第43話:生きたい

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 心の力が解放されて、記憶の封印が弱まった。その隙を突いて、ぶわっと心の表層に記憶が浮き上がる。
 ――ああ、そうだ。オイラは、なんて大切な者を忘れてしまっていたんだ。
 罪を直視してしまうと、今にも発狂しそうになってしまう。それだけは避けなくては。セナは再び心の力で記憶を抑え込もうとした。浮いて沈んで、心がぐちゃぐちゃに乱れてしまう。記憶を抑え込むことに必死で、セナには周囲の声が届かなくなっていた。暗い、暗い水の底に沈んだように。

 ヴァイスは目覚めると、辺りを見回す。乾ききった険しい岩山。“雷鳴の山”に——現実世界に、無事に帰って来られた証拠だ。ホノオと目が合うと、彼は勝利の喜びをニッと強気な笑みに宿らせる。シアンと目が合うと、ヴァイスに抱きついてきた。

「よかったー! シアンたち、ちゃんと戻って来れたんだネ!」
「うん、よかったね、シアン!」

 甘えん坊の彼への対処にも、だいぶ慣れた。ヴァイスはシアンの背中をとんとんと叩きながら、優しく声をかけた。ヴァイスたちの様子を見て、メルとネロは目を合わせる。メルがネロに微笑みかけると、ネロは慌ててふいと横を向いた。恥ずかしいのか、少し頬が赤い。
 セナが静かだ。ホノオはセナに視線を向けると、ハッとした。目に生気が宿っておらず、重苦しい表情で沈んでいる。何か声をかけてやらないと。その焦りも、次の衝撃に塗り替えられてしまう。

「残念ですね」

 北風が低い声を運ぶ。皆が声に顔を向けると、そこにいた。こちらを凍った目で見つめるスイクン――すなわち、FLBが言うところの“マスター”、ホウオウが言うところの“破壊の魔王”が。

「セナ、気を付けろ」

 敵がいつ襲ってくるか分からない。表情を引き締めて、ホノオはセナにひと声かけてみる。が、虚ろな瞳で地面を見つめるだけで、セナは返事をしない。胸がざわめくホノオだが、敵――“マスター”が語り始めるとそちらに注意を向けざるを得ない。心がいくつあっても足りないと感じた。

「FLBは“心の世界”でやられてしまいました。心の喪失は、人格の喪失。これでもう、彼らは目覚めないのですね」

 少し物悲しそうな“マスター”の言葉に、敵の事情ながらも一同はしんみりとしてしまった。
 が、次の瞬間。その空気を“マスター”自身が壊す。
 額についている水晶を光らせたかと思うと、“マスター”は一瞬でFLBの肉体を氷漬けにした。直後、上空に鋭い水晶を出現させ、硬いが脆い凍った身体を砕くように――。

「わああああああっ!!」
「キャアアア!!」

 ヴァイスとシアンは金切り声を上げ、目を覆ってしゃがみ込む。残酷な瞬間を記憶に刻まないために。
 水晶によって氷が切り裂かれ、破壊され、ばらばらに砕けた。その時、救助隊FLBは氷と運命を共にした。

「ふぅ」

 “マスター”のため息は、命を終わらせた直後とは思えぬくらいに軽かった。

「な、なんてことを……。確かにFLBはもう目覚めなかったかもしれない。でも、でも……身体はまだ、生きていたのに……」
「身体だけは、ね。でも、目覚めない。動けない。意思もない。食料を得ることもできず、やがてはみすぼらしく衰弱してしまう。私は愛する部下に、そんな末路を辿って欲しくなかっただけです」

 ホノオが震える声で非難するが、“マスター”は淡々と自論で跳ね返す。さらにホノオに軽蔑の眼差しを向けて続けた。

「そもそも、あなたに私を非難する資格はないと思いますがね。心も身体も生きている、生きる意思もある。そんなポケモンを惨たらしく焼却処分したこと、知っていますよ」
「……そ、それ、は……っ」

 心の急所を抉られ、ホノオは途端に萎んでしまう。ホノオに明確な弱点ができたことに、“マスター”は満足そうに笑みをたたえた。

「FLBのリザードンは、ボクのお父さんであり、ボクのお父さんでないって……そう言っていた。その意味が、まだ分かっていないのに、死んじゃった……。もしも、本当にボクのお父さんだったら……ボクは……ボクは……」

