第58話 underwater world 前編

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 そこは無限に続く暗闇。

 色をなくした闇の底。

 虚無という言葉が相応しい場所。

 そしてそこにまた1つ、魂が沈みゆく。



  無知ゆえに侮ることなかれ。 一度沈めば、2度と元には戻れない。
 


 ......ここは、光をも呑む水中の世界だ。














 
 
 「なるほどね」
 
 ケイジュはそう言って、笑った。 しかし彼の笑みにかつての温かみは無い。 どこまでも敵意に満ちている。 笑っているけれど、笑っていない。 敢えて言うならばそんな感じだ。
 
 「まさかそっちの方向で来るとは思わなかった。 その気概は称賛しましょう。 でも、もう遅いとしか言わざるを得ない。 彼女は貴方達の元には戻らない」
 「間に合うよ」
 
  称賛と言っておきながら、ケイジュはぐさぐさとナイフで刺すようにこちらの絶望を煽る。しかしキラリは動じない。 毅然と強い口調で返す。
 
 「貴方はどこまでも変わらない。 理想論だけ述べたところで何も出来なければ意味無いでしょう?」
 「......だから、これは理想論じゃない!」
 「なら......彼女の言葉を借りるなら、証拠はあるんです? こちらを納得させうるもの」
 「ある。 でも、多分あなたは分からない。
 あなたは、人間としてのあの子ばかり見てるから。 ポケモンとしてのあの子を見てないから」
 「こちらに伝わらない証拠......? ははっ、貴方は面白い事を言う。貴方こそ人間としての彼女を知らない癖に」
 
 こちらの言葉の穴を突いてくるケイジュだが、正直彼の反論は若干ズレている。知らないのは確かにそうだ。 でも、こちらが指摘したのは「見ていない」ことだ。 彼はキラリの言葉の真意を汲み取れていない。
 今までの彼なら、きっとそんな事は無かっただろう。 彼の言葉の使い方や読み取り方は、それはそれは丁寧なものだった。 村から出る時も、縁という暖かみのある言葉でこちらを送り出してくれていたのに。
 恐らく意図的なのだろう。もう汲み取る気すらないのだろう。 キラリの......この世界のポケモン全員の思いなど、意に介するつもりはないのだろう。
 
 「ノバラは渡しません。 言いましたよね? 彼女はこちら側だと。
 ......貴方達は、また私達から奪い取るのか」
 
 そう言って彼が作り出したのは、氷の歪な形の槍だ。 いや、彼は薙刀と言っていただろうか。 あれがどんな代物なのかは分からない。 きっと、人間の武器なのだろう。 ポケモンの技に代わる。
 ここから考えられることは1つ。 彼はこれまでの紳士的な「ポケモンのケイジュ」としての自分を捨てた。
 あくまで人間として、こちらを叩き潰す気なのだ。
 
 「そんなことはさせない。 絶対に。
 潰されるのは、貴方達の方だ。 ......愚かなるポケモン達よ!」
 
 その叫びが、憎悪に覆われた目が、冷たい突風のようにキラリ達へと伝わる。 丁度彼が「そちら側」に移った時と似たような感覚だった。 その凍てつく冷たさがもたらす、水の中に閉じ込められたような感覚。 奮起したとて、その感覚への恐怖や不安は消える訳ではない。 ずっとこんな感情を抱いていたら、多分気がおかしくなる。
 だが、キラリは1つふと思った。 頭に浮かぶのは、当然大好きなチコリータ。
 ......ユズは。
 
 (こんな悪意を、ずっと受けていたのかな......)
 
 ユズとキラリは似ているとかつてレオンは言った。 でも、それはあくまで相手への思いやりだとかいう話だ。
 結果として似た思いやりの心を得たとしても、当然それぞれ今まで体験してきたことは異なる。 その中で、きっと人間としてのユズは、こんな恐怖を沢山感じてきたのだろう。 そうキラリは思った。 未だ自我の戻らない彼女を見ながら。
 
 
 さて、悪意を雨に例えてみよう。 もしそれがにわか雨として降ったのであるならば、それは逆に己を成長させる糧となることもある。
 しかし、延々とそれが降り続ければどうなるだろうか??
 それはいずれ深い深い水中の世界を作り出し、雨の中にいる者は当然沈んでいく。 止めてくれる者がいなければ、どんどんどんどん沈んでいく。 沈みゆく者はもがきもしないから、最早屍のようなものかもしれない。 気づいたら、自力では戻れなくなるのだ。
 
