2-1 空っぽの握り拳
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
多くの人の日常が変わってしまった、あの日。
多くの人の人生が狂ってしまった、あの日。
俺は、相棒であり、俺に残された唯一の家族であるラルトスの手を引っ張り、国中を駆け回って遊んでいた。
あの日は、国中がお祭り騒ぎに包まれていた。
今では忌み嫌われているこの日は、もともと建国記念日である。どのくらいの人がそれを覚えているかは定かではないが。
城壁に囲まれた比較的平らな都市。北側には小ぶりの丘に立派な城がそびえ立つその国をソレは襲った。
それはほんの、ほんの一瞬の出来事で、
気が付いたら、俺達は“闇”に包まれていた。
いや、呑み込まれたと言った方が正しいのかもしれない。
さっきまで、都市を照らしていた太陽も、あんなに澄み渡っていた青空も、丘の緑も、赤レンガの屋根の街並みも、色とりどりの服装の人々も、
みんなみんな、真っ黒に塗りつぶされてしまって、
自分がどこにいるのか、二本の足で立てているのかさえ、わからなくなって、
夜闇のような暗さとは違う、異質な暗闇の中に俺は、何が起きたのかわからないまま、言いようのない圧迫感に呑まれていた。
ラルトスの甲高い叫び声を、聞くまでは。
思わず右手の方を見下ろした。見えない拳は空だけを掴んでいた。
繋いだ手を放していたのは、いつからだった?
握った手を緩めていたのは、いつからだった?
どっと不安が、押し寄せる。
ラルトスの鳴き声が、一層高くなる。
とにかくラルトスを助けないといけない。いけないのに、どこにいるのかわからない。
声をたよりに近づこうとはした。だが出来なかった。
何故なら、周囲が、悲鳴に包まれていたからだ。
助けて、どこにいる、まってろ、来てはだめ。
そんな、ノイズが暗闇の中に溢れた。
そのノイズを聞くうち、鼓動がどんどん高まっていき、パニックになり、心臓の音以外何も聞こえなくなって、動けなくなっていたら……
まるで風船が割れるように暗闇が晴れ、俺の目の前は真っ白になった。
薄れゆく意識の渦、色彩の暴力の中、それでも俺はラルトスの姿を捜す。鼓動さえも聞こえなくなった耳で、声を聞き取ろうとする。
しかし、ぐるりと見渡しても見つけることはできなかった。
まるで、初めからそこにいなかったかのように、存在そのものがなくなってしまったように、
俺の隣から、ラルトスは姿をくらませてしまった。
…………ああ、俺とラルトスだけじゃない。この国のほとんどの民が、そうやって大切なものを失った。
すべては“闇”に、奪われたんだ。攫われたんだ。
連れて行かれて、そして――――隠されたんだ。
後にこの前代未聞の神隠しは、“闇隠し”と呼ばれることになる。
********************
それは月の無い星空の下、涼風吹く荒野でのことだった。
長い金色の髪を毛先で二つに纏めた女性、ヨアケ・アサヒは俺に依頼する。
「配達屋ビドー君。私達をある人の所へ届けてもらえませんか?」
暗い中、星明かりでぼんやりと見える彼女の輪郭、その面持ちから緊張が伝わってくる。だが、俺はバイクを両手で支えながら二言返事で断った。
「断る。俺のバイクはタクシーじゃない」
「ですよねー……」
へらへらと笑いながらも、落胆するヨアケ。笑っている割には相当へこんでいるようであった。
何だかばつが悪いので、気になった点を質問して、話題を掘り下げる。
「ちなみに届け先はどこで相手は誰だったんだよ」
その言葉に反応したヨアケは笑みを消し、じっと俺の顔を覗き込む。
俺は目を反らし「ただ気になっただけだ」と呟くことで、ヨアケが持ったであろう期待に釘を刺す。
「……ああ、うん。届け先ね」
長い息を吐く音が、聞こえてくる。
ちらりと様子を伺うと、祈るように目蓋を閉じ、胸の中央に両手を当てる彼女がいた。
まるで、思い人の名を告げる様に、ヨアケは己の追い続けている相手の正体を明かした。
「――――現在指名手配中の、“ヤミナベ・ユウヅキ”という男性、だよ」
「“ヤミナベ・ユウヅキ”っていうと、<スバルポケモン研究センター>襲撃事件の賞金首か」
