第52話:終わりを告げるはるかぜ
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
終わった。深みを増す夕焼けを眺めながら、セナは心でそう呟いた。
自分とホノオの長く辛い旅。そして、ヴァイスの父親を探す旅。終わりの見えなかった道なき道が、とうとう終わった。
――もっと喜ばしい形で終われればよかったのに。
隣のヴァイスに目をやる。再会の喜び。旅を終えた達成感。そんな晴れやかな表情から、消化しきれない悲しみが見え隠れしていた。
何度もホノオと励まし合って旅をしてきたはずだったのに、ヴァイスにかける言葉が見つからない。ふと気づき、セナは視線を落とした。
ポケモンの声、はためく羽の音。セナはハッとして空を見上げる。ポッポにムックル――無数の鳥ポケモンが、夕日を目指すように空を駆ける。そんな様子を目で追っていくと、セナはとにかく寂しくなった。言葉が虚しく飛び立つ。
「帰ろうか」
その言葉に、いくつもの頭が上下する。口数少なき少年少女たちは、はるかぜ広場へと歩みを進めたのだった。
セナの記憶を封印し、ヴァイスに真実を述べたあと、ホウオウは空高く命の神殿へと帰っていった。スイクン、ライコウ、エンテイは、セナたちに「先に行って待っている」と言い残してはるかぜ広場へと駆けていった。
「そろそろ来るはずなのだが……」
ペリッパーの形をした建物、ポケモン救助隊連盟本部。通称、本部。その近辺に可能な限り全ての救助隊を集めたスイクンは、心配そうに聖なる森がある方角を見つめる。かつてここで、操られた自分がしてしまった過酷な宣告を、彼は一刻も早く打ち消したいようだ。そわそわと落ち着かない様子でライコウやエンテイと顔を見合わせた
落ち着かないのは、集まったポケモンたちも一緒のようだった。
「セナとホノオは、我々の無礼を許してくれるだろうか?」
ピジョットが不安げに呟くと、そばにいたオニドリルとムクホークがううんとうなり、首を垂れた。彼らは初めてセナたちを襲撃した救助隊、ウイングだ。
「セナ……」
4本の足に包帯を巻いたポチエナが、同じく包帯を身にまとった仲間たちと共にセナの帰りを待った。
ヒュウと風が吹く。その時だった。
「あっ、帰ってきたぞ!」
待ちきれずに飛び上がって周りを見回していたオニドリルが、地上のポケモンたちに伝える。ゼニガメ、ヒコザル。そしてヒトカゲ、ポッチャマ。それから――旅の仲間たちが、広場に向かってきていたのだ。長い影をゆっくり引きずりながら、救助隊連盟本部に近づいている。
「えっ……」
ペリッパーの形をした本部が建つ丘に、多くの――丘が潰れてしまわないか心配になるほど多くのポケモンたちが集まっている。そのポケモンたちは、自分たちに待ちわびたような熱い視線を向けている。気が付いたセナたちは思わず足を止めた。
「待っていたぞ、セナ、ホノオ」
凛とした声が響くと、ざわめいていたポケモンたちが静まった。スイクンの声が呼びかけてくる。
「あ、スイクン。みんな……どうしたの?」
戸惑うセナに、スイクンが駆け寄った。白い帯でセナとホノオを捕まえると、そのまま人混みならぬポケモン混みの中心へと連れ去った。
「わわわ、ちょっと……!?」
「セナ、ホノオ!」
残されたヴァイスとシアンがオロオロとしていると、エンテイとライコウがやってきた。そして。
「ほら、君たちも来て!」
ライコウが言うと、ヴァイスとシアンをセナとホノオの近くに追い立て、誘導した。
「えーと、これは……」
こんなにたくさんの視線を浴びたのは、きっと人間時代を含めても初めてだろう。そんなことを思いながら、セナは自分たちを取り囲むポケモンを見渡した。――怖くて目は合わせられなかったが。
