ポケモンがトレーナーさんに約束してもらいたい10のこと

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作者:けもにゃん
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 第一戒
 貴方達の生涯はだいたい八〇年から一〇〇年です。貴方と別れるのは何よりも辛いのです。私と暮らし始める前に、どうか別れのことを考えておいてください。

 第二戒
 貴方が私に望むことを理解するまでには、少し時間が掛かります。

 第三戒
 私にとって一番大事なことは、貴方から信頼してもらえることです。

 第四戒
 私のことを長い時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないでください。貴方には貴方の仕事や楽しみもあり、友達だっているでしょう。でも、私にとっては貴方が全てなのです。

 第五戒
 私にちゃんと話しかけてください。貴方に私の話している言葉の意味は分からなくても、話しかけてくれる貴方の声はよく分かるのです。

 第六戒
 貴方が私とどう過ごしてくれたのか、それを私は絶対に忘れません。

 第七戒
 私を叩いたりする前に、私は貴方を噛んだりしていないことを思い出してください。私の牙は貴方を噛み砕くことぐらい造作もないことです。

 第八戒
 私が言う事を聞かないと怒る前に、なにか原因があるのではないかと考えてみてください。食事はちゃんとしているか、かんかん照りの日向に置き去りにしてないか、歳を取って貴方の体が弱ってきていないか、と。

 第九戒
 貴方が年を取ったら、どうか無理をしないでください。貴方達は皆、年老いたら同じようにそうなるのですから。

 第十戒
 貴方が旅立つその時を安らかに迎えられるように、どうか最期まで一緒にいさせてください。「君を悲しい目にあわせたくない」なんて言わないで、私を独りぼっちで逝かせたりしないでほしいのです。だって、私は貴方達が大好きなんですから。

「よし……。こんな所だろう」

 羽の先に付いた爪で一枚の岩壁にそう彫り込んだ。
 現世から切り離された、歪な世界の住人は今一度自らの彫り込んだ文字を見つめ、納得したように二度頷いた。
 そこは世界の残滓。
 現世を形成した際に生まれた余りで作られた継ぎ接ぎの世界、破れた世界。
 その世界に住むただ一つの命を除いてその世界には何者も存在しない。
 創造主たる主神に悪逆非道の行為を咎められ、世界の外側へと放逐された存在。
 だがその理由は何も、ただの悪逆の果てではなかった。
 これは放逐されし次元の監視者が、その十戒を石碑として刻み込むに至った、総ての始まりの物語。


『ポケモンがトレーナーさんに約束してもらいたい十のこと』


 創造主から産み落とされた叛骨は初めに、己の思うままに生きた。
 誰に命令されるわけでもなく、誰に与するでもなく、己が心に、智慧を欲するがままに世界を流れ、悠久たる刻を影と共に生きた。
 そんなある日、まだ人とポケモンの境が曖昧だった時代に、ある人間が影の中に溶ける叛骨の存在に気が付いたのだ。

「あら? 影の中にもポケモンがいるのね。貴方はなんて名前なの?」

 少女はそう言って岩陰からこちらを見つめる紅い瞳に臆することなく話しかけた。
 だが紅い瞳はただ一つ瞬きをしただけで特に答える様子はない。

「ゲンガーさんかしら? それとも他のポケモンさん?」
「私の事か?」

 ポケモンの名を呼んでいる事に気が付いたからか、紅い瞳は少しだけ目を見開いて言葉を返す。

「そうそう! 貴方はなんてポケモンさんなの?」

 言葉を返してくれたことで少女は続けるようにして嬉しそうに微笑みながら訊ね直した。

「私はギラティナだ。お前はニンゲン、で合っているか?」

 ギラティナの返答を聞いて少女は嬉しそうに微笑みながら、ええ。と言葉を返した。
 それまでギラティナは世界中を影の中からただ観察し続けていただけだった。
 世界を形成す存在である神と呼ばれる存在は、安易にその姿を曝け出してはならないと主神に教えられていたため、現世の者と言葉を交わしたのはそれが初めての事だった。
 永き刻をただ見続けたギラティナは、人間という存在も、それまでの営みも智慧としては知っていたが、主神も含め誰かにそれについて詳しく聞いた事はない。
 ギラティナにとって世界が綻ばぬようにするのが使命であり、世界を知るのはただの好奇心でしかなかったからだ。
 自らの知的好奇心を満たすためだけに世界そのものの調和を保ち続けている主神に、ただ世界を繋ぎ合わせているだけの存在が聞くのも烏滸がましい。
 故に自らの問いを投げかける相手はただの一人も居なかった。