 息の出来ない、光も最早届かない暗い世界。 見たことのない世界。 そこに彼らはいる。 ユズも、今はそこにいる。
 ......でも、だったらなんだっていうんだ?
 キラリの足が、じりりと前に動く。 その微かな動きすらも、この状況にとってはとても大きな動きだ。
 キラリは一瞬目を閉じ、深呼吸をする。 それによって彼女の中の恐怖は静かに解けていく。
 
 (......お願い。 どうか待っていて。
 もう少しだからね。 すぐに、行くから。)
 
 決意の言葉を心の中でユズに語りかけ、そして声を大にして叫ぶ。 友達の奪還のための決定的な言葉を。
 
 もう遅いなんて決めつけるな。
 希望が無いと決めつけるな。
 ......水の中にいるのなら、答えは至極簡単。 飛び込むだけだろう?
 
 
 「......みんな、行こう!」
 
 
 
 
 

 
 
 
 そうして。 あの議論の後、洞窟で作戦について話し合った通りに。
 キラリとイリータとオロルはユズの方に。
 レオンはケイジュの方に。
 ジュリは3匹衆の方に。
 
 力強くそちらを見据えて進む。
 そして、永遠に続く水中の世界に飛び込んで。
 
 ──命と命が、交錯する。
 
 
 
 
 



 
 
 「ユズ、お願い起きて!」
 
 キラリが早速放ったのは[スピードスター]。 恐らくキラリの技の中ではユズが最も多く見てきたもの。 これならいけるのではと彼女は一抹の希望を抱いたが、流石にそこまで甘くはなかった。葉っぱの一振りで星は吹き飛ばされる。 いつになく乱暴に。
 
 そしてその後ユズが放ったのは[エナジーボール]。 軌道は単純で見切りやすいけれど、当たったら1発で終わりだというのは明らかだった。 キラリは側転して避けた後踏ん張って、ユズの元に跳ぶ。
 
 「[トリプルアクセル]!」
 
 勢いに乗り、覚えたての氷技で今度は攻める。 ラケナの時より荒削り感は薄れたが、ユズが身軽であるからか、2回しか当たらなかった。 悔しげに彼女は顔を歪める。 そして今度はユズの番だ。 避けられようのない[マジカルリーフ]がキラリを襲う。
 
 「っ!」
 
 色とりどりに光る葉っぱがこちらを撹乱させ、鋭い斬撃が容赦なく身体を傷つけてくる。 ......いつもは味方である優しい草の技が、こちらを傷つける凶器となる感覚は、慣れろと言われたところで無理だった。 だが、今はその痛みを忘れないといけない。 何度でも語りかけないと。 キラリは息も絶え絶えながら、またユズの方を向く。
 
 「ユズ......」
 「ふーーっ......ふーっ」
 
 ユズの息は更に荒くなっている。 少し、弱っているようにも見える。 その弱っているものがユズの意識なのか、魔狼なのか、もしくはユズの身体的な疲労なのかはキラリには予想はつかないけれど。
 でも、それでもユズは戦おうとしてくる。 身体から無理矢理苦しさを引き剥がそうとしているように見えた。 だから勢いは衰えない。 強い力で技を放ってくる。 そうやって苦しみは蓄積していくのだ。 「ユズ自身」が認知しないままに、勝手に身体が壊されていく。 悲鳴すらも、強い力で潰される。 そんな魔狼の怖さを、キラリはどうしても感じてしまってならなかった。
 今のユズの感覚は? 心の居場所は? まず、涙の匂いはちゃんと証拠になっているのか? 手遅れになってしまってはいないか? ユズは、完全に呑まれているのか?
 そんな事が浮かんできては、彼女は何度も首を振る。 考えたくもない。
 キラリは懇願するように呟く。
 
 「......ねえ、起きてよ」
 
 これ以上、苦しむ姿を見たくないから─。
 
 紡がれる小さな言葉は、彼女の沈む水底には届かなかった。ユズはまた攻撃を仕掛けてくる。 いつもの守りも無い無防備な彼女を、イリータとオロルが辛うじて守った。
 
 『[まもる]!』
 
 魔狼の力がどれだけ強くても、流石に二重の防壁は破るのに苦労するはずだ。 その読みは当たりなようで、ユズはそのまま後ろに引く。
 
 「イリータ、オロル......ありがとう!」
 「防御は任せなさい、攻撃一辺倒の貴方はサポートとは無縁でしょうし」
 「イリータ言葉きついよ......まあ、ユズに1番思いをぶつけるべきは君だからね、キラリ!」
 「っ、勿論!」
 
