傾いた世界

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 世界は、ずっと傾いている。
 陽の差す部分は限られた、斜陽だ。この世界はカクテルグラスのようなモノで、上澄みと沈殿物にパッキリと別れている。その境目は、昏くて深い。決して交わらない、まやかしのグラデーション。
 そんなことを、灰殻と共に捨てるように吐くと、当たり前のように馬鹿なことを、インテリぶってやがる、と嗤われた。
 新たな旅立ち。新品のランニングシューズに、モンスターボールと相棒。世界はそんな奴らばかりじゃない。そんな綺麗事やおとぎ話に溢れていない。それが分かるのは、俺が他ならぬ──その影の部分にいるという自覚があったからだ。
 皮肉なものだと思う。同時にやるせなくもある。そうして、薬莢の転がる、血生臭い路地を後にしていく。飛散した脳漿の匂いが、こびり付きそうだった。鼻を支配するようで、嫌気が差す。
 その時見た空は、青かった。無性に、網膜に焼き付く。やけっぱちにも見える、カラーインクをぶちまけたような青さだったのを、俺は覚えている。
 その蒼さに。辟易するような透明な上澄みに。俺は風穴を空けてやると、あの日から考えていたのだから。





 鬱蒼と茂る草むらに、野生のポケモン。そして、対峙するトレーナー。ごくごく普遍な、世界の情景。ある一点を除いては。
「も、戻って! ケロマツ!」
 初心者だろう、たどたどしさで、少年はボールを持つ。だが、手汗で滑る。瀕死状態のケロマツは、動く力すらなく。少年は、抱きかかえて走ろうとするも──鉤爪。凶悪が形を成した、それが柔い少年の肌を抉った。
「あぐっ!!」
 短い悲鳴。見るまでもない悲劇。
 野生のタチフサグマは、それはそれは本来の姿で、野生の獣であった。強かに人間を見据え、己が本能の赴くままに、破壊を嗜む。
 これは、むやみ果敢に挑んだ少年にも非がある話であり。しかしながら、この獣を放ってしまった、何処ぞのトレーナーにでも押し付けるべき責任だ。
 がくがくと震える膝小僧。足は、おぼつかなく、あくせくとする。
 捕獲用のボールを踏み潰す、質量のある足踏み。長くて凶器的な舌。それがもう一度獣を舐めずると、襲撃の合図。黒光りした爪が、若きホープ共々を狙う。
 誰か、助けて。少年には、短い走馬灯が見えた。お世話焼きなママに、シャイな博士。友達。しかし、彼らはここにはいない。在るのは、シビアな不条理のみだ。

 その時、少年を救ったのは、神ではない。むしろ、神には忌憚さえされそうな一手。鈍重な破裂音。二発。もうもうと立つ硝煙。無機質な金属が落ちる音が続く。
 黒いスーツに、派手なカラーシャツ。首元には、アーマーガアを模した銃の羽模様。褐色肌の男は、タチフサグマよりも凶悪な目で、少年を目視する。
「え、あ……」
 状況についていけない。そんな弱々しい声が少年からは洩れた。『ブロッキング』により、二発目を免れたタチフサグマが、殺意を剥き出しにした眼を、今度は男に向けている。
 少年のヒーローになってしまった男が、ゆるりと銃口を下ろす。「しゃらくせえな」と呟くと、髪を豪快に掻き上げる。
「おいボウズ、てめぇさっさと立ち上がれ! “兄弟”の射程に入ってんだよ!!」
 男の恫喝に、堪らず起き上がろうとすっ転んで、土に塗れる。それと同時だった。生命を脅かされた、白黒の獣が、烈火の怒りを咆哮に変える。『インファイト』にて、男の手首毎、鉛の脅威をへし折ろうと、そんな威圧で接近する。
 再装填。する間に、下腹に蹴りを喰らわせると、一瞬、仰け反るタチフサグマ。長いリーチが男のシャツを掠った。その隙に、地面から這い寄るように、鋭い下顎が食らいつく。
 少年は、獣と渡り合う人間のような何かを見て、目を丸くするばかりだった。
「今だぜ!」
 頷く間もなく、その“兄弟”は。ワルビアルは、薙ぎ払いの要領で、しなる『ドラゴンテール』を叩き込む。流石に、あの凶悪なタチフサグマは、息も絶え絶えに倒れ込んだ。
「は、はあ。よかっ」
 少年の言葉は続かなかった。タチフサグマの脳天を貫く、そんな銃声が響いたから。それは、一つの生命を終わらせた、撃鉄のファンファーレ。
 座り込んだリュックサックの少年は、唖然とする。
「な、なんで……? こ、ころ」
「あぁ? おいボウズ、てめぇまさか……コイツを“殺さなくても良かった”とか言ってやがるのか?」
 褐色肌に黒髪の男は、さっきのタチフサグマよりも、凶悪を滲ませた額をしていた。尖り澄ました凶器を体現していた。少年は、涙ちょちょ切れそうになりながらも、命の恩人に頷く。
 男は、呆れながらも向き合う。今にでも殴りかかれるような、だらしなさとアウトローを併せた迫力。髪にはポマードがたっぷり染み込んでおり、黒のスーツには、小洒落た金ボタン。
 少年の目には、極悪非道の悪人にしか映らない。
「なんで、おめーらパンピーの人間が、安全に一人旅出来ると思う? もっと言いやあ、街に野生のポケモンが居ないのは何でだ? ああ? 考えてみやがれ」
 男は横暴な言葉と共に、キズぐすりを少年に投げつけた。少年は、地に伸びたタチフサグマと、男を交互に見る。
「そいつは、俺ら『アルペジオ』が汚ねえ仕事を請け負ってるからに、決まってんだろうが」
 男の筋肉質な手が、首元の銃で出来たアーマーガアを覆う。銃槍が、やけに生々しい貫禄を物語る。
 ギャング組織、『コーサ・アルペジオ』を知らない人間はこの地方にいない。それは少年のように、まだ若く、世間に膝すら浸からない人間でさえも。アルペジオの構成員とこわいおじさんでは、ルナアーラとコータスほどの違いがある。
「わかったら、とっとと失せな」
 言われるまでもなく、緊張から解放された途端に少年は走り出していた。幾つかリュックサックの中身が散乱していたが、目もくれずに足を動かす。
「あー、兄貴に怒られちまう」
 男は、シリンダーを軽く回転させ、アンティークなリボルバーを懐に収める。血に飢えたようなワルビアルが群れの頭領に、続くかの如き見た目で。男の後を茹だるように着いて行った。