「ギラティナさん? 初めて聞くポケモンですね」

 少女はそう言い、不思議そうに首を傾げて赤い瞳を覗き込む。
 この世界を繋ぎ合わせている存在を少女が知らないのも無理はない。
 アルセウスの名はその世界の創造神として誰しもがその名を知っていたが、それ以外の神は一部を除いて姿形はおろか、名前すらも知られていない。
 世界そのものに干渉する力を持つ神々があまり俗世に干渉するのは好ましくない、と創造神が判断しての事だ。
 そのアルセウス自身も世界に干渉することは殆ど無く、ただ護り神として祭事の時に姿を見せるのみだ。
 世界を回すのはその世界に生きる者達の務め。
 それが創造神の考えだったが故、他の神々も救いを求められたとしても殆ど干渉することはなかった。

「当然だ。何とも言葉を交わした事が無い」
「あら? てことは私がギラティナさんの初めてのお友達ですね! ギラティナさんのお名前は?」
「オナマエ? オナマエとはなんだ?」

 名前という単語はギラティナにとって馴染みの無い代物だった。
 この世に生きる者ならば、誰もが与えられるものだが、世界に唯一存在し、俗世と切り離された存在である神々に呼び名を付ける必要などない。
 故に初めての会話で知らない事を聞いたギラティナは、一瞬にしてその少女に興味を持ってしまった。

「ギラティナさんの名前ですよ。私はチトセです」
「チトセ? ニンゲンではないのか?」
「人間ですよ。私は人間で、名前はチトセです。ギラティナさんもギラティナというのがお名前ではないでしょう?」

 それはただ遠くから見つめているだけでは得られない智識だった。

「そうだな。私はギラティナだ。ナマエというものは存在しない」

 それを聞いて少女はようやく驚いた表情を見せ、同時に目をキラキラと輝かせた。

「名前が無い! ということはもしかしてアルセウス様のような存在なのですか!?」
「主とは違う。私はただ主から生み出された存在だ」

 ここぞとばかりに少女はギラティナに話し掛けた。
 神々と言葉を交わせるのは神成の巫女にのみ許される行為だ。
 近くに誰も居ないのをいい事に、チトセは絶対に聞く事の出来ない様々な質問を次々に投げかけたのだ。
 形は違えど、チトセとギラティナは似た者同士だったのだろう。
 チトセは限られた人間しか知らない神という存在や、それらがどのような事を考え、どのような生活をしているのかを純粋に知りたかった。
 同じくギラティナも誰かと交流したことが初めてだったこともあり、もっと直接的な会話でないと知り得ない情報を知りたいと感じてしまったのだ。
 好奇心はチョロネコをも殺すとはよく言ったものかも知れない。
 その日からギラティナはチトセと共に行動するようになった。
 といっても姿はただの一度も曝さず、チトセの影の中から、街々の軒下の影からひっそりと人々の暮らしというものを観察するようになった。
 人間とは集落を形成し、ポケモン達と共に生きる生物。
 それがギラティナの知り得る人間の智識だった。
 事実ただ次元同士を繋ぎ合わせるだけならば、人間そのものに対する智識というのはその程度で十分すぎるほどだっただろう。
 ポケモン達に対する智識も同じで、種がどのように生き、繁殖し、どのようにして種を繋ぎ合わせてゆくのかを智識として知るのみだ。
 だからこそそれからの日々はギラティナにとって恐ろしい程の情報を提供し続ける日々となったことだろう。
 街に生きる人々の多さ、彼等が普段している生活における行動の全て、ポケモンと人間との関係性……その全てがおおまかに知り得ていた智識からすればあまりにも逸脱しすぎていた。

「チトセ。あれはなんという道具だ?」
「あれは荷車です。沢山の荷物を運ぶ時に、バッフロンさんやバンバドロさんのような力の強いポケモンに引いてもらって、動かします」
「荷車、荷車……。前に聞いた水車とよく似た物が二つと、橋のような物で出来ているのだな」
「水車や橋もそうですが、荷車も基本的には木を加工した木材を使って作られているんですよ」
「あれも木材か! 人間ほど一つの物を様々な物に利用しているポケモンもそうそういないだろう」
「人間はポケモンとは違いますよ。別の生き物です」

 一つ知る度にギラティナは影の中からそう言って目を大きく見開いてみせ、チトセはそれを見て嬉しそうに笑ってみせる。
 チトセもその得体の知れない存在との交流がとても楽しかった。
 あらゆる事物に興味を示し、童子のように目を輝かせて語る様が愛おしくて仕方が無かったのだ。
 チトセの知らぬ事はチトセが詳しい者に聞いてそれを伝え、そうやってチトセの住む街でギラティナの知らぬ物が無くなった頃、チトセは一人の男に恋をした。
 別段目立つ点の無い、ナルユキという百姓の男と恋仲になり、程なくして二人は婚姻を結んだ。
 皆に祝福され、夫婦となった後も二人は幸せそのものであり、同時にナルユキもギラティナの存在を知ることとなったが、そこは似た者夫婦。特に気に掛けるような事もなく、人懐っこいヨーテリーぐらいにしか思っていなかったのだろう。

