戦禍と協定

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「……あー ……あー 聞こえるか?」
 先に走っていって、数十ヤードも離れている場所にいるはずのフィオラケスの声が、まるですぐ隣にいるかのようにカゲマサの耳に聞こえてきた。
「聞こえるよ」
「聞こえる」
 ナルツィサが返事を返したので、カゲマサもつられて返事を返す。
「よし、繋がったか」
「何をした……?」
「ディーを拠点にして、それぞれの声をリンクして貰った」
「うにゃぁ……」
 フィオラケスは身体の前に抱えていたニャオニクスを抱えあげて指し示し、遠くにいるカゲマサの方に見せる。ディーとはあのニャオニクスの名前らしい。
「狩場は広くて大きな声を出しても届かないから、こうして狩りの間はいつもディーに連係を取って貰っているんだ。ああ、もちろん声に出したことしか伝わらないから、頭で変なことを考えていても大丈夫だよ」
「ナルに言われたくないな」
「ひどい。私がいつもいかがわしいことを考えていると思っているの」
「私はいかがわしいとは一言も言ってないぞ」
「よくも騙したなっ」
「騙してない。少なくとも、そこでいかがわしいという単語が出てくる程度には考えているはずだ」
「……ふむ」
 二人のやりとりは放っておいて、フィオラケスに詳しく聞いてみると、これはエスパーポケモンであるニャオニクスの精神感応テレパスを用いた複数人会話マルチメンバーチャットらしい、ニャオニクスがそれぞれの感覚を読み取って、それを人間とポケモンを含めたメンバー全員に配っている。エスパーポケモンを親にした無線通信システムということになる。こうすることによって獲物を捕らえる際に、離れたところから互いに意志の疎通をして、集団の連携で追い詰めることができる。
 後でカゲマサが聞いた話によると、頭の中の思考を直接共有させているのはなく、自分が発した声を自分の耳で聞いた、この時の自分の『声を聞いた』感覚を共有させることで、喋った声を伝えているらしい。
「面白いな」
『然り』
「興味深い、何かに使えないか?」
『うむ、盗み聴かれる恐れは如何せん。古き歴史を紐解けば同様の手段はあったが、其のために活用も限られていた』
「ああ、そうか……そうだったな、まあ心の隅にでも置いておこうか」
『賢明だ』
 テレパシーを用いた集団通話は昔から知られており、かつては戦いの際に使われていたが、盗聴や妨害念波ジャミングを受けるため実戦での運用には注意が必要だった。そもそもカゲマサはエスパーポケモンを所持してないため、思い付きで簡単に導入できるものではない。むしろ、使われる側として傍受の方法を探るべきだろうか。




 o◇  o◆  o◇  o◆  o◇  o◆



「オォォォーーン」
「よし、きたか」
 オンバーンの静かな咆哮を聞いたフィオラケスは声を上げて、オンバーンに追い込みをさせながら、合図と共に彼を乗せたギャロップは駆けだす。
 加速し終えたところでフィオラケスは手綱を放し、背中に背負っていた長弓を構えて、矢の代わりに赤い短剣らしきものを矢枕に乗せて、素早くそして強く弓を引く。
「……あれは、ポケモンか」
 カゲマサは遠目から矢に代わりに射ようする正体を見極めた。
 射放たれた赤い剣のポケモンは、上空の鳥ポケモンに目掛けて飛んでいき、吸い込まれるようにして命中する。
 羽ばたく力を失った鳥ポケモンの体を、ポケモンから出た剣の穂(柄から伸びる飾り布)が空中で絡めとり拘束して、草むらの中に落下した。
 フィオラケスは手綱を再び握り直し、長弓を背負い直して速度を落としながら、地に落ちた獲物を探しに向かう。
「お見事、素晴らしい腕前だ」
「ありがとう」
 普通の色とは少し異なっていたが、あれはヒトツキというポケモンだろうとカゲマサは見た。
 矢の代わりにヒトツキを射る、その特性ノーガードにより多少狙いが外れても、届きさえすれば獲物に必ず命中することになる。だが、いくら自力で浮いているとはいえ、一本の剣と同じ重さの金属の塊を支えて弓で引く、しかもそれを走る馬に乗りながら行わなければならない。素人には到底不可能な技であり、それを可能にするためには日々の鍛練と並々ならぬ筋力が必要となるだろう。