 ......そうだ、イリータやオロルがいる。 1匹ではないのだ。 その頼もしい虹色の立髪と純白の尻尾を見て、キラリは気を取り直す。 どれだけ苦しい水の中だとしても、全員の思いが酸素となって身体中を行き渡ってくれる。 その流れが途絶えない限り、諦める理由は無い。
 
 「ユズ、ユズ」
 
 キラリは名前を呼び続ける。願うように、祈るように。
 
 「大丈夫だよ。 どこにも行かないよ。 私達はここにいるよ。 みんな、待ってるよ!」
 
 「ここにいる」という証明のためか、キラリはユズに尻尾を振り下ろす。 が、水底にはまだ声は届かない。 ユズは触れるなと言わんばかりにすぐに葉っぱでそれを防ぐ。 尻尾を押しのけようとする力は意外に強くて、キラリは歯を食いしばった。 ありったけの力を尻尾に込めた。 だが葉っぱにどす黒いものを感じた途端、キラリは危機感を感じて飛び退く。 その危機感は当たりだった。 先程食らった衝撃波がまた飛ぶ。 今度は全体ではなく、狙いを絞ってこちら側に。黒い風が走った。
 
 「[あられ]、そこから[オーロラベール]!」
 
 だが、2度目を受けてやるほどこちらも寛容なわけではない。 オロルが急いでオーロラベールを展開したことで、なんとか衝撃は柔らいだ。
 
 「[あまごい]!」
 
 そしてオロルは変えてしまった天気を雨へと変える。 霰ではダメージも心配ではあるし、変える天気はこれが1番適当なように思われた。 ケイジュが水技を使うことは懸念材料だが、そこはレオンが足止めしてくれるのを信じるしかない。
 雨水が身体に滴る。 冷たい秋の雨が、戦いの中で火照っていく身体を落ち着かせてくれる。
 
 「ふう......中々、戦うには厄介だね」
 「でもオーロラベールもある。 暫くはこっちに利があるわ」
 「......よし、もう一度!」
 
 そしてまたキラリはユズの元に走る。 無様かもしれない。 しつこいかもしれない。 でもこうするしか出来ないのだ。 何度も何度も向かい合って、言葉と技をぶつける。 深い水底にいる彼女に届く様に。沈んだ彼女を見つけられるように。
 雨のお陰で、嗅覚にはもう頼れない。 だから早く、出来る限り早く。
 もう一度だ。 何度だって潜れ。 水を掻き分け、そして叫べ!
 
 「もっかい、[トリプルアクセル]!」
 
 氷を纏った尻尾が唸る。
 ......果たして水底に、その優しくも強い音は響くのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 「......へぇ、あくまでそちらに拘るとは、舐められたものだ」
 
 数の割れ方を見て、ケイジュは察したようだ。 少し舌打ちをして言う。
 彼の前に立つレオンは強い語気で言葉を返した。
 
 「勘がいいなぁ。 悪いが、ユズの方には行かせない」
 「ふぅん......厄介ですね。 絶対何か、隠し玉があるんでしょう!」
 
 ケイジュはそう言うなり、薙刀でレオンに連撃を仕掛けてくる。 ポケモンは武器を使わないから、当然こんな戦術は無い。 無知こそが1番厄介なものだ。 薙ぎ払った次の挙動が予想出来ないために、攻撃にも転じられない。 それに攻撃出来たとしても、武器の性質上距離をある程度取らねば避けられないため、物理攻撃は中々届かない。

 「......やっぱめんどくせ」

 避けながら彼は愚痴る。 でも、「ケイジュはこっちがやる」と言い放ったのは彼なのだ。 ユズの方にウェイトを置くわけだから、レオンとジュリで4匹を止めた方がいいと。 そしてその2匹だと、ケイジュを相手取るのに適任なのは自分だと。 だから易々と負けるわけにはいかないのだ。
 それに。 物理で殴ってくれるのなら、こちらの「隠し玉」とは相性抜群だ。
 