「そうだよ、ビー君。私はずっと彼を捜して、追いかけているんだ」
目を細く開き、柔和な表情でヨアケは頷いた。
<スバルポケモン研究センター>とは、ヒンメル地方のポケモン研究を担っている施設のことである。
この研究所は、だいぶ前から“闇隠し事件”がポケモンと関わっているのではないかという説を強く提唱し、各方面からの研究者を招いて調査を続けていた。
その施設がほんの3ヶ月程前に、“ヤミナベ・ユウヅキ”という男の手によって襲撃にあったのである。
詳しい経緯は伏せられているが何でも、その時に“ヤミナベ・ユウヅキ”が<スバル>で研究されていた研究物を奪ったらしく、それで指名手配になったそうだ。
「……なんでまた、そんなんに首突っ込もうとしているんだお前は」
「そりゃまあ、これですよこれ」
ヨアケは右手の親指と人差し指で小さな円を作る。
直感で俺は言葉を漏らした。
「嘘だあ……」
「嘘です」
「嘘なんかいっ」
がくりと肩を落とす俺をよそに、ヨアケは一呼吸置いて続ける。
「彼は、私の幼馴染みなんだ」
「……そりゃ、大変だな」
ヨアケがため息をする。その気持ちはなんとなく解ってしまった。
俺にも幼馴染がいる。もしそいつが犯罪者になってしまったら、同じようにため息をしていることだろう。
ヨアケは両手で顔を一度叩いて、それから再び笑みをたたえながら言った。
「とにかく、道を踏み外した幼馴染みを更生させるのも、幼馴染みである私の役割だと思って、さ」
更生って……何故そんなに、がむしゃらに前向きでいられるのか……やはり俺には理解できないかもしれない。
しばらく口をきいていない幼馴染のことを思い出しながら、俺はヨアケを否定する。
「幼馴染みに役割なんて、無いだろ。余計なお節介だと思うぞ……」
「余計なお節介結構だよ。だって私は……」
彼女の一瞬の言いよどみに、
「だって私は、少しでも<スバル>の人達を手伝いたいのだもの」
ちょっとした、ズレのようなものを感じた。
「“闇隠し”を何とかしようと何年も研究している人達に、幼なじみが迷惑かけてるのを、放って置けないよ」
形容しがたい引っ掛かりを覚えたが、ヨアケの笑顔に押し切られてしまう。まあ、そこで突っ込んだ話をするほどの間柄でもないので、流れに任せて発言する。
「お前も“闇隠し”によって何かを失ったのか?」
「まぁ、そんなところだね」
俺の問いにヨアケは目を細め、ぼかしながらも答える。
疲れたような笑みを浮かべるヨアケ。そんな彼女を見て、俺も心に疲労を感じた。
心身の疲弊からか、ヨアケの口から弱音がこぼれる。
「ビー君。“闇隠し”でなくなった大切なものって、戻ってくると思う?」
「戻ってくる」
即答した俺に、ヨアケが怯んだような気がした。
「……どうしてそう言い切れるの?」
そんな、訝しげな言葉に、
「だって、そう信じてやんなきゃ、本当にあいつはいなくなっちまうだろ?」
俺は二度目の即答をする。
もう何度も繰り返してきた答えだ。誰にだって言われてきたことだからな。
絵空事だって、言いたければ言えばいい。現実を見ろってけなせばいい。
それでも、
「あいつは、ラルトスは絶対に生きている。ああそうだ絶対にだ。絶対、絶対帰ってくる……! だってあいつは――」
俺は、諦めない。
「――たった一人の家族なんだ。どうしてそう簡単に忘れられると思うんだ」
諦めて、たまるか。
ハンドルから右手を放し、空を握る。空っぽの右手を見つめ、眉間を険しくして俺は、己の信念を言い捨てた。
「俺は、どんなことがあっても、大切な奴との過去は引きずり続けるつもりだ。苦い思い出でも、忘れるもんか。そうじゃないと、俺は、俺はっ――――」
震えてかすれる俺の言葉を、ヨアケの声が遮る。
「そうだよね」
彼女の言葉は、俺を宥めるための肯定……には聞こえなかった。
正直賛同されたことに俺は面を食らっていた。
そんな俺をよそに「そのくらいの意気込みじゃなきゃ、だめだよね」と、ヨアケが小さくつぶやく。
それはおそらく、彼女の目的を達成するための意気込みだと、俺は解釈した。
*************************
俺達が屋敷に辿り着くと、夜も更けているというのに、昼間と同じようにお嬢様が屋敷の前で待っていた。
