚悟が固まると、地面がぐらりと揺れた。今だ、と思い切り息を吸って待機するヴァイスだが――足元の揺れがピタリとおさまっていた。

「あれ――」
「私はここよ、ヴァイス!」

 オオタチはヴァイスの足元ではなく、背後から飛び出した。――しまった、“穴を掘る”は目くらましだったのか。ボクに弱点の地面技を当てる以上に良い作戦が、オオタチさんにはあると言うのか。
 焦りで身動きが取れなくなったヴァイスを、オオタチは羽交い締めのように捕まえる。――マズい! 仕掛けられた危機感で頭が真っ白になりつつも、ぎゅっと右手の宝石を握りしめて痛みに耐えようとするヴァイスだったが。

「ひゃんっ!」

 身に降りかかる予想外の刺激に、恥ずかしい声をあげてしまった。オオタチのふさふさしっぽが、ヴァイスの無防備なお腹をさわさわと撫でまわしている。ヴァイスはぎゅっと口を結んで赤面しながら、オオタチを睨みつけた。ヴァイスの弱点を掴んだオオタチは、余裕のある笑みをヴァイスに見せつける。

「ふふ。“猫の手”発動よ。チラチーノの“くすぐる”の恐ろしさを、ヴァイスにも思い知らせてあげる」
「んっ……うぅ、ふふ……っ。こ、こんな……こんな、ことでっ、宝石は、渡さないよ……」

 身動きが制限されながらも、ヴァイスは腰を捻り、足をじたばたさせ、必死にオオタチのしっぽからお腹を遠ざけようとする。右手に力を入れて、爪を立てて宝石を握った。

「うっふふふ。ちょっとお腹を撫でられているだけなのに、そんなにくすぐったそうにモジモジしちゃって。可愛い。もーっと虐めたくなっちゃう」
「くっ……! 無駄だよっ。ボクは倒れるまで、宝石を、はぅっ……離さない、もんねっ……」

 オオタチはくるくると円を描くように、ヴァイスのお腹をゆっくりじっくりとしっぽで撫でる。ヴァイスは必死に平気な態度をとろうとするが、ぷるぷると身体が震える。だんだんとオオタチのしっぽの動きが速くなり、円が小さくなっていく。刺激がお腹の中心に迫ると、ヴァイスは目をぎゅっと瞑ってぶんぶんと首を振る。声だけは乱さぬように頑張っているものの、耐え難い刺激に分かりやすい反応を見せてしまっていた。

「ふーん。お腹の真ん中の方が敏感なのね。このままもーっと、弱いところを虐めちゃおうかなぁ」
「や、やだ……うう、く、んふふっ……!」
「やめて欲しければ、2つ約束してくれる? 葉っぱの宝石を、手放しなさい。そして……“炎の渦”をこの戦いで使わないでいてくれると、とっても嬉しいなぁ」
「ええっ!? や、やだぁ! やだーっ!」

 オオタチの接近攻撃を牽制する有力な手段、“炎の渦”。それを封じられてしまうと不利になるのは、目に見えている。ヴァイスはオオタチの取り引きを断固拒否して、意地を張り通した。

(おバカね。とりあえず素直に言うことを聞いて、また宝石を奪い返した方が楽なのに)

 子供らしい意地と根性が完全に裏目に出てしまったヴァイスを哀れみつつも、オオタチは無慈悲に本気の攻めでヴァイスを追い詰めた。

「そう。じゃあ、言うことを聞くまで虐めてあげるっ。こちょ、こちょ、こちょ……」
「きゃはははははは!! やーっ、ダメぇーっ!!」

 オオタチはヴァイスのお腹の真ん中を、しっぽを不規則に動かしてゆっくりとくすぐる。既に我慢で精神力が削られていたヴァイスは、取り乱したように黄色い声を弾けさせた。
 効果は抜群。オオタチは時間を稼ぐようにゆっくりとした口調で、言葉でもヴァイスを掻き乱す。

「あらあら。まだまだ手加減してあげているのに、もうずいぶんと苦しそうね。これからもっともーっと、くすぐったくなっちゃうわよ? これ以上攻撃力と防御力が下がっちゃう前に……お姉さんの言うことを、大人しく聞いた方が良いんじゃないかしら?」
「んうぅ、んぐ……ッ! んーっ、んんーっ!!」
「頑張るのね。可愛い。でも……頑張って頑張って、その努力が無駄になっちゃうお顔の方が、もっともっと、可愛いと思うの。見せて欲しいなぁ」
「きゃんっ! ひゃ、あははっ……うぅ、んうーっ……!」
「そうやって意地を張るから、もっと虐めたくなっちゃうのよ? 可愛い声で鳴かせてあげる。こちょこちょこちょこちょ!」
「ひゃああああ!? ああーっ!! やあぁーっ!!」