 『コーサ・アルペジオ』の構成員が屯する、歓楽街に隠れるように位置する、色彩のないオフィスビル。一つ階段を上れば、そこは暴力が席巻する階級社会。行き場を失くした排斥者の楽園。
 兄弟と認めるワルビアルを連れた、エディオン・ドライザーグもその一員である。エディオンは黒い扉を粗雑にこじ開けると。途端に、今までの態度を改めるように、規律を取り戻す。背中をしゃんと伸ばし、ある男の元へと急いだ。
「よう、阿呆のエディ……ふ、ひひ」
「おま……酒くせーぞ、イザーク! これから会う、兄貴に失礼だろうが!」
 だらしなく娼婦に抱えられる男。イザークはアルコール依存症一歩手前の、面倒な奴であった。阿呆と呼ばれたお返しに、冷水でもぶっ掛けてやろうと周りを見る。呑んだくれの男と何人かの女。それ以外では、生憎その手持ちのカビゴンが、樽ごと水を飲んでいた。やはり変わらぬ、爛れた楽園。
 酒気帯びの挨拶やだる絡みを、ようやく潜り抜け。辿り着いたのは、金髪の男のいるオフィス。
「遅かったじゃあねえか、エディ」
その男は、机上に腰掛け、サバイバルナイフを研いでいる。てらてらと、銀刃が光っては持ち主のグレーの瞳を映す。隣には、しなやかに緊張をもたらす、レパルダス。
「すいやせん、ギンティ兄貴。ちょいと野暮用でしてね」
 “ギンティ兄貴”と呼ばれたその男は、ゆっくりと頭をもたげ。エディオンの瞳を見る。その緩慢さが、恐怖であった。
 不気味に歪んだ口端。次には、さっきまで手元にあったサバイバルナイフが、エディオンの襟を掠めていた。ワルビアルが、あの巨体に似合わず、ひゅんっと縮こまる。
「ひでぇ! 何するんだよ!?」
「てめぇ、ウチの組で担当外の仕事をして来たな? 俺の“クイーン”が顔を顰めている」
 クイーン、と呼ばれたのは美しい毛並みの彼女。エディオン達の血と汗の匂いが、気に入らないらしい。あの野生児のワルビアルすら、彼女にはおずおずとした態度だった。呆れたように、真っ黒いブラックコーヒーを流し込む金髪。
 何よりこの金髪の男、ブラッドフォード・ギンティは。『コーサ・アルペジオ』の若頭であった。老年化が進んだアルペジオの構成員でも、とびきり若い、抜きん出た荒廃のエリート。
 特に、一番神経を使うだろう、派閥争いによるパワーバランス。そして、経済管理。それらの処理に優れたバランサーだった。彼のきっちりファイリングされたデスクには、リーグ運営会員の名刺らと血がへばりつく辞書。そこには、彼の教育と建前の使い分けが整然とあった。
 エディオンはそんな苦労の絶えない彼を、尊敬していたのだ。
「いや悪いな兄貴……でもよ、俺ァ、ガキが死ぬのは苦手でよ」
 不器用そうに、エディオンは黒髪をまた、ぼりぼりと掻きあげる。神経質なギンティは少し嫌そうに顔を逸らす。しかし、何処か憎めない弟分を蹴り飛ばす気にはならなかった。その隙が命取りだと、何度も言い浴びせてきたのは、他でもない彼だと言うのに。
「世の中には……二種類の人間がいる」
 意味深長な問い。それは、ギンティが会話を始めるいつもの合図。他の若い構成員は、それをナルシシズムだの、賢しらぶってるだの、毛嫌いする奴もいる。
 それでも、彼は若頭で兄貴なのだ。礼儀を重んじ、やや神経質だが面倒見のいい男。エディオンは、彼から敬語も、作法も、世界の見方すら教わったのだ。
「話を聞いても分からない馬鹿、これは可愛げのある馬鹿だ。で、もう一方。話を聞かない馬鹿……こりゃ救いようのない馬鹿だな」
 ギンティは、やはりサバイバルナイフを、手許で遊ばせながら語る。
