Box.25 Nightless castle ―不夜城―

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読了時間目安:16分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 見られている、と強く感じた刹那、ぐっと胸ぐらが掴まれ、地面から跳ね上がった。急激にかかるGの感覚は、あの地下大空洞でノロシと戦った時、上下左右に揺さぶられた時と似ている。目前まで迫った最上階の窓が早送りのテレビのようにバン!! と開き、引き込まれると即座に閉まった。
 招かれた暗い部屋では、全てが宙に浮いていた。「たま?」モンスターボールとポケットの小箱が飛び出し、白い手に収まった。ぽよん! と引き寄せられたタマザラシはベッドに落ち、赤い光を放ったモンスターボールに吸い込まれる。クッションの散乱する大理石の床にリクの尻が落ちた。激突の痛みと不均衡に揺れ続ける脳髄とコダチの発言が木霊する思考を引き裂いて、女の声がした。噴火寸前の火山のような怒りに震えていた。

「何故お前が、コーラルを持っているのです?」

 キングサイズのベッド上から、女が不機嫌に見下していた。長い金茶の髪の一本一本が、針のような殺気を帯びている。肉食獣と同じ檻にいると直感した。しかもその獣は気が立っており、目につくもの全てを八つ裂きにせんばかりだ。女の燃えるような瞳が小箱へ移った。むくむくと膨れ上がった小箱が内側から破裂すると、モンスターボールが姿を現す。千々に舞う小箱だったものの紙吹雪に、メッセージカードがひらひらと舞った。女の目がカードの文字をなぞる。

『プレゼントはお気に召したかな?』

 カードが真っ二つに裂けた。モンスターボールが大きくなり、ポケモンを吐き出した。
 見たことのあるポケモンだな。呆気にとられたまま、リクはぼんやりと考えた。船員や船客がたまに連れていた。宝石のようなピンクの体をきらめかせていた。目の前の体表は白くくすんでいた。骨の色だ。小粒の目は閉じていた。コーラル。女は名前を呼んだ。ニックネームだろうか。閃くように穏やかな声が、記憶の濃霧から呼びかける。『コーラル?』
 小箱に封入されていた瀕死のサニーゴを女の部下が連れていった。ちょうど入れ替わりにテレポートでボルトとソラがやってくる。「まぁ落ち着け、ツキネ」肉食獣に丸腰で話しかけてきた男を無視して、ツキネと呼ばれた女が問いかけた。「あのふざけた小箱は、どこで手に入れたのです?」答えなければ殺される。もつれる舌をたどたどしく動かして、わからない、と喘いだ。傍のクッションが内部から弾け飛んだ。中空に巻き上がった白い綿がふわふわと漂う。細く白い指が、刃のように差し向けられた。

「分からない。そう、分からないのですか……それなら、〝お前に直接訊いて〟みるのですよ」

 自分の意思とは無関係に、不可視の力が豪腕を持って招いた。次の瞬間には、蜘蛛のように四肢を伸ばした手のひらが顔面へと押しつけられる。エメラルドの瞳が光った。意識をまさぐられる直前、ボルトが言った。「白髪の男がそいつに預けたんだろ」

「白髪の男?」

 ボルトが子細を伝えた。「なぁ?」との言葉に、顔面を掴まれたまま、のろのろと首肯する。意識の霧向かいから浮かんでくる青年との会話や微笑みが、何者かの手によって掴み取られる。「フン。その通りらしいのですね」突き飛ばすように解放される。にじみ出た脂汗が、仕立て直したばかりの服をじっとりと濡らしていた。逃げ場所を求めて泳ぐ視線がベッドサイドの写真立てで止まる。満面の笑顔としかめっ面。二人の少年に挟まれた金茶の髪の女の子が写っている。満面の笑顔の少年にはヒナタの面影があった。怖じける唇を押し開ける。

