雪影と白桃花

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 国が違えば街も違う。同じ欧州であってもそこに息づく文化も歴史も違い、全く違う国に来てしまったのだということが感じられる。
 街の真ん中には王が設置したという、真新しいロゼリアの像を中心に据えた巨大な噴水がある。コテコテの派手な色彩で塗られたロゼリアの像はいささかこの街の雰囲気にはそぐわない感じもするが、これからの街の発展の未来を祝福しているようだった。
 レンガの上からモルタルを塗り町中の家の壁を白く統一しているようで、朝日が当たると町中が光り輝いているように見える。街の多くの家の壁に薔薇が這わせてあるようで、緑のツルの中に季節外れの薔薇が小さくいくつか咲き始めていた。
 石畳の舗装の仕方もレンガの大きさや材質に個性が出ており、横を見れば壁の上から蔓上の草花が垂れており色鮮やかな蕾をたたえている、もうすっかり春も近い。

「小春日和だな」
『それは秋の季語であろう』
「あ、そうだったか。国を離れて長いと言葉も忘れて来るな」
『然り』
 藍色の外套をまとった男と、彼と同じような布をまとうゲッコウガが話している。
 両者とも外套についたフードは降ろしており、道を通り抜ける春風をその頭に受けて歩く。男の名前はカゲマサ、そしてゲッコウガの名前はゲンジという。
「すまないなブラム、付き合わせてしまって」
「まあ、いいってことよ どうせ俺は今暇だし」
『ガウカウ』
 カゲマサとゲンジのすぐ後ろを歩くのは、彼の友人である緑の革服を着て、重そうな荷物を背中にせおった偉丈夫の男――ブラムと、そのパートナーであるブリガロンだった。

 ブラムは仕事をクビになっていた。

 先日のベーメンブルクの戦いにおいて、本来は国王に仕えるべき衛兵の立場である彼が、国王側に剣を向けて民衆軍に与したのだから、当然といえば当然の措置なのだが、正直なところ彼自身はこんなにあっさりとクビにされるとは思ってなかった。それでも事前に目星をつけていたいくつかの再就職先候補に行ったのだが、どこも国王および帝国からの圧力を恐れてしまい、彼を雇ってくれるところが無かった。
 そんなわけで、仕事もなく家でダラダラと暇をつぶし続ける日々にも疲れてきたので、帝国の隣国のカロス王国へと向かう今回のカゲマサの旅に荷物持ちとして同行することにした。
 初めは進行の邪魔で余計に時間が掛かるようになるなどと、一人と一匹でカロスに向かおうとしていたカゲマサだったのだが、こうして旅をしてみればブラムを連れてきてよかったと心底感謝をしていた。
 いくつかの街を跨ぐ旅だと、中央の監視が行き届かない辺境の地では賄賂を求める門番やごろつきなど変な輩が多く、かつてカゲマサ達がカロスから帝国に渡った時は余計な遠回りを余儀なくされたので、今回もこの旅路で様々な厄介ごとに巻き込まれる覚悟を決めていたが。長身強面で帯剣騎士の装いのブラムが横にいるだけで、そうした厄介ごとが避けて通ってくれた、やせっぽちで異邦人のカゲマサだけだったらこんなに早くこの目的の場所にたどり着くことはなかっただろう。
「……恩に着る」
『主、感謝は大きな声で言え』
「ん、なんだって?」

 ここはカロス王国ハクダン、王都ミアレの郊外に位置するここハクダンは隣に大きな森を抱えるのどかな土地であり、昔から『何もない平穏を与えてくれる』ともっぱら評判でこの土地には王侯貴族の保養のための別荘が建ち並ぶ、歴代のカロス王はこの地を愛しここの宮殿を築き、かの有名な彫金師チェリニーが製作した『フォンテーヌブーのニンフィア』はここの宮殿に飾られているとされる。
 カゲマサとゲンジ、そしてブラムとブリガロンが彼らの住む神聖帝国より、はるばるこのカロスの地に足を伸ばしたのは、事前に連絡をして約束を取り付けた、とある人物との会合があったからだった。


