Episode-3 こんなおれでも、一緒にいたいって思ってくれるか?

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:39分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 学校の方には母が先んじて連絡を入れ、しばらく病欠扱いにしてもらえる事となった。当面の問題はこれで片付き、ソラと一度部屋に戻る。気絶していた時間もあるとはいえ、ちゃんと取った睡眠は家を出る前の仮眠のみ。ましてソラの方は寝ずに動いていた事になる。
 学校に行かない分、活動に専念する時間が増えたのは悪くはない。しかし、昨日の今日でいきなり動かなければならない程逼迫しているわけでもなく、何か手掛かりがあるわけでもない。まずは休息が大事との判断から、カケルはソラにおとなしく休んでおくようにと再三に渡って指示していた。満腹と睡眠不足で睡魔に襲われ、ソラの方は話をしながら船を漕ぐ始末。その状態でもカケルを慮る事は忘れず、自分は大丈夫だ、カケルを早く元に戻す方が先決だと主張したところ。
「正義のヒーローは、いざという時のために体調管理も大事ってな! これ、師匠の受け売りの合言葉の一つでな!」
 念押しをされてしまった上で、いよいよ眠気の限界が近かった。もうカケルがトレーナーじゃない事もあって、どちらもポケモンの姿。最初はカケルがベッドで寝るようにと促してはいたが、頭の回らない状態ではそう言い合いも長くは続かず、ソラはそのままベッドに寝かされる事となる。静かに寝息を立て始めたのを確認すると、当の本人は窓から外へと繰り出した。
「もしこれがばれたら、ソラが後で怒るだろうなー。でも、今の内に確認しておきたいんだ。ごめんね」
 ソラにも母にも無断での外出に、後ろめたさを感じないと言えば嘘になるが、それを推してもなお確かめたい事がカケルにはあった。いつもなら学校に通っている時間だけに、日が昇っている内に屋根を駆けるのは、新鮮さと罪悪感が入り混じる複雑な感覚だった。新鮮なのは何も時間の話だけではない。移動速度も持久力も段違いに上がった事を、激しく体を動かす事で改めて実感していた。人間の頃は体力の減りが早かったり、極端に高いところは登れなかったり、遠い場所には飛び移れなかったりしたが、今の体とは違いが歴然だった。手放しで喜んではいられないと思いつつも、目覚めた頃のような戸惑いばかりが胸を支配する事はなくなっていた。
 軽快にカケルが足を運んだ先は、昨夜自分がポケモンに変えられた場所――田園地帯の風車小屋の近くだった。ルカリオとゴウカザルの二匹が激しくやり合ったにもかかわらず、一夜明けて見ても特に大きな被害はなさそうだった。無事を確認出来ただけでもヒーローとして駆けつけた甲斐があると感じつつも、内心穏やかではない。何せ現場の無事を確認するのが主目的ではないからだった。
『あら。見覚えのある服にマフラーを着けたエースバーンって事は、昨日の坊やか』
 背筋を刃物で撫でられたような戦慄が走る。犯人は現場に戻る、とはよく言われる事だが、実際に遭遇すると予感が的中した喜びより、心臓を鷲掴みにされたような緊張感の方が勝った。待ち伏せか追跡でもしていたかのようなタイミングの登場に、カケルの全身の毛が逆立つ。
「おまえっ、よくも抜け抜けとおれの前に姿を現しやがったな!」
 ここで会ったが百年目、そんな気概でカケルは一気に迫る。足の動かし方はある程度物にしているが、肝心のポケモンとしての技の出し方などは未だ習得していない。元の身体能力を活かし、俊足からわざでもない“ただの飛び蹴り”を繰り出す。その素早い蹴りはしかし、女の背後から現れた影――昨晩対決したゴウカザルに阻まれ、反撃の拳で地面に叩きつけられる。
「ぎ……いってえ!」