 向こうではナルツィサがヒノヤコマに指示を出して、獲物のケンホロウを追い詰めていた。
 ヒノヤコマは進化するとファイアローとなり、殖やしやすく手懐けやすいことから、かつて戦場において無類の活躍を誇っていた。
 出撃して数分で敵陣地に到着し、ブレイブバードを放つだけ。その戦術のシンプルさ故に突破が極めて難しい。いかに強固な城壁を築こうとも空を軽々と越えて突撃できた。尖った岩ステルスロックを浮かべるなどの対策を打とうにも、ファイアロー自身が高速スピンで弾き飛ばせるポケモンを背中に乗せて飛べばよいなど、ファイアロー側はその対策の対策を打つ余裕があり、応用の利かせやすさも強さの一つだった。
 攻撃力も防御力も並であり、決して単体で強いポケモンではないが、戦闘に使わなくとも伝令や兵の移動、補給手段の確保など、優秀な指揮官にとって極めて秀でた駒となり。とある帝国に代々伝わるファイアローは他の種に比べて特に素早く、飛行ワザを使わせれば誰一種として敵うことは無かったとされ、帝国はそれを巧みに操ってあらゆる戦いに勝ち続け、大帝国を作りあげたという、そのファイアローは『はやてのつばさ』と呼ばれた。まさに一つの時代の構築したポケモンだった。そんなわけで貴族や騎士が持つポケモンとしてよく見かけるポケモンと言える。
「そのまま旋回、右に切れ」
 ナルツィサの指示にヒノヤコマは大きく旋回するが、オンバーンのようにうまく追い込むことはできなさそうだ。この間合いでは炎の渦で拘束しきることができず、逃げ道ができてしまう。
「……林に入るな」
「そうなったら、逃げられちゃうか」
 もし木々の中に潜り込んでしまったらもうヒノヤコマでは追うことができなくなる。
「中で待ち伏せして、そこで仕留めよう」
「ありがとうよろしく」
 カゲマサはギャロップを走らせて、林の中に入って行った。

「こちら、位置についた」
「OK、行くよ」
 ナルツィサの声から少しして、木の枝葉が擦れる音と共に何かが地面に落ちてきたようだった、急いでその場所に駆けつけて、やや疲れたケンホロウを見つけると、カゲマサは素早くクナイを投擲する。
 クナイは軽々と避けられてしまったが、元から当たるとは思っておらず、その注意を引くのが目的だったので問題は無い。クナイを投げる前に枝の上に待機していたゲンジが、木の上から枝の隙間を縫うようにして、獲物を狙い撃つ。ゲンジの放った[れいとうビーム]が急所の羽に命中し、翼から先に見る見るうちに凍り付いていった。
「よし」
『上手くいったな』
 カゲマサはここでの狩りの作法はよく分からなかったが、とりあえず殺さないように絞めて落とした上で、持っていたハーネスでグルグルに縛り上げて、持っていたボールの中に押し込めて収納することにした。

「お見事」
「いや、貴方のおかげだ」
「そんなことはないさ」
 それぞれが獲物を見つけるまでの隙間の時間で、カゲマサはナルツィサといろいろな話をした。


 長らく疑問だった、その服装の趣味について尋ねてみたところ。
 男児よりも女児の乳幼児の生存率が高いことから、この地では昔から男児に女児の服装をさせ、女と扱うことで死神の目から逃れようとすることがあるそうだ。ナルツィサの幼い頃は病弱であったため、長らく女児の格好で生活していた。両親も死神避けのために真面目に女の子扱いして育てていたために、幼い頃は本気で自分は女だと思い込んでいたそうで可愛らしい服を自ら進んで選んでいたそうで、そんな生活があまりに長かったために、辞め時がなく、ずるずると今に至ったらしい。

