第九節 晴天恢醒

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 爆ぜる天井、舐める熱気。
 にわかにテロの現場となったコンテスト会場は、我先にと逃げ出そうとする観客で軽く恐慌状態だ。
 それもそのはず、煤けた天井はグラグラと頼りなく、今にでも壊れて地面に落っこちて来てしまいそう。
 そんな中ただ一人、フキは驚く様子もなく、ただ強く刀を握る。
 だが強いだけでは無い。彼女が刀の鞘を握りしめる手はその握力からか、それとも恐怖か。カタカタと小刻みに揺れていた。
 爆発音が脳裏に幼い日の記憶を思い起こさせ、額にじわりと嫌な汗が浮かぶ。早く、この場から逃げなくては。
 そんなフキの目に映るのは観客席の最上方、貴賓席のガラスの向こう側。
 彼女の視力は小さい点ながらも蠢く金髪――リリーの姿を確実に捉え、そして彼女の動きを止める。
 フキならすぐ近くの選手入場ゲートまで走って逃げれば安全だろう。だが彼女の義姉はどうだろうか。体力、運動神経、反射神経、どれも皆無の貧弱人間。
 天井に最も近しい場所にいる彼女は、果たして逃げれるだろうか。
 その事が一度脳裏によぎったら、フキの足はそれ以上後ろに行かなくなってしまった。
 その最中、向かい側シナノの選手入場口から見覚えのある巨大な影が、その体躯に見合わぬ速度で飛び込んでくる。

「フキちゃん、大丈夫っ!?」
「姉さんっ、さっきの奴は!」

 それは、巨大なペンドラーの背に腰掛けたウユリだった。
 どこかに傷を負った様子もなくやって来たところを見ると、フキは僅かだが安堵した表情を見せる。

「さっきのおじさま、あの紫色のポケモンに乗って逃げていっちゃったの」
「逃したのか? 姉さんがか?」
「ええ……全部の力を防御に回されていたわ。それにとっても素早かったし、普通のトレーナーじゃないわ」
「とはいえ姉さんから逃げ切ったのかよ。並のトレーナーじゃ防御に専念したところで姉さんに捕らえられるのがオチなのに」

 フキが見たこともない不気味なポケモンといい、どこか底知れないものを感じる。
 だが、今はそれどころではない。消えた脅威より、今目の前の危機の方が問題だ。

「フキちゃんの方も大変みたいね」
「みりゃあ分かると思うが、どっかの誰かが天井にドッキリプレゼント仕掛けてくれやがったお陰でこのザマだ。正直言って、早くに観客逃さねえとやべえ」
「そうね……流石の私でも半分くらいの大きさじゃないと止められないかしら。ね、ハハコモリ」
「はりぃ……」
「いや、アタシも三分の一くらいならキュウコンが止められるし、残りは気合いでどうにかするが……今は天井がデカイから変な方向に倒れる方がまずいぜ」
「とっ取り敢えず、僕はヌクレア市警に連絡しますっ! 早く観客の人たちを非難させなきゃっ……」

 だがそう話してるのも束の間、再びの爆発音と共に、さらに天井が傾いていく。
 その時、絹を裂いたような叫び声。音の出どころは、まさにリリーがいた貴賓席の部分。しかしもう、彼女の姿は見えなくなっていた。
 斜めにズレた天井が貴賓席に食い込み始め、ガラス窓が割れているそこは後ほんの僅かでも傾けば、簡単に部屋を押し潰してしまいそう。
 どうするか、どうするべきか。今動かなければ、きっとリリーは助からない。

 ――良いかい? 僕たちの力を使えばもう二度と、後戻りはできないよ。

 フキの脳裏にこびり付いた、幼き日の父の声。
 それでも彼女は奥歯が軋むほどに歯を食いしばり、過去より追い縋る躊躇ためらいの手を振り払う。
 
「……なあ姉さん、あの天井、半分なら止められるんだよな?」
「ええ、シナノくんが『いわなだれ』で瓦礫を作ってもらえれば、約束するわ」
「分かった。姉さん、今からあの天井を二つに叩き割る。リリーの方を頼んだぜ。シナノ、お前は瓦礫作りと、もしもの時に備えて観客を逃してくれ。失敗しても周りに被害が出ちゃあいけないからな」
「なっ、僕に何を命令しようっていうんですかっ、そもそも素人と違って僕は警察なんですから指示に」
「頼む、シナノ。お前にしか出来ない事があるんだ」

