第二章【新月霊剣】8

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 クライは自身の剣が貫いた、目の前で痙攣する黒い体に目を見張った。それに突き飛ばされ地面に突っ伏した女騎士には目もくれない。予想外の展開に一瞬混乱しそうになるが、彼の脳は必死に状況を整理していく。
 迫り来るクレアを突き刺そうと繰り出した闇の剣は、彼女の代わりに突然現れたブラッキーを突き刺していた。『控えろ』と命令を受けたはずのラックは彼女の命の危機を察知して、命令も無視して思わず飛び出したのだ。その思いは今の主を助けたかったのは勿論だがそれだけではなかった。

 クライに彼女を殺させる訳にはいかなかったのだ。

 ラックはクライにとって彼女が大切な人であると十分理解していた。だからこそどれだけいがみ合おうとも殺させてはならない、使命とも言えるそんな強い思いが彼の中にあった。
 クライの剣の刃が消え、血に濡れたブラッキーがぼとりと音を立てて地面に落ちる。クライはその様を見つめながら自分が何かとんでもない事をしてしまった気がしていた。死に際でありながら強い意志を持ったブラッキーの赤い瞳がクライの姿を捕らえる。それはまるで何かを訴えかけるようだった。その姿にクライは今が戦いの場である事も忘れ、半ば無意識にその名を呼ぶ。
「ラック……? ラックなのか……?」
 呻くように小さくブラッキーが鳴いた。その声に含まれていたのは威嚇でも恐怖でもなく、ただ自分に気づいて欲しい、そんな切実な思いだった。それはクライの記憶の中の相棒そのものだった。そんな馬鹿な事があるか、偶然にも程がある。さっき自分で否定したじゃないか。そんな過酷な奇跡が起こるはずないと。そうは思うがクライの中に湧き上がった疑惑はすぐに確信に近いものへと変わる。何の確証もなかったが、それでも彼は今目の前に倒れているブラッキーが自分のポケモンだと悟った。俺はなんという事を──絶望に膝を折り今にも消えそうな命の灯火に震える手を伸ばす。
「そんな……ラック……ラック……!」
 死ぬな、死ぬな、死ぬな──そう心で念じるもクライはそれを口にする事はできなかった。ラックはもう助からない、それは剣を振るった自分が一番よく分かっていた。剣を握った手に伝わったあの感触は確実にその心臓を打ち抜いた事を物語っていた。クライは何度も許しを乞いながら、何度も懺悔しながら、死にゆく相棒にせめてもの手向けになればと、荒い呼吸を繰り返すブラッキーの頭をそっと撫でようとした。
「触るな!」
 少女の氷柱の如く鋭い声がそれを制す。クレアは少し離れた所で体勢を立て直していた。両手で構えた三日月は光を反射しクライに向けられている。その柄は潰れそうな程力強く握り締められていた。彼女の空気を揺るがす叫びは続く。
「よくも! よくもラックを! 許さない! 殺してやる!」
 クレアの心中はラックを失った悲しみよりも、殺されたという怒りの方が強かった。ラックに突き飛ばされた彼女には、あの時何が起きたのかはっきり分かっていない。それでもラックが目の前の敵に殺された事だけは理解した。必ず仇を討つ、その思いに突き動かされ女騎士はクライに駆け寄り剣を振るう。咄嗟に立ち上がったクライもなんとかそれに応戦する。剣がぶつかりあうその動きに駆け引きなどもはや存在しない。ただひたすらにその首だけを狙って、美しい三日月の剣は舞うように空を切り裂き続けた。
 昂った感情に任せたクレアの攻撃は粗く、もはや戦う気力も失いそうなクライでもどうにか捌く事ができた。万全な彼ならすぐに決着はついただろうが、今のクライは頭の中が雑然としておりそれどころではなかった。
 ラックを殺してしまった。俺がこの手で。どうしてラックはあんな事を? どうしてラックがここに? どうして、どうして──ふとクライはある疑念に思い当たる。あのブラッキーが本当にラックだとしたら。

 セリアはどこに──────まさか。

 浮かんだ予感をクライは一度否定しようとする。でも、もしかすると。あの時感じたデジャブは。もし本当にそうだとしたら──彼は今すぐこの戦いを止めねばならなかった。沸き立つ疑惑にざわつく心は抑えきれず、クライは直視してしまう。今にも自分の首を刈ろうと迫り来る月の女神を。
 彼女がその絶好のチャンスを逃すはずがない。少女はしっかりと少年兵の目を見つめると即座にその動きを念力で封じる。しかしその必要はなかった。なぜなら鬼気迫る女騎士の正体に気づいてしまった彼は動く余地もなかったのだ。髪の色も目の色も彼の見知ったものとはかけ離れていたが、それでも彼にははっきりと分かってしまった。信じられないものを見た顔で固まるクライに向かって彼女は地面を強く蹴り、きらりと光る【首刈三日月】を大きく振り上げた。



「────────セリア────────」



 クライの声が彼女の耳に届くより早く、少女の手はその剣を振り下ろした。

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