7.キースの変化と怪盗レイスの決意

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 遠方への探索に、怪盗が出向いた日だった。雨がさんさんと降りしきり、暗い夜には寒さが染み込む。ドンカラスの重々しくもかん高い鳴き声。それは、彼の帰宅の合図だった。
「お帰りなさいませ」
 イーラは、いつも通りに出迎えてそっと──彼に笑いかけてみた。無意識的な気の許しだった。幼少教育で習った通りの、社交的な笑顔である。
 しかし、いつもなら気障な微笑を返してくれる彼が、この日は目を瞬かせた。そして、動じたかのように何度か目線を外し。苦々しい目をしてから。
「……ありがとう」
 彼らしくない素直な礼を告げたのだ。
 引っかかる様子に、イーラは不安になる。ばさばさと羽ばたき、彼のドンカラスが嫌そうに見ているのも気にかからないほどだった。
 この時は、あの人らしくもなく照れているのかとも、彼女は考えていた。それから、ちょっとずつ普段の合間合間に彼に笑いかけてみると。
「嗚呼、そうか。例えギャラドスに突然変異しても、しっかりと跳ねてた記憶は残ってるもんな……」
 左様な意味深長な言葉を吐いて、仕事をする彼女の思考を曇らせた。
「あの、何かご不満ですか」
 食事の味付けや、鍵の新調。彼にその日頼まれた仕事を振り返ってみる。どれも思い至らない。何か意識外の粗相をしたのではないか──不安が過ぎって粘りつく。
 怪盗はそんな彼女を敏感に察知したらしい。何度か首を振ったあとに、話しかける。
「……君、笑える?」
 脈絡が分からない問いを投げかける。ややあってから、イーラはこくこくと頷く。彼の真意を計りかねていた。
「そうか」
 珍しく、何だか淋しそうに彼は引き下がっていった。横で見ていたサーナイトには、それが何か分かったのだろうか。同調するような、瞳を下げて彼を見つめていたのだ。感情を機敏に受け取る種族らしいなとイーラは思う。
 何なのだろう。気になる上に、腫れ物のようには扱われたくないと思った。そして、さり気ない彼と自分との溝が見せられたようで、それは雨がすすり泣くようにさめざめと悲しかった。




 次の日から、彼の──怪盗からのアプローチが変わった。キザでロマンチストで、彼女に優しいのは相変わらず。しかし。
「やっぱり僕の顔って美しいな。君もそうは思わないか?」
 何故だか、ナルシシズムが加速していた。自分の腹にミラーを起き、起き上がる度に顔が見れるように腹筋をしていた。呆れるような鍛錬だと、彼女は思っていた。
「君も遠慮せず見ていいぜ。あっそうだ、この前いいショットがあったはずなんだ」
『ボクのお家をそんな画像で埋めるなロトー!』
「僕のスマートフォンだろうが!」
 やいのやいの、逃げ惑うスマホ入りロトムとそのトレーナーをイーラは見ていた。急に態度が大きくなったのには、理由があるのだろうか。気にはなったものの、あまり追求せずにいた。
 隣のサーナイトはくすり、と笑っていたので賑やかだと感じていた。
 当の本人は、そんな変わらぬ様子に内心苦く思っていた。一瞬だけ、おどけるのをやめてから、また普段の振る舞いに戻っていた。

