第19話:悲劇に向かって――その2

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 どんよりとした空、勢いの弱まらぬ雨の音。灰色の空気を、明るい鼻歌が彩った。

「いい曲だね、それ」

 ヴァイスが振り返り、歌い手のブレロを見て微笑む。

「シアンも好き〜♪ なんだかワクワクするネ」
「へへ……ありがとう」

 シアンにも誉められ、ブレロは照れくさそうに頬を掻いた。

「ブレロは雨の日大好きなんだよ。機嫌がよくなって、いっつも鼻歌歌ってるもんな」
「僕の特性は“雨受け皿”だもん。雨に当たると体調が良くなるから、気分も良くなるんだよね」

 ブルルの解説に応じると、ブレロはさらに続けた。

「でも、雨の日ってジメジメしているし、キライだって言うポケモンが多いよな」
「シアンは雨がだーいすきだヨ! 晴れの日も曇りの日も、みーんな好き!」
「アタイも雨が好きだね。水ポケだからって言うのもあるけど、ほら、雨の音って、聴いていて飽きないじゃないか」

 水ポケモンのシアンとメルは、雨に肯定的。

「へー! メルさん、意外と繊細な視点も持ってるんだね」
「意外とは失礼な。悪いかい?」

 歯に衣着せぬブルルの失言に、メルはじろり。ブルルはしゃきっと背筋を伸ばした。

「とっ、とんでもないです! ギャップ萌えです!」

 大げさに飛び上がるブルルに、皆は大笑い。

「アタシも雨は好きだぜ。“雷”が絶対に当たるから、戦いやすいしな!」
「もう、ソプラったら……」

 血の気の多いソプラの言動に、アルルは呆れてため息。一同、苦笑い。

「でもサ、炎タイプのヴァイスは、雨が嫌いでも仕方がないよネ」

 シアンがヴァイスに話を振る。

「えーと、うん。雨って寂しいし、雷は怖いから、“ひとりぼっちの雨”は大嫌い。でも」

 一度言葉を区切り、皆の顔を見回した。

「みんながいると、雨が苦手なボクに優しくしてくれるから、なんだか温かくって……悪くないかも」
「えへへ~。うーたん可愛いネ~。たまにはシアンたちに甘えちゃいなヨ~」

 しっかり者として振る舞いがちだが、実は甘えん坊。ヴァイスのそんな一面を可愛らしく感じ、シアンはヴァイスをからかうように抱きついた。

「もうっ、うーたんって呼ばないでってばぁ!」
「……そう言えばお前、広場のちびっ子にそう呼ばれていたな」

 ヴァイスをからかうように、ブレロが「うーたん」。ブルルが「うーたん」。
 メルとソプラまで「うーたん」と呼ぶ。アルルもためらいながらも、「うーたんさん」。

「えーん。みんながいじめるよぉ。雨なんて嫌いだあー!」

 温かくて、ふわふわして、心地よいはずなのに、すごく恥ずかしい。ヴァイスは慌てて足を速め、仲間たちに追いかけられるように斜面を登っていった。




 平和な追いかけっこが突然の終焉。目の前に広がる光景に、一同は言葉を失った。
 彼らを待ち受けていたのは、大蛇のごとく荒れ狂う、茶色く濁った濁流。セナたちがここを通ったときよりも遥かに勢いの増したそれは、架かっていた木製の橋を木っ端みじんに砕いてしまっていた。

(ひどい増水。ここだけじゃなくて、上流から酷い雨が降っているようだね……)

 メルは無言で、川の上流の空模様を確認して確信する。川は山々を流れては雨粒を集め、魔物のように成長してしまったようだ。

「ど、どうする? 橋がないから、渡れないよ」

 アルルが言うと、

「これじゃ水タイプの僕でも、簡単に流されちゃうよ」

 とブレロ。まさにカッパの川流れである。

「シアンも怖いヨー」

 情けない声を上げ、シアンは怯える。頼みのメルも、険しい表情で「うーん」と唸っていた。
 水タイプのポケモンたちでも、泳ぐのを断念するレベルだ。一同はその場で作戦を練ることにした。

 ふと、ヴァイスは妙な胸騒ぎを覚えた。

(なんだろう。何か、とても嫌な感じがするよ……。こういう嫌な予感、確か初めてじゃなかったような――)

