生命の博打、運勢や如何に

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覆面作家企画第9回の作品です。


 「いま、私が持っているのは毒薬か、はたまた神薬しんやくか。」
「なに言い始めるんだ、ペンドラー。お前の持っているのは水道水だろ?」
「間違いないな。だが、ボスゴドラみたいに玄人がちょっと考えればわかる話も、素人には分からない。では、素人は謎の液体を飲まないのだろうか?」

 今、あなたたちは我々の会話を聞いて「何を馬鹿なことを言っているんだ」と、心の底から聞こえた。しかしだ。仮にその液体が、富も名声も得られるような神薬だったと知っていたら飲むのか?答えは当然、欲しがる者が幾人も現れるだろう。私は素人だったら、間違いなく飲んでいる。毒は効かないから…とか以前に、そんな突拍子もない所で運命の選択を迫る問題があるならば、私の賭け事が好きな性格上、絶対に飲んでいる。
 「生きる」ということは、「今現在、手に握っているモノの中から選択すること」。端的に言えば、人生は選択の連続である、ということだ。何も考えず選んだことであっても、それが幸福か不幸…楽か苦…最悪の場合は、生か死に分岐する事が当たり前のように発生する。それはいくら悩みに悩んだとしても、どうなるかなぞ、誰も知ることは無い(未来を見通すポケモンがいれば話は別だが、居るわけなどないだろう)。だが私は声を大にして言わせてもらおう…それがこの世界の一番の楽しみだ、と。


 私、すなわちペンドラーは普段、数学者として、なるべく平穏な日々を過ごすことを心掛けている…だが、別段まわりの治安がよろしいわけではない。先程の話だが、私のよく行く店に強盗が、わかりやすく

「強盗だ!金を出せェ!」

と丁寧な自己紹介と簡潔な目的を喋って襲ってきた。私は国語という授業に関しては得意ではないのだが、おそらく彼は国語力100点だ。
 こういう輩には、赤ペン代わりに毒針一本刺しておくだけで大人しくなる。

「ぎゃあああああ!?」
「ご無事ですか、お嬢さん。」

怯えて伏せていた女子高生を介抱して、私は大丈夫だと伝えた。…ニンゲンに話してるから伝わらないと思っていたが、私の顔を見て少ししてから笑顔で返事をした。
「…うん、大丈夫。ありがと!」
どうやらこの女の子、こちらの心を読めるようだ。ニンゲンとは、一体どこまで進化するのだろうか…。
「あの、ポケモンさん。」
ニンゲンが私にさらに声をかけた。
「どうして助けてくれたの?」
簡単な話、自分に関係の無いことをすることが好き、ということだ。…と、心で思っておけば、彼女はきっと。
「…そうなんだ。でも…無茶なことして、自分だけが傷ついて損しないでね…。命は一個なんだからね。」
まさかニンゲンに助言を貰うなぞ初めての経験だ。これも何かの縁だ。ありがたいお言葉、心に抑えておこう。


 このように、周りを鎮めて平穏な日々が送れるように努力している。お節介かもしれないが、「因果応報」なんて言葉を信じる自分がいる。別に因果応報というものを乱用して人生の選択を良い方へ変えようとは思ってはいない…たぶん…きっと…おそらく。
 …なに?数学者が強盗確保に関係があるか、だと?世界は目で見えない所に因果関係があるものだ。私が何かをしたら、それが無関係な別のところで得することだってある。そういった意味では、自分が得もしないような事をすることも、大切なのかもしれない。実感できないことの方が多いが、それがアシストの起因であると信じている。それぐらい「因果応報」という考え方が好きである。
 数学者は数値に囚われていて、夢を見ない種族だと思われているらしいが、そういうのはどちらかと言えば統計学者だろう(勿論、それも偏見である事をお詫びするが)。私みたいに科学的根拠に基づいた「超が付くほどの低確率」に賭けたくなる数学者など、そこら辺にわんさかいる。たとえ、10%の確率で相手をどく状態にできるなら、それが勝利に必要な賭けならば、私は躊躇いなくその技を選択する。それが「生きる」ということの楽しさなのだから。それがわからないなら、簡潔に言って差し上げよう。私は「人からとやかく言われるのが大嫌いな賭け事大好き青年」だ。



 …さて、今日は家で友人を誘って二人、トランプケースを開いてブラックジャックをすることになった。山札を交互に引き、札の数が21丁度を目指すゲーム。21を超えてしまったら「バースト」と言って、その時点で敗北が決まってしまう。いつもこの友人とは暇さえあれば傍から見ればくだらん勝負ばかりやっている。
 初めはお互いになんの緊張感もなく引いてゆく。中盤戦、悩まされる展開が生まれた。