「チトセ。夫婦とはなんだ?」
「何……と聞かれても難しいですね……。私にとってのナルユキさんはとても大切な存在ですし、その方と宿を一つ処にする間柄の二人を指す言葉……でしょうか?」
「チトセは夫婦にあまり詳しくないのにその夫婦というものになったのか?」
「そうですね。あんまり詳しくはないです。ですが……きっとナルユキさんとならば仲睦まじい夫婦になれると思えたからこそ夫婦になったんです」
「どういうことだ? 何故詳しくない事を確信できる。言葉の意味が矛盾している」
「夫婦というものはなってみなければ良いかどうかは分かりません。だとしても私はナルユキさんを愛していますから」
「話にならん。詳しい者に聞いてくれ」

 チトセの的を得ない答えにギラティナは目を細め、不満を口にした。
 智識を得たいギラティナにとって、不確かな智識は求めるものではなかった。
 そうして詳しい者に聞くまで頬でも膨らましていそうな言葉を口にするのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。
 皆にとっての『夫婦』というものの捉え方が一定ではなかったからだ。
 ある者は識者として言語が指す夫婦の意味を教え、ある者はかくあるべき夫婦の理想像を語り、ある者は嫁に尻に敷かれる様を自虐を交えてけたけたと語った。

「ええい! 何故皆の言葉に一貫性がない! ただの雄雌のひと揃いならば番でも同じだ! 何故たったそれだけのものに誰も答えを出せんのだ!」
「そういうものですよ。人間が私一人でないように、人の数だけ答えがある。そういうものもあるんです」
「うーむ……そういうものか……。智識には曖昧なものも存在するのか……」

 あまり納得していない様子だったが、ギラティナはチトセの言葉を聞いて渋々理解したようだ。
 ギラティナはチトセと出会ってからというもの、毎日のように新しい智識が手に入っていたことで少々浮かれていたのだろう。
 少しばかり固くなっていた頭を冷やし、そういうものとして曖昧な智識というものを得ていった。
 そんなある日、チトセはナルユキとの間に子を授かった。

「ふむ、人間は腹の中に子を収めるのか」
「ポケモンのようにすぐに卵に収めて育てる。とはいきませんね」

 優しく自らの身重になった腹を撫でながら、チトセは嬉しそうに微笑みながら口にする。

「何故チトセは最近家にばかりいる。ナルユキは逆に声を掛けても後にしてくれとしか言わん。もっと色々と教えてくれ」
「今はこんな状態なので……すみません」

 それから数日と経たぬある日、ギラティナはそう不満そうに口にした。
 身重となってからはチトセはあまり出歩かず、代わりにナルユキが人一倍働いてみせたが、理屈の分からぬギラティナからすれば、単に動き回らなくなっただけにしか感じられず、不満を漏らした。

「ナルユキもナルユキだ。何故急にチトセを甘やかしだした!」
「何故……と言われてもなぁ……。赤ん坊にもチトセにも無理をさせたくない。だから俺がその分頑張りゃええだけのことよ」
「さっさと卵にしてしまえばいいというのに……ポケモンではないというのはこれほどまで不便とは……」

 ナルユキ達に不満を漏らしながらも、二人の元をギラティナが離れることはなかった。
 今までが逆に何もなかったほどだからこそ、十月ばかり待ってもらえれば。という二人の言葉を聞いていたギラティナからすればそんな一瞬にもほど近い時間を待つのは造作もないことだった。
 そうして遂にチトセとナルユキの間に男の子が生まれた。
 乳母に取り上げられた赤子は元気に泣き、また一つ二人の人生を豊かにしてくれた。

「名前はナルユキさんからもらいましょう。ユキヒト、というのはどうですか?」
「俺もいい名だと思う。きっと俺のように逞しく育ってくれるさ!」

 二人から笑顔で迎えられた赤子はユキヒトと名付けられ、大層大事にされた。
 ナルユキはユキヒトが生まれてからもより一層働き、二人を支え続けた。

「チトセ。ユキヒトという名前を呼ぶ時、何故そんなに嬉しそうな顔をするのだ?」
「当然ですよ。ナルユキさんとの子供なんです。ただ元気でいてくれるだけで嬉しいんです」
「そういうものなのか……」
「そういうものです」

 不思議そうな声でギラティナは何度か頷き、幸せそうにユキヒトの頭を撫でるチトセの姿を見つめていた。

「チトセ。私も名前が欲しい」
「ギラティナさんの名前を……? 私が決めていいんですか?」
「ああ、チトセが名前を呼ぶ人間は皆、嬉しそうだ。その幸せというものを私も知りたい」