 メランクトーン家は元々は地主だった。もっとも、その家系は古代ローマまで遡ることができ、南方ローマの血を持つために髪が黒く、長らく土地の有力者としての地位を受け継いできたのだが、数代前から自分の土地で取れた物を商品作物として市場に売り、貨幣の運用により大きな財を成した。その金で子女を学ばせて官職につかせ、いわば貴族身分をお金で買ったという新興貴族である。
 対して、アルビノウァーヌス家は帯剣貴族と呼ばれる由緒正しい家柄であり、当主は子爵の地位を賜っている。歴史や功績から鑑みれば伯爵を賜ってもおかしくは無いが、高貴は血を嫌い、血を浴びる騎士は下の地位に追いやられるため、血生臭い剣を振るい続ける限り、冷遇されやすい事情がある。
 騎士上がりの爵位として言えば子爵は最高位であり、ナルツィサ曰く「伯爵に近い子爵」らしい。
 そんなアルビノウァーヌス家は常に貧乏と戦っていた、先ほどの領地に対して耕作に適した土地が少ないこともあるが、山を抱えるアルビノウァーヌス領は田舎街で、年々発展していく都市部への人や富の流出があった。封建制度も衰退気味で、台頭する新興貴族の影響で帯剣貴族はやや落ち目となり、このまま行けば家の存続も危ぶまれる事態になっていた。
 そこで思いついたのは領内の新興貴族メランクトーン家と縁戚関係を結び、新興貴族の財産を得るという手段だった。両家の奥方の妊娠がほぼ同時期に発覚した時に、アルビノウァーヌス家の当主は、まだ妊婦だったメランクトーン家の奥方を乳母として雇い入れて、あわよくば生まれたその二人が将来婚姻できればいいと画策した。
 その企みは二人の性別が同じであったために水の泡と化したが、そうして生まれたフィオラケスとナルツィサは乳兄弟として幼い頃から共に育てられたそうだ。乳兄弟の場合、乳母の子はそのまま従者になるのが普通だが、そういうことにならず幼馴染ということになった。

「クズィー、今回の依頼だけど、驚いただろう?」
「ああ、驚いた。一体何を依頼されるのだろうかと思っていたら、狩りを手伝ってくれとは……」
 
 報酬は昨日のうちに貰っていたため不満は無い。またカゲマサは自給自足して森で食糧を調達する生活をしており狩猟には多少の覚えがあるので、不慣れというわけではなった。
「私は、フィオは先日のリベンジで決闘でも申し込むんじゃないかと思ったよ」
「その可能性は捨てきれぬと、その準備もしていた」
「勝てそう?」
「そうだな…… 手加減ができないのが辛いか」
「どういうこと?」
「前回の戦いは、相手がゲッコウガというポケモンを知らないことを利用して短期決着を狙ったために勝てたようなもので、相手がやりたいことをやる前に叩いたが、もう次はそういうわけにもいかないだろう。また、あの時はスタジアムの狭さというオンバーンにとって不利な場であった、このような広い場所で戦うと勝てないだろう。明らかに地力で負けているから、相手は牽制のつもりでもこちらは全力で対処しないと押し負けてしまう。できれば多少の手加減ができるくらいの余裕が欲しい」
「なら、どう攻める?」
「なんとか気配を消して、懐に潜り込む策を考えるしかないな」
「ふーん」
 ナルツィサはその回答に詮索はせず、話題を切り替える。
「今回、クズィーをここに誘ったのはいろいろと事情があってね。ベーメンブルクの一件以降、周りの諸侯達の間で不穏な動きが見え隠れしている。形式上は反乱は鎮圧されて王国の勝利という形に終わったが、新教徒の不満は未だに燻ったままになっている」
「うむ」


 カゲマサは先日のベーメンブルクの戦いに参戦した。その際に一度は降参したが、それを無効にして再戦して勝利し、民衆軍を勝利に導いた。
 だがその後、王国を束ねる帝国本邦から『あの降参は有効である』という達しが下ったことで一転し、王国側の勝利に覆ってしまった。さらにこの一件は王国内での内乱に留まらず、その上の帝国の本軍までもが介入して圧力を加えてきた、これ以上逆らうと帝国軍が直々に戦うと脅してきたのだ。
 民衆軍は王国ならまだしもさすがに帝国軍相手では勝ち目はないため、相手の言うことを聞くしかなくなってしまった、新教徒諸侯の領地が大幅に削られ、国内の新教徒への締め付けが更に強まるという不本意な結果に終わってしまった。
 日之本にいた頃より祖霊土地神を信仰するカゲマサは、この宗教対立のどちらかに肩入れをする気はなく、速やかに身を隠して行方を眩ませた。不用意に居座れば帝国軍に命を狙われかねず、民衆軍に担ぎ上げられるのも断じて避けたかった。あくまでも、何も持たない影なのだ。
「いくらでもやりようのある流れではあったけど、信仰の違いという非常にデリケートな問題に対する回答としては、いささか強引だった」
「そうだな、まさかこんなことになるとは思わなかった」