 o◇  o◆  o◇  o◆  o◇  o◆


 時はカロスの暦で17世紀。
 日之本において戦国ランセの時代が終わり、仕事を失い活躍の場を求めてカゲマサが属する忍者たちは里ごと海を渡ってはるばるカロスの地へと流れ着いた。だが、そのカロスもまた忍者が求められる地ではなかった。
 忍びの里の頭首は長旅に疲れた仲間達の身体を慮り、自分が潔く幕を下ろすべきだと考えて、苦渋の決断の末に『里の解散』を宣言した。
 里の者たちは何も言わず、ただ無言のままにその言葉を受け入れた。世界各地を巡る船旅を通して、そこにいる誰もが移り行く時代の変遷を感じていた。諜報を行う者として、そうした情報や時流に敏感だった。
 里の者達は頭首の号令と共に、忍びをやめてあるものは農民、あるものは商人、あるものは運搬業など、様々な道に進み始めた。

 だが、カゲマサは違った。その決断に「ふざけるな」と激昂した。
 忍びというものが好きで、幼いころから見上げていた忍びという夢をそう簡単に諦められなかった。
 頭首の解散宣言をとうてい認めることができず、処分を待つだけだけだった里の頭首に代々伝わる忍びの遺産を半ば強奪に近い形で持ち出して、相棒のゲンジと共にカロスからさらに東に山を越えた帝国へと渡った。

 若気の至りでしでかしたあの時の行動を、ずっとカゲマサは罪悪感に駆られていた。だが、あのようなことをして出て行ってしまった以上はとても顔見せできず、手ぶらで戻るわけにもいかなかいままに、それから数年の月日が経過していた。
 そして今、ベーメンブルクの戦いでの勝利という確かな成果を得たカゲマサは、その成果を土産としてようやく里の元頭首と顔を再び合わせる覚悟が固まったのだった。まず、元頭首に再開したらあの時の無礼を謝りたかった、そして代々伝わる忍びの遺産を本来の持ち主の元に返却したかった。


 o◇  o◆  o◇  o◆  o◇  o◆


 街の南部に、やわらかな木漏れ日が落ちることで有名なハクダンの森を抱える、大地の恵みを大いに讃えたハクダンではたくさんの作物が栽培されている。特にモモンは王都ミアレの宮廷にデザートとして献上されるケーキや糖菓子に使われる桃糖の原料となることから特にたくさん栽培されており、至るところに貴族お抱えのモモン果樹畑が作られて、貴族に卸すためのモモンがその地を埋め尽くすように大量に栽培されている。
 季節は4月上旬、畑のモモンの果樹は一斉に花を咲かせており、辺り一面の頭上が真っ白に染まっている。
 季節外れの雪を思わせるように、風が吹くたびにモモンの花びらがひらひらと舞い落ちていき、さかずきの酒の上で踊る。
 そのモモン畑の中に、カゲマサ達は茣蓙ござ茣蓙を敷いて、カゲマサ、ブラム、そして今回連絡を入れて招き入れた客人である里の元頭首が座る。カゲマサは正座、元頭首は胡坐をかいていた。

 忍びの里の元頭首は、齢40くらいの男だった。正直パッとしない目立たない男だと、ブラムは思った。
 カロスでは見慣れない東方の古びた服を着ていて、身長はブラムどころかカゲマサよりも低く、どこか童っぽい印象すら与えている。もっともブラムの目からみれば東洋人など同じように見えるだろうし、忍者としては目立たないということが必要とされるからだろう。
 元頭首は胡坐をかいたまま腕を組み、ただ何も言わずにカゲマサの言葉を聞いていた。
 モモンの木々の下に敷かれた茣蓙の上には、ブラムとブリガロンで手分けして背負ってきた古びた東方の櫃とその中にあった数々の忍びの遺産、大量の巻物や古びた武具、そして頭首に伝わる護石などが並べられていた。