 シナノにそう言うと、フキは聞く耳を持たずコートへと向かった。
 少女は徃く。
 たとえ背中を呼び止める声がどれだけ後ろ髪を引こうとも。
 コートの中央に陣取ったフキは肺腑の奥、底の底まで息を絞り出すと、胸一杯に新たな空気を詰め込んだ。
 そして今まで雑に持っていた鞘を左手で握る。さながら、太刀をいた武士もののふの如く。
 彼女が握った刀を結ぶ紐は自然に火がつき燃えていく。もはや縛るものは何もなし。
 
「死中に天あり。雲ありぬれば、即ち空を断ち斬らん」

 彼女は腰を深く落とすと、刀の柄を上に向け天井を標的に定め居合の構え。
 空気の震えと自身の呼吸を調律し、丹田の奥に力を貯める。今か、いやまだか。自らの意識を身体の奥に沈み込ませ、ゆっくりと瞼を閉じた。
 一秒、二秒、三秒。ついにその時がやってくる。
 天井がひしゃげ、崩れる重苦しい音が響くと同時、フキは目を見開いた。

「――『晴天恢醒せいてんかいせい』、万象一切、乖離せよ」

 フキは身体中の筋肉を引き絞り、爆発的な速度で刀を鯉口から走らせる。二本の鎖は悲鳴を上げて、命を削らんばかりの決死行。
 直後、爆発的な熱気がフキから放たれる。刀を振り抜いた瞬間は、ウユリですら見えなかった。
 剣閃から放たれた斬撃は宙を飛び、天井を宙へ巻き上げながらの一刀両断。
 距離にして一〇〇尺、彼女の斬首圏内だった。

「アタシの出番はここまでだ。キュウコン、あとは任せたぜ」

 刀を振り抜いた姿で残心。そんなアタシの背後から、キュウコンとハハコモリがアタシの前へ躍り出る。
 ウユリはシナノに作らせた瓦礫を集め、ハハコモリの糸で集めると即席で巨大な両腕を組み上げた。
 岩の腕には筋肉のようにハハコモリの糸が張り巡らされ、見た目に反して本物の巨人以上に馬力がある。
 奇郭城塞の異名、その証左たる一端が今この場に顕現した。
 落ちてくる天井に対して、虫の四天王が取った手段は単純愚直。ただ真正面から受け止めるのみ。
 そして、天井と衝突。工事の解体現場ですら生ぬるく感じるような、重く軋むような轟音。その場にいた人間全ての内臓をかき混ぜるような振動がその場にぶちまけられる。
 巨人の両腕は悲鳴をあげ、ギチギチと瓦礫が擦れ合う嫌な音。それでも城塞は未だ健在。天井が地面へと向かう勢いは徐々に衰えていき、そして完全に停止させる。

「ははぁーりっ」

 ハハコモリはほっと一息ついた様子だが、防がれたのは天井のまだ半分。そしてもう半分を迎え撃つのはキュウコンだった。
 ハハコモリが天井を支えている間に冷気を収束させ、九本の尻尾でその莫大な凍結エネルギーを制御する。
 そのまま氷狐の周囲に渦巻く冷気は、ウユリが作り出した巨人の両腕を幹として、コートの地面に根を下ろした。
 十分に大地を踏みしめた氷の大樹は枝葉を伸ばし、しなりながら天井の負荷をどうにか受け止めようとする。しかしフキははウユリと違い扱うは氷、氷河ならばいざ知らず、流石にいささか強度が足りない。

「ああもうどうして逃げずに受け止める選択肢しかないんですか。ここで逃げたら国際警察の恥になっちゃうじゃないですか! サダイジャ『すなじごく』で手伝ってあげてください!」