「皆、汝らに言いたいことがあって集まったのだ」
スイクンがそう言うと、促すように集団に目配せする。すると咳払いをして、ピジョットが1歩前へ出た。
「セナ。ホノオ。本当に……」
「ごめんなさい!」
「済まなかった!」
「悪かった!」
「すみませんでした!」
ピジョットに続き、その場のポケモンたちが一斉に謝罪の言葉を述べ、頭を下げた。幾重にも重なる声の余韻をぽかんと口を開けて感じるセナとホノオ。そのまま少し待った。しばらく待った。しかしポケモンたちの頭は上がらない。
「……ふふふっ」
セナはとうとう笑みをこぼした。決して彼らの滑稽さを嘲笑ったのではない。ただ、不思議とスカッとしたのだ。逃避行が終わった実感、ポケモンたちと再び仲良く暮らせる喜びを、ようやく手に入れたのだ。
ポケモンの集団をよく見ると、頭を下げていない群が。メルにネロに、ソプラにアルルに、ブレロにブルルに、ポプリとスザクとウォータ。救助隊キズナを支えた旅の仲間たちは、顔で頭を下げるポケモンたちを眺めては、清々しい笑みを浮かべていた。
「もう、いいよ」
「頭上げろ」
セナとホノオが同時に口を開く。ここでようやく、波紋のように前から順に、ポケモンたちの頭が上がっていった。
「スイクンから真実を聞いた。俺たちは、無実のお前たちの命を、本気で奪おうとしてしまったんだぞ。……そんな俺たちを、許してくれるのか?」
ムクホークが救助隊のポケモンたちの気持ちを代弁する。罪の重さを噛みしめては首を垂れるポケモンたち。――彼らはもう、充分に報いを受けているのではないか。セナにはそう思えた。
セナの心にさらに強く爽やかな風が吹く。よい、よい。もうみんなみんな、許してしまえ!
セナは久しぶりの、とびっきりの笑顔を見せた。
「ああ、もちろん。救助隊のみんなに悪気がないことは分かってる。ガイアが大切だから、“そうした”んだよな」
「……セナ!!」
ポケモンたちを掻き分けて転びそうになりながらも、セナめがけて駆けてくる4人のポケモンが注目を浴びた。
ポチエナ、マリル、パチリス、チルット。心を捨てたセナの非情な攻撃の餌食となった救助隊だった。当時の怪我はまだ完治しないようで、それぞれ足や翼に包帯を巻いている。痛々しく身体を引きずりながら、必死に集団の前列までたどり着いた。
「ごめんな。本当に、ごめん。お前に救助隊をやる資格がないとか、偉そうなこと言っちまった……」
ぼろぼろ涙をこぼして泣くポチエナに、マリルも続いた。
「資格がないのは、僕たちの方だったんだ……」
「あたしたち、責任とって救助隊やめるよ」
「キズナは、ボクらの分まで頑張ってね」
セナたちが口を挟むスキを与えず、パチリスとチルットがそう宣言した。
「ならば私たちも……」
「やめるべきだな……」
洪水の原因をセナとホノオだとして襲いかかってきた、ギャロップとドードリオ。彼らもまた、力なく宣言した。失った家族の敵討ちに躍起になり、無実の命に矛先を向けたことを、彼らは酷く恥じて後悔しているようだった。
セナが言葉を探していると、救助隊のポケモンたちのざわめきが耳に届く。――じゃあ、僕らもやめようかな。――私も、もう救助隊なんてやりたくない。そんな声が増えてゆく。自責の念に駆られるポケモンたちの暗い顔を見ると、セナの心が痛む。
「み、みんな。そんなに落ち込むなって。オイラは気にしていない。オイラたちを殺すことが、ガイアの正義だったんだからさ。みんなは、正義に従っただけだ。……なあ、そうだろう? ホノオ」
セナが言葉を尽くして救助隊のポケモンたちを慰めようとするが、彼らの表情はちっとも晴れない。セナはオロオロと困り果てて、ホノオに助けを求めるが。