『不慣れな体で無理しちゃダメだよう。まだまだ君には研究対象として頑張ってもらわねばならないんだ。不用意な戦いでせいぜい命を落とさないようにねえ』
「ふざ、けるなっ!」
 不意打ちのダメージで、視界にちかちかと星が見えた。ありもしない幻覚を必死に振り払い、カケルは体を起こして構える。初めての戦闘体験ではあるが、被弾しても人間の時ほど損傷は受けてないのは好都合だった。ポケモンの体になったお陰か、頑丈さが増したのだと理解する。怒りの矛先は白衣の女性から変わらず、人間の時とは比べ物にならない速度で肉薄する。
 人間ならば反応は間に合わない。だが、ポケモンならば間に合う。二度目の妨害を予想し、女性に辿り着く前に大きく跳躍する。ゴウカザルの接近が見えたが、女性と共に飛び越え、背後に着地。すかさず蹴りを繰り出そうとするが、そこは“本物”の方が上手だった。渾身の蹴りは、いつの間にか回り込んでいたゴウカザルの両腕にガードされてしまった。奇策自体は悪くなかったが、生憎力不足でダメージらしいダメージは与えられなかった。
『とは言え、躾が必要って奴か。少し懲らしめちゃってよ』
「姐さんの指示とあらば。骨の一つや二つくらい折ってやりやしょう」
 ゴウカザルは主人の命令に頷き、受け止めたカケルの足をがっしりと掴む。片足では身動きすらままならず、空いた両手も届かず抵抗が叶わない。隙だらけになった少年の足を持ち上げ、勢いよく壁に叩きつける。
「ぐ、このぉっ!」
 意識を飛ばされそうになりながら、カケルは残った片足で足掻く。掴まれていた腕を蹴り飛ばし、何とか解放された。しかし、その安堵に浸るのも束の間。攻撃に転じたゴウカザルが、懐まで一気に接近してきた。目にも留まらぬ速さの拳が、カケルの腹部にめり込んだ。肺から絞り出される空気が涎と共に吐き出される。悶絶する少年に、容赦なく二発、三発と“マッハパンチ”が突き刺さる。
 連撃が止み、カケルは吐き気を堪えながら閉じていた目を開ける。足は震えているが、まだ立っていられる。すかさず反撃に移ろうとするが、眼前にいたはずの敵は、既に脇に陣取っていた。振り向く隙すら与えてもらえず、炎に包まれた体当たりをもろに受ける事となった。衝撃で視界がぼやけ、直後に襲う灼熱で意識を蝕まれる。体が地べたに倒れていると気づくまでに、一瞬のタイムラグがあるくらいだった。
「がはっ……うぅっ……」
 追撃を恐れるように、体が自然と蹲る。慣れない体で、慣れない痛みの連続。奇襲を思い立った頃の威勢は完全に鳴りを潜めていた。戦意を失いかけ、動けなくなっているところに、ゴウカザルの蹴りが見舞われる。足蹴自体に大した威力こそなかったが、地面を転がる内に自身の無力さを思い知らされ、反撃の意思すら摘み取られる。
『さっきまでの勇ましさはどこに行っちゃったのかな? 正義のヒーローとやらもこの程度のものか。これでは、この町を乗っ取るのも容易そう』
「なん、だって」
 聞き捨てならない台詞が耳に入った。燻っていた心に怒りの炎を点火する。体は痛むが動かないわけではない。両手に地面を着き、カケルは必死に奮起する。自分がなじられるのは構わない。だが、師匠から譲り受けた「正義のヒーロー」という肩書を馬鹿にされるのが許せなかった。何より、その名に泥を塗る形になった自分自身が、許せなかった。
 思春期の少年にありがちな、一時の気の迷いだと思われようとも。くだらない幻想を追いかけているのだと笑われようとも。正義のヒーローでいられる事に、誇りを持っていた。自分の今までの努力を、先代のヒーローが積み上げてきた研鑽けんさんを、否定されたくはなかった。なればこそ、ここで立ち上がらないという選択肢はない。
 正義のヒーローとは、逆境でも立ち上がるものだ。立ち上がって、恐怖など笑い飛ばすものだ。それは師匠の教えの一つでもあった。苦しい時にこそ笑う。笑わないヒーローに、誰かを安心して笑わせる事など出来るはずもない。師匠の教え通り、カケルはふらふらの状態で立ち上がりながら、不敵に笑ってみせる。