 オオタチはじっくり弄んできた獲物を凶悪な攻めで追い詰める。ヴァイスのお腹の中心にふさふさしっぽを垂直に当てると、ぐりぐりと押し当てるように振動させた。毛先が暴れ、最も敏感な部分をめちゃくちゃにくすぐられる。ヴァイスはぼろぼろと涙を流しながら、首をぶんぶんと振って悶えた。
 お腹がヒクヒクと痙攣してつりそうになる。全身が痺れるようなおぞましいこそばゆさに、理性をぐちゃぐちゃに乱されてしまう。足だけではなく両手もじたばたと動かすと――するり。右手から、大事にしていた宝石がすり抜けてしまった。

「あぁっ……!」
「ありがとう。約束を1つ、守ってくれて」

 オオタチは一度、ピタリと“くすぐる”を止める。ヴァイスの呼吸は乱れ、顔は真っ赤に火照り、目は虚ろで、蓄えきれなかった涙を散らかしている。弱り果てたヒトカゲに、オオタチは言葉を染み込ませるように。

「さぁ、ヴァイス。もう1つの約束よ。あなたの“炎の渦”、とっても厄介だから……使わないでくれると、嬉しいな」
「う……うん。うん……っ」
「あら、やけに素直ね。もしかして⋯⋯適当に返事をして、とりあえず逃げようとしていない?」
「……っ!」
「図星ね。ダメよ、約束を破る悪い子は。“炎の渦”を使ったら、どんなお仕置きが待っているか……そのお腹に教えてあげる」
「いや……もう嫌ぁ……。ごめんなさい。ごめんなさい……っ」

 ふるふると首を振って怯えながら、今にも泣きそうにヴァイスは弱音を吐く。正直なところ、オオタチにも誤算だった。追い詰められて弱るヴァイスを見ていると、心がきゅんと踊り歯止めが効かなくなってしまう。もう少し、もう少しだけと虐め続けて、ここまで怯えさせてしまった。――可愛い。もう、少しだけ。

「“炎の渦”、封印してくれる? ちゃーんと約束できたら、お腹のなでなでをやめてあげる」
「あぁっ、ひゃあ! にゃあああ!! 約束、するよぉ! 炎の、渦っ、使わないからぁ!」
「本当に? 本当に、本当に?」
「ひゃあんっ! ほんとにほんとらよぉ! もういやぁ、やだぁ! あーっ! やあーっ!!」

 オオタチにお腹の中心を容赦なく撫で回されると、ヴァイスはまともな理性を保てなくなっていた。あまりに理不尽な取引でも、それでこの苦しみから逃れられるのであれば――。絶叫に近い笑い声と共に頭をぶんぶんと振り乱しながら、解放してくれるように懇願するしかなかった。
 ヴァイスが肩で息をするようになり、ゲホゲホと咳き込み始める。いよいよ限界が近いことを悟ると、オオタチはハッと我に返った。ほんのちょっと、自分に有利な取引をするだけだったのに、ついノリにノッてヴァイスを虐めすぎてしまった。

「あら、やり過ぎちゃった。ごめんなさい」
「げほげほっ! はあー、はあー、はあーっ……」

 言質はとった。オオタチはヴァイスを解放すると、地面に落ちた葉っぱの宝石を回収する。ヴァイスはへにゃっと液体のように脱力し、地面に突っ伏して呼吸を整えた。




 シアンもヴァイスも相手に宝石を奪い返されてしまい、ピンチ続きのキズナ。相性の良い草タイプ、ロズレイドと戦うことになったホノオだが、彼もまた苦しい状況に追い込まれることになる。――自分自身によって。

「救助隊に追われて生き延びたその実力、わたくしにも見せていただきたい! “マジカルリーフ”!」

 ロズレイドは不思議な光を蓄えた葉っぱを無数に発射する。ホノオが攻撃の軌道から避けてみるが、葉っぱは器用に軌道を変えてホノオを追尾する。逃げられない。それならば、相殺するしかない。
 ホノオは思い切り息を吸う。お腹の中の熱い空気を吐き出せば、きっとそれは“火炎放射”になって、程よく葉っぱを燃やしてくれるはずだ。はず、なのだが。
 ――もし、もしも。“マスター”に植え付けられた力の欠片が、まだ自分の中に残っていたら。何かの手違いで“破壊の焔”が発射されてしまったら。マジカルリーフの先にいるロズレイドまでも、容易く燃やし尽くしてしまうかもしれない。身体から命を追い出してしまうかも――。

「うぅっ……ぐ……」

 くらりと、めまいと吐き気に襲われて、ホノオはうずくまる。救助隊ボルトの体毛や肉が焼けた焦げ臭さが鮮明に思い出され、全身の体毛が逆立った。
 攻撃の相殺も回避もせず、ホノオはうずくまって無数の葉っぱに切り裂かれる。自分の身体が傷つくだけの無益な行動を戦闘開始早々に選択する意図が、ロズレイドには理解できなかった。

