暗闇を照らすシャンデラ

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「ねえ、ルリナさん……やめとかない? 行く必要あるかな……?」
 マスターは恐る恐る、足を踏み外さないように、階段を一段ずつ下っていく。一つ下のフロアは、降りてみると光が全く差しておらず、暗闇だけが広がっていた。
「気づいてた?」
「え?」
 ルリナは真剣な目をしている。
「遠くからじゃ動いているのか、止まっているのか。どちらへ向いているのかわからなかったけど……バウタウンの方角へ、この船は進んでいるわ。このままだと、港にぶつかってしまうかもしれない。だから、操舵室に行きたいの」
 ぶつかるかもしれないし、そうでないかもしれない。そもそもこの状態の船だ。舵は取れるのだろうか。
「私の生まれ育った町だから――」
 力強く想いを発する。各地で紛争の解決を担うジムリーダーとしての立場ではなく。ひとりの、バウタウンに生きる者として。
「――守ってみせる」
 ルリナを真剣に見つめ返し、
「なんとかしないとね! でも……」
 ガラルチャンプであるマスターも深く頷き、しかし、すぐに表情を曇らせる。
「ルリナさん……やっぱり暗くて怖いよ……」
「そうね……」
 ペンライトの明かりを見て、ルリナもため息をこぼす。船上からしてあの有様だ。人の手が長く入らない船は、床板が朽ちて重みで抜けるかもしれない。客室のガラスが割れ、あたりに散らばっているかもしれない。
 危険の潜在する場所に向かうには、ルリナの持つペンライトの光はあまりに心もとない。
「あ、そうだ、シャンデラ!」
 マスターは思い出したかのように手持ちポケモンを繰り出した。
 赤い筋の光と共に、この世へ実態を伴って姿を現す。電気ではなく昔ながらのアルコールに火を灯す爛漫ランプを模した姿のポケモン。マスターが以前紹介してくれた、“みんなのおかあさん”の役割を持つ色違いのシャンデラが居た。
「どうだ明るくなったろう?」
 眉間に皺を寄せ、何やら妙な顔をしてみせるマスター。何かの顔真似だとわかった。
「それ、スクールの教科書に載ってた、お札に火をつけてる富豪の真似?」
 ルリナが尋ねると、「似てる?」と嬉しそうなマスターである。少し不安が和らいだのか笑顔が出ていた。
「似てる似てる」
 つられてルリナも笑う。
 暗闇の中に確かな光。恐怖に笑顔は勝った。さっきまでは怖くてどうしようもなかった私たちでも、なんとか先へ進める気がしてくるから不思議だ。
「ここは……地下フロアね。船底かもしれない、窓が無いわ」
 壁にかけられた船内図が、シャンデラのお陰でよく見えており、ルリナはそれを見ながら口にした。
「上は客室が多かったけど、この階はこれだけかあ」
 マスターは船内図で地下フロアに大きな部屋がふたつしかないことに気づき、少しほっとした様子だった。この構図なら迷うこともなさそうである。
 また、別の階のマップも載っており、先程の客室フロアと、私たちのいるこのフロアの2階層で構成されていることがわかった。
「アクア号、か……ガラルの船では無さそうね」
 ルリナは船の名を口にした。
 船内図には、『高速船アクア号』と書かれている。それが船の名だと知る。昔にどこかで聞いたことがあるような気がするが思い出せない。