「させねーよ。この町の平和は、おれが託されたんだ。絶対に負けるもんか!」
「吼えるな。雑魚は雑魚らしくぶっ倒れとけ」
 技もまともに使えない。動きもポケモンほど洗練されてはいない。ただ気合いだけで立った少年を、ゴウカザルは明らかに侮っていた。拳を突き合わせ、嘲笑交じりに睨みつける。主人から許可を得たのもあり、躊躇いなく痛めつけにかかろうとしていた。
 慢心から来る大振りな攻撃にこそ、カケルが付け入る隙はあった。真っ直ぐ伸ばす拳に、見据える先は一点。腹部狙いの見え透いた拳を直感し、カケルは初めてゴウカザルの顔を“ふいうち”で蹴り飛ばした。油断しきっていたゴウカザルは、二転三転と主人の元まで飛ばされる。がばっと起き上がったその顔に、既に余裕の色はなくなっていた。
「どうした? 技も使えない雑魚に転ばされてるんだぜ?」
「テメェ、やりやがったな! ぶちのめしてやる!」
 ゴウカザルは拳に炎を滾らせ、怒りに任せて肉薄しようとする。突進しようと踏み出したその足元に、蒼い光弾が撃ち込まれた。牽制の攻撃で出しかけていた足を止め、舞う砂塵を振り払いながら屋根の上を睨む。次弾の準備をしたルカリオのソラが立っていた事に、他でもないカケルが驚いていた。友軍の登場に、女性はつまらなさそうに嘆息を一つ。
『ここは一旦退きましょ。やはり正義のヒーローってやつはしぶとくて苦手なものね。その気概に免じて良い事を教えてあげる。今後町を――正確には、君を狙う刺客が現れる予定だけど、君は見事に凌げるかな? それが全て叶った暁には、君がエースバーンの姿になったいきさつも教えてあげるからね。直近だと明日になるかな。何が起こるかはお楽しみにね』
 白衣の女はゴウカザルに抱えられ、瞬く間にどこかへ跳び去って行った。カケルも後を追おうとするが、ゴウカザルに受けた傷が疼いて二の足を踏む。無事切り抜けた安心感からか、カケルは緊張の糸が解けて力が抜けた。同時に一気に倦怠感が押し寄せてきた。前のめりに倒れかけた体を、咄嗟にソラが受け止める。傷を負った体を気遣って、抱き寄せるように優しく。
「カケル、大丈夫!?」
「う、うん。ソラ、怒ってねーのか? その、黙って出て行った事」
「そりゃあ怒ってるよ。ボクを置いていった挙句、一人でこんなにぼろぼろになって無茶してさ。だけど、カケルがそうしたいって思った事を、否定するつもりはない。本当はどうすべきか迷ってて、ここに来たんでしょ?」
「うん。けど、今のでやりたい事が決まったぜ。おれ、もっと強くなりたい。どんなに食らいつこうとしても、ゴウカザルにまるで歯が立たなかった。トレーナーとしても未熟だったけど、ポケモンとして戦うのなんてそれ以下だ。ポケモンとして生きるのに慣れるつもりはねーけど、このままじゃ正義のヒーローとして戦うなんて話にならないからな」
「わかった。そうと決まれば、特訓あるのみだね。まずは帰って手当てをするのが先決だ。歩ける?」
「大丈夫、それくらいは――いっつ」
 ソラを軽く押しのけて、自分の足で歩こうと半ば意地を張る。だが、心の強がりに応えるだけの力は、体には残されていなかった。がくりと膝から崩れ、痛みを堪えるように目をきつく閉じる。呆れたように溜め息を吐きつつ、ソラは軽々とカケルを背負った。
「どこが大丈夫なんだったら。カケルの大丈夫はあてにならないんだから」
「ごめん」
「カケルはいっつも謝ってばっかだなあ。気にしなくて良いよ。そういう時は、ごめんより先に、ありがとうって言ってもらえると嬉しいんだけど――」
 やけに力のない返事に首を捻って顔を見ると、カケルは瞼を閉ざして意識を失っていた。睡魔に耐え切れなくなったのか、受けたダメージが重かったのか。いずれにせよ、安心できる背に力なくもたれるカケルは、安らかな寝顔を見せていた。極力揺らして起こさぬように、ソラは慎重に、決して嫌そうな顔をする事なく家まで運んで行った。