「なあ小娘よ、見てくれ。ネクタイが上手く結べない」
「はあ。仕方がない人ですね」
 イーラはぐちゃぐちゃに捻れ絡まった、黒と赤のネクタイを解き、一から整えてあげた。しかし、これもよくよく考えれば不自然であった。彼は普段からシャツやタイをする、タイトでフォーマルな服装を好む。ということはつまり、自分で何度もネクタイを締めているはずなのだ。そもそも、怪盗なんて名乗って何度もボールや道具を違法改造する男が、手先が不器用ははずはなかった。
 彼女からしても不自然だったが、何も言わずにとにかく直した。
「ん、まあまあかな」
「……私よりいくつ上だか知りませんけど。大人の男性の構っては、悲しいものがありますね」
 普段なら聞き流すだろう、冷ややかな彼女の小言。しかし、キースは珍しく、にこりともせずに返した。
「違う」
 その真剣な否定に。言ってしまった彼女の方が動揺して、たちまち不安に駆られる。
「違うよ。僕はただ君に──」
 振り払うような手をしてから、逡巡してため息を吐いた。
「いや、やめておこう。こんなの部下の女性に言う台詞でもあるまい」
 彼女の疑問など置き去りにして、勝手に切り上げてしまった。ますます、イーラには何か自分側に原因があることしか分からなかった。
 気がかりであったものの、彼が道化を演じるのは前からであったし、次第に時の流れに埋もれていく。
 しかし、月日が流れる毎にキースの中では、何とも言い難い苛立ちが積もっていった。彼女の冷たい笑顔を見る度に、胸が締め付けられてしまう。「お前の力では、彼女は幸せに出来ない」と、あの冷酷無慈悲な父親に言われているように。何度もその凍った笑顔が脳裏にチラついた。
 自分やポケモン達と過ごすのは、本当は不安なんじゃないか。そのような考えも片隅には存在していた。何が彼女にとっての幸せになるのか、彼は一人考え続けていた。手持ちのゾロアークに「アイツ、女にうつつを抜かしてやがる」そう冷ややかに笑われるくらいに。それを告げ口したロトムと三人で喧嘩になるのだった。
 ある日、我慢の限界だったのだろう。彼は夕食を食べる時に彼女の張り付いたような笑みをまた見てしまった。そして、遂に言ってしまう。
「やめてくれ、そんな顔で笑わないでくれ」
 雹が飛来したかの如き衝撃と冷たさだった。何度か瞬きして、「分かりました」と彼女は頷く。
「君は悪くない。すまない」
 そう詫びる彼を見るのが、イーラには自分の笑顔を指摘されるよりも辛かった。





「サーナイト、嬉しいって何でしょうね」
 イーラは、枕元で尋ねてみた。寝る前に、彼女はサーナイトと一緒に寛ぐ。明日の準備をして、今日あったことを二人で振り返るのだ。
 しかし、近頃は怪盗には見せない部分を、サーナイトとモノズには隠しきれぬように見せてしまっていた。
 具体的には、悪夢に魘されたり、何かを思い出して涙を流していた。ただ、サーナイトにですら「こんなことがあった」という具体的なエピソードは話さなかった。分かるのは、未だに引き摺るほどの痛ましい傷がある、という事実だけ。
 元より、感情に敏感なサーナイト族であったから、彼女がそれを見せる前から察してはいたのだが。
「キースさん……」
 いつだって、苦しそうに呟いていた。それが「助けて」なのか「ごめんなさい」なのか。実際には不明瞭なままだ。一人で膿を抱え込み、薄氷の心を内側から腐食させている。
 サーナイトは、自然と彼女に添い寝するようになった。『いやしのはどう』を使用すると、少しずつイーラの波も収まっていくと分かってからだった。トレーナーを思う末に、サーナイトが必死に習得したのだ。同じエスパータイプ、フーディンの入れ知恵であることは、ポケモン達だけが知る。
『あの子は、何であんなに泣いてるロトか』
「僕が知りたいよ」
 ロトム経由で、毎晩ひっそりと泣いていることを怪盗も知っていた。自分がまだ信用もされぬ、情けない男なのだろうか。聞いたところで、彼女は不要な気遣いにてはぐらかすだろう。
「あのさ、僕は彼女を笑わせたいんだ。どうすれば、自然に笑ってくれると思う?」
『楽しかったり、嬉しかったらいいんじゃないロ?』
「お前、モノズに噛まれても、一切微動だにしない彼女を見たんだろ」
『あ──そ、そうだったロト』
「だろう。感情がぶっ壊れてるんだ。ああ、考えれば考えるほどに、何か虐待をされてた気しかしない。本当に嫌になる。何で僕は──」
 こんなにも、あの子のことを考えているんだろう。成り行きで拾った赤の他人なのに。好きでも何でもない、異性としても見た事がないのに。
 自分でも呆気ないくらいに疑問だった。しかし、それを遠方にいる師や、ロトム達仲間に聞くのは何か違う気がする。仕方がない、と彼は思い立つ。
「何度か繰り返すうちに、“怪盗レイス”なんて呼ばれるようになった。今まで違う目的だったけど、あんなに、仲間の女の子が泣いてるなんて。僕はカロス人失格だよな」
 珍しく決意の篭もった瞳。台詞には、仕方ないというニュアンスを含んだ、爽やかな笑顔の宣言だ。
 スマートフォン越しに聞いていたロトムが、目をぱちくりさせている。
『ていうかボク達、キースが何で怪盗してるか知らないロト。皆、大体面白そうだから手伝ってるロ』
「……僕は、“禁書”の先にあるお宝が欲しくてね。いや、ポケモンか」
 彼の指す禁書。それは間違いなく、あの助手見習いのイーラを捨ててでも出さなかった『フレースヴェルグの禁書』。
「知ってるか、あの“禁書”って元は一つのシリーズでさ。同じ著者が記したと言われている、二つの神話学書がまだあるんだ。でも……」
 彼の珍しく自分を語る姿に、手持ちのロトムはお茶目さを挟む隙も伺えない。電子画面にて、不思議そうな半目を向ける。
「でも、彼女に同情してしまった。だから“マギアナ”は一旦後回しにしようと思う」
 その日から、神出鬼没の“怪盗レイス”と呼ばれる彼の目的が変わったのである。奇しくも、あのイベルタルと契りを交わした一族の娘──イーラという助手見習いの女の子の為に。彼は怪盗になることにしたのだ。





