第50話:神の決断――その2

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

「オイラの記憶は、また、封印される……?」
「ええ。真実を知ることが、いつも幸せとは限りませんので」

 セナはホウオウの言葉を復唱し、なんとか状況を理解しようとする。即座にホウオウが、セナに理解をさせようと言葉を重ねてくる。真実を知ることが、いつも幸せとは限らない。その言葉には聞き覚えがあるが、かつてのものよりも冷たい響きを感じた。
 記憶を取り戻すことで、セナは“心の力”も手にすることができるが、心に深いダメージを負ってしまう。そうして心が壊れてしまう前に、一度記憶を封印した方が良いと、ホウオウは判断した。頭では理解できるのに、セナはその判断を受け入れることができないでいた。

 ――心の力とやらの一部を取り戻すことで、オイラはようやく救助隊FLBを突破する力を得たのだ。心の力がなければ、オイラはただの、弱いゼニガメなのだ。心の力があっても、“マスター”には太刀打ちできなかったのだから――もっともっと、力が必要なのだ。
 それなのに。
 ここで記憶を――心の力を取り上げられたら、オイラは何の役にも立てないのではないか。仲間を巻き込んで力を借りないと問題を解決できない、駄目な奴になってしまうのではないか。
 ――怖い。そんな自分に戻りたくない。

「……嫌だよ。やめてよ、ホウオウ」

 震える声で、セナは訴えた。

「記憶が封印されたら、心の力は失われちゃうんでしょ? 今でさえ、オイラは弱いんだからさ……。使命を果たせる強さなんて、ないんだからさ……。心の力がなくなったら、オイラ、役立たずになっちゃうよ……」

 役立たず。口に出してみると、それはとても傷つく響きで。こんな言葉を、もしも仲間から向けられてしまったら――想像しただけで、セナはポロリと涙をこぼした。

「オイラ、もっと心を強くするから。記憶を思い出してもちゃんと自分を保てるように、頑張るから……。お願いだから。心の力を取り上げないで。オイラを、役立たずに、しないでくれ……」

 心を強くする。その決意を言葉にしてみるものの、セナの言葉は涙に揺さぶられてどんどん頼りなくなってしまう。少々残酷だと思いつつも、ホウオウは突き付けた。

「強くなりたいという願いを持たぬ者などいません。お前の気持ちの強さを聞いているのではありません。少しずつ不都合な記憶を取り戻してゆく、長く苦しい戦いに身を投じる覚悟があるのかと。その道のりで命を散らさぬ保証ができるのかと。そう聞いているのです」
「……できるとか、できないとかの問題じゃないよ。それは、オイラの記憶だから。忘れて楽になるなんて、都合の良いことは許されないから……。どんなに苦しくても、それはオイラが受ける罰なんだから……耐えなきゃいけないんだ」
「強情ですね。覚悟だけは、一人前です。それならば。エンテイとライコウが昨日封印したお前の記憶を、見せてあげましょうか」

 ホウオウは両目を硝子玉のように無機質に光らせる。昨日、心の力を過度に使用した後に、セナの命を蝕んだ記憶が蘇る。

「……ッ! ミ、ズ、キ……」

 一文字ずつ、記号のような声を発しながら、セナはしゃがみこむ。しゃくり上げるように肩を震わせながら、泣き声の混じった呼吸を異常な速さで繰り返す。
 マズい。ホノオは声を荒げた。

「おい止めろ! 今すぐ止めてくれ、ホウオウ! セナに心の力なんてなくてもいい。今すぐ記憶を取り上げてくれ!」
「ボクも、こんなに辛そうなセナを見ているのは嫌だ! 人間の頃の記憶なんて、なくてもいいよ!」

 ヴァイスもホノオと共に、ホウオウに必死に訴えている。
 ――記憶に負けてしまう弱い自分のせいで、仲間たちに迷惑をかけてしまった。忘れてはいけない記憶なのに、背負い続けることが、自分の責任なのに。ポケモンになって、記憶のない身軽さに慣れ切ってしまったら、かつて背負い続けていたはずの重圧に耐えられない心になっていた。こんな自分に、価値などない。消えてしまいたい。

「……そこまでです、セナ。お前は今、はっきりと、自分が無価値だと認識しましたね。それこそが、お前の命を弱らせる原因なのです。私たちは、お前を無価値にするわけにはいかないのです」

 うずくまった小さなセナに、ホウオウはふわりと片翼をかざす。神の決断を、実行する時が来た。

「怖がらなくても良いのですよ。お前が想像しているほど、これは恐ろしいことではありません。お前が心の力を使えていたことも、それにより記憶を思い出していたことも、全てまとめて記憶として封印してあげますから」
「……う……う、う……」

 それは、ホウオウたちの都合の良いように自分を作り替えることではないのか。そう悟ったものの、セナには抵抗する力は残されていなかった。微かに首を振りながら、涙でぐしゃぐしゃになった顔をさらにしかめるだけ。酷く頭が混乱して、意味のある言葉を発することすらできなかった。