 
 避け続けながらタイミングを伺うレオンに痺れを切らしたのか、ケイジュが嫌味を並べてくる。

 「時間稼ぎのつもりですか? 避け続けてたって、意味ありませんよ」
 「意味? 意味ならあるさ。 ......あんた、頭固いんだなぁ、意外と」
 「何!?」
 
 軽いテンションの毒舌も戦略だ。 ケイジュが割と短絡的なのに安心したレオンは、安心して技を繰り出す。
 彼はニヤリと一瞬笑った。 こうやって敵を出し抜き優位に立てる状況を作るというのは謎に楽しいのだ。 それは今も、探検隊をしていた昔も変わらない。
 
 「固い頭にお裾分けだよ、[サイコショック]!」
 
 ケイジュの頭上あたりにエスパーの力で念波を生み出し、そのまま爆発した。 インテレオンは防御の低い種族であるから、この攻撃は堪える様子だ。
 俺のターンと言わんばかりに、レオンは攻勢に回ろうとする。
 
 「ほらほら終わりか!? [サイコキネシス]!」
 「[まもる]!」
 
 これ以上受けるわけにはいかず、ケイジュが一旦守りを固める。
 
 「[ねんりき]!」
 
 だが、まさか2連続でくるとは考えないだろう。 レオンの笑みに少し大人げない狡猾さが加わる。
 
 「っ、[うずしお]だ!」
 
 自分の周りで軽く水に渦を巻かせる。 要するに簡易的な守りだろう。 だが、水の壁の隔たりというのはやはり大きく、ケイジュはほぼノーダメージでその場をやり過ごした。
 
 「ふうん、ポケモンの技も使ってくれるんだな! [ハイドロポンプ]!」
 「......ふん、別にそんな縛りはないですよ。 技はただの道具です。 道具は使うものでしょう? [れいとうビーム]!」
 
 雨によって強さを増した激流と、それを食い止める冷気。 水はやはり氷に通じるところがあるためか、彼の氷技も大したものであった。
 一部分だけ凍らせてしまえば勢いは多少鈍るから、ケイジュはあとは軽く避けてしまえばよかった。 当たらないとなると当然悔しいものだから、レオンはケイジュを深追いせざるを得なくなる。 元々は深追いはしたくなかったので彼にとってはきつい状況のように思えるが......少々、状況は変わった。
 
 (......助太刀要らないな、これ)
 
 レオンは3匹衆側の方をちらりと見るが、それ以上は特に目を光らせる必要もなかった。 後追いしたくない理由はほぼ消え去ったのだ。
 感情的にならないだけでここまで変わるのかと、レオンは「彼」に尊敬の念を向けたりもした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「だーっもうやり辛え!」
 
 フィニの怒号が飛び交うもう1つの戦場。 そこら中に[かげぬい]による矢が散乱している。 ジュリはそこらかしこに矢を乱射させているのだ。 フィニに関してはゴースト技を無効には出来ないので、避け続けてもどうしても何度かは当たってしまう。 そこに向かって他の技でちまちまとダメージを与えるわけだから、精神も徐々にすり減っていく。 別に倒すことが目標ではなく、時間稼ぎをすればいいのだ。 だから焦る必要も無い。 ラケナやノーマルタイプに変身したヨヒラが受け流したとしても、矢の着弾時の爆発で目眩しくらいは出来る。 十八番の封印は解けると言っていい。
 
 「......面倒臭いもんじゃのう。 さっき凍ったのは右の羽じゃったか?」
 「......」
 「なら、今度は逆に炎を浴びるのはどうじゃ? [かえんほうしゃ]!」
 
 弱点技は流石に避ける他ない。 なんとか右へと躱すが、勿論隙はできる。舞う火花の残り滓の間を縫って、ポケモンが突進してくる気配があった。 ラケナがニヤリと笑う。
 
 「ヨヒラちゃん!」
 「分かっている、[シャドークロー]」
 「っ、[シャドークロー]!」
 
 互いに同じ技を出すことで勢いを相殺させる。 ヨヒラが変身していたのはゲンガーだった。 どちらもゴーストタイプであるから、勢いは殺したとはいえやはり互いにダメージは大きい。 影の刃の力の余波に、彼は顔を少ししかめる。
 
 「ちっ......」
 
 3対1は流石に無理なところがある。 それに、その内の1匹は変身出来るポケモンでもあるから。
 でも、だからといって止まれない。 ここで退いてしまえば、昔と同じ事態が起こってしまう。 これを見過ごせば、起こるのは大殺戮だろう。 それが嫌だから、止めたいから強くなろうとしたのだ。 今何も出来なくてどうする。
 
 (......諦めるな、ですよね......長老様!)
 