 渦中の少女、イーラはというと。この頃はモノズの世話に注力していた。もう戦闘でのコンビネーションは取れてきて、街中で見慣れた、トレーナー同士のストリートバトルもこなせるようになってきた。
 しかし、それでもモノズは立派なドラゴンポケモン。他のポケモンよりも、その成長は格段に遅い。
「ぎぎ……」
「ゆっくりやりましょう? 『かみくだく』を追い打ちに使うのが、上手くなりましたね」
 足元にて踞る黒い獣に、イーラは優しく声を掛けてやる。何か一つは褒めるのを忘れず、気分が変わりやすい彼のモチベーション維持を忘れなかった。サーナイトが彼女の補佐をするのも、いつものこと。しかし。
「あ、ねえそこの君!」
「はい……?」
 金髪の男が、彼女らに声を掛ける。警戒はするも、普段通りを装うイーラが男を鋭い目にて見ている。怪盗の一味であるから、当然の注意だった。
「いやいや、そんなに身構えないで! ナンパとかじゃなくてね、僕はデクシオ。“メガシンカ”を扱えそうな後輩トレーナーを導く役目をしている」
 少しだけ、イーラは男への警戒を解いた。言われてみると、エリートトレーナーらしい服装をしている。“メガリング”と呼ばれる、カロス地方では時々見かける、メガシンカ使用者の必需品も目につく。
「君のモノズ、結構いいセンスしてる。進化が近いんじゃないかな? 隣のサーナイトも、中々にやれるようだからさ」
 ボールを構えた男が爽やかに笑う。これに対する答えは一つ。進化が近いという情報も、彼女に再びボールを握らせるのに訳なかった。
「1on1でしょうか。デクシオ様、お願いします」
「そんなに畏まらなくてもいいのに」