 ギラティナの言葉にチトセは一瞬戸惑った。
 ユキヒトの名前をナルユキと共に決めた時もそうだったが、身篭ったと分かった時点で真剣に悩んだものだ。
 名は親の願いそのもの。
 子に与える、親からの最初の祝福だろう。
 チトセの名の由来も親から聞いていた。
 歳を重ね、健康で長生きできるようにとチトセという名を貰い、ナルユキも幸せを成せるようようにと良き名を授かった。
 ユキヒトにも愛するナルユキの名を一文字貰い、幸せになれるようにと悩み抜いた末に絞った名前の内の一つだった。
 我が子一人の名ですら苦心したばかりであるため、名を与えるという事の重大さをひしひしと感じている時にそんな事を切り出された事もあり、また真剣に悩んでしまったのだ。

「名前とはそんなに大変なものなのか?」
「ごめんなさい。ギラティナさんも小さい頃からずっと一緒に居たので……私にとっては既に家族同然です。そんな大切な方に粗雑な名前を与えたくないので……。三日頂けませんか?」
「分かった。三日待とう」

 そう言ってチトセは三日、ナルユキと共にうんうん唸りながらギラティナの名を考えた。

「影の中からいつも色んな智識に興味を持つ、ちょっと不思議なお友達でしたので……悩みましたが、カゲトモという名にしたいと思います。如何ですか?」
「カゲトモ! それが私の名だな? ならば私は今日からカゲトモだ!」

 三日悩み抜いた末に与えた『カゲトモ』という名をギラティナは大層気に入ったようだ。
 影の中に浮かぶ瞳が弧を描き、跳ねるように左右に揺れていた。
 悩み抜いた甲斐もあってか、チトセとナルユキの二人はとても嬉しそうにしていた。
 ユキヒトが生まれてからというもの、カゲトモにも新たな智識を得る機会が訪れた。
 夜泣きに苦しみ、乳を飲む姿に頬を緩め、安らかな寝顔を見て共に影の中で眠る……。
 幼子の成長は早く、あっという間に乳離れし、粥を食べるようになったかと思えば二足で立ち、歩くようになった。
 カゲトモはその姿を最初は進化と考えていたが、人間には進化はなく、これは成長だとチトセに訂正され、人間とポケモンとの違いを少しずつ理解し始めていたようだ。
 そんなユキヒトもすぐに言葉を覚え、子供達で遊び回るようになった。
 その頃にはカゲトモもユキヒトについてまわるようになり、更に子供しか知らぬ智識を集めてゆく。
 友人達と遊び回り、ポケモンと追いかけっこをし、疲れれば家に帰って飯を食ってよく寝る。
 そしてユキヒトから他の子供やポケモン達へとカゲトモの事が伝わり、カゲトモが何にでも興味を示す事から子供達はこぞって色んな事を覚えてカゲトモに話して聞かせた。
 それは正に幸福の一時だっただろう。

「ユキヒト。森へ遊びに行かんのか?」

 ある日を境に遊びに出掛けなくなたユキヒトへ、カゲトモはそう声を掛けた。

「流石にもう行かないよ。僕ももうそんな歳じゃない。父さんの仕事を手伝わないと」

 そう言われてカゲトモは漸くユキヒトが肩に掛けているのがお気に入りの棒ではなく、ナルユキがいつも持ち歩いていた鍬だと気が付いた。
 ついこの間まで森を皆で走り回っていたはずだと思っていたため、カゲトモにはその理由がよく分からなかった。

「何故だ? 子の仕事は遊ぶ事だと二人も言っていただろう」
「それはあくまで子供が、だよ。僕ももう力仕事が出来る歳だ。もう子供じゃない」
「どういう意味だ? ユキヒトはナルユキとチトセの子供だろう」
「うん。二人は僕の両親だよ。そして僕はその子供。だけどそれはあくまで僕と父さん母さんの間だけの話さ」

 そう言うと影の中の瞳はホーホーの目のように丸くしたまま傾いてゆく。

「どういうことだ? 他の人間から見てもユキヒトは二人の子供だろう。何が違うのだ?」
「世間はもう僕を子供のままにしておいてはくれないよ。それに父さんと母さんと、兄弟の分も少しでも楽させてあげたいからね」
「世間とはなんだ? 何故それがユキヒトを子供ではなくしてしまうのだ?」

 次から次へと疑問が浮かぶ。
 それもそうだ。
 今までカゲトモは様々な物や人物についてはよく聞いていたが、名付けの意味や愛や夫婦、そういった曖昧なものはあまり聞かなかった。
 否、聞く機会がなかった。
 ユキヒトが大きくなるまでの間にも、チトセとナルユキの間には三人の子供に恵まれた。
 弟が二人と妹が一人。歳の差は多少あるものの、仲のいい兄妹だ。
 無事に皆成長し、既にユキヒトと次男のユキノブは既に大きくなり、父の仕事を教えてもらい、十分にこなせるようになっていた。
 三男のナルヒサはまだ遊びたい盛りのため、家事手伝いを嫌がっているが、きちんと仕事は覚えようという気概はある。
 長女のノブヨはまだ物心が付いたばかりであり、初の娘ということもあってか、可愛い盛りで少々甘やかし気味になってしまっている。
 ユキヒトにばかり目を向けていたがために、他の変化に疎くなっていたカゲトモだったが、それもあって逆にユキヒトからそういった概念に近い智識を得られたのだ。
 人の世界には社会や世間というものがあり、人はその決まり事に従って生き、交流しているのだと知り、カゲトモはそこで漸く目に見えぬものにも名があり、それに対する智識も必要なのだと知った。
 チトセ達の住む街にはもうカゲトモの欲する智識は無いとばかり考えていたが、目に見えぬものがあると知り、ユキヒトを通して更に智識を得ようと邁進しだした。