 向かって右。 今度はラケナの指示でフィニの爪が襲いかかる。 が、[はがねのつばさ]でぎりぎり食い止める。 爪を押し付ける鋼の鈍い音は、やけに大きかった。
 
 「ふざけんなよ」
 
 飛んでくるのは恨言。 戦場で叫んだところで何も意味もない恨言だ。 少なくとも、彼にとっては。 ......だって。
 
 「ふざけるな? それは此方の台詞だ。 これまで世界を乱せるだけ乱そうとしてきたんだろう? 加害者が被害者ぶるな」
 「......ムカつくなぁお前。 そういうお前は何も知らない癖に」
 「そんな事今は問題ではない。 貴様らのやろうとしている事が悪なら、潰すだけだっ!」
 
 ばっさりと言葉で斬られたフィニは一旦飛び退いて、勢いをつけてから再突撃する。
 
 「お前もかよっ!!」
 
 ......この後の言葉は簡単に想像出来る。 お前も、理解しないのかと。 この溢れんばかりの苦しみを。
 でも、理解してもらうなど、彼にとっては綺麗事なのだ。
 逆に、その気持ちがまず分からないのだ。 自分の事を完全に分かってくれる者などいないと、彼は割り切っているから。
 
 爪をなんとか跳ね除ける。 そして矢を取り出し、フィニの喉元に当てる。 しかしあくまでこれは影縫いの時に使う矢羽であって、相手を実際に刺す事は出来ない。 だからただの脅しに過ぎない。
 フィニは何か言おうとするが、喉に押しつけられたそれが言葉を紡ぐのを許さなかった。
 1つ息を吸い、ジュリは言う。 取り返しのつかない方向へ向かいかねない、1匹のポケモンに向かって。
 
 「何を言おうが変わらない。 貴様らは犯罪者だ。 その事実は変わることはない。
 絶望は、気に入らないものを潰すための免罪符ではない!」
 「......!」
 
 半分、自戒でもある言葉だった。 感情に呑まれやすい自分自身への。 だがフィニにもちゃんと効いたのか、彼の顔が少し緩む。 そこにジュリは容赦なくローキックを喰らわす。 鋼タイプには効果抜群の攻撃であるから、彼は吹っ飛んだ挙句地面に倒れ込む。 立とうとするがその度に傷が疼くようで、中々時間はかかりそうだった。 ローキックを除いても1番ダメージを受けていたのは彼の方だから、当然とも言える。 ひとまず1匹とジュリは安堵するが、厄介さが消えたわけではない。 それぞれの思考と行動がバラバラなせいで、いっぺんには叩けない。
 長期戦を覚悟しなければならないと、彼は顔をしかめた。
 
 








 
 (......奴は、本当に水タイプか)
 
 ケイジュは歯を食いしばった。 互いに、自分の持つタイプ同士の相性は今ひとつだ。 どちらも弱点をつけないからレオンはこっちにぶつかってきたと思い込んでいたのだ。 だが違った。 彼はここにきてエスパー技の方を多く使ってくる。 レオンのエスパー技は通りがよく、それでいて強いのだ。 本来の己のタイプにそぐわないのに。
 
 「不思議か? エスパー技が得意なのが」
 「っ!」

 苛立ちのポイントを探り当てられ、ケイジュは嫌そうな顔をする。 その顔を待っていたのか、レオンは嬉しそうに笑った。 その余裕さが、ケイジュをまた苛立たせる。
 
 「まあ、『元相棒』の......お陰かもなっ!
 [サイコキネシス]!」
 「......はは、ならこれはどうです? [しろいきり]! 」
 
 相手の体の自由を奪い苦しめる技、それがサイコキネシス。 だったら操る体を見えなくすればよかった。 霧がレオンの視界を遮る。

 「[ねっとう]!」

 そして、続いて彼は熱湯を雨のように降らせた。 従来の使い方(相手に大量の熱湯を一気にかける)とは違うやり方。 幸い火傷は負わなかったけれど、地面に漂う蒸気でさらに周りが見え辛くなる。 何をする気なのか分からない。

 「っ、隠れたのか......?」

 ユズのところに行かれたらまずいけれど、視界の遮断された中を動くのは逆に危ない。 レオンは止まったまま辺りを見回した。

 「まさか、隠れてませんよ」

 少し経った後ケイジュはそう言い、レオンの眼前に現れる。 ただの目眩しか、と思いレオンはサイコキネシスを仕掛けるために走り出す。 雨か熱湯によってできた水溜りでも踏んだのか、バシャリと足元で水の音がした。 そしてその音が、レオンに冷静な思考を呼び戻した。
 ただの、目眩し?
 ならこの熱湯は蛇足では、と。