 ヴァイスが答えにたどり着くのを待たずして、悪夢が幕を開けた。
 地盤の緩いこの土地で、大地が暴れるかのような、酷い地震が起こったのだ。

「うわっ!」

 悲鳴を上げ、みんながその場にしゃがみこむ。突然の事態に、すっかりパニックに陥っていた。
 揺れがまだ収まらぬ段階で、彼らに容赦ない追い打ち。濁流の上流地点から、爆発音のような音が聞こえたのだ。
 音がした方を注視すると、息が詰まった。心臓が飛び上がった。
 崩れた土砂が濁流と混ざり、川の幅を無視して彼らに迫ってくる。

 ──次の瞬間には、ヴァイスたちの姿は濁流にのみ込まれ、その場から消え失せてしまった。


 さっき感じた嫌な予感は、救助隊の昇格試験の時の、邪魔者の気配への危機感に似ていたんだ。身を切り裂く緊張感。あの感じに──。
 ヴァイスがそれに気がついたのは、岩の破片が牙をむく濁流に噛みつかれる直前だった。




 この日の夜のことだ。
 セナとホノオは“広葉樹の森”に長々と生い茂った雑草に身を隠し、ここで1日を終えようとしていた。このペースで行けば、明日には“迷宮の洞窟”へ逃げ込むことができるだろう。歩みをやめ、2人は地面の雑草の上に腰を下ろしていた。

「はぁ……」

 ホノオは心身の疲労をため息に乗せて吐き出す。まぶたが重く、目をつむったが、今日一日の戦闘がフラッシュバック。すぐにハッと目を開けた。
 足や翼を痛めて悶える追っ手のポケモンたち。残酷な赤いしぶきに染まった雑草、セナのつらら……。
 思い出すだけでめまいがして、ホノオは額に手を当てた。頭が痛い。全身がカッカと熱い。本格的に風邪を引いたようだ。

「おい、大丈夫か? やっぱり今日、無理したでしょ?」

 セナが心配そうな顔を綺麗に作り、ホノオの顔を覗き込んできた。これ以上セナの重荷になってはいけない。そう思って、必死に体調不良を隠し続け、身体を引きずっていたが。無理が祟った。身体が弱り果てると、心までも蝕まれてゆく。

「なあ……。セナ、本当に、ごめん。オレが昨日、お前が傷つくことを言っちゃったから……。役立たずとか、お前のせいとか、言っちゃったから……お前は、変わろうとしちまったんだろ? あの言葉、全部全部、取り消すよ。取り消すから……。お願いだから、元のセナに戻ってくれよ……」

 悲しみのせいか、体調不良のせいか分からないが、ホノオの瞳が潤んでゆく。喘いでしゃくり上げて、つっかえながらも、ホノオはセナに必死に訴えた。情けなくても構わない。頭を下げて、懇願した。
 セナは、ポンポンとホノオの頭を撫でる。

「ごめんな、ホノオ。責任を感じさせちゃったみたいだな。でも、安心して。オイラが変わったのは、全部全部、オイラの意志だから。お前のせいじゃないから」
「……! で、でも! そのきっかけを作ったのは、オレだから……」
「お前の腹立たしい感情は、ただの事実だった。お前は事実をオイラに伝えてくれただけだ。それをどう受け取って、どう解釈するかは、オイラの自由だし、オイラの責任だから」
「……ちくしょう。難しいよ。オレには、意味が分かんねえよ……」
「分からなくてもいいよ」

 この上なく優しい言葉と、頭を撫でる手つき。しかし、“分からなくてもいいよ”。この言葉で、ホノオはセナとの間に強固な壁を感じてしまった。
 手は尽くしたつもりだ。でも、もうセナを元に戻すことなど不可能だ。優しかった親友は、このまま機械のように、敵を淡々と排除しながら生きてゆくのだろうか。――それって。オレが好きだったセナは、すでに、この世界にいないことと同じなのではないか。

「ごめん……セナ。ごめんなさい……」
「大丈夫だってば。……ふああ。そろそろ寝たら? 体調良くならないぞ」

 セナのさりげない“あくび”が、技だったと悟った直後。ホノオは深い眠りに堕ちるのだった。

「オイラも寝よう。今日は上手く生き延びられた」

 自らの“成果”に納得の言葉を付与すると、セナも身体を横にして休めるのであった。




 長い長い夜が明け、2人はまた動き出す。

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