 シアンと共にうずくまったまま、ヴァイスは気持ちを整理できずにはらはらと涙する。

「おや。ホノオも、ヴァイスも、心が傷だらけのようですね。美波瀬那。あなたのせいで」

 “マスター”はうつむくセナの顔を下から覗き込み、心に言葉を染み込ませるように粘着質な声を出す。ホノオとヴァイスは声を重ねて即座に。

「セナのせいじゃない!」

 そう叫ぶが。

(オイラのせいだ。今オイラが生きているから。“あの時”オイラが死ななかったから。みんながオイラと出会って憎悪に巻き込まれて、不幸になったんだ。生きていて、ごめんなさい)

 “マスター”の言葉はセナの心を切り裂き、記憶の断片が傷口からあふれ、心に絡まり沈めてゆく。呼吸が、荒くなる。息を吸っても吸っても、足りない。
 ホノオ、ヴァイス、セナ。それぞれの記憶にピンポイントに刃を向けられて傷つく彼らに、メルやネロ、もちろんシアンも救いの言葉を見つけられない。ただ心配そうに、敵と味方を交互に見つめるのみ。

「さて。私はそろそろ失礼しますよ。“この身体”を――スイクンを返して欲しければ、いつでも“水晶の湖”に来てください。私に勝てたら、今回は大人しく身を引いて出直しましょう。大切な部下も、失ってしまいましたからね」

 “マスター”はセナたちに背を向けてその場を去る――かと思いきや、突然振り返り、スタスタとセナの目の前に歩いてきた。
 そして、一言。

「その時まで、あなたは命を繋ぐことができるでしょうか。心が記憶に歪んで壊れてゆくあなたを、期待していますよ」

 不吉な謎を残すと、“マスター”は去っていった。


 その後、もっとも落ち着いていたのはネロ。水晶に埋もれて傷つくエンテイに気が付くと、彼の安否を確認するために水晶を壊し始めた。メルはセナとホノオとヴァイスを一瞥する。しかし、かけるべき言葉も向けるべき表情も分からず、ネロの手伝いを始めた。
 救助隊キズナの4人は無言で立ち尽くす。せっかくの再会なのに、喜びの声を上げる者はいなかった。
 初めて見た“命の終わり”にショックを受けるシアン。リザードンが残した謎に心を掻き乱されるヴァイス。命を奪ったあの瞬間を責められ、罪悪感に苦しむホノオ。
 そんな仲間たちに、話しかけたのはセナだった。

「みんな……ごめん」

 蚊の鳴くような、ごくごく小さいセナの声を、ヴァイスとシアンは初めて聞いた。いつも最低限の元気は取り繕い、自分を明るく見せているセナだが、今はその余裕もないようだ。

「みんなをこんな危険なことに巻き込んでしまったのも、辛い目にたくさん合わせてしまったのも……みんな、オイラが悪いんだ。オイラは“あの時”――死ぬべき時に、死ななかった。だから、こうしてみんなを不幸にしてしまった」

 仲間が自己嫌悪を否定してくれるのを待つ余力は、セナには残されていなかった。自分を責めて呪う心が、文字通り身体の毒となる。息苦しくて、動悸が激しくて、血の気が引いて、発熱して――ふらり。セナはうつ伏せに倒れた。

「あっ……!」

 突然倒れたセナに、ヴァイスもホノオもシアンも注意を向けた。ヴァイスがセナを抱き起こす。頬は赤いのに、手足の末端は血色が悪くくすんだ色をしている。高熱にうなされ、酸素を求めて必死に喘いでいる。

「セナ! 大丈夫!?」
「うん、大、丈夫……。これが、敵の、望みなら……オイラが、このまま、死ねば……みんなは、これからは、幸せに……」

 憎悪の対象である自分が死ねば、仲間は解放してもらえる。セナは心から切実に、それを仲間たちに訴える。記憶が、彼の心に罪悪感として絡みついてくる。彼の身体を、毒が蝕む。

「やだよ……そんなの、嫌だ! ボク、もしかしたら、お父さんが居なくなっちゃったかもしれないのに……。セナまで、大切な友達まで、失うのは嫌だ! 死なないでよ、セナ!」
「そうだヨ! セナが死んでも、誰も幸せにならないヨー!」