「あのサニーゴは」

 口を利くな。理性が警告する。ツキネは少し落ち着いたようだが、彼我の立場が変わったわけではない。彼女に奪われた2つのモンスターボール――サザンドラとタマザラシは手中に収まったままだ。
 タマザラシはその気になれば自分でモンスターボールから出られる。だが、あまりの剣幕にびっくりして縮こまっているのかもしれない。ではサザンドラは? 短い付き合いではあったが、このような歓迎の挨拶に大人しくしているような彼ではない。
 写真立ての金茶の髪の女の子。目前で唸る金茶の髪の女。暗闇の旅路を思い起こす。わずかなりと彼への手がかりへ手を伸ばし、震える言葉を紡いだ。

「ヒナタのポケモン、ですか」
「だったらどうしたと言うのですか? お前には関係ないのです」

 ツキネの目に長い睫の影が落ちる。エメラルドグリーンの瞳は冷ややかな光を湛えていた。

「関係、ない?」
「お前程度が知る必要はないし、何かする必要もない。朱の外套もノロシも、全て私が潰すのです」

 ツキネの言葉に、ボルトが「おいおい」と愉快そうに口を挟んだ。

「どうやって敵サンを釣るつもりだ?」

 ツキネがギラリと睨みつける。
 
「ヒナタがいなくなった事、黙っていたのですね」
「まぁな」
「ノロシは半分、オニキス狙いでホトリの街を襲ったのでしょう。だったら次はここに来る。このガキは必要ないのです」

 ツキネがあくびをした。先ほどまでぎらぎらしていた瞳が半分になり、目を擦った。色が深くなったエメラルドの瞳が、呆然としているリクに向けられた。

「帰れ。私はお前を守るなどまっぴらだし、そもそも、お前に白髪が接触したこと自体がきな臭いのです。厄介はヒナタだけで沢山なのです」

(じゃあ、だったら、どこへ行けば良いのだろう。この地方の、どこに?)
 ツキネが手のひらを翳した。嫌な予感がして、「待って!!」と叫んだ。煩わしそうに眉を潜め、ツキネは口を開いた。
 
「……なんです? ひとつだけなら、答えてやらんこともないのです」

 ひとつだけ、ひとつだけ――許された問いの数も、迷いの時間が長ければ、きっと零になる。溢れかえる疑問の山を掻き分け、選ぶべきものを必死で探した。これからどこへ行けば? オニキスとタマザラシはどうなる? お前はヒナタのなんなんだ? あのサニーゴは生きてるのか? 白髪の青年は何故サニーゴを?

「ヒナタは、今何処にいるんですか?」

 ツキネが目を眇めた。

「……私に限らず、それはラチナ中のジムリーダーが知りたいことなのです。答えはコーラルが持っている」

 脳裏に甦るやりとりがあった。不安が、疑惑が、その言葉にこびりついていたからだろう。大空洞に戻ろうとしたサザンドラを引き戻したソラの言葉だ。(「昨日、カザアナジムリーダーがヒナタさんと合流したって聞いたからな」)

「カザアナの――」
「質問はひとつと言った筈なのです。もう会うこともないでしょうが」

 ぐるりと視界が捻転する。ヒナタの居場所は? 生きていると信じて良いのか? 自信と悪意に満ちた、赤銅色の声が響く。(「そらお前。俺様が華麗に完璧に超ド級に勝利を収めたからに決まってんだろォ!」)
 何処へも行かれないと、震える足は動かない。





「――馬鹿はなんと?」
「そう……どうせそんなこったろうと思ったのです」
「船はもう出せないとホトリが言っていたのです。……どうするのかって? 珍しい、お前がヒナタ以外の人間を気にかけるなんて」
「ふん、どうせもう一人のガキは、カザアナのジムトレーナーなのです。モブ一人なんとかするのです。私の管轄ではないのです」
「心配しなくても、未来は視たのです。燃えるような赤は敵の色。近く来る。分かっている」
「……やけにあのガキを気にかけるのですね。放っておいた方が良いのですよ。弱くて脆いトレーナーなんて、足枷でしかない」
「少なくとも、〝自力で〟ここにたどり着くくらいの実力と運がないのであれば、いずれ消えるだけなのです」
「私は少し眠るのです。お前もお守りで疲れたでしょう……目が覚めれば、コーラルも良くなっているかもしれない」
「……うん? ああ、怖がらなくても良いのですよ。そういえばそっちのお前とは、初めましてなのでしたね」