「――以上、不肖ながら持ち去ってしまった里の宝でございます。これらをここにすべて返却したく、何卒宜しくお願い致します。愚かなる己をお責めくださいませ」
「……まあ、受け取ろう」
 元頭首は忍びの遺産を一瞥して、短く返事をした。
「まあ、責めはしない。表を上げて、足を崩せ」
「はっ」
「ひさしぶりだな、景昌かげまさ
「お久しぶりです、頭首おかしら
「やめてくれ景昌、私はもう頭首じゃない。その称は捨てたのだから以前のように呼んでくれ」
「はい。 ――では、父上」
「ちちうえ?!」
「どうした? ブラム」
「あ、いや失礼」
 ブラムはごにょごにょとカゲマサを問いただす。
「カゲマサ、例の頭首ってお前の父親だったのか?」
「? 言ってなかったか? む、そういえば言うタイミングも無かったかもしれないな」
「……うーん、あー そういえば、お前の家紋エンブレムが3本の剣で、キズナヘンゲのものと同じだったよなぁ それを考えれば頭首の家と無関係ではないことになるか」
 頭をぼりぼり掻きながら頷くブラムに、元頭首は説明を加える。
「父上とは言っても実の親ではないんだがな。景昌の実父は彼が幼いころに亡くしていて、親子と言っても私は育ての親、養父にあたる関係なんだ」
「そうだったのでしたか。ご説明感謝いたします」
 ブラムは小さくお辞儀をした。

「さて、景昌よ」
 元頭首は今回のために用意された白い桃酒の杯をチビリと飲んで、言う。
「はっ」
「遠いここ、カロスの地でお前の活躍はよく聞いている。帝国の内戦では我が里に伝わる輝綱変化を顕現させたそうだな」
「はい」
「その、お前の輝綱変化というものを私にも見せてもらえないか? 里の創始者が発現できたとされる伝説の超越進化、結局私はついに至れなかった。その姿というものを実際に見てみたい」
「わかりました。ただご存知でしょうが、輝綱変化は戦いの中でのみ発現する姿、そのためには手合わせの必要がありますが」
「承知しておる。では一つ手合わせを願おうか。ただ私は隠居の身、お手柔らかに頼むぞ」
 元頭首は腕を組みながら黙って隣に座っていた彼のゲッコウガに目配せをすると、ゲッコウガは黙って頷き承知する。それを見た元頭首は茣蓙から立ち上がり、自分の相棒のゲッコウガに向けて自分の苦無を投げ渡す。
「あい分かった」
 景昌もまた忍びの遺産の中から護石を取り出してそれを手にすると、モモンの木が無く障害物のない少し開けた場所に移動して、ゲンジと共に戦闘位置について相向かい合う。



「久瑞流乱破、元六代目頭首。久瑞幸景くずいゆきかげ、いざに参ろう」
「……久瑞流乱破、抜け忍。 久瑞景昌くずいかげまさ、ここに」

 名乗りを終えたと同時に動き出す。
 先に動いたのはゲンジだった、地面に手をついて地に働きかけ、相手のゲッコウガの足元から草のツルが伸びて足を縛り上げる、水属性に効果抜群となる草ワザ[くさむすび]だ。
 それが捕らえる瞬間の前にゲッコウガの体色が空色に染まる。足に絡まった草をいとも簡単に引きちぎり、空中を後ろ向きになって宙返りをして、逆立ちの態勢でゲンジに手に持った苦無を振り下ろし、[アクロバット]に攻撃する。
 ゲンジは焦ることなく、自らも苦無で応撃する。金属同士がぶつかり合い、一瞬だけ火花を響かせる。

 発動したワザエネルギーを瞬時に全身に行き渡らせて、自分自身の属性を塗り替えてしまう能力。
 これが、忍びの頭首のゲッコウガにのみに受け継がれる《変幻自在》の特性。
『……――っ!』
 ゲンジは小さく舌を咬む。

 これによってどれだけ苦汁を嘗め続けてきたのか、わからない。己の生命を呪い、何度の絶望を見たのか。
 血反吐を吐くような鍛錬と努力では決して埋めることができない、生まれながらの差。これを得てなかったことを心の奥でなんどカゲマサに詫びを続けてきたのかわからない。
 だが、今は違う。
 変幻自在でなかったからこそ、我は今のこの境地に至ることができたのだ、仮に変幻自在であったら輝綱変化はできなかった、己の特性にようやく胸を張れるようになれた。


