第26話:命の神殿――その1

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ふわり、ふわり。魂が光に包まれて漂う。
 セナはふと気がつくと、何か柔らかいものの上に仰向けに倒れていた。

「ん……ここは?」

 ムクリと上体を起こし、座った状態で辺りを見回してみる。
 あたり一面に広がっている真っ白な雲は、ふかふかして柔らかい。雲の上には、もう雲はないようで、青空がどこまでも広がっていた。
 ――ここが、きっと、死後の世界。“天国”って奴だろうか? 自分が命を失ったことを、セナはふと思い出した。

「ホノオ。ヴァイス。シアン……」

 試しに仲間の名を呼ぶが、透明な空気に声が溶けては消えてゆく。むなしい気持ちに急かされるように、セナは立ち上がった。視線が高くなり、少しだけ遠くを見渡せる。

「……ん?」

 遠くに見える輝きが、キラリとセナの目に飛び込んできた。
 引き寄せられるように、セナは輝きへと向かう。こんな状況にも関わらず、好奇心が刺激された。

 少し近づくと、それが何なのかわかってきた。どうやら神殿らしい建築物だった。どっしりと建物を支える柱は、木材の味が出ていて歴史を感じさせる。かと思えば、平らで厚みのある屋根は純白。翼をモチーフとした装飾が上品な金色のラインで装飾されており、繊細で儚げな印象もある。和風のような、洋風のような。地球の文化にそっくりそのまま当てはめることが難しい、独特な雰囲気を醸し出していた。
 ――もっと近くで観察してみたい。セナは駆けだした。


 ついに神殿にたどり着いた。ご丁寧に数段の階段があり、神殿の床を持ち上げている。小柄なゼニガメには少々高いその段差を、セナはよじ登るように乗り越えた。柱と柱の間から神殿に入った。
 内装は純白と金で可憐に飾られている。かと思えば、木製の重厚感ある扉が神殿の奥でセナを待ち構えていた。扉の前に鎮座するのは、セナにとっては巨大な鳥の像。紅葉のように美しい、艶めく朱色の翼。
 あの扉の向こうに行くと、きっと、この命は――。直感的にそう理解できたが、不思議と恐怖心はなかった。扉へと、セナは向かう。

「こんにちは、セナ」

 凛と澄み渡る美しい男性のような声が、頭上から降ってくる。とっさにセナが顔を上げると、飾りだと思い込んでいた巨大な鳥が開眼し、真っ直ぐにセナを見つめていた。どうやらポケモンのようだ。

「オイラのこと、知ってるの?」
「ええ。ガイアのポケモンたちのことなら、皆知っていますよ」

 巨大な鳥ポケモンは言葉を紡ぐ。細長く上品な黄色いくちばしによく似合う、丁寧な口調だった。

「自己紹介がまだでしたね。私はホウオウ。ガイアの全ての生命を司る者です」
「アンタが、ホウオウ……」

 ホウオウ。スイクンが敬意を込めて何度も口にしていたその名前。
 今、セナの目の前にいるのは、尊敬されるにふさわしい威厳を身にまとった不死鳥。間違いなく、このポケモンは、ホウオウだ。直感的に確信できた。
 ――で、あるならば。
 スイクンに指示を出して、セナを“救いの勇者”か“破壊の魔王”か――善か悪か、ふるいにかけていたのがホウオウで。2度目の戦いでスイクンが言っていたことが真実ならば、セナとホノオを“破壊の魔王”と断定したのがホウオウなのだから。――今、オイラは、実はものすごくピンチなのかもしれない。自分を消そうと指示した存在が、目の前にいるのに。そんな危機感を感じさせない柔らかな雰囲気で、ホウオウはオイラを見つめている。このまま、危機感を抱けないまま、いつの間にか、オイラは消されてしまうのかもしれない。
 頭では、危機感を抱いた方がいいと判断している。それなのに、心が追いつかない。必死に頭を回転させ、セナは心ここにあらずな表情でキョトンとホウオウを見つめた。

「酷く混乱しているようですね。無理もないでしょう。今、お前たちが陥っている状況は、私が引き金となっている。――ガイアでは、このような認識なのでしょう。残念なことにね」

 ため息をつくと、ホウオウは表情を切り替えて微笑む。

「どうか信じて欲しい。私はお前の味方です」
「は、はあ。どうも」

 高尚な立場であるからこそ、言葉も振る舞いも影響力という重みが伴うものだ。それ故、ホウオウの柔らかな態度に裏はないと、セナは判断した。

「辛かったでしょう。多くのポケモンに命を狙われ、何を信じればよいのかも分からず……」
「ん、そうでもないよ」

 自嘲気味なセナの表情に引っかかりを残しつつも、ホウオウは話題を進める。

「そ、そうですか……。しかし。やはり理不尽なことです。それも、何もかも……スイクンの身に起こった異変のせいなのですよ」
「そっか。スイクン、やっぱり正気じゃなかったんだな」

 2度目のスイクンとの戦いで、自分が掴んだ違和感。それをホウオウの言葉で補強されると、セナはホッと胸を撫で下ろした。
 やはり、あの時のスイクンはおかしかった。──ということは。

「なあ、ホウオウ。オイラは、このガイアに居ちゃいけない、“破壊の魔王”ってやつなのかな?」
「いいえ、違います。お前は、ガイアを救うために私たちが招いた救世主。自信を持ってもよいのです」
「そうか……良かった」