 その時だった。


 「気づかれましたか?」
 
 
 
 
 
 
 
 ......後ろから、薙刀を持ったケイジュが飛びかかってきた。 斬られると思ったレオンは咄嗟にリフレクターで身を守る。 だが、薙刀は氷の力も纏っていた様で、即席の薄い壁は簡単に破られ、ダメージを喰らう。 少し遅ければ、多分死を覚悟すべき攻撃だったかもしれない。

 「なっ......やっぱ」

 正面にいたはずだったケイジュは、すぐにぬいぐるみになって消えていく。
 少し掠ったところが痛むのか、レオンは一瞬よろける。 カラクリを察ししてやられたような顔をする彼に、ご満悦そうにケイジュが種明かしをする。

 「ラケナの真似事と言いましょうか。 [みがわり]を少し使わせていただきました。 白い霧で視界を奪って、なおかつ蒸気で視界を歪ませれば、手も動いている様に見えて本物に錯覚しやすいでしょうし。
 隠れていないとは言いました。 でも、“私が“とは一言も言っていませんよね......」

 そう言うなり、彼は気配でも嗅ぎ取ったのか「こっちか」と呟き走り出す。
 不味い、本当に不味い。 今の状況は。
 焦りが彼の心を張り詰めらせる。
 
 「......この野郎っ」
 
 募るのはケイジュへのどうしようもない負の感情。 「隠れている」という言葉と彼の実際の行動の矛盾へのフラストレーションが溜まる。
 ......思えば、彼の言葉は矛盾を引き起こすものばかりだ。
 ユズの心を潰したのは自分ではないと言ったが、ならあの叫びはなんだ。 全て別の者のせいと言い切れるのか。
 ユズを救うためと言っておきながら、彼女の中の魔狼を呼び起こしたのは本当に救うためと呼べるのか。
 大義名分を掲げているが、本当に彼女の事を思う故ならば、無理矢理彼女の記憶を呼び覚ますだろうか。
 
 そう考えると、キラリの言葉は確かに的を射ていた。 ケイジュは、ユズの一部分しか見ようとしない。 ポケモンとしての彼女と人間としての彼女を唯一両方知っている癖に。
 彼にはポケモンとしての彼女などどうだっていいのだ。 本来の彼女がこの世界に絆されてしまった姿......極端に言えば偽物や、人間の彼女に影響を与えるバグとしか捉えていないのだ。 そして、ユズ以外のポケモンもそうだ。 彼女に悪影響を与えるバグの元なんだろう。
 ......彼は、あまりにも傲岸不遜で、そして利己的過ぎる。
 そんな彼の自己満足に、ユズは殺されるのか。 そして全てが終わったら、「救ってあげた」と言わんばかりに壊れたユズの方を見やるのか......?
 
 その考えが、レオンの怒りの引き金を引いた。

 「ふっっっざけんな!!! [アクアテール]!」
 
 霧を払って、あわよくばケイジュに届けば......というつもりだったが、ギリギリ届かなかった。 ハイドロポンプなら1発でいけるかもしれないが、あれは間違えれば味方を傷つけかねない。
 今度は走って追いつこうとするが、そこで体力が彼の邪魔をしてくる。 今なお戦えるとはいえ、現在の彼に全盛期の頃の体力は無いのだ。 だからこの場を離れられるのは非常に不味かった。 追いつけないから。
 ケイジュの向かう方向は、やはりユズの方。 そして、彼の薙刀の刃が求める血は......。
 
 「貴方はどこまでも不運な存在の様だ......」
 「っ!?」

 ユズにかかりきりで避ける術の無いキラリに、ケイジュの刃が迫る。 悪意たっぷりな彼の声が、キラリの耳に気持ち悪くへばりつく。
 キラリが見たことのない顔をしていた。 仮面を剥がした紳士の怒りが牙を剥く。 考える暇も与えない。
 雨の中襲いくるその姿は、あたかも凍てつく氷の魔王のようで。
 その冷たさが、キラリの動きを狂わせる。
 
 「貴方の思うままに、事が進むと思うな!!」
 「っ、キラリ! すまん避けっ......」


 刹那。 氷の刃の音が、響いた。
 
 
 

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