 そこからワザは使わず、力勝負の打ち合いを始め、激しく刃が交差する。どちらも力では一歩も引けを取らない。試合のはずが本気で殺しあっているのではないかと思うような裂ぱくの気合に、ブラムは静かにこぶしを握った。
 特性『へんげんじざい』のポケモンと戦うコツとしては、相手に特性を活用するタイミングを与えないこと、つまりワザを使う余裕がないように立ち回ることが有効となる。
 一刀一刀に、力がこもった刃がゲッコウガに襲い掛かり、それを丁寧に受けていく。
 一見互角ではあるが、元頭首の相棒として長年連れ添っていった相手のゲッコウガには勘と経験が、ゲンジには若さと今も現役で戦い続けている身体能力がある。この攻防が終わるとすればそこが左右するだろう。手に汗を握り、食い入るように見つめる。
 次第に、打ち合ううちにゲンジの劣勢が目に見えるようになった。苦無を返す反応が鈍り出す。
 ワザを使わせないように立ち回っていたのだが、いつの間にか相手のゲッコウガの体色が日に焼けたように茶色味がかっていた。さすがは元頭首のゲッコウガで、どうやら猛攻のさなかに巧みに[グロウパンチ]を交えて、攻撃力を上げていたようだ。
 ついにゲッコウガの渾身の一撃を受けきれず、ゲンジは体勢を崩す。
 その危機的状況の瞬間、カゲマサとゲンジの集中力が研ぎ澄まされて、ついに重なり合う想いが同調した。
 右手で護石を掲げて、カゲマサとゲンジは口上を、高らかにあげる。

「『双の魂魄こんぱく超量ちょうりょうし、今ここに輝綱の高みに至る」』

 ゲンジは目を瞑り、素早く手で印を組んでは次々と組み替えて、まばゆい光に包まれながらゲンジの体が水の渦に包まれる。
 そして、激しい水しぶきが立つ、渦の奥から二つの瞳が光った。


「『疾風怒涛! きずなへんげ!」』


 瀑布の飛沫のように渦が弾け飛び、頭部に紫色の兜を思わせる模様ができあがり、胴体から四肢に掛けて黒い文様が形成されて、肩からは外套の頭巾のごとき膜ができあがり、それが後ろに伸びて、ひらひらと風になびく。
 唯一の防御用装備だった手甲と脛当は、水でコーティングされた上で凍り付き、より頑丈な氷の防具へと変貌した。
 そして背中には三本のこおりで作られた巨大クナイを背負っていた。
 すぐに巨大クナイを大きく一振りして、隣接していたゲッコウガを薙ぎ払って、遠くまで吹き飛ばす。


 だが、その直後に。

 足元がなくなった。


 目の前が真っ暗になり、その場でどこまでも落下していく感覚。
 どちらが上か下かわからずどこまでも落ちていく、いや、自分は落ちているのだろうか? もしかして空を飛んで天高く宙に向かっているのではないか? 手足の感覚が一切の身動きも取れず、動けない。
 俺は、いまいったいどこにいるんだ?



 わからない。













「起きろぉぉぉぉ!!!」

 頬に強い衝撃は響き、カゲマサの体は宙を舞った。
 うまく受け身も取れないままに背中から地面に身体を強打すると、目の前の景色に再び色がつき、地に伏せたカゲマサは周囲の状況を確認する。
 掌底を放った友人と、かばいのスキルで自分達の代わりにゲッコウガの攻撃を集め、[ニードルガード]ですべて受け止めて耐え続けているブリガロンの姿が目の前にあった。

「おう、起きたか。 お前が言った通りのことがおきた、でいいんだよな?」
「すまぬ、恩に着る!」
 短くはっきりと、よく聞こえるようにカゲマサはブラムに謝る。そしてすぐに状況を分析する。
 このワザはおそらく、かつて元頭首が使っていた《影喰らい》だと見抜いた。
 相手の影に入り込んで、直接相手の心を圧し折るという強力な精神攻撃だ。
 ワザとしては強力な悪夢を見せることで精神に直接ダメージを与える。 ――[ナイトヘッド]

 キズナヘンゲの利点と同時に弱点として『トレーナーとポケモンが一緒になってしまうこと』が挙げられる。通常であれば問題はないが、このような精神攻撃で正気を失ってしまった場合に、横から呼びかけてくれるトレーナー ――止めてくれる者がいなくなってしまう。
 ポケモンだけが戦って強いならばトレーナーは必要ない、なぜバトルにポケモンとトレーナーの両方が必要となるのか? それはこういうことでもある。