 カケルが目を覚ましたのは、お昼過ぎの頃。足りなかった睡眠を補った事で、疲労はある程度回復していた。だが、いかに頑丈になったポケモンの体であろうと、あくまで体力が幾分か戻っただけ。“じこさいせい”の技や“しぜんかいふく”の特性持ちではないため、睡眠だけで怪我が治る事はない。人間だった頃はソラをボールに入れてポケモンセンターに預ければ良かったものも、お互いポケモンである身ではそうもいかない。少なくとも今は他に頼る手段もないと、治療する道具は一式揃っているのもあって、自宅で手当てする事になった。
「いててっ! も、もう少し優しくしてくれよっ」
 傷薬を吹き付けて包帯を巻く。その度に、涙目になるカケルの悲鳴が上がった。元よりやんちゃな性分で傷をこさえて帰ってくる事もあったが、あくまでそれは小さな擦り傷や切り傷レベル。丁寧に処置が必要なほどの怪我は、実際初めてに近かった。
「生半可な手当てじゃそれこそ意味ないでしょ? それに、これだけ痛い思いをする手当てが必要なくらい無茶したんだって良い教訓になった、でしょ!」
「――っつ! なあ、やっぱり怒ってねーか?」
「べっつにー」
「ごめん」
「良いよ。気にしてないから」
「……信頼してなかったわけじゃねーんだ。ただ、おれのせいで振り回したから、少しでも休ませてやりたくて……ごめん」
「もう、わかってるってば。だから、そんな泣きそうな顔しないで? ボクのために良くない意味で泣くなんてして欲しくないしさ」
「こ、これはっ、ソラの手当てが痛かったからだいっ! 自意識過剰ってやつだぜ、それ!」
 包帯の巻かれていない方の腕で、ごしごしと潤んだ目元を拭う。痛みに対するやせ我慢からか、ソラへの度重なる申し訳なさからか。涙ばかり見られるのもかっこ悪いと、乱暴にごまかすカケルの顔は、無理に笑いこそすれ、未だ晴れやかなものには程遠かった。心配させまいとする頑張りを無下にもしたくないが、言葉が通じる今だからこそ、ソラとしてはどうしても慰めずにはいられない。
「良かった。それでこそカケルだ。心配しないで。ボクはこれっぽっちも振り回されたなんて思ってない。だから、自分を責めるような事はしないでね?」
「――っ。人の心を見透かしたような事言いやがって。波動の力か? 何にせよ、わかったよ」
「カケルが人間の時はそんな事思わなかったのに、何だか手のかかる弟が増えたみたいだ」
「手のかかる弟で悪かったなあ! おれ、兄ちゃんいないから、羨ましくないって言ったら嘘だけどさ。お前がそんな事言うならいっそ、ソラにーちゃんって呼んでやろうか?」
「にーちゃん、かあ。ボクも兄弟なんていないけど、呼ばれるのも割と悪くない気分だ。だとしたら、兄らしい事……うーん。次々と苦しい事いっぱいで大変だろうけど、ちゃんと前を向いて歩けているのは良い子だね。よしよし」
 優しい微笑みと共に、ソラはカケルの頭に手を伸ばす。冗談交じりのやり取りで、口を衝いて出たのは演技でも、気持ちに嘘偽りはない。ソラの中で浮かんだ精一杯の兄らしさの表出。カケルが人間の頃にやっていたのを真似るように、その想いのままに頭をそっと撫でてみる。カケルには「また人をおちょくるんじゃねーよ!」と終止符を打たれるのではと、内心高を括っていた。
 だが、ソラが予想する展開は訪れなかった。カケルはほんのりと顔を紅潮させ、伏し目がちになる。ぱちぱちと瞬きの回数が増え、心なしか耳が揺れ動いているようだった。目を細くして歯を見せ、にかっと笑う明朗快活な面影はもはや存在しない。面映ゆそうに視線を逸らし、まんざらでもないどころか頬を綻ばせていた。いつになく素直な照れ隠しの色はしかし、ソラの視線に気づいた辺りで曇りがちになる。
「おれ、別に良い子じゃねーし……」