 カゲマサ自身も降参の撤回は流石に無茶だったという自覚はあり、取り下げも止む無しと考えていたが。喧嘩両成敗ということで新教徒に寛容だった頃に戻し、お互いに折り合いがつくだろう思っていたところ、この結末は予想外であった。
 いくらベーメンブルク王が皇帝の名家の血筋だからと言って、自治の独立が認められている一地方に対してこのような必要以上の干渉してくるのはあまりに不可解だ。おそらくは何かの影がそこに渦巻いているのでは、とカゲマサは感じ取っていた。
「フィオや私たちにとって幸いなことは、このアルビノウァーヌス家の領地は中心から外れていて、戦場になるということはないことだね」
 アルビノウァーヌス領は帝国中心部よりもカロス国との距離の方が近い、ベーメンブルクの戦いへの参加で充分な義理は通したので、帝国から派兵通知が届いても理由を付けて拒むことができそうで、この戦争に巻き込まれる心配は今のところはないと言える。

「一応……ありうるとすればカロスとの戦争になる場合か」
「いやしかし、いくら帝国とカロスの仲が悪いと言えど、今回は宗教対立である以上は手出しをしてくることは無いだろう」
「カロスは帝国と同じ旧教国だからな、援軍くらいは送ってきそうだが、カロスもカロスで国内に問題を抱えている。うかつに手を出せばカロス国内の宗教対立の火種を誘うことになるから静観するだろう。余計な首をつっこんで火傷したくはない」
「まあ、カロスが攻めてくるなんてバカなことはありえないだろう」
「ありえんな」
 なおこの後、宗教戦争だったにも関わらず旧教国が味方のはずの旧教国に攻め込むという“ありえないバカなこと”が本当に起こるのだが、この時点の二人にはそんなこと全く予想もつかなかった。


「御存じの通り、アルビノウァーヌス家は古くからある武家貴族で、領地も辺境にあり、あまり社交界での交流は無い方だ。古くからの繋がりでそれなり情報は流れてくるが、有事の際にもその身と剣一つで解決していたこともあり、他を頼るようなことがなかった。今の状況はしばらくは静観できるが、少々心もとないところがある」
「なるほど、そういうことだったのか」
「お、理解が早くて助かるね」
 アルビノウァーヌス家は武闘派で名を馳せた反面、細かい工作が苦手であり、フィオラケス=アルビノウァーヌスは裏方で動ける隠密のカゲマサと今のうちに接触しておき、今後のいざという時に裏方で行動できる存在と繋がりを持とうとしていたのだ。
 ただ、何も起きてない今の状況では正式な仕事の依頼は何もない。かと言って、ただ会うだけでというわけにも行かない。そのため、とりあえず趣味の遊びに誘うことになったのだ。
「世間一般的には、お茶会やパーティを開いて、それに招いたりするけど、フィオはそういうガラじゃないし、クズィーもそういうの好きじゃないだろう?」
「ああ、こういう狩りの方が気楽でいいな」
 剣を交えて負かした因縁のある相手に突然呼ばれて食事なんか出されたら、間違いなく罠と考え、毒が盛られていることを警戒する。
 それはどう考えても悪手だ。
「……まあ、そういうわけだけど、依頼主と手先の関係ではなく手軽に会って話ができるように、私個人的としてはクズィーとフィオが仲良くなってほしいと思っているんだ」
 ナルツィサはまっすぐ前を向きながら言葉を続ける。
「あいつ、友達いないから」
「ぐふ……」
 不意に言われたその言葉が何故だかツボに入り、思わず吹き出してしまった。
「こんな時代にも関わらず、騎士の修行なんか始めるくらいすごくマジメでさぁ。なのにいろいろと誤解されやすいんだよなぁ」
「…………」
 そのいろいろな誤解はほとんどナルツィサの仕業であることを、カゲマサは知っていたが、黙っておくことにした。もっともナルツィサは分かった上で言っているかもしれないのだが。
 人たらしで世渡り上手で、良く思われやすいナルツィサの奇行の原因は、フィオラケスであると濡れ衣を着せられている。
「まあ、良ければ仲良くしてやってほしい」
「あ、ああ」
「……聞き捨てならないぞ、どういうことだナル」
「!? ってフィオ、いつから聞いていたんだ」
「一番最初からだ」
 突然聞こえてきたフィオラケスの発言に驚くナルツィサ。こうした狩りの最中はニャオニクスを用いたチャットネットワークは繋ぎっぱなしのため、ここまでの会話がダダ漏れだったようだ。
「友達がいないから仲良くしてくれだなんて心外だ。 ……いや、まあそうかもしれないが、ナルには言われたくないな」
「どういう意味だ、それ」
「……あー」
『主は黙ってろ』
「そうだな」
 とりあえず何か言おうとしていたところをゲンジに止められたので、その場では大人しく二人の会話を黙って聞くことにした。