 キズナヘンゲとはその良さを殺してしまう諸刃の術といえるだろう。精神が繋がっているゆえに、ポケモンが混乱や催眠を受けるとトレーナーも同じように混乱したり眠ってしまう。元頭首はそれを見抜いていたようで、キズナヘンゲに成功して勝利を確信し気が緩んだ、そのわずかに見せた心の隙を突いて、的確に撃ち抜いてきたのだった。
 しかしカゲマサも無策にこの手合わせを受けたわけではない、おそらく元頭首はキズナヘンゲ目当てに手合わせを挑んてくることは予測がついていたし、このような精神攻撃をすることもだろうと予想したので対策として、事前にブラムに「様子がおかしかったら俺をぶん殴って乱入しろ」とあらかじめ言っておいたのだった。
 痛かったが、拳を握らずに掌底で殴ったのは優しさだと思うことにする。

「おや、1対1の真剣勝負に乱入とは無礼なことを」
『世迷い事を』
 元頭首の言葉に、ゲンジはそこから一歩も動かないように[影うち]を発動させて、引き出した自分の影に向かって苦無で[辻斬り]を放つ。
 それが届く直前に、その影は大きくゆがんで分離し、千切れた影は元頭首の下に戻って実体化し、大きな口を開いてゲラゲラと笑う。
 ゲンガーだ。
「2対2ならば問題ないだろう」
「2対2? 違う」
 元頭首が腕を組んで笑ったその刹那に、カゲマサ,ゲンジ,ブラム,ブリガロン全員の身動きがとれなくなる。突然カゲマサの後ろにゲッコウガが現れて、持っていた苦無をカゲマサの喉元に突きつける。
 驚いてまばたきをすると、目の前にいたゲッコウガの姿は大きく歪み、青白いキュウコンの姿になっていた。
 いつごろから里で暮らして生きているかカゲマサは知らない、里の生き字引にして歴代の里の頭首に仕える、あやかしの力を持つキュウコン、炎ではなく氷の体を持つ世にも珍しい狐ポケモンで、自由自在に姿を騙す妖変化あやかしへんげの術を得意とする。いつから入れ替わっていたのだろうか? いや、そんなことは些細なものだ。
「3体。 さてと、これで王手。 ――いやカロス風に言おうか、チェックメイトだ」
 ゲンガーの影踏みの素質を生かした、相手の動きをすべて封じこめる特技《影縫い》。それも対象を指定せずに敵味方関係なく全域を指定している影縫いとみられる、例えゲンガーを攻撃して術を解こうとしてもこの範囲にいる限りは解除されないだろう。

 影喰らい。
 妖変化。
 そして、影縫い。

 息をつく間も与えないように、立て続けに持っている策を叩きつける元頭領の姿は、とても"元"が付くように思えない。今も現役で戦い続ける忍びの姿だった。
 何が「私は隠居の身、お手柔らかに頼むぞ」だ、ぬけぬけと見え透いた嘘を、ああ、実に全く ――“忍び”らしい。
 だが

「読み通りだ」

 自分がそうするように、父上のことならば、必ずトレーナーの自分を、後ろから狙ってくるだろう。だからこそ、この策が生きる。

「我が身に戻れ!! きずなへんげ!!」

 ゲンジを包む光がカゲマサの身に舞い戻ると同時にゲンジの姿が元に戻り、カゲマサの護石が再び大きく輝き出す。
 重なり合う想いが再び同調して、決して負けない絆になる。
 カゲマサの周囲に瀑布のような渦が形成されると同時にそれは弾け飛ぶ、頭の髪は逆立ってゲッコウガのような兜が形成されて、服の上に胴体から四肢に掛けて黒い文様が形成される。巨大な舌のようなマフラー状の何かが首を大きく巻き付いて、口元を覆い隠す、それが後ろに伸びて、光の激流にそってなびく。
 腕と足には氷の手甲と氷の脛当が作り出され、そして背中からは三本の氷で作られた巨大クナイが尖りを込めて突き出した。


 人間の力と、ポケモンの力、その二つが混ざり合って化学反応を起こすことで実現するメガシンカ。
 その中でも、結ばれた強い絆によって特により強く混ざり合い、トレーナーとポケモンを融合したような姿になるキズナヘンゲ。


 あの戦いの後、カゲマサは考えた、両者の力が混ざり合って融合することで起こるならば、トレーナーの体にポケモンの力を注ぎ込むことで『人間をキズナヘンゲさせる』ことも可能ではないか? と。
 その後すぐに密かに検証と鍛錬を重ね、カゲマサ自身のキズナヘンゲに成功することができた。
 ただ、人間の体にポケモンの力は耐えられず、鍛えた体をもってしてもこの姿でいられるのはわずか十数秒、だがそれで充分だ。