 仄明かりの照らす部屋に、たま! と小さな鳴き声が上がり、そして灯は消えた。





 オレンジジュースを半分も飲まないで、リクはずっと考えこんでいた。
 ツキネにテレポートで送られた先は、酷く賑やかで騒々しいホールだった。ホールはいくつかのスペースに区切られており、リク達は階段下の休憩スペースでソフトドリンク(バニーガールが無料でサービスしてくれた)を飲んでいた。
 ホールの一部にはゲームセンターの筐体のような〝スロット〟が並んでいる。テーブルスペースでは高級そうな椅子が緑の長机を囲んでおり、誰もがポケモンを連れて様々なゲームに興じている。時折ポケモンの技が放たれ、ダイスやカードが宙を舞った。ヤトウモリが机上で躍っているテーブルさえある。かと思えば他のスペースでは、大きなテレビジョンの前に複数人が集まり、チケットを握りしめて真剣な眼差しを画面に向けていた。
 共通しているのは、付近に配置されたポケモン像が〝10000〟とか〝2500〟とかの数字を掲げている事だ。中心にはピカピカと輝く景品交換所があり、蠱惑的な仮面の受付が微笑んでいる。交換所の前にはでかい看板(『ポケモンの景品化・質入れは禁止になりました』)が鎮座し、異彩を放っている。みんなとても楽しそうに――時には涙を流して崩れ落ちたり、激怒して「××××!」と叫ぶほどに、ゲームに熱中し、白熱していた。
 熱気の高さはルーローのバトルアイドル大会に劣らない。でもあの時と同じように高揚はしなかった。ツキネにタマザラシもサザンドラも引き剥がされ、突き飛ばされ、突然放り出され、処理しきれない頭を、ぎこちなく動かすだけで精一杯だ。

「アイツは、なんなんだ……」
「ゴートのジムリーダー。ヒナタさんの幼馴染みだよ」

 独り言のような問いかけに答えたのは、黙って見守っていたソラだった。当事者でないだけあって、リクよりずっと落ち着いていた。リクはようようそこでソラの存在に気がついたようで、堰を切ったように次々と疑問を口にする。これからどこへ行けば? 「事情を知ってるのはボルトさんだろうから、あとで捕まえよう」オニキスとタマザラシはどうなる? 「ツキネさんはポケモンが大好きだ。下手な扱いはしないどころか、VIP待遇でもてなしてくれるだろうな。心配ないよ」あのサニーゴは生きてるのか? 「サニーゴ? 何の話だ?」 白髪の青年から預かった小箱から瀕死のサニーゴが。「悪い、そればっかりは分からない。それもボルトさんに訊くしかないな」
 最後の問いかけをする。
 
「ヒナタは、ちゃんと、生きてるよな?」
「当たり前だろ。何言ってるんだ」
「じゃあなんでヒナタのサニーゴが瀕死で、オニキスを迎えにも来ないんだ?」

 ソラが沈黙した。安心を求める目ではなく、真実を求める目でリクが見つめた。1年前に、真実を求めていた癖に、口に出来なかった言葉を口にする。「本当のことを教えてくれ。知りたいんだ」
 重い口が開かれる。
 
「……お前が別れてからずっと行方不明だ。誰も見つけていないし、連絡もないそうだ」

 あの時お前は嘘をついたのか、とは追求出来なかった。代わりに、そうか、とだけ零した。

「答えはサニーゴが持ってるって、ツキネが言ってた。でもそんなの分かりようがないよな。どうやって知るつもりか分かるか?」
「ツキネさんはサイコメトリ――物や生き物の記憶が読み取れる。瀕死のサニーゴからでも読めると思う、けど。あのツキネさんが、快く教えてくれるとは考えにくいぞ」
「……」