「ううん。カケル、君はきっと――」
 正義のヒーローと活動している時も、それよりずっと前も。主にバトルをした時ではあるが、カケルはソラを称える場面が多かった。勝った時も負けた時も、いつだって戦いの後は笑顔で出迎え、感謝の言葉と共に頭や頬を撫でたりする。ソラ自身も決して嫌な気がするわけでもなく、むしろ満面に喜色を湛えて喜んでいた。内心過剰な気がして不思議にも思っていたが、言葉が通じない以上はその違和感が何に繋がるでもなく過ごしていた。
 それが今、同じポケモンになって、同じ視点に立って、言葉が初めて通じるようになって。トレーナーとポケモンと言う間柄の垣根を越えた事で、カケルという少年の等身大の姿が浮き彫りになってきた。しきりにソラを褒めていたのは、心のどこかに知らず隠していた、自身がして欲しい事の裏返し。
 元気だけが取り柄くらいの少年にとって、才色兼備の同年代の子供が学校で褒められる事も、実力のある少年少女が冒険をして名声を上げるのも、見ていて羨ましいものだった。羨望や嫉妬に揺れ動く感情も少なからずあった。それを収める鞘として機能したのが、他でもない“正義のヒーロー”と呼ばれる、特別な存在だった。その存在に縋る事で、自分という存在を認めて欲しかった。特別ですごいのだと、褒めて欲しかった。
 けれど、活動自体は闇夜に紛れて行うがための弊害か、脚光を浴びるのは光の当たりやすい戦闘担当のソラが多かった。ここ最近抱えていた苦悩の根本的なところにあるのが、自己承認欲求に他ならない。心の奥底で望んでいた欲求を満たせないままに、矛盾したやり甲斐を内に秘めながら、正義のヒーローとして頑張り続けていた。
 報われる事のなかった想いが、溢れ出してはいけないと自制をかけていた欲望が、ソラの行動によって解き放たれた。故に、今のカケルは今までで一番自分らしく、良い意味で年相応の子供らしく、自分の感情を表に出せていたのだ。波動を読み取ろうとするだけでは見えてこなかった真実に、ソラもようやく腑に落ちたように穏やかな表情を見せる。
「――きっと、『良い子でいよう』とし過ぎたんだ。そうやって、自分を押し殺す事に慣れてしまっていた。そういう意味では、悪い子なんだと思う」
「だよな? おれには良い子なんて似合わないんだぜー」
「話はまだ途中だよ。でも、これまで正義のヒーローとして、誰かのためにずっと頑張ってきた。欲しいものが手に入らなくても、ちゃんと町を守るって目的のために、努力を惜しまず。ボクだって“ヒーロー”というものについて詳しくはないけど、カケルのその姿勢はヒーローとして十分なんじゃないかな」
「そ、そうかな? おれ、かっこいいヒーローに、なれたのかな? まだまだそんなものには遠いって思って、がむしゃらに頑張らなくちゃって思ってたけど、少しは近づいたって誇っても良いのかな?」
「うん。君はもう心意気から既に、立派なヒーローだと思うよ。その上で伝えたいんだけど、よく頑張ったね。カケル、君はえらいよ。ずっと傍で君の事を見てきたボクが言うんだもん、間違いないよ」
「えへへ……なんだよ、面と向かって言われると、何だかちょっと恥ずかしいな。褒められたのなんて、いつぶりだろ。本当はおれがソラを褒める立場なのに。くすぐったいけど、嬉しいや」
 カケルの表情が太陽のような輝きに彩られた。くしゃっと笑うその様子は、久しく隠れていたあどけなさを残す。最初はほんのおふざけのつもりが、いつしかその関係も悪くないとさえ感じるようになっていた。
 ソラと言葉を交わす事で、本当の自分の気持ちとも向き合えた。自分がソラの主人としてしっかりせねばと思っていたはずが、逆にソラに教えられて、望むものすら与えられた。ポケモンになって戸惑う事ばかりだったが、心の底からポケモンになって良かったと思った。手放しで喜ぶ事ではないとわかっていながらも、皮肉にも、思えてしまった。だが、喜びを享受する心地良さを知ってしまった今、その感情に後ろめたさを抱く事はなくなっていた。