「父さん、母さん。達者で」
「ああ。落ち着いたら文をくれ」
「元気でいてくれたら十分だよ。達者でね」

 それは何もカゲトモだけではない。
 弟達も大きくなり、ユキヒトが畑仕事を手伝わずともよくなった頃、ユキヒトは一人旅に出た。
 路銀を幾らかと水筒と長持ちする食料を少し持ち、別の村や街を探して旅に出る。
 ユキヒトが大きく動いた事でカゲトモは更なる智識が得られると喜んでついていった。
 元々世界を視ているカゲトモにとって、チトセの元へ戻るなどいつでも出来ることだったからだ。
 旅行く先でユキヒトは同じく旅をする人間に出会って会話をし、カゲトモを紹介したが、街でこそ有名なカゲトモも場所を変えればただの悪鬼妖。
 更にギラティナという聞き慣れぬ名を聞けば誰もが怪訝な表情を浮かべ、その表情を浮かべる理由を影の中から訊ねるものだから、更に驚かせた事も少なくはない。
 交流は何も人間同士だけではない。
 飯の匂いにつられてやって来たポケモンと交流したり、時には気が合ったポケモンと打ち解け、旅の仲間が増えたりと、目的の無い旅ではあったが苦はなかった。

「おお、そうか。お前はそいつが気に入ったか。なら達者でな!」
「チチッ!」

 旅に加わったコラッタが気に入った雌を見つけ、ユキヒトとコラッタは笑顔で手を振り合い、別れた。

「折角仲間になったというのに……。ユキヒトはそれでいいのか?」

 コラッタ達が草むらの中へと消えてゆき、また歩き出した時にカゲトモはユキヒトにそう訊ねた。

「いいさ。確かに寂しいがあいつにはあいつの生涯がある。俺も早く嫁を見つけんとなぁ……」

 そう答えてユキヒトは眉を顰めて笑ったが、カゲトモはどうにも納得がいっていない様子だった。

「寂しいのなら引き止めればいい。あのコラッタも連れてゆけばよかろう」
「そうじゃないよ。あいつがここで生きると決めたんだ。だったら俺はあいつ達の幸せを願って見送るだけさ。カゲトモには難しいかもしれないけど、幸せってのはそういうものなんだよ」
「幸せ……」

 ユキヒトの言葉を聞き、カゲトモは納得したのかしてないのか分からないが、その言葉を口の中で転がしていた。

「ユキヒト。幸せとは何だ?」
「幸せ? そりゃあ人それぞれだろう」
「分かっている。幸せとはそういう曖昧な物だと。だから知りたい。ユキヒト。君にとっての幸せとは何だ?」

 それは今までのカゲトモからは決して飛び出さなかった問いだろう。
 今までカゲトモは決まった智識を追い求め続け、そしてチトセ達と出会って飲み込みきれぬまま曖昧な智識を覚えていた。
 曖昧な物をはっきりさせようと今まで多くの人々に似た質問をし、禅問答でもするかのように多くの人を悩ませてきたが故に、ユキヒトもその質問には思わず目を丸くした程だ。

「美味い飯が食えて、綺麗な嫁さんがいて、今日も何処かに俺の無事を願ってくれている人が居る。そういうことじゃないかな?」
「なら今は幸せではないのか?」
「例えだよ。今も楽しい影とお喋りしながら旅をしてる。これだけでも充分幸せさ」

 そう言って不思議そうに傾げるカゲトモにユキヒトはにっかりと笑ってみせた。

「今も幸せなら、何故さっき嫁が居ることを条件に挙げたのだ?」
「そりゃあ欲しいだろう? 要は幸せってのは現状に満足してるかってことと、自分の望む範囲で叶えられる小さな願いみたいなもんだと俺は思うよ」