「まあ! ホノオさん、だ、大丈夫、ですか? もしかして、身体の具合が悪いのではなくて?」

 戸惑いながらも、敵であるはずのロズレイドは心の底から心配そうな声をかけてくる。

「体調が悪いのであれば、戦闘試験を中断しましょうか。大丈夫ですよ。やむを得ず中断とした場合は、試験は失敗にはなりません。探検試験はパスして、次回は戦闘試験から挑戦することができますし……」

 ロズレイドはそっと手先の柔らかい花でホノオの背中をさすりながら、ホノオが安心できる言葉を選んで声をかけてくれる。
 こんなに優しい命を、焦がして燃やしてしまわなくて良かった。自分の行動に間違いはなかったのだと、ホノオは確信してしまう。――でも。このままでは、自分のせいで、戦闘試験は中断されてしまう。仲間は必死に戦っている。その傷を、無駄にしてしまう。足手まといになってしまう。
 試験のルールは、“葉っぱの宝石”を奪うこと。技は、炎タイプのものだけを使うこと。でも、炎を扱うことが、とてつもなく怖い。それならば。技を使わず、宝石を奪ってしまえば良い。そのまま逃げ切れば、勝機が見えてくるはずだ。

「ごめん、気を遣わせて。もう大丈夫。ちょっと貧血気味というか……逃げ回ってて、しばらく栄養不足だったし……」
「そう……ですか。確かに顔色が悪そうですね。呼吸も乱れているようです。もうしばらくの期間、心と身体を休めてから試験に挑んでも、良いのですよ」
「……大丈夫」

 大丈夫。炎タイプの技を使わない。そう心に決めると、脳を支配するどうしようもない恐怖が薄れていく。心と身体が、上手に動くようになる。だから、大丈夫。自分に言い聞かせて意地を張ってしまった。

「でも」
「お願いだから! ……気を遣わないでくれ。もう一度、戦わせて欲しい。ほら、もう良くなったから」
「……分かりました。わたくし、加減は苦手ですの。やる以上は全力ですが、よろしいかしら?」
「おう! 全力で頼む!」

 ホノオは両足でどっしりと地面を踏みつけ、弾けるような元気を笑顔に乗せてみた。大丈夫。空元気が出せているうちは、まだまだ余力があるのだ。言い聞かせると、ホノオは力強く駆けてロズレイドに接近した。その瞳に宿る闘志に偽りはないことを確認すると、ロズレイドは幾分安心する。やる以上は本気で迎え撃つのが礼儀だ。

「“宿り木の種”」

 ロズレイドは、ホノオをめがけて大きな種を放つ。宿り木でホノオの身体を縛り付け、得意のフットワークを制限しようとしたのだ。

「おっと!」

 右に、左に。ホノオはロズレイドに駆け寄りながらも、高い身体能力を駆使して器用に種を避けた。頭上に迫る種をスライディングで避けると、そのままロズレイドの足を払った。

「きゃあっ!」

 足を強く蹴られた弾みでよろめいたロズレイドは、宝石を握る右手を緩めてしまう。そのスキに、ホノオは左手でロズレイドから宝石を奪い取った。その時。地面と身体が擦れる熱の影に、ほんの少し、左手にチクリと痛みを感じた。が、すぐに痛みが引いたため、特に気に留めなかった。身体に異常が出るまでは。

「へへーん、いただきっ!」

 ホノオはサッと立ち上がって体勢を整えると、お調子者のやんちゃな笑みをロズレイドに見せる。ロズレイドはうつ伏せの姿勢からゆっくりと立ち上がると、ニヤリと笑った。

「――え?」

 不利な状況なのに笑うロズレイドと、不自然に霞む自分の視界。同時に襲ってくる2つの疑問に、ホノオは首を傾げた。
 ロズレイドは笑みを消す。――否、彼女の表情がぼやけ、見えにくくなった。ホノオは慌てて目をこする。一瞬クリアな視界。だがすぐに、ぐらりと霞みがかった。
 それだけなら良かったのだが、頭がぐわんぐわんと揺れるような気分の悪さが襲いかかる。深部からズキズキと、タチの悪い頭痛が思考をぼやけさせた。

「な、んか……クラクラ、する……」
「不幸中の幸いでしたわ。わたくしの“毒のトゲ”が刺さってしまったようですね」
「くっ、なるほどね……」

 ――マズいことになった。フットワークだけがこの戦闘の武器なのに、毒で平衡感覚が侵されている。頭が内側から脈打つように痛み、体力が削られてしまう。
 ガツン! と、脳みその中心まで釘で突き刺されたような激しい痛み。ホノオは思わず目をぎゅっと瞑る。痛みに抗い必死に片目を開けるが、正面に居たはずのロズレイドが姿を消していた。