「お前のためでもあり、ガイアのためでもあるのです。従いなさい」

 とうとうホウオウは力を行使した。セナの身体がぼうっと光りだす。ホウオウは目を閉じて、ぶつぶつと呪文のようなものを唱えた。すると、すうっと光が消えた。実にあっけなく。
 その瞬間、セナの身体の力が抜ける。身体の震えや激しい呼吸がしんと静まり返った。

「セナ!」

 ヴァイスとホノオとシアンが駆け寄り、うずくまったままのセナを抱き起こした。セナは涙の痕が似合わぬ安らかな顔で寝息を立てている。ヴァイスが静かに揺り起こすと、そっと目を開けた。

「セナ、どこも痛くない? 大丈夫?」

 ヴァイスの問いかけに、セナはきょとんとした。

「どうしたの、ヴァイス。そんなに深刻な顔をして」

 人間時代の記憶の欠片も、自分が使えていた心の力のことも、先ほど自分が記憶を封印されたことも――この少年は何も知らない。その現実を突きつけられると、ヴァイスは切なくなる。ぎゅっと、セナを抱きしめた。

「ふぁ。ヴァイスやめてよ、苦しいよ」

 ボクたちだって、苦しいよ……。心でそう呟くと、涙が出そうになる。が、ぐっと我慢した。セナは何も知らない。ボクたちも、“何も知らない”。セナを抱きしめて時間を稼ぎながら、ヴァイスは――ホノオもシアンも、自分に言い聞かせた。
 ヴァイスはセナから離れると、へらりと笑った。

「ごめんごめん。無事で何よりだよ、セナ!」

 ホノオもシアンも、セナに笑顔を向ける。“何も知らない顔”だった。

 こうして、ホウオウのセナへの話が終わる。
 今度はヴァイスの番だった。

「さて。どこから話しましょうか……」

 ホウオウがヴァイスを見ながら、困ったように話し始める。沈黙。ヴァイスの心臓が高鳴る。
 覚悟を決めたように、ホウオウが口を開いた。

「ヴァイス。お前の父について、話があります」
「ボクの、お父さん……?」

 ヴァイスの声は、震えていた。この長旅のそもそもの目的である、ヴァイスの父の行方。それがいよいよ明かされるのだと思うと、楽しみなはずなのに。なぜか、ヴァイスは怖かった。
 セナもホノオもシアンまでも、緊張した表情でホウオウの話の続きを待つ。

「ヴァイス。お前たちがこの長く困難な旅を終えることができたのは、お前の父のお陰なのです」
「……そっか……」

 一瞬きょとんとしたヴァイスだが、納得したように語りだした。

「お父さんの声が、何度かボクに聞こえたの。それは決まってボクがピンチの時なんだけど、その声が聞こえると、ボクたちは不思議と助かっていた。それって……お父さんが助けてくれたからなんだね」

 しみじみと、そして切なげにヴァイスは語る。彼がうっすらと何かを察していることに、シアンを除く面々は気が付いていた。

「そうですよ。お前が認識していない“あの時”だって、レッドたちは――救助隊ONEは、お前たちを助けてくれたのです」
「あの時って?」

 不吉な何かを察していないシアンだけが、混じりけのない疑問をホウオウにぶつけることができた。

「“渓流の谷”で、大洪水に流されたでしょう? あんな目に遭って全員が無事だったのは、ONEがヴァイスたちを守ったからなのです。さらに――」
「それで……」

 ヴァイスはホウオウの言葉をさえぎった。すがるように訴える。

「ボクのお父さんは、どこにいるの?」

 ついにヴァイスは核心に触れた。心臓がうるさい。怖い。しかしヴァイスは、ホウオウから目をそらさなかった。

「それは……」

 ホウオウがヴァイスから目をそらす。深呼吸。真実を伝えると決断したはずなのに、こんなにも勇気がいるとは。このような感情を抱くのは、ホウオウは久しぶりだった。

「ヴァイス。お前の父親たちは、“いつもお前のことを見て”いました。そして、“いつもお前のそばに”いました。決して、お前の元からいなくなったのではありません」
「……それって……」

 その言葉が意味することが何か、ヴァイスはとうとう確信してしまった。しかし、自分の口からその言葉を言いたくはない。思考を現実にしたくない。

「残念ながら」

 とうとうホウオウは真実を伝える。

「お前の父レッドと、仲間のグリーン、ブルーは……かの“暗黒の森事件”の少し後に……命を失いました」

 暗黒の森事件。ネロとその母親の救助に向かった救助隊ONEが、姿を消した事件。それを境に、ヴァイスが独りぼっちになった事件。

「……そっか……」

 それだけ言うと、ヴァイスはうつむく。涙は一滴も出ない。そんな彼の様子が逆に悲痛で、その場は重苦しい空気に包まれた。

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