 考えれば考えるほど、聞けば聞くほど、『幸せ』という物が蒙昧になっていゆくように感じられる。
 そうして旅する内、次第にカゲトモは口数を減らしていった。
 それは決して悪い意味ではなく、安易に訊ねなくなっていったのだ。
 これまでに得た智識を元に、カゲトモは自らの幸せというものを考えるようになった。
 チトセの幸せとは愛する者と共に暮らし、その子が無事でいてくれること。
 カゲトモはこれをユキヒトに合っているか訊ねたが、多分そうだろうと答えた。
 当然だ。
 ユキヒトには母であるチトセの考えなど分かりようがない。
 だが、ユキヒトも似た事を口にした。
 ユキヒトからチトセの考えは分からない。
 しかし、ユキヒトは今もチトセが自らの無事を願ってくれていることを確信しており、早く文を出したいとぼやくほどであるため、まず間違いないだろう。
 ならばその確信は何処から来るのか?
 カゲトモの疑問はその一点に集約し、問いとして投げかけた。

「そりゃあ信頼だよ。母さんが俺を信頼して送り出してくれたように、俺も母さんの事を信頼してる。目には見えないかもしれないけど、そんな糸のような物で繋がってると感じられるのがきっと信頼なんだと思う」
「思う……か。答えではないな」
「答えだよ。今の俺が出す、今の俺の答えだ」

 人間を追いかけて始まったこの智識の探求は、カゲトモが想像していたよりもずっと深いものになっているのを感じ取っていた。
 智識を得る度にカゲトモはだんだんと口数が減り、思想に耽る時間が増えてゆく。
 答えとは流動的なものであり、一つのものではない。

「ありがとうユキヒト。私も旅に出てみようと思う」
「ほぉ! 意外だなぁ。お前さんも家族が欲しくなったのか?」

 漸く手繰り寄せた答えを口にした頃には、既にユキヒトも家庭を持っていた。
 嫁を迎え、別の村で父と同じように鍬を手にする。
 その姿こそ同じだが、その二人の言う、『幸せ』の意味は違うのだと、カゲトモは漸く理解できたのだ。

「達者でな! カゲトモの嫁さんも見つかるといいな!」
「達者で……か。そうだな。達者でな」

 何故別れる相手に対して、そんな言葉を送るのか、カゲトモは自らがその言葉を投げかけられるまで理解できなかった。
 ユキヒトの言った通り、いずれまた会いに来るとしても、その間の事は分からない。
 寂しいという思いもあれど、自らを暖かく送り出してくれるユキヒトの優しさが分かるからこそ、自分も必ず帰ってくるのだとユキヒトに誓う為に、言葉にするのだろうと感じた。
 世界の裏側を泳ぎ、まず向かったのはコラッタと別れた草原だった。
 草場の影から周囲を見渡したが、それらしき姿は見当たらない。
 何処にもあのコラッタ達の姿が見つからず、暫く探し回ったがとうとう見つからなかったため、そのままチトセの元へと向かった。
 街の様子は相も変わらず、ユキヒトと旅立った頃のままだ。
 そのまま影から影へ移動して街の様子を覗きながら、チトセとナルユキの住む家の軒下までやってきた。


 だがそこに二人の姿はなかった。


 屋内も畑も探すが、服を縫うチトセの姿も、畑を耕すナルユキの姿も何処にも見当たらない。
 同じように働く人間の姿はあれど、それは二人に似ていても確かに別人だ。

「あれ? あんたもしかして爺さんが言ってたカゲトモとかいう喋る影か?」
「お前は誰だ? 何故私の名を知っている」
「おー。やっぱりカゲトモか。俺は爺さんから話で聞いただけだからよくは知らんけど、爺さんに会ってやってくれ。きっと喜ぶぞ」

 知らぬ人間からカゲトモの名で呼ばれ、思わず眉を顰めたが、その男は一度農作業の手を止めてカゲトモの名を知る人物の元へと案内した。

「爺さん! ナルヒサ爺さん! カゲトモが戻ってきたぞ!」

 縁側で煙管を蒸していた老人が、その名を聞くと驚いた様子で振り返った。

「カゲトモ!? 無事にしとったか……」
「お前は誰だ?」
「ナルヒサじゃよ。三男坊の」
「ナルヒサ? 違う。ナルヒサはそんな顔ではない」

 嬉しそうに話しかけたナルヒサに対し、訝しむ瞳でカゲトモは答えた。
 それを聞いてナルヒサは一瞬呆気に取られた後、渋い表情になり、一呼吸置いてから話し始めた。

「カゲトモ。お前は昔からそこらのポケモンとは違うとは思っとったが……どうにも儂ら人間とは生きる長さが随分と違うようだな」
「生きる長さ? 何を言っている?」
「その様子じゃと、寿命もよく分かっとらんようじゃな……」

 煙管をもう一度蒸してから吸殻を捨て、ゆっくりと立ち上がった。

「親父とお袋に……いやあこう言っても分からんか。ナルユキとチトセに会いに戻ってきたんじゃろ? ついてこい」

 曲がった腰を少し伸ばしながらナルヒサはそう影の中から睨む瞳に言い放ち、縁側から街道を通り、近くの寺へと足を運んだ。
 カゲトモも最初はナルヒサを名乗る見知らぬ老人を警戒していたが、チトセとナルユキの名を出されたことで多少は信頼したらしく、大人しくナルヒサの影から周囲を見ていた。
 着いたのは墓地。