「あれ……?」
「ごめんなさいね。“ベノムショック”」

 ロズレイドはホノオの背後から、毒々しい紫色の衝撃波を放つ。“ベノムショック”はホノオの体内の毒と反応し、ホノオの表皮に刺すような刺激を与えた。

「がああああっ!!」

 毒を帯びている身体には、ベノムショックは通常以上の牙を剥く。皮膚が深く食いちぎられるような痛みに、ホノオは痛烈な悲鳴を上げる。痛みで息が吸えない、苦しい時間が非常に長く感じられる。
 さすがに良心が痛んだロズレイドは、攻めを中断した。ホノオはふらりとモノのように崩れ、うつ伏せに倒れた。防御が苦手な細い身体がボロボロになり、葉っぱの宝石も握れずに手放してしまっている。ロズレイドはそっと、宝石を手に取って奪い返した。

「大丈夫ですか? わたくしの毒を受けると、身体に上手に酸素が回らなくなりますの。貧血の身体とは、とても相性が悪いと思うのですが……」

 ホノオの不調の自己申告を信じているロズレイドは、心の底から体調を案じているようだった。心配は無用と態度で応えるように、ホノオは焼け付くような痛みに耐えながら身体を起こす。地面を踏みつけて立ち上がるが、ぐらりとめまいがして膝をついた。
 防御が苦手ならば、倒れなければよい。負けを認めず、何度も敵に立ち向かえばよい。限界を超えた身体の動かし方を、ホノオはポケモンになってからの戦闘経験で学んでしまっていた。膝をついて身体を立てるのがやっとだが、最低限、重力に抗う力を保ち続けた。

 ――どうしよう。きっとロズレイドは、肉弾戦よりも特殊攻撃を駆使した戦い方が得意なんだろう。そんな相手と互角に戦うためには、こちらも射程距離のある炎技を使うしかない。
 炎タイプの技を、使うしかないのか。そうしないと、オレはまともに戦えない。キズナの足を引っ張る、役立たずになってしまう。
 ――怖くない。怖くない。怖くない。
 今この瞬間に、恐怖を克服するんだ。思い出せ。目を背けるな。あの日のむせかえるような焦げ臭さと、肉が爆ぜ散る音。濁り切った黒煙と、残った骨と炭と――

「うっ……! う、うあああっ……!」

 ぞわぞわと、胸の奥から嫌悪感が全身に広がってゆく。心の傷口が抉られるだけの、何の意味もない行為だった。そう悟ると、ホノオは負けないために行動を切り替える。無理やり身体を動かして、心を引きずり回す。

「うらああああっ!!」

 滅茶苦茶に叫びながら、四つ足でロズレイドに突撃していった。そのままロズレイドの右手の宝石を奪おうと手を伸ばす。ロズレイドはそれをサッとかわすが、すぐにホノオは宝石に飛びつくように手を伸ばした。ロズレイドの手元の毒針を手の甲に突き刺しながら、力づくで宝石を奪い取った。
 安堵。その途端に、毒と無理やりな運動により、酸素が足りないことに気が付いた。心臓の速い鼓動に合わせて、頭がどくどくと痛む。酷いめまいに、とうとう足の力が全て抜けてしまう。それでも、奪った宝石をお腹の下敷きにして、守るようにうずくまった。

 獣のように襲いかかるホノオに体制を崩され、ロズレイドは少なからず身体に傷を負っていた。ホノオの、言葉にできない違和感について振り返りながら、ロズレイドは緩慢に立ち上がる。

(戦いを諦めない熱意は本物。それなのに、炎タイプの技を使わないのは何故かしら……? 距離をとって戦えるうえに、何よりわたくしに対して有利な振る舞いができるはず。それを使わない理由なんて――。まさか。使わない、のではなくて、“使えない”のかしら?)

 “マジカルリーフ”を相殺もせずに受けた時には、特性の“猛火”を発動するためのダメージ調整を疑っていた。しかし、充分すぎるピンチに追い込まれてもなお、ホノオは炎の気配を一切見せずに飛びかかってくる。技とも呼べない、名もなき攻撃を仕掛けてくる。
 真剣で、まっすぐで、だけども酷く痛々しい。ロズレイドはホノオを見つめる。息苦しさに抗い、肩を上下させて必死に呼吸を繰り返している。まだまだ戦闘にしがみつこうとする、執念を感じる。
 ロズレイドの胸がキュッと痛んだ。何故かわからない。だけど、苦しい。

「もう、終わりにいたしましょう。楽にして差し上げなくては。“ベノムショック”」

 目を伏せて、悲しげに呟くと、ロズレイドは右手に紫色の光を宿す。スッとホノオに手をかざすと、とどめの衝撃波を浴びせた。

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