 シナノがやけくそ気味にそう叫ぶと、先ほどまで試合で使われていた砂を集めてキュウコンの手助けをする。
 それを見たキュウコンは砂にも冷気を這わせると霜を纏わせ、次の瞬間には支柱をもった氷の柱にした。
 それでようやく、氷片をばら撒きながらもどうにか天井を支え切った。

「はぁ……ふぅ、なんとか天井も止まったか」
「フキちゃん危ない!」

 そう叫んだウユリの声に、フキははっと顔をあげる。それは天井から落っこちてきた鉄骨の破片だった。
 普段のフキなら鼻歌を歌いながらでも避けられるような速度。だが、フキの体はまるで身体全身が鉛になったかのように重だるい。
 それはそうだ。天井を一刀両断にしておきながら、身体にぶり返しがないはずがないのである。
 時間がスローになる中、フキは自身の頭上に降ってくる凶片を眺めることしかできない。ハハコモリですら天井を止め気を抜いていたその一瞬、刹那の出来事が命取りだ。
 シナノが凄惨な光景の予感に思わず目を瞑った、その瞬間。

「はみみーっ」
「フキさんっ!」

 観客席から聞き慣れた声と共に、冷たい糸が飛んでくる。技にすらならないような、か細い一本の糸。だが確かに、紡がれた糸は文字通りの命綱だった。
 ユキハミが観客席から吐き出した糸はフキの服にくっつき、ユキハミごと糸を引っ張ったオレアの手によって彼女はゆらりと僅かに尻餅をつく。
 そして鉄骨はフキの足の間、さっきまで頭があった位置に突き刺さった。

「あっぶねー……ユキハミ、いつの間にあんな特技を」
「よかった、怪我がなくてよかったわフキちゃん。ユキハミちゃんにもちゃんとお礼を言っておくのよ。あの子、ハハコモリにせがんで特訓して貰ってたみたいだから」
「そいつは、いっぱいメシ食わせてやんねえとな。それにオレアにも」

 遅れて背中に冷や汗が伝ったフキは、なんとはなしに吹き抜けとなった天井を見やる。

「あれは……」

 夕暮れに沈む空の中、彼女の瞳は遠くにありえないものを幻視する。
 そこにいたのはカニともナマズともいえない、胴体に巨大な口を備えたポケモン。彼女が未だ預かり知らぬ名前で表すのならば――アクジキング。
 宙に浮かぶ巨体には線の細い少年が乗っており、フキと目があった瞬間、オドオドと忙しなく顔を左右に向けた。
 そこに素早い動きで飛翔してきた紫蜂のポケモン――アーゴヨンとその背に捕まった金髪の男も合流する。
 そして二人は次の瞬間、何の躊躇いもなくアクジキングの口の中へ、自身の体を投げ入れた。
 するとアクジキングは、自分の体をも口の中に含み、次々と身体が内側に飲み込まれては丸くなり、体積がどんどん減少していく。
 最終的には上皮と粘膜が裏返るかと思われたが、フキのその予想に反して、その場には何も残っていなかった。

「フキちゃん、服の感想はまた今度になりそうね」
「ああ、アタシはしばらく体が言うことを聞きそうにねえ。他に被害がないか見てくるのは姉さんに頼むことにするぜ。それに見間違いかもしれねえが、さっきの金髪の奴ともう一人、二人がポケモンごと消えるのが見えた。逃げたかも知れねえが、一応用心してくれ」

 白昼夢か、刀を振り抜いた後遺症か、あまりにも現実離れした光景だったが、見たまま全てをウユリに伝える。
 そして彼女はウユリに差し出された手を掴むと、軽々と身体を持ち上げて貰った。
 まだ身体は言うことを聞きにくくはあるが、ゆっくりと拳を開閉させて、最低限の調子が整っていることを確認する。
 そうしていると、観客席から駆け足で近寄ってきたオレアがパタパタと近づいてきた。

「ふふふフキさん! 大丈夫ですか、怪我ないですか!」
「アタシなら大丈夫だから、リリーの方面倒見に行ってくれねえか? アイツ体力ねえからな、階段の途中でヘタレ込まれてたら事だし」
「ほっ……何もないなら安心しました。それじゃあユキハミちゃんは届けたので、僕は委員長の助けを呼んできますね」