ホノオはセナとは対照的に、ひときわ険しい表情でポケモンたちを睨みつけていた。口を真一文字に結び、深く眉間のシワを刻んでいる。本物の怒りと憎悪が、そこにあった。
「てめぇら、何を落ち込んでるんだよ。まるで自分たちが被害者みてぇな面しやがってさ。やめろ。胸糞悪いから」
優しくて耳触りの良いセナの言葉を塗り替えるように、ホノオは辛辣な言葉を並べてゆく。
「哀れんで欲しくて被害者面してるのが見え見えなんだよ。汚らしい。ハッキリ言っておく。オレは、お前らを許さない。セナが許しても、お前らがどんなに反省しても、オレは絶対に許さない」
あまりに尖ったホノオの言葉にセナは肝を冷やしたが、不思議と、救助隊のポケモンたちの表情はそれ以上に曇ることはなかった。むしろ――受けるべき罵倒を受け入れて、安心しているような表情の者すらいた。
「悪いことをしたから、責任をとって救助隊をやめる? 甘えてんじゃねぇよクズが。逆だろ。罪を犯した奴は、それを背負い続けて生き続けるのが義務なんだ。取り返しのつかない悪いことをしたのなら、一生良いことをし続けて、罪を軽くし続けなきゃいけないんだ」
セナはホノオの表情を注意深く観察する。救助隊のポケモンたちを睨みつけているようで、もっともっと、遠い目をしている。――ああ、そうか。ホノオはこの、酷く厳しい言葉を、他でもない自分自身に向けているのだ。救助隊ボルトの命を奪った罪を、一生背負い続ける覚悟を固めようとしているのだ。その証拠に、ホノオの声はわずかに震え、上擦っていた。純粋な怒りや興奮では説明のつかない怯えが、力強い声から見え隠れしていた。
ずっと一緒に旅をしてきたはずのホノオの目つきは、セナよりもはるかに大人びていた。
「本当に反省しているのなら。セナやオレに詫びる気持ちがあるのなら。お前らはこれからも救助隊を続けろ。甘えて逃げるんじゃねえぞ。馬車馬のように働いて、少しでも多くの幸せをガイアに増やせ。生き続けて償い続けろ。分かったら返事をしろ愚民共!」
「はい、ホノオ様!!」
「我々ごときに生きる理由を与えてくださりありがとうございます!!」
罪に打ちひしがれたポケモンたちの心には、ホノオの厳しくも前を向くしかない演説がぴたりと染み込む。ギャロップとドードリオがひときわ大きな声で返事をしながら、ホノオにひれ伏すように頭を下げた。
「ホノオ、お前……なんというか、その。凄い、な」
「覚えておきな。安易に赦されない方が、罪人の心は楽になるってもんよ」
ホノオはやんちゃなニヤリ顔でセナに答えてみせる。が、その目は笑っておらず、厳しい寒さに凍り付いたようだった。
たった今できた信者たちの熱き眼差しがホノオに注がれている。異様な雰囲気を、スイクンは咳払いで振り払った。
「と、とにかく。今回の騒動は、伝説のポケモンでありながら迂闊に身体を乗っ取られた、我が悪いのだ。汝らが過剰な責任を感じる必要はない。これからまた、通常の救助活動に力を注いで欲しい」
スイクンの言葉がさらに背中を押し、ポチエナたちも、ギャロップたちも、再び目に希望の光をともした。それを確認すると、セナはニッと笑う。
「よっし。じゃあそういうわけで、これからも救助隊活動頑張りましょー! ではでは、これにて解散っ!」
セナにより、集会の終わりが宣言された。しかしその後も、セナたちに話しかけたがるポケモンがあとを絶たない。ホノオの舎弟になりたいと縋るポケモンもいたが、「自力で償い方を見つけられない舎弟など要らん」と一蹴されていた。
長い旅から帰ってきたばかりの彼らが落ち着きを手に入れるまでには陽がとっぷりと暮れてしまったが、それも幸せだと、今のセナには思えるのだった。