「ここじゃ。チトセとナルユキはここに眠っとる。ノブ兄ぃ……ユキノブもここじゃ」
「……?人間が岩の下に眠るはずがないだろう。私をからかっているのか?」

 墓を見てもカゲトモは理解できなかった。
 幸か不幸か、運に恵まれたナルユキとチトセの夫婦は天寿を全うし、長男は移り住んだ地で、次男は嫁を連れて戻ってきて、同じ墓に眠った。
 既にナルヒサの妻も天寿を全うし、ノブヨも既に嫁いでいたため、カゲトモを覚えていた唯一の生き残りはナルヒサただ一人だった。
 ナルユキとチトセに会いに来たのならば遅すぎたかもしれないが、その事実を知るにはギリギリ間に合ったとも言える。

「人間六〇年も生きれば長生きした方じゃ。儂ももう歳が近い。お前さんにとっちゃあっという間だったのかもしれんが、人間には……ちぃとばかり長すぎる時間じゃ」

 決定的とも言える差を、カゲトモは理解していなかった。
 全ての生き物には寿命という終わりがある。
 しかし次元を繋ぎ止める役割を担う神に、そのようなものはない。
 この"当然"に対する理解の差が埋まったのは、奇しくもいつでも戻って来れると思っていた場所に、帰りを待つ人がもう居なかった事でだった。

「……嘘だ」
「カゲトモ。その気持ちは儂も痛いほど分かる。親父が死んだ時、わんわん泣いた。子供に戻ったように泣いた。お袋が死んだ時も泣いた。もう覚悟も出来てたはずなのにな。そしてノブ兄ぃとチヨさんを看取って、ウメを看取って……儂が最後まで残った」
「嘘だ」
「儂ももう悔いはない。カゲトモ。お袋からの遺言を伝えておく。『ごめんなさい。先にアルセウス様の元へ帰る。達者でね』そう言っていた」

 虚空へと吐き出され続ける幾つもの現実を受け入れまいとする言葉が宙に消え、ナルヒサの言葉を聞いて我に帰った。

「折角戻ってきたんじゃ。ついでに儂を看取っていけ。どうせもう幾許とない命だ。寿命と死という物を儂を通して学んでいけ」
「違う……こんな……こんなことの為に……!」
「なんじゃ? 長く生きとるくせに老いぼれの最後を看取るのは嫌か?」

 切欠はただの好奇心だった。
 自らの智識欲を満たすため、チトセという人間を通して、幾つもの智識を得た。
 ユキヒトを通して曖昧な言葉に込められた想いを知り、自らの心で考えるようになり……。
 瞬きをするほどの時間で、ナルヒサもその生涯を享受した。
 目の前で一つの命が燃え尽き、肉体から離れてゆく様をまざまざと見せつけられ、初めてカゲトモは己の行動を悔いた。
 世界の裏側をどこまでも深く深く潜り、内側から抉り切り刻むような痛みを、様々な智識を得てきた紅い瞳が人と同じ物を流す苦しみを味わい、慟哭と共に初めて、表側の世界へと引き裂き現れた。

 それは後に大厄災と呼ばれる天変地異として歴史に刻まれた。
 紅い瞳から赤い痛みを流し、主神へと叛旗を翻したのだ。

「何故だ!? 何故貴方は死などという物を生み出したのだ!?」

 慟哭と共に広がる影よりも冥き翼は空を引き裂き、陽光よりも眩しい黄金色の脚は大地を穿ち、その持てる全ての力を以て、主神へ哀しみを撃ち放った。

「空間にも時間にも限りがある! 食って食われ、そうして命を巡らせ奪い合う世界で生きる者達に必要なのは自らの力で生きてゆくための術だ! 己の意思で決め、知恵を蓄え、心に従って生きてゆくからこそ、生物が生物足る存在となれるのだ! それを何故お前は自らも同じ存在になろうとした!!」

 主神の咆哮が裂かれた空を結び直し、閃光が穿たれた大地を繋ぎ合わせる。

「なら何故私に心を与えた!? 何故全知を与えなかった!? 何故世界を視る私を止めてくれなかった!!」

 二神の衝突は世界を巻き込む程の衝撃となり、多くの命を危ぶませた。

「世界を監視し、時に手を差し伸べるには、生きる者達の心を! 智識を! その意思を自ら理解する必要があったからだ!! 例えお前がどれほど苦しもうと、それが世界を破壊していい理由になど……我とこの世界を創るお前達の使命を放棄していい理由になどならない!!」

 誰もが世界の終わりを予感したその戦いは、その殆どが彼等の記憶から消え去り、そして永劫に続くとも思えた戦いは次の刻には終わりを迎えた。
 次元を行き来するその力を以て今一度裏側へと押し戻され、そして主神は今一度世界の理を書き換えたのだ。