 オレアの腕からユキハミが飛び出しフキの顔面に引っ付いたのを見ると、彼は再び駆け足で去っていく。
 その忙しなさにフキは少し笑いを浮かべながら、顔にへばりついたユキハミを頭の上に乗せた。

「はぁ……これじゃあコンテストの続行も難しそうですね。会場は別の所が使えるかも知れませんけど、高慢ちきな四天王がしおらしいんじゃ、なんだか調子が狂っちゃいますよ」
「いや、やるぞ」
「いやーそうですよね、待ってあげる僕の優しさに感謝の涙を流すといいですよってやるんですか!?」
「当たり前だ。ちょうどハンデが足りねえと思ってたところだし、アタシもキュウコンもまだまだ余裕だ」

 そう強がるが、フキはやはりまだ本調子ではなく、ふらりと身体を傾かせ思わず数歩たたらを踏む。
 それでも頑強に意思を宿した瞳のまま、シナノの方へ一直線に強い眼差しを向けていた。

「そもそもこんな大ごとな爆発があったのにやりますか普通っ」
「だからこそだ。今はテロが云々って話になるよりかは、リーグに問題擦りつけた方が、こんなこと仕掛けて来た連中に油断させる事ができる。相手の目的が分からねえ以上市民には安心を、相手にはボロをださせるために油断を誘った方が良いんじゃねえか。リリーには悪いけどよ」
「それはっ……いや、でも僕の目的のためには油断させた方が……父さん、こんな時どうすれば……」

 そしてシナノは思わず顔を手で覆い、よく見えるようになった天を仰ぐ。

「……分かりました。その話に乗りましょう。ただ、コンテストで手加減はしませんからね」

 彼は両手を握りしめると、破れかぶれにそう言った。


◆◇◆◇◆◇◆


 予備に抑えられていたコートに移っての決勝戦。
 観客たちはやはりというべきか、さっきまでより人数は減っていた。

『さあアクシデントにも負けずコンテストを見にきたジャンキーの皆様っ、客足が減れども依然変わらずのボルテージ、コンテストバトルを再開させていただきます。前回天井が落ちるアクシデント(・・・・・)がありましたが、四天王二人とシナノ選手の頑張りによって、あわや大惨事のところを防がれましたっ』

 盛り上がりもやはり、場所が変わる前より幾分か抑え目になっている。
 それに加えてフキの体は満身創痍、体はボロボロでキュウコンだって先程の莫大な冷気の後、疲弊していないはずはない。
 それでも瞳の闘志はなお燃え盛る。彼女自身が気づいているかは知らないが、久方ぶりの自身が負けるかも知れない、と言う状況に彼女の意気は高揚していた。

『前半戦では『ドリルライナー』をもろに受けたキュウコンですが、サダイジャは代わりに自身の皮を失っております。フキ選手の疲弊も見られやや不利かと思われますが、ここは四天王の意地を見せてくれるか、それともシナノ選手がジャイアントキリングを見せるか。目が離せない勝負になって参りましたっ!』

 司会はそれでも会場を盛り上げようと、やや弁舌を振るう。それに応えるようにフキはキュウコンに目線を合わせ、頭を軽くぽんぽんと叩く。

「キュウコン、苦労をかけるが頼むぜ。ここで勝たなきゃ四天王の名折れだからな」
「くぉん!」

 それに対してシナノもすでにスイッチを切り替え、サダイジャの喉元を軽く撫でた。

「サジャくん、あんな高慢ちきな四天王の喉元を食い破ってやりますよ」
「みじゃーりっ!」

 キュウコンとサダイジャは相並び、互いに意気十分。体を低くし、いつでも飛びかかれる体制。
 またパラパラと。霰が降る。
 先に仕掛けたのは、覚悟を決めたシナノからだった。
「サダイジャ、やるなら真っ直ぐ最短距離ですっ、『ドリルライナー』を叩き込んでっ!」