「んで、てめぇはまだ前者だが……後者になったら、俺のクイーンの遊び相手にでもなりな」
 背後から忍び寄る、妖艶だが鋭利な爪。どれほどの子分達が、彼女の研ぎ道具にされたかは、計り知れない。
「うげぇ、どっちも馬鹿じゃあねえか!」
 憤る黒髪の男に、からからと笑う金髪の若頭。隣に、愛人を取られたかのように、不機嫌そうなクイーンこと、レパルダス。気づけば、低い唸り声でエディオンを威嚇する。
 エディからすれば彼はある意味、憧れでありカリスマだった。彼の吐く言葉が道標になった。彼の許容範囲が、エディオンとワルビアルの“アギト”が暴れていい指標になった。
 エディオンにとっては、こうしている時間が一番幸福であったかもしれない。酒を浴びるように呑んで潰れるより、気に入らない政治家を殴り飛ばすよりも。
 兄貴と慕う彼の言葉を聞いて、軽く殴られるのが。何だかとても安心出来たのだ。
「まあ与太話はいいんだ。お前を呼んだ訳を話そう」
「あー、すっかり忘れてたなあ」
 悪びれずに笑う褐色の男。同じ黒のライナースーツに身を包む兄貴とは、ガタイも着こなしもまるで違う。灰色のアタッシュケースを、テーブルに滑らすギンティ。
 気が緩んでいたエディオンも、自然と背筋を正していた。“仕事”の話が始まるからだ。
「『ペンは剣よりも強し』お前だって、これくらいは聞いたことあるだろう?」
「は、はあ……アレか? 文学とかが、時には剣より強いっつー、なんかよくわからん喩えですかね?」
 黒い万年筆を引き抜く。ギンティの語りは、迂遠だが無駄ではない。エディオンは、そう感じていたからこそ、これまで中身が理解出来なくとも耳を傾けてきた。それに、聞いていると、少しだけ自分が賢くなれた気がしたからだ。
「ああ、お前の解釈は珍しく当たっている。だがな、そりゃ本来の意図とは、ちと違う」
 万年筆を片手に、目の前で行ったり来たりする、金髪の若頭。教鞭を取っているようにも、彼は見えるだろう。
「ありゃ……カロスの宰相がな。署名さえすればいつでも使える発行書を手元に言ったんだ。要は、『俺はいつでもお前をどうとでも出来る』と」
 間抜けな声で納得する弟分。ギンティは、さっきのアタッシュケースを開き。中には、詰まった紙幣と偽造されたトレーナーカードが数枚。子分とその連れの医療用だろう。
「結局、ペンは剣よりも強くなんかない。暴力での恐怖政治が、一番効くんだな。それどころか」
 軽々と宙を舞う万年筆。キャップが外れてペン先が露出する頃には。
「銃の方が強いだろう」
 ギンティが軽やかに構えた拳銃によって、粉々に砕け散る。中のインクを、血のように吐き出して無惨に落ちゆく。
「はは、そりゃ違いねぇ」
 隣の兄弟そっくりの悪人面を歪めた。ワルビアルのアギトは、鼻をひくひくとさせて、期待からか低くわなないていた。それは、ブルドーザーにも似た凶暴さで。
「俺たちは明日、それを証明する。こいつはその前金だ」
「ってえと、ルポライターかなんかを潰すんすか?」
 涼やかな金髪は、ようやく満足そうに頷いてから、一言。緩やかな所作に挟まるような、レパルダスと共に。
「リーグの四天王様の“スキャンダル”を揉み消すのさ」
 次なる闇に、足を進めようとしていた。再び、純度の高いブラックコーヒーを飲み干すと、彼は蘊蓄好きでお喋りな男から、アルペジオの若頭としての顔に戻っていた。

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