 ポケモンたちに浴びせられた罪と疑惑が、するりと身から離れてゆく。セナはホッと安堵のため息をつくが。

「――って、良くないよね。救世主、死んじゃったんだけど」
「そう。お前が今ここにいるということは。そういう、ことですね」

 ホウオウが目を伏せる。その悲しげな素振りが、罪悪感となって襲い掛かる。自分では、自分の死を悲しいと思えないのに。そんな顔をされてしまうと……申し訳ない。

「ごめん、ホウオウ。オイラなんかのことを、信じてガイアに呼んでくれたのにさ。全然、力及ばずで……。期待外れ、だよね」

 穏やかで空虚な物言いで、セナは必死に悔しさを隠している。拳を強く握りしめ、手のひらに爪を食い込ませる素振りからは、自身に対する怒りや憎しみすら感じられた。

「そう、自分を責めるのはおやめなさい。お前の悪い癖です」

 ホウオウに優しく、厳しい口調で注意される。その言葉からは、大きな愛情をも感じられた。しかしその言葉は、セナの心には浸透不可能のようで。むすっと頬を膨らませるセナに、ホウオウはやれやれと首を振った。

「私からお前に、改めてお願いがあります」

 一段とピシッと澄んだ物言いに、うつむいていたセナも顔を上げた。

「まずはスイクンを。スイクンを、助けてください」
「……アンタそれ、嫌味で言ってるの? そんなの無理に決まってるって、分かって言ってるの?」

 セナの敵意が鋭くホウオウに向かう。少しつつかれただけで過剰な防衛を見せる少年は、隠した心の傷をホウオウに見破られてしまった。

「落ち着いて。無理ではありません。可能にする方法が、あるのですよ」
「オイラを生き返らせるつもり?」
「勘が鋭いですね。乱暴に言ってしまえば、そうなります」
「は……はは。何それ。いくら何でも、勝手過ぎるでしょ……」

 失望したような乾いた笑い声。セナは虚ろに語る。

「ガイアやスイクンを救う使命があるからって、オイラだけが特別に生き返るなんて、おかしいじゃん。ホウオウにとって、命ってそんなに軽いものなの? 例えばヴァイスの母さんとか、メルの姉貴のいとことかさ。誰かに切実に必要とされている命よりも、ガイアを救う“かもしれない”オイラの命が重いの? 命を選別する資格が、アンタにはあるって言うの……?」

 セナはホウオウに軽蔑の眼差しを向ける。世界をかけた交渉が決裂しそうな空気に、ホウオウもさすがに焦りを滲ませた。

「命の選別……ですか。すみません。そんなつもりはなかったのですが、不快にさせたことは謝ります。もちろん、死んだ者を生き返らせることなど、本来は許されないこと。特例中の特例です。だからこそ、生き返りにはとある“資格”が必要なのです。お前は、それを持っています」
「資格?」
「ええ。“蘇生という行為がいかに異質で特別なものか、認識して受け止めること”。これを満たさない限り、いかに使命を持った者であっても、私は蘇生を許しません。
 実はお前以外にも、過去に使命のために生き返ってもらったポケモンがいたのです。彼らも、この資格があるからこそ蘇生を許しました。そして、彼らの命はガイアの未来と多くのポケモンの命を救った。
 私は決して間違ったことをしていません。あの時も、そして今も。だからセナ、お願いです。お前の命で、ガイアの未来を救って欲しいのです!」

 長い首をしならせて、ホウオウはセナに頭を下げる。ホウオウの言葉がずしんとセナにのしかかる。
 オイラは――追手のポケモンに命を奪われた、弱くてちっぽけなオイラは、これからガイアを守るために、生き返らなければならない。蘇生は、異質で特別なもの。今度生き返ったら、今度こそ、絶対に、失敗せずに、生き延び続けて……“破壊の魔王”とやらを、倒さなければならない。オイラの命には、ガイアの未来と多くのポケモンたちの命がかかっている。失敗したら、オイラのせいで、多くの命を殺してしまう――。

「あの、さ。アンタの判断を否定するようで悪いんだけど。さすがに、人選ミスじゃないの?」
「え?」
「だって、どう考えたって、オイラなんかよりも強いポケモンなんて星の数ほどいるでしょ。そいつらじゃダメなの? 納得できないし、自信もない」
「お前だからこそできることが、あるのですよ。まだ自覚はないかもしれませんが……」
「オイラなんかができることなんて、他にもできるポケモンがいるでしょ」
「お前はもっと、自信を持ったらどうです?」

 強固に動こうとしないセナに、ホウオウも咎めるような声を出してしまう。傷ついた心から針が飛び出した。

「簡単に言うなよ! アンタ、オイラの死に様もどうせ知ってるんでしょ? この命なんてどうなってもいいって思ったし、自分が狙われてもいないのに電撃に飛び込んで死んだんだ。命を粗末にする最低な奴なんだよオイラは! こんなの、信じられるわけ――」
「いい加減にしなさい!」

 ホウオウの怒声に、思わずセナはビクリと飛び上がった。

「お前が身を滅ぼしたのは、自分で自分を虐めて、否定して、追い込んだからです。世界がかかった大事な命を否定するのは、断じて許しませんよ」
「……ん。でも。今のオイラには、自信を持てる要素が何ひとつない。何か明確な、成果がないと……」

 セナはホウオウのプレッシャーを受けながらも、思考の海に潜ってブツブツとつぶやいている。納得のできる道を、暗闇で手さぐりで探している。
 ひとつの選択肢が、セナの中に迷い込んだ。未完成の答えに縋りつく。

「今ここで、“自信をつけて”帰るってのはどうかな?」

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