 その言葉にいち早く反応したサダイジャは、地面をその太い尻尾で打ち据えると、その反動で一気にキュウコンとの間合いを詰める。

「いいねぇ! 戦い方ってのがサマになって来たじゃねえかいい子の警官ちゃんよぉ!」

 しかしキュウコンは後ろに飛ぶと、返すように即席で尻尾に冷気をため、薙ぎ払うように弧を描いた『れいとうビーム』。
 三日月状の刃となった氷刃は、それでもどこか精彩を欠き、サダイジャが咄嗟に吐き出した砂岩の『すなじごく』に防がれる。
 しかしキュウコンはそれを承知の上、サダイジャの視界が塞がった一瞬、その一瞬の隙を突いてサダイジャに肉薄した。本来ならば遠距離からの攻撃をするのが得意なキュウコン、それが相手喉元に食らいつこうとは誰が思うだろうか。
 キュウコンが相手を刈り取るため、研ぎ澄ました氷の鎌を尻尾に煌めかせる。勝ちを確信したその瞬間、砂壁の向こう側、崩れて生まれた隙間の向こう側にサダイジャの瞳が覗いた。
 そしてすぐに全容が見える。その技は『とぐろをまく』、全身をバネのように畳んで筋肉を膨隆させるその技は筋肉の鎧となる。
 キュウコンはその瞬間、自身の失策を悟る。自身は隙を作ったのではない、誘い込まれたのだと。

「あなたの戦い方、ビデオで何度も見た甲斐がありましたよ。さすがは四天王、映像は検索すればたくさん出て来ましたからね」

 シナノが弄した策は単純明快、フキが決定的な一撃を叩き込む際に“近づいてくる”という癖を利用し、十全な状態で自身のレンジに誘い込むというもの。
 果たしてその作戦は成功し、キュウコンは再び無防備な姿を晒す。
 バネはたわめば撓むほど、反動の力も強くなるもの。それは、蛇の強靭な筋肉でも同様。

「キュウコン、身体を後ろにっ!」
「もう捕らえましたよ。サダイジャ、手加減は不要ですっ、『ドリルライナー』っ‼︎」

 フキが指示を出すより早く、全身の力を溜めに溜めた尻尾の一撃が唸りをあげた。
 空気を裂き、砂を裂き、霰の道を切り裂いて、キュウコンの鳩尾を鋭く狙う。フキが咄嗟に体を捻らせ致命傷は避けたが、それでもやはり後ろに大きく飛ばされる。
歯を食いしばり痛みを堪え、それでもキュウコンは四肢を強く伸ばして大地を踏みしめた。自身が四天王の一員であるという意地、それが彼女を強く奮わせる。
 しかし弱った獲物は逃さない。サダイジャの本能が、キュウコンへの苛烈な追い討ちの手を緩ませない。

「キュウコン、『オーロラベール』で凌ぎきるぞっ」

 その言葉で霰をより細かくし、強く吹き付ける冬の防壁を作り出す。
 それに対しサダイジャはその僅かな時間で『すなじごく』砂像の大蛇を作り出し、次々とキュウコンへと差し向ける。霰に砂が削り取られ、形が維持できなくなろうと関係ない。次々と送り込んでは少しづつ、オーロラベールの範囲を削りとっていく。
 疲弊した威力が少ないキュウコンに対いて、これ以上ないほど厭らしい一手。それでもフキは諦めない、投げ出さない。

「サダイジャ、一気に突き破りますよっ『とぐろをまく』っ!」
「良いぜ。お前の一撃、真正面から受けてたつぜ、シナノ」

 向かってくるはあの一撃。もし次食らえば気絶は免れない強力無比な一撃に、それでも彼女は毅然と立ち向かう選択をした。
 その姿勢に観客たちは再び置き去りにした歓声を取り戻していく。逆境にて大胆不敵、再び刀を上に掲げたフキの姿を、この場の誰もが視線を向けた。

「シナノ、ここで決着だ! アタシの首取りきれねえってんなら、お前の首を貰い受けるっ!」
「それはご丁寧にどうもっ! お望み通り一撃でおしまいです、サダイジャっ!」