 カゲマサの真後ろにいたゲッコウガは、キズナヘンゲ時に後ろから飛び出した氷のクナイ―― 氷柱の刃が突き刺さり、一瞬ひるんだ。
 縫い合わされた影を強引に剥がしとって、多少動けるようになったカゲマサは振り向き様に背中の巨大クナイを両手にそれぞれ掴み、大きく踏み込んでワザを放つ。

「クロスロード・スラッシュ!」

 一瞬で放つ、二連撃。 ゲンジが得意とする必殺技だ!
 これをまともにくらってしまったゲッコウガは地に伏せて、立ち上がることは叶わなかった。


 突然のことに唖然とする元頭領だったが、張りつめていた緊張が解きほぐれたのか、すぐに笑顔が零れ落ちる。
「お見事あっぱれなりっ! 投了しよう」
 そして嬉しそうに、両手を挙げながら降参をしたのだった。


 o◇  o◆  o◇  o◆  o◇  o◆


 ミアレから風が道を抜けていき、モモンの白い花が春風に乗って花吹雪となりメイスイ方面へと流れていく。
 空はうっすらとした雲だけが架かり、地面は春の芽吹きを感じる小さな若草が青く萌える。
 茣蓙の上には木より散り落ちたモモンの花びらが、葉に落ちた雪のように、ひとひらふたひら散りばめられている。

「見事であった」
 元頭首は茣蓙の端に置かれた忍びの遺産が収められた櫃を持ってきて、カゲマサの目の前に置いた。
「先ほどの手合わせを継承試練とし、久瑞流乱破六代目頭首、久瑞幸景の名において。 汝、久瑞景昌を久瑞流乱破七代目頭首に認める。以後、七代目として歴代頭首の名に恥じないよう精進いたすこと」
 カゲマサは座を正し、拳で一尺ほど後ろに下がった上で、深く頭を下げて礼をする。
「……有難き幸せ」
「おめでとう、我が息子よ。今日からお前が七代目だ」
「しかし――父上、こんなところで頭首の座を襲名されても……」
 カゲマサはひどく戸惑いながら、それを断ろうかとしたが、元頭首は首を振ってそれを制す。
「景昌。これは六代目としての最後のケジメなんだ、何も言わずに受け取れ。これで何のわだかまり無く、堂々と頭首の護石を手に輝綱変化をするといい。里は私が終わらせたから、次の八代目とかは考えなくてもいい」
 カゲマサはちらりと、今までは何も資格なしに使い続けてきた護石を見る。キズナヘンゲをするたびに、自分が頭首でないことを心の隅で気にしていた。自分はそんな資格などないという背徳感を常に抱き続けてきた。だが、今こうして七代目の襲名をしたことで胸を張って堂々とキズナヘンゲができるようになったということだ。
「実を言うとな、私は嬉しかったんだ。朝起きたら景昌と玄次の姿が無く、書き置きの手紙と共に櫃が無くなっていたことが。ここで幕を引いてしまうとは歴代の忍び達に申し訳ないと嘆いていたところに、息子がそれを引き継いでくれると言ってくれた。驚きはしたけれど、感謝しているのだよ」
「父上……」
「ほら、今もこの通り、あの時の手紙を持ち歩いているんだ」
 元頭首は服の懐から変色した手紙を取り出してカゲマサに見せる。
「なななな、なんで、それをまだ持っているっ のですかっ!」
 思春期の頃に書いた秘蔵の日記が見つかってしまったかのように取り乱して、カゲマサの声が裏返る。
「カゲマサ、お前そんな声も出せるんだな」
 ブラムは普段冷静沈着なカゲマサに、こんな一面があったのかと少々驚いた。
 そして同時に、父子なんだなぁとしみじみと感じ入る。
「読もうか?」
「勘弁してください」
『主よ……』
 ゲンジが呆れた声で呟く。
「そういうわけで、七代目の襲名を受けてくれるか?」
「はい…… 恐れながらこの景昌、お受けいたします」
「よしっ 新たなる頭首の誕生を祝って乾杯だ!!」
「おう、おめでとう!! カゲマサ! 乾杯っ!!」
 元頭首の乾杯の言葉に、ブラムは喜々として乾杯を応え、二人して猪口に入った白桃酒をグイッと飲み切った。
「…………」
 一緒に乾杯ができれば良かったのだが、二人と違って酒が飲めず下戸だったが故に、いまいち流れに乗り切れなかったカゲマサは猪口を片手に固まっていた。