彼女はずっと、立っていたのかもしれない。今はもう、それぞれの道に旅立ったポケモン達に思いをはせながら。
じゃなきゃ、俺達への責任感だけで立ち続けられるほど生真面目な性格ってことだろうけれども、それはたぶん違うと思った。
「贈り物は無事、お届けしました」
俺の一言に、今回の仕事の依頼人であるお嬢様は、口元をそっと綻ばせる。
緊張が解けたのか、瞳を潤ませながら、彼女は俺達に礼を言った。
「アサヒさん、配達屋ビドーさん。あの子たちに私からの贈り物を届けて下さり、本当にありがとうございました」
俺とヨアケはちらりと目を合わせ、それから彼女に向き合い、受取人であったポケモン達の様子などを、最終的には全員しっかりと受け取ってくれたことを説明した。
彼女は多くは語らない。でも、俺達の話をきちんと頷いて受け止めていた。
彼女が屋敷の主に許可をもらって、俺達に二部屋の客室を用意してくれていたので、厚意に甘えて休ませてもらうことにした。
三人で就寝前の軽い挨拶をして別れた時、ヨアケが何か俺に言いたげだったのが気になったが、疲れていたのでスルーした。
そうして俺は、倒れるようにベッドへと意識を沈める。
久々に心地よく、眠りにつけた気がした。
********************
柔らかいベッドにずぶずぶと体を沈め、枕を抱きしめる。
そうしても、さっきから続く胸の高鳴りは収まってくれず、目を瞑っては、また開いてしまう。
何度も何度も瞑ろうとしても、いつの間にか開けてしまっている。
どうにもこうにもいたたまれないので、私は起き上がって立ち上がり、閉じていたカーテンを全開にした。
星々の明かりが、纏まって一室に降り注ぐ。荒野で月を見かけなかったことを思い出し、改めて探してみたけれども、やっぱり今日は見えないみたいだ。少しだけ、残念。
カーテンを開けたままベッドに戻り、夜空を見上げながらまたシーツに身をゆだねる。
あんまり夜更かしもしていられない。疲れも溜まっているので、無理矢理でも早く身体を休ませよう。
頭ではそう考えていても、胸の奥のこの得体のしれない興奮が、落とそうとする目蓋を持ち上げてくる。
脳裏によぎっているのは、彼の姿。
優しくて、強い心を持った、でもちょっと危うい彼の姿。
自分が彼に告げた言葉を思い出す。
『私達をヤミナベ・ユウヅキの元へ連れてって欲しい』
何で私は、あんなことを言ってしまったのだろう?
彼なら私をユウヅキの元へ連れて行ってくれる、とでも思ってしまったのか。
否定は、出来ない。実際、スカーフを届けた姿を見て、そう思ってしまったのだから。不思議とそう思える何かが彼にはあった。
でもこれは、彼にとっては何のメリットもない厄介事だ。断られて当然なのもわかる。
でも、断られてしまった後でも続く、このドキドキした気持ちは一体何なのだろうか。
ひょっとして、期待している?
もし、もしそうだとしたら……そんなのはおこがましい。とても、とても。
だけれども、どうしてもあの背中が気になる。過去を引きずっていくと言い切った、今にも押しつぶされそうなあの小さな背中が。
私も、他人のことは言えないほどずっしりと過去を、ユウヅキの面影を引きずって生きている。
けれども、私は過去に押しつぶされてはいない。それは、私を支えてくれる人やポケモンたちが居てくれたおかげだ。
彼には、そんな相手が居るのだろうか?
いや、居ないはずがない。だって、あのリオルは彼の呼びかけに、しっかりと応えていた。
じゃあ、ジュウモンジさんも言っていた、彼が自分の手持ちをねぎらうのに抵抗を覚えるのって、何故?
考えてみればみるほど、彼は一人で背負いすぎのように思える。
彼にとって、それは当たり前の日常になっているのかもしれない。
でもこんなことを続けていればいずれは……
……ああそうか、これは、このドキドキは、恐怖だ。
私は、彼のことが、ビー君のことが……怖いんだ。
だからこそ、私はビー君から逃げちゃいけない。そうだよね。
キミならそう言ってくれるよね、ユウヅキ?
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