 かくして、唐突ながらも、デクシオとのシングルバトルに挑むことになった。
「お願いします」
「頼むよ、フーディン!!」
 イーラはモノズをボールから出してやる。闘争本能に溢れた目線の先は、あの怪盗も連れている見慣れたエスパー。フーディン。
 しかし、あの彼のフーディンと決定的に違うところがあるとすれば。
「いくよ、“メガシンカ”だ!」
 デクシオの持つメガリングは7色に光ったかと思うと、見慣れたフーディンはそこにはなく。宙に浮いて、5本にまで増えたスプーンを操っている。
「モノズ、『ふるいたてる』」
「メガフーディン!」
 『ふるいたてる』にて、攻撃と特攻を上げたモノズ。その隙を、メガフーディンの『エナジーボール』が直撃する。フーディンをも凌駕する、圧倒的な素早さと破壊力。効果は薄くとも痛手だ。
 手加減されている、彼女とモノズの考えは一致していた。あのデクシオという男、かなりのやり手であり、敢えて彼女らの出方を伺っているのだ。
「『みがわり』だ」
 フーディンが軽やかに身をこなし、みがわり人形を場に置いて後退。しかし、そのみがわりに彼女らは怯まない。
「モノズ、大丈夫。『ハイパーボイス』」
 モノズの怒りを携えた『ハイパーボイス』が、人形をも貫通し、メガフーディンに襲いかかる。音技はみがわりを関係なしに攻撃する。バトルの知識を十分に持つ彼女らに、耳を塞いだデクシオは感心していた。
「やるね、お団子ちゃん。これはどうかな」
「……『かみくだく』」
 みがわりを置いたままに、フーディンは5つのスプーンを弾丸のようにモノズに飛ばしてくる。おそらくは『サイコキネシス』の応用であり、効果は微々たるもの。しかし、『かみくだく』を撃つ為にそのスプーンを追い、接近してきたモノズを、背後から『チャージビーム』が襲う。
「陽動、ということですか」
 目が見えず音と匂いで判別する、モノズというポケモンの、習性を熟知している。効果は薄くとも、格上の相手にて、再三痛めつけられたモノズの怒りは爆発寸前である。トレーナーの指示を無視し、『ハイパーボイス』を放とうとする。
「落ち着いて、モノズ……いえ、そうです」
 デクシオは彼女の判断が、よく分からなかった。モノズは自暴自棄になりつつあり、こちらにはまだ『みがわり』もある。それでも、彼女は突っ込む指示を出したままだ。
「貴方ならきっと撃てる……『げきりん』!」
「なっ、そう来たか!」
 そう、怒りに身を任せ、十二分に己を『ふるいたてた』モノズならば。『げきりん』を撃てるだろうという。望みを込めた指示を出したのだ。フーディンのみがわり人形は、途端に気泡と化し。防御の薄い本体に、“はりきり”を発動させ力任せに突っ込むモノズ。
 メガフーディンは、浮いていたスプーンと共に地面に伸びていった。
「……お見事! ねえ、よかったらトレーナカードを」
「失礼します」
 名前を知られてはまずい。モノズを引き連れて、彼女は足早に去ろうとするが。肝心のモノズは、ふるふると震え、力の限り叫びたくて仕方がない様子。進化の兆しだ。
 黒い体毛はそのままに、双頭を持つ姿は更に禍々しい。どうにも、目が見えるようになるのは、もう少し先のようだ。
「よかった。これからもよろしくお願いしますね、ジヘッド」
 彼女が背丈が伸びた頭を撫でてやると、増えたもう一つの頭がじゃれつくように、擦り寄ってきたのだった。





「遅かったじゃないか。何かあったのかと」
「いえ。ストリートバトルを何戦か……それで」
 心配と空腹にて急かす彼に、彼女は進化したジヘッドと、それからあのデクシオという男からもらった“戦利品”を見せた。目を瞬かせた、怪盗の男がしみじみと言う。
「……進化したんだ。おめでとう。これ、メガストーンだろ? まさか、君も僕と同じく……」
「まさか。ミスターのように狡い手は使いません。頂いたのです。“デクシオ”というトレーナーから」
「デクシオ……ね」
 その名を聞いた彼は、久しぶりに見る苦い顔をしていた。何かを思い出すように、ぎこちない笑顔である。しかし同時に、彼女の見せた“サーナイトナイト”とキーストーンにも納得したようだ。
「これで君は、晴れて僕の助手になった」
 一歩、彼女に近づいた彼は、改まって爽やかに笑う。あの時と変わらない、怪盗としての彼の顔。
「よろしく、早速サービスでもしてよ」
「はい……キッスなら、地面にでもどうぞ」
 投げキッスをせがむ彼を、とても慣れた手つきで、背中を掴み転ばせる彼女は――今や立派に怪盗の助手になったのだった。





 時は、それから数年後。“禁書”を前にして話し合う二人の場面に戻る。

 バイモ・コーポレーションと、不死鳥イベルタルの本。そして、二人の因縁。
 三つは切っても切り離せない関係にある。あの表情に乏しい助手は、この話題を見る度に怪盗の彼を不安へと駆らせる。それほどの、沈鬱な瞳をしていたのだ。
 それは、あまりにも耐えられなかった。だからこそ、“怪盗レイス”である彼は立ち上がり。高らかに言葉を紡ぐ。
「あの本、盗むぞ」
 どよめくフーディンやゾロアーク、そして助手の彼女。そう、彼は国際警察と彼女の実家の罠によるリスクがあるとは判っていながら。それでも、隣に座る“彼女”の為の命知らずの盗みを――溌剌とここに宣言したのだった。

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