 o◇  o◆  o◇  o◆  o◇  o◆


 充分な獲物を得られたとのことで、日が傾き始める頃に狩りを終えて、屋敷へと帰還した。
 本日の獲物はフィオラケス自らの手でナイフをふるって解体し、血抜きと乾燥などの処理を済ます。ポケモンの皮膚は極めて硬く、高い再生能力も持っている。吊し上げて血抜きを済ませたビーダルを、屠殺台に並べて、硬い皮膚を目掛けて両手で短刀を突き刺す、刺さったら瞬時に筋にそって引き裂き、毛皮を剥がしとる。ビーダルの毛皮は水を弾き、極めて保温性が高いため、市場では高く売れる。作物が育ちにくいアルビノウァーヌス領においては貴重な収入源となっている。また、真冬の雪が積もる川の中で生活できるビーダルの肉は極めて脂身が多いため、ここでは貴重なエネルギー源でもあった。
 今日はカゲマサがいたために特別に量が多い、時間が経つとそれだけ劣化していくため、秒単位でいかに早く処理を済ますかがカギであり、フィオラケスは一心不乱にナイフを突き刺しては次々と屠殺加工処理を行っていく。カゲマサは鬼気迫る顔で向かい合うフィオラケスの後ろ姿を驚きの表情で見つめていた。ポケモンの身体は固いため、人力で解体するにはとてつもない馬鹿力が必要なのだ。
 そこに、ドレスを脱いでジャケットに手を通し、簡単に着替えて来たナルツィサが現れた。
「フィオ~ 例の件だけど、進めていいか?」
「構わない。是非進めてくれ」
「OK じゃあ、クズィー、こっちに来てくれ」
 ナルツィサはカゲマサを手招きして、屋敷の奥へと案内する。
 通された部屋は、壁の棚にはたくさんの書物が収められ、机と椅子がいくつか並ぶ、執務室だった。
 ナルツィサは大きな机の引き出しから一枚の羊皮紙とインクを取り出すと、ペンを片手にナルツィサは言う。
「協定を結ぼう」
「協定……?」
 仕事の真面目な顔になったナルツィサは羊皮紙の上をペンを走らせながら、その内容について細かく説明をする。
「アルビノウァーヌス家―クズイ氏間において、不可侵として互いに社会的危害を加えることを禁じる。及び友好協定として以下の提供を行う」
 なるほどそういう話が始まるのか、と察してカゲマサは立ちながらその内容を聞く。
 今は忙しいフィオラケスに代わって、乳兄弟であるナルツィサが代理で協定を結ぼうということらしい。
「クズイ氏。フィオラケス=アルビノウァーヌスからの連絡手段を確保する。ただし依頼の拒否権は認めるとする」
 これは今回の依頼のように『いつ届くのか分からず、届かないかもしれない不確定な連絡手段』ではなく、確実に伝わるような連絡ルートを確保して欲しいということだ。ただし、この手の貴族契約にありがちな、絶対に受けなければならない強制力はないことを保障している。これに関してはカゲマサは問題ない。
「対して、フィオラケス=アルビノウァーヌスより対価として提供することは3つ。まず、アルビノウァーヌス領からカロス国境を越える際の、関の通行手形を発行」
「ふむ」
 カゲマサのかつての里の仲間達はカロスにいる、凱旋帰郷というわけでは無いが、いつかはカロスに挨拶しに戻ろうと思っていた。前回のようにまた密入国をしようかと目論んでいたが、それならばその手間は省けそうだ。
「アルビノウァーヌス家所有の一般書架への出入りの許可。そのためにクズィーには屋敷の臨時掃除人として登録しておくよ」
「書架か」
 本が貴重品であるこの時代に、貴族が所有する本を読む機会が得られるのは嬉しい。情報集めもだいぶ楽になりそうだ。
「そして、私が所有している婦女服をいくつか寄与する」
「……?!」
「クズィーには青が似合うだろうな、流れるような揺蕩う水を思わせる深い蒼のドレスとか良いか、今ならサービスして扇子も付けよう。ふふ、目に浮かぶようだ」
挿絵画像