『神が神たる存在のまま、世界に干渉してはならない』

 これは主神にとっても苦渋の決断だっただろう。
 世界は神という救いを失う。
 しかし神と謂えど過ちは冒す。
 叛骨の神が現に世界を巻き込んだ悲哀の暴虐の果てに放逐されたように、主神自らも過ちを起こさないとは言い切れない。

「……なればこそ、世界に必要なのは奇跡なのではなく、己が力で世界を変えてゆく為の術だろう」

 こうして世界は在り方を変え、人間とポケモンは完全に別の存在へと切り離された。
 使役する者達と、その下で力を付け繁栄する者達。
 世界を大きく二分することで世界の行く末を見守る事にしたのだ。
 そして放逐された叛骨の神は、自らの爪で引き裂き、繋ぎ留めた際の世界の繋ぎ目から、静かに世界を見つめ続けた。
 悲しみが癒えるまでの時間潰しのつもりだった。
 だが、悲しみを知ったからこそ叛骨の神は冷静に世界を見つめることができるようになったのは、皮肉だったことだろう。
 既に向こうの世界へ影を介しても瞳すら映り込むことはなく、ただ影を通じて世界を、そしてその世界に生きる生き物達の営みを静かに見つめ続けた。
 しかしそこで得た智識と経験は決して無駄にはならなかった。
 悲しみを知ったからこそ、人間が、ポケモンが必死に生きる理由を理解することができ、干渉できなくなったからこそ多くの命の『幸せ』の価値の差を知ることができた。
 それに気付けた叛骨は今、叶うことならば、自らの口でチトセと、その家族に感謝と謝罪を伝えたかった。
 せめて死ぬ前に、もう一度顔を見せてやりたかった。
 あの時別れたコラッタ達の行方を追うのを途中で止めた事を謝りたかった。
 だが、その考えすらも今となっては叶うこともない。
 だからこそ二度と同じ間違いを繰り返さないために、静かにその歴史を自らの瞳に刻み続けた。
 天災により多くの命が失われ、多くの悲しみが世界を包もうとも、人とポケモンは互いに手を取り合い、もう一度立ち上がる。
 時には奪い合うこともある。
 ポケモンも、人間も、生きるためにその命を刈り取り、そして大切に扱った。
 また時には人とポケモンが世界を巻き込む程の災禍を自ら巻き起こした。
 人とそれに忠誠を誓ったポケモン達とが互いの命を奪い合い、多くの憎しみと怒りをぶつけ合う、血と怨嗟の世紀。
 しかしそれほどの事があっても、彼等はいずれ手を取り合い、悲しみを乗り越えてもう一度笑い合うのだ。
 そこでやっと叛骨は主神の言葉の意味を理解できた。
 死とは悲しみによる終わりではない。
 別れとは寂しさだけではない。
 人と世界すらも隔絶した今だからこそ、皆が己の意思で生き、時に争い、そして分かり合う姿を見て、心の底から漸くその言葉を口にすることができた。

「……達者で暮らしてくれ。人間達よ、ポケモン達よ……」

――そうして叛骨にとっても永い永い時が流れた。
 目の前には永い刻の中で世界から剥がれ、忘れ去られた土地と、そこに今まさに刻み込まれたばかりの十戒が。
 岩壁はその瞬間に石碑となり、叛骨との関わりを意味する言葉となった。
 何故今になり、このようなものを作ったのか。
 理由は叛骨自身がよく分かっていた。
 いくら主神と謂えど、世界を維持し続けるのは難しい。
 現に、叛骨の居る裏側には本来、その石碑も含め、表側の存在は介在し得なかった。
 映るのはあくまで向こうと此方を繋ぐ影の窓ぐらいだった。
 それがいつの間にか、ちらほらと向こう側の存在がどうやってかこちらへと流れ込んできている。
 今はまだ肉体を失い、虚ろとなった存在が迷い込む程度だが、そう遠くない未来に人間やポケモンが誤ってこの世界に踏み込んでしまうかもしれない。
 そうなればこの世界を自由に動き回ることができるのはこの世界で生きる叛骨のみ。
 元の世界へ帰すにも叛骨は必ず彼等と出会わなければならない。
 そうなった時、きっと叛骨は己の想いを抑えることはできないだろう。
 叶うのならば、今一度彼等と世界を見て回りたい。
 しかし生きる彼等に叛骨が歩む刻を合わせてやることはできない。
 だからこそ彼等のための、そして自らの戒めとして十戒を記したのだ。
 例え今ならば、表の世界へ行く事になったとしても世界を危ぶませることはない。
 ただ悲しみがもう一度叛骨の心を引き裂くだけだ。
 それを分かっているからこそ、刻み終えた石碑の右隅に、少しだけ文字を書き足した。

 『影智』

 古の文字で書かれた、もう誰も知る者の居ない、友に与えられた名を。

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