 そこに技の名前など必要ない。サダイジャはトレーナーから向けられた万感の期待を乗せ、尻尾を鋭くつき放つ。
 今日一番の『ドリルライナー』。超えて行く、勝利を阻む壁たちを。

「キュウコン、『オーロラベール』を全面に集めろっ!」

 対してフキは迎え撃つ。万全でなかろうと、力を使い果たす寸前であろうと、それは自身が顔を下げる理由にはならない。
 そして、衝突。
 サダイジャの尻尾はギャリギャリと音を立てながら、万年の氷河とも思える『オーロラベール』その本質たる氷塵を細かく砕いてより前へ。
 止まらない、止められない。シナノの覚悟を一点に集め『ドリルライナー』は折れずに進む。
 尻尾は押され、拮抗し、そして確かな手応えとともに押し始めた。

「いっけぇぇぇぇぇぇえええええっ、サジャくぅぅんっ!」

 ガラスが割れるような甲高い音。シナノの叫びとともに、ついぞ『オーロラベール』を打ち破る。
 あとは脆いキュウコンを穿つのみ、あとひと刺し、50センチの距離を詰める。
 その光景を目の当たりにしたキュウコンは瞠目し、そしてそれでもへと進んだ。勝算はない、望みは薄い、それでもキュウコンは僅かな勝機にかけて前へ。
 腰から伸びた彼女自慢の九本の尾、それを膨らませるとサダイジャの尻尾を絡めとり、少しでも威力を殺す。
 毛並みが荒れようとも厭わない、自身の覚悟を決めた決死の前進。
 キュウコンの体に重い衝撃、幾度とない無茶を通してボロボロの体に深刻な爪痕を刻む。
 それでも。
 彼女はまだ、顔を泥につけていない。こうべを決して垂れたりしない。
 耐えたのだ。自身の誇りをかけて、致命の一撃をすんでのところで逸らしたのだ。

「さあ、キュウコンは覚悟を決めたんだ。次は、お前らの番だぜ」

 観客の歓声は本日今ここで、他に類を見ないほどの熱狂具合。
 咄嗟にサダイジャは身を引こうとするが、その背後に突き刺さるのは『マジカルシャイン』。キュウコンはこの土壇場で『マジカルシャイン』を上に放ち、照明で反射させて退路を奪う。
 キュウコンは最後の力を振り絞り、その尻尾に凝縮した冷気を溜める。
 今までとは明らかに性質が違う、ピキピキと空気が軋むような鋭い冷気。

「お前らはもう、アタシらの巣の中だ。もう身動きは出来ないぜ?」

 フキは刀をシナノに向けて指し、遅れて衣装の鈴がシャンと鳴る。
 キュウコンの周囲にはまるで台風の目のように風が渦巻き、凝縮するように集まっていく。会場の温度計はみるみる下がり、氷点下を示した。

「――キュウコン、『ぜったいれいど』」

 そして、その場から一切の音が消えた。否、消えたのではない。観客が、シナノが、そしてサダイジャが、言葉を放つことを忘れている。
 収縮した冷気はたちどころに解き放たれ、サダイジャの体を飲み込み、一瞬にして巨大な氷柱の中に閉じ込めた。
 一撃必殺。
 その技の特性上、冷気の収束に時間を要し、命中させるのが非常に難しい攻撃。それは自身の体さえ囮に使ったキュコン捨て身の作戦により、自身の正面に放つだけで良い。
 サダイジャの一撃を耐え切ったキュウコンの、逆転の一手だった。

「な、いったろ? 一発で倒してやるって」

 フキは額に汗を浮かべて、にかりと笑った。
 泥臭くとも、ボロボロだろうと、一瞬のチャンスを掴んだ逆転劇。これを美しくないと断じるものはこの場にいなかった。

『サダイジャ、戦闘不能っ! フキ選手のポイントも最後の一撃でシナノ選手を上回っておりますっ。ということは、今回のヌクレアコンテスト、優勝は、優勝はっ!』

 キュウコンは、顔を上げて気高く遠吠えをあげる。温度差で霧を纏ったその姿は、まさしく女王の姿。

『優勝は、フキ選手ですっ!』

 司会の感極まった宣言に、観客は今日一番の大声を上げた。

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