 苦しそうに衰弱するセナに、ヴァイスもシアンも涙ながらに訴える。ホノオも言葉を続けようとしたが――どんな言葉も、セナの記憶の前では気休めにしかならなさそうで。
 死にたい。死ぬべき。その気持ちの背後にあるセナの記憶に打ち勝つ言葉など、生み出すことが不可能であることを理解していた。ただ、セナの手をぎゅっと握って温もりを伝える。

 ――オイラは、“あの時”死ぬべきだった、生きていてはいけない命なんだ。
 でも、“あの時”は居なかった友達が、今はオイラを大切にしてくれる。
 オイラは死んだ方が良い。自分の命や幸せが、大切な友達に迷惑をかけるのなら。心から、そう思った。
 でも、みんながオイラの命を望んでいてくれるのなら。みんなが生きていても良いと言ってくれるのなら――生きたい。本当は――

「――死にたくない……やだ……怖いよ……」

 思いが途中から言葉に変わる。声に出してみると、望みが強くなってゆく。しかし、自分の身体がその望みから引き離されてゆくのをひしひしと感じている。セナは必死に訴え、願うしかなかった。
 自分には、そんなことを願う資格などない。――願いを抑え込む理性が、弱り果てていた。

「オイラ……もっと、生きて、いたい。みんな……助けて……」

 身を焦がすような高熱に、セナはとうとう命の危険を感じた。燃えるような頬、異常なまでにカラカラな喉。追い打ちをかけるように呼吸は激しさを増す。身体はしびれ、とてもだるい。でも、寒くて——。
 とうとうセナの意識が途切れた。

「セナ!!」

 ヴァイスたちの叫びは、メルに、ネロに。そして、駆けつけてきたライコウたちに届いた。

「どうしたんだい!?」

 エンテイの治癒をライコウに任せ、メルが駆けつけてくる。状態の悪いセナを一目見ると、表情が一段と深刻になった。

「大変だ、セナが!」

 ライコウに乗ってきた、待機メンバーも続々と駆け付ける。足の速いソプラが状況を察し、後から駆けてくる仲間に伝えた。

「セナ!」
「セナくん!」

 セナを取り囲み、一同はパニックに陥る。悲鳴のように呼びかけた。

「しっ! 静かに!」

 メルの一声で、ようやく場が落ち着いた。静かになったところで、ライコウと傷の癒えたエンテイも駆けつけた。近くでセナを見下ろすと、ライコウは事情を悟ったようだ。エンテイと共に重々しく解説を始めた。

「セナ君……。無理をし過ぎたんだね」
「うむ。この戦いで、セナは力を使ったのだな。だから、セナが封印していた記憶が解かれた」
「でもセナ君は、必死にその記憶を、“意識の表面”に上がってこないように抑えたんだ。結果、どうにか普通に振る舞えたものの、記憶の内容が内容だからね……。セナ君は罪悪感で、自分を衝動的に呪い殺そうとしてしまった。自分を殺す毒を、自分の身体に生みだしてしまった」
「助かる方法はないの!?」

 ポプリが涙ながらに言う。答えるのはエンテイだ。

「セナの力と副作用に関する根本的な解決方法は分からない。が、まずは対症療法が先決だ。全身の毒さえ消えれば命は助かるのだが、強力な薬草が必要になる」
「それはどこにあるの!?」

 食いつくようにヴァイスが言う。エンテイは言葉を濁してうつむく。代わりに答えたのはネロだった。

「“最果ての森”というところに、“マリーゴールド”という花がある。それが、万能の薬草だと聞いた」
「あっ、それ知ってる!」

 ポプリが声を上げると、希望に輝く眼差しが集まった。

「さすがポプリ! で、“最果ての森”ってのはどこにあるんだ?」

 ホノオが問うと、ネロの表情が暗くなった。——もともとさほど明るくないが。エンテイが重々しく答えた。

「“最果ての森”は東の果てにあり、とても遠いのだ。わしらが精いっぱいに駆けても、片道3時間はかかるだろう……」
「セナ君はもってあと2時間。僕たちがとってくる時間もなさそうだね……」

 ライコウも残念そうに重ねる。

「そんな……!」
「嫌だよ、セナが死ぬなんて……!」

 悲鳴のような絶望の声が重なった。

「くそっ! オレが“テレポート”でも使えれば……!」

 悔しさで地面を蹴りつけながら、ホノオが言う。その時、ヴァイスはひらめいた。

「“テレポート”! それだ!!」

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