「美しい花だな」
「そうだな、これだけの花が満開だと実に爽快だ」
 ブラムはミアレガレットをつまみにして、手に持った杯の桃酒を飲む。
 今回の花見の宴に用意した桃酒は、彼の友人の貴族ナルツィサ=メランクトーンが用意してくれたものだった。

 ――「なにっ、クズィーがモモンの花鑑賞会をするだとっ、なんてこった、くそっ、羨ましい! あの伯爵ジジイとの会食や中身のない宮殿会議とか無ければ私も一緒に行くのにっ!」
 ――「貴族は大変だな、お気持ちは感謝する」
 ――「くぅ、せめて…… これを私だと思って持っていってくれ、うちで作ったモモン酒だ。日之本の花見にはこういう酒を飲むのだろう」
 ――「あ、ありがたい。しかし、これはフィオラケス殿の酒では」
 ――「もんだいないっ! ところで、モモンの花を見るのは、どのあたりに行くつもり?」
 ――「現地に赴いてから考えるが、ハクダンあたりに目星をつけているが」
 ――「ほう、ハクダンか…… いいところらしいから一度は行ってみたいね」

 などと言って、一升ほどの瓶をカロスに旅立つカゲマサに持たせてくれた。
 とても甘いモモンの絞り汁をまるごと醸した白い自家製酒で、甘く飲みやすい。そのため下戸のカゲマサは飲み過ぎないように気を付ける必要があった。
「ところで、カゲマサよ」
「なんだ、ブラム」
「なんでこんな危ない橋を渡りながら、モモン畑の下で花見をすることにしたんだ?」
 ブラム達の国でも花を愛でて楽しむ文化は存在する、貴族は庭園を造って薔薇や百合を見て楽しみ、社交界ではそれを自慢をし合う、庶民も花が咲く時期は祭を開いてみんなで踊り回る、そのため元頭首で父親ことユキカゲ氏との会合のために花見の席を設けることは分かる。

 だが、なぜモモンの花なのか?

 ハクダンのモモン畑は王侯貴族のケーキや菓子の原料にするための糖を作るため、ほとんどすべてが貴族が持つ契約荘園となっている。要するにこの茣蓙を敷いて宴をしている場所はどこかの貴族の私有地であり、そこに勝手に不法侵入して、宴会をして、さらにはその畑でポケモンバトルまで行っている、見つかったら当然処刑である。
 もちろん見つからないように、忍びの秘術でポケモンのワザ[みがわり]を利用した『人払いの結界陣』を敷いて、外部から認識できなくさせているのだが、そこまでのリスクを背負ってまでなぜこのモモンの花見に拘るのだろうか?

「俺の故郷では、4月3日あたりの時期を《桃の節句》と呼んで、桃の花を愛でながら宴をしたり、歌を詠んだりする習慣があるんだ」
「モモンノセック? へぇ」
「元々は子どもの成長を願う祭だな、雛と呼ばれる人形に子どもにかかる災厄を拭って移し、厄の身代わりとなった人形は川に流して、子どもの無病息災を願うものだ。あと、モモンは日之本の隣国の中華では古くから仙人が食べる神聖な食べ物として崇められていて、仙人が住む場所を桃源郷と言ったり…… まあ、せっかくこの時期に席を設けることになったのだから、かつての故郷である日之本のことを懐かしむ意味もこめて、なんとかしてモモンの樹々の下で花見をしたいと思ったわけだ」
 カゲマサはしみじみと語る。
「へえ、そんな思い入れがあったのか。俺はモモンというと《モモンの種食らい》ということわざしか出てこないな」
「なんだそれは」
「モモンはとても甘く美味しいけど、モモンの種って毒だろ? 欲をかいて種を噛み砕いたり飲み込んだりすると腹を壊すことから、強欲は身を滅ぼすとかバチが当たるとかという意味のことわざとして《モモンの種食らい》と言うんだ」
「なるほど確かに、面白いな」


 また春風で桃の花びらが風に舞いあがり。茣蓙に雪影を映し出しているようだった。
 杯がまた傾き、桃下の祝宴はまだ続く。


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