 幸い、廊下の床は抜け落ちていなかった。
 周囲を観察しながら先をゆくルリナの背中からはぐれないように、マスターと私は必死に後を追いかけた。
 シンプルな構造をしており、迷うことはなさそうだ。少し進むとシャンデラの明かりの中、廊下の先に一つ扉が見つかった。
「ルリナさん、ここ入るの?」
「船内図には船長室や操舵室が描かれていなかった。各部屋は一応見ておいた方が良いと思うわ」
 扉はまだ健在で、ルリナが手をかけるとあっさりと開いた。
 かび臭い香りが鼻をつく。埃にまみれた船室は広く、ベットが多数並べられており、壁にかかっている制服から推測するに、船乗りたちの仮眠室のようである。
 ベッド脇には荷物や、お菓子の空袋などが散らばっている。ふと、劣化した新聞を発見する。ほとんど虫食い状態で判読することは困難であったが、かろうじて一面を読み解くことができたのが、ロケットの写真ひとつ……それに関する記事は破れており読み取れない。唯一、見出しの『人類の望み、絶たれる』という文字は見て取れた。
「これ……」
 振り返ると、ルリナは一冊の雑誌を手にしていた。
 中身は湿気のせいでページを開けないようだったが、表紙は埃を払うとしっかりと見えた。
 そこにはカントー地方のジムリーダーたちが並んでいる。しかし……ワタルやシバ……私の記憶にある人たちが四天王のメンバーに誰ひとりとして居ない。それどころか、並んではいけないはずの人物が写っている。
 見出しには、『カントーチャンピオン特集』とあり、その横には吹き出しで「チャンピオン・サカキ、シルフカンパニーの代表取締役へ!!」と書かれている。どういうことか、カントーチャンピオンと呼ばれているのは、あの悪の組織ロケット団のボス、サカキである。
「カントーの諸事情はあんまり詳しくないけど、この人確か、行方不明中の悪者よね? それに、ワタルがカントーの四天王のひとりだって、同じドラゴン使いのキバナが言ってたけど、世代交代したのかしら」
「わたしも聞いたことないよ。スマホロトムのニュース記事でも、何日か前に、各地のポケモンリーグのこと書いてたけど、代わってなかったはずだけど……」
 ルリナが言うと、マスターも怪訝な顔を見せる。私たちの知っているカントー地方のことだとは到底思えないのだ。

 雑誌の他に何か無いか探してみるが、貴重品の類もなく、荷物などは基本的には降ろされた後のようで、特に興味を引くものはこの部屋にはもう無さそうだ。
「これ、乗組員の写真かしら」
 ルリナが見つめる壁には、船乗りらしくセーラーを着込んだ男たちとそのポケモンたちが写っている。その中心には、船長だろう。豊かな髭を蓄えた立派な革帽子を被った初老の男がロトムと一緒に写っている。写っている部屋は、ここのようだ。
 廃墟と化したこの船の、在りし日の姿がそこには遺されていた。
「なんだろ……寂しいね。今はこんなにボロボロで、怖くて寂しい場所でも、明るい日もあったんだね」
 マスターがつぶやく。カメラに四角く切り取られた写真の中には、笑顔があふれていた。
 だけど、今はそれももう無い。その日々は失われてしまったのだ。
「さあ、行こう」
 ルリナが隣の部屋に続く扉に向かって歩く。慌ててマスターもその後ろを追いかけた。
『――?』
 ふと、何かが聞こえた気がして振り返る。暗闇の中、うっすらと、フレームの中の人々が悲しそうに笑っているのが見えた。
 今はもう、居ないのだ。彼らは。
「サナたん、はやく!」
 マスターに呼ばれ、私も慌てて置いて行かれないようついて行く。

 扉を開けた隣の部屋は食堂になっていた。ここはしっかりと整理されており、特に目を引くものはなさそうだ。
「お客さんもここにきて食事をとっていたのかな」
 マスターは広い室内を見渡して言った。立派な長テーブルや、装飾のあしらわれた内装を見るに、多分その通りなのだろう。今は埃に埋もれてるようにしているが、長テーブルも装飾が綺麗にあしらわれている。
「何かがあって慌てて逃げた、という雰囲気ではないわね。きれいに片づけられている」
 ルリナは室内を観察し、そう判断したのだろう。
 確かに、隣の従業員部屋にしても置き忘れた雑誌やゴミ、制服などを除けば片付いていた。上のフロアも窓ガラスは割れ、室内は荒れ果てていたが、お客さんの私物も残されていなかった。甲板の救命ボートもそのままで、避難した形跡はない。
「事故があって、慌ててこの船を乗り捨てたわけじゃなくて、役目を終えた状態の船が何らかの形で漂流した……といったところかしら。いずれにしても、船長室に行けば、航海日誌があるはず。それで何か分かるかもしれないわ」
 そう言って、扉を開ける。また廊下だ。
 ルリナの頭の中には船内地図とそこから推測される船長室あるいは操舵室の場所が既に入っているらしい。食堂を出た後、迷うことなく廊下を進んでいく。
「ルリナさんって迷わずにすごいね」
 マスターか感心したように言うと、ルリナは肩をすくめてみせる。
「どこぞの迷子のリーグ委員長と一緒にしないでほしいわ」
 どうやら、ダンデは方向音痴らしい。
 廊下の行き止まりには、上り階段があり、その先がどうやら船長室へと続いているようだった。
 上からは湿った空気が漂ってくる。この上だ。
『サレ……』
 ――また、だ。何かが聞こえた。
 マスターとルリナも顔を見合わせている。
「さあ、行こう」
 バウタウンの美しきジムリーダーを先頭に、私たちは歩みを進めた。

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