「また君は大博打に出るつもりかい、ペンドラー。」

私の口角が若干下がったのを見逃さなかった友人のボスゴドラは、煽り立てるような口調で自分のターンを焦らそうとする。だが、私はボスゴドラがテーブルの下から一枚スペードの3、取り出したことが見えた。いわゆる「イカサマ」というヤツだ。ここでイカサマを公言すれば終わりなのだが、それではつまらないだろう?ということで、私はヒット(山札からもう一枚引く)、とコールするわけだ。

…ハート3。私の手元は合計で18。

「さてどうだい、ヒットorスタンド。君の一番好きな状況が来ただろ?」

彼は既にスタンド(引くのを止める)のコールをしているので、ここで私がもう一度3を引く必要がある。ここでスタンドの選択も多少は考えた。ただ、イカサマをしたということは、即ち相手側は確実に勝利できる周辺の20か21だろう。既に3は山札に2枚しかない状態で、先程引いたハート3の次にどちらかの3が続いているとは思えない。それでも、それが楽しいではないか。私は山札から一枚、静かに取った。

「…ブラックジャックだ。」
「あちゃ〜…さすがペンドラーだ。こりゃ参った!」

ボスゴドラは20。やはり読み通りだった。

「どうだい、俺の作った盤面は。」
「…お前、まさか…。」

言われて気づいた。テーブル下のイカサマも、あれは私の緊張感を煽るため。そして私が引いたハート3も最後に引いたクローバー3も、あれは全部仕込んであったというのだ。全て私の性格を知って仕組んだ、私が勝ってしまう罠。

「きっと神様は、こういう気持ちなんだろうなぁ。気に入った奴には幸運の手札を与えて、都合のいい展開を作る。それを奇跡って俺たちは呼ぶよな。」

私は神や仏などを信じていない。そのような未確認生命体に縛られた運勢など真っ平御免だ。たしかに私は因果応報を信じていると言ったが、その因果は神が作用して生じるものでは無いと考えている。しかし親友だもの、そのことも分かっていてボスゴドラはわざわざ煽り散らかしに来たわけだ。

「人生は選択の連続…。正しい選択をして命を落とす者もいるし、残虐な回答を提出して救われる者もいる。なんで神様は馬鹿なんだろうな。」
「神が馬鹿者…か。」

結果としてイカサマカードバトルは、私の信じている「因果応報」を真っ向から否定する話で締めくくった。神が馬鹿者。とやかく言われるのが嫌いな私にも何か思うところがあったのか、私は深い意味を抱えた言葉を手元の紅茶とともによく味わって飲んだ。





 私たちはティータイムを終え、雨天の外出をする。信号なし、歩道がまっすぐ続いている店だらけの一本道を眺めながら歩いていた。賑わっている廉売通りは私たちに、客寄せ人がお得意の新鮮アピール早口言葉を繰り返しかましてくる。
「どうだい兄ちゃん、獲れたて新鮮の魚!まるまる1匹を5200円のところ4880円でどうだい!」
どっちみち微妙に高い。買うか買わぬかで損得が決まるこの瞬間も面白いが、これは一旦取り下げる。後ろで騒がしい奴も頑張って、
「新鮮な魚、食いたくねぇのか!俺の店なら1匹丸ごと4720円でくれてやらぁ!!」
と、声を張り上げて宣伝しているからな。やはり値は微妙だが。

「わあああああ!?」

突然、廉売の先の方で叫び声が聞こえた。

「ドロボーだああああああ!!!」

私はドロボーとやらを目でしっかり捉えて全速力で走った。足の速さは誰よりも優れているという絶対の自信がある。私はまた誰かのために無茶をした…私としたことが、あのニンゲンの大事な言葉を忘れて。遠かったドロボーも、加速する私には適わず捕まった。

「大人しくしろ。」

無茶して、自分だけが傷ついて。この時から薄々と感じていた。あのニンゲンの言葉がぐるぐると頭の中を回り始めた。あんなに頑固だった私が他人の言葉に揺れ動き、戸惑っている。いつしか浪漫主義の私が、「何が正しいのか」、「こんなことをして私は得をするのか」と、正解を求め始めてしまった。
 そんな私に構わず拘束を振り放そうと暴れるドロボーから、気を逸らしてしまったその時だった。

「離せッ…ッラアア!」
「うあっ…!?」

ドロボーに振り払われて、私の身体が、頻繁に車行き交う車道に、車道に。投げ出された。











私は、この一瞬で「死」のカードを引いた。




神は、馬鹿者だ。





そしてそこに百合の花────

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