「…………」
 なぜかぞぞぞと鳥肌が立ったが、気のせいだろう。
 これの申し出は…… 正直あまり認めたくはないが、カゲマサにとって有り難いことだった。
 忍者として諜報潜入任務をするにあたり変装は必須になる。平民の娘服や貴族の紳士服ならまだ容易だが、貴婦人服は極めて入手が難しい、さらに服はすべてオーダーメイドで、女性のラインぴったりに採寸されて作られているため、仮に手に入れても男の体では着ることはできないだろう。
 多少の調整は必要になるが男性の体に合わせて作られた女性服が手に入るとすれば、変装潜入の選択肢はぐっと多くなる。……まあ、着たくはないが、選択肢は多いに越したことは無い。
「そんなところでどうだ?」
「……契約の反故について聞きたい」
「これは契約ではなく協定だ、好きに反故にするといい。が」
 脅しか凄みか、ナルツィサの琥珀色の瞳が鋭く光る。
「不可侵を破り、然るべき対処を行うことになる」
「そうか」
 協定が破棄されればそれまで通りの、敵かもしれない関係に戻ることになるだけで、違約金があるわけではない。連絡手段の確保は、確実に届くように複数用意することになるが、これに関してはさほど苦ではない。三つの対価に関してはどれもカゲマサにとって嬉しいものであり、むしろ貰いすぎではないかと心配にはなったが。関の手形も書架も許可を出すだけであって、婦人服はようするにナルツィサが着なくなった服の在庫処分ということで、彼らは全く金を払ってないということになる。全体的に見ればカゲマサにとって有利な条件であった、なによりも貴族の後ろ盾に近いものが得られるのは嬉しい。
 この程度であれば口約束で済ませても構わないとは思ったが、断る理由というものは無かったので、羊皮紙にサインして、カゲマサは執務室を後にした。

「それにしても……」
 ずいぶんと踏みこんだ内容の協定だった。その内容からして、よほどカゲマサは気に入られていたようだった。
 ……しかしどうもおかしい、今日の狩りの最中にずっと話していたナルツィサから信頼されていたのならばまだ分かるが、あれはフィオラケス=アルビノウァーヌスとの契りなのだ、今日の狩りでフィオラケスはカゲマサとほとんど会話を交わしてないし、そこまで信頼される理由も分からない。いくら代理とはいえ彼の独断で結べるような内容ではないはずだ。そんな会話……あれ、かい、わ?
「まさか…… あの狩りの間の会話を、全部聞かれて、それで」
『主、まさか今になって気付いたのか』
「……うかつなことを口を滑らせてなかっただろうか」
『む、間抜にも再戦時の戦略について聞き出されていた他に在ったか……?』
「…………」
 どこまでがナルツィサの掌の上なのかは分からないが、奇抜な姿で近づいて人の心に寄ってくるナルツィサはとんだ食わせ者だったようで、「ナルツィサには気を付けろ」という言葉もしっかりと胸に刻まないといけないとカゲマサは思い知った。


 o◇  o◆  o◇  o◆  o◇  o◆

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 その日の晩御飯はスープをふるまわれた。
 野菜はくたくたになるまで煮込んだ後、茹で汁を捨てて、味をすべて殺した野菜のカスのようなものを鍋に投入
 ビーダルの生肉をブリーの実のジャムで漬け込み、柔らかくなったものを薪火で焼いて、鍋に投入し
 小麦を練って叩いて切り、少し乾燥させて作った太めのパスタも、鍋に投入して煮込んでスープを作った。
 食後にナルツィサは「この料理、クズィーの故郷ではどう言うんだ、漢字で書いてくれ」とカゲマサにせびってきた。本来の料理とはとても似ても似つかぬような気がしていたが、カゲマサは少し悩んだ末に彼の服に墨で書いてあげた。


 鍋焼饂飩なべやきうどん と


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