 会わなくてはならない。それだけは、良く分かる。
 
「会いに行くつもりなのか」

 頷いた。「何の為っていうか、会ってどうするつもりなんだ。さっきも言ったけど……」ソラは困惑気味に言った。

「……分からないから会いに行きたいんだ。分かんないままじゃ、何処にも行けない」

 ぐっと拳を握りしめた。何処へも行けない。それでは、ここに来たときと同じだ。(「君はどーしたいの?」)ウミの事を忘れないと誓った。あの出来事を決して許さない。ウミと同じようにヒナタが自分を助けて消えたというのなら、今度こそ、あの時よりもずっと暗闇の先へ進もう。(オレだって、少しは強くなったのだから)

「ノロシなんて知ったことか。一回勝てたなら、もう一度だって勝てばいい。あんな奴に守ってなんて貰わなくていい。オレだってポケモントレーナーだ」

 顔を上げ、真っ直ぐに言った。口にすると気持ちが座って、落ち着いていくような気がする。予想外の反応だったのか、ソラが唖然としていた。まるで立場が逆になったかのように、弱気な声音でボソッと言う。

「大丈夫かな……」
「なんだよ」
「いや、良い。お前がそう言うなら一応、ツキネさんに会う方法もない訳じゃないんだ」

 あれ見ろよ、と顎で指した先は、景品交換所だ。
 
「ツキネさんへの挑戦権は〝買う〟事が出来る。かなりチップが必要だけど」
「買う?」
「ゴートはカジノが盛んだ。スカイハイの地下2階から地上3階はカジノスペースになってる。挑戦者は方法を問わずチップを稼いで、挑戦権を買うんだよ」
「〝方法を問わず〟って、なんだよ……」

 げっそりする。ルーローといいゴートといい、この地方のジムは挑戦までのハードル自体が果てしなく高い。

「他地方もこんなもんじゃないか?」
「絶対おかしい」
「でもその……お前はジム戦をしたことがないんだろ? 知らないだけなんじゃないか?」

 ぐうの音も出ない。「悪かったなノーバッジの底辺トレーナーで」リクはふて腐れたが、数秒考え込んで、ハッと気がついた。

「おい、挑戦権って事は、まさかあいつ、ここのジムリーダーなのか?」
「そうだよ」
「あんな奴がジムリーダーなんて務まるのか?」
「まぁー……中には海底洞窟に引きこもってるジムリーダーや、俺たちより年下のジムリーダーもいるし……」

 へなっと机に額をつける。やっぱり変な地方だ。
 
「……お前はここのバッジ、持ってるのか?」
「持ってるけど、俺の時より遙かに金額は上がってるだろうな」
「なんで」
「時価なんだよ。ツキネさんにその気がない時とか、忙しい時は目の飛び出るような枚数になる」
「勝手すぎるだろ!」
「そんなことはありません。ここはゴートですから」

 ソラの言葉ではない。涼やかな声に振り返ると、黒のスーツの女性が立っていた。足下にはアンノーンが浮遊し、肩にはリーシャンが掴まっていた。その姿を目にし、迷わず名前を呼んで駆け寄る。

「シャン太!」
「リー!」

 飛び込んできたリーシャンをリクが抱き留める。感動の再会――は、そう長くは続かなかった。黒スーツの女性が「シャン太様も戻られた事です。お気をつけてお帰りください」と口にしたからだ。リクがキッと睨む。

「オレは帰りません」
「そうですか。ご自由に」

 拍子抜けするほどあっさりと返された。聞こえなかったのだろうか、と思うほど無反応に踵を返した相手に、もう一度声を張った。

「帰りませんから!」

 返事はなかった。拳をきつく握った。きょときょとと、リーシャンは行ってしまう黒スーツの女性とリクとを見比べていた。不意に自分へ注がれる視線を感じて、リーシャンはそちらに目をやった。相手は目が合うと、サッと身を翻して筐体の影に隠れてしまった。

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