「ボクは良いと思うな。このままでも。もうカケルとボクの関係は、トレーナーとポケモンじゃないんだ。だから、今までと立場が変わったって、ボクは気にしないよ」
「そっか。そうだよな! じゃなきゃ、ソラに褒めてもらえて嬉しいなんて思うのはおかしい事になるし……」
「――ああ、そっか。ボクはいつも褒めてもらっていたから、いつかこうやってカケルの事を褒める時が来るのを、心のどこかで待ち望んでいたのかもしれない。君はいつも、褒めて欲しいって思う癖して、それは悪い事だって思う節があるらしい事、こうやってわかったわけだし。誰かに甘える事は、悪い事じゃないんだからね?」
 だけど、今は違う。ソラが手を差し出すと、カケルはうっとりした顔で頭を寄せる。撫でられる心地良さを、褒められる嬉しさを知った少年は、甘える事の大事さを覚えた。撫でて褒める側と、頭を寄せて喜ぶ側。立場は逆転したが、同じポケモン同士になった事で、なおの事その様は兄弟のようでさえあった。主人だったカケルが弟で、手持ちだったソラが兄のような関係に変わってこそいるが。
 ただし、時折我に返った時、少しばかり恥ずかしそうにする癖はまだ治らないらしい。解きほぐす方法がわかった事で、ソラとしても今までにない充足感に満たされていた。その上で、骨の折れる元主人だからこそ、自分が支えになりたいとも強く思い直すようになった。会心の笑みを顔いっぱいに咲かせるカケルに、ソラは優しく微笑みかける。
「うん。じゃあ、これからも頑張ったら、いっぱい褒めてくれるか?」
「今までたくさん褒めてもらった分、今度はボクがお返ししていくよ」
「へへっ、約束だぜ! ありがとな、ソラ!」
「うん。その言葉が聞きたかった」
 ありがとうの五文字の響きが、ソラの耳には妙にくすぐったかった。カケルは常に物悲しげな面持ちで“ごめん”と謝ってばかりだった。申し訳なさそうな顔をさせた事が、謝る本人以上にもやもやを蓄積させていった。謝ろうとする気持ちは嬉しいが、他に掛けて欲しい言葉がある。その想いは、カケル自身の願いを叶える事により、自ずと引き出せた。お互いに望むものを与える関係に、ようやく到達できたのだ。
 普段は胸のトゲを気にして避けているが、当たらないように気遣って、ソラはカケルをそっと抱き締めた。カケルは一瞬耳を立ててびくっとする。それは拒絶ではなく、躊躇いの証。直後にそれがソラの優しさの表れなのだと気づいてからは、自然と身を委ねられるようになった。
「さあ、甘えんぼな弟くん、この後はどうしたい?」
「んなろーっ! い、いいじゃねーかよ、たまにはこういう事したって……」
 和やかな雰囲気に水を差されたような気がして、カケルは元の快活さを取り戻した。耳を垂らして、拗ねたような口ぶりで視線を逸らす。カケルの珍しい表情の変化に、進化前に忘れた“いたずらごころ”が芽生えて、ソラはちょっかいをかけたくなってしまう。反応を見るのも楽しいが、あまりからかうのもかわいそうだと、また柔和な笑みを零してカケルの視界に入り込む。
「ごめんごめん。今までお目にかかれなかったカケルの可愛いところを見られたら、つい疼くものがあって」
「ったく、油断ならねーなあ。ともかく、おれはすぐにでも特訓を始めたいと思ってるぜ」
「今手当てしたばっかりでしょ。すぐに治るものでもないんだから、少し休むくらいは――」
「いいや、あいつらがいつ襲ってくるかわからない。おれ、体の動かし方がわかってきたくらいで、戦い方については全然なんだ。それなのに、こんな怪我くらいでのんびりしてられないよ」
「わかった。カケルがそう言うなら、ボクが出来る限りの事はするよ。だけど、それで無茶して体を壊したら元も子もないんだから、そこは程々にね」
「ああ。よろしく頼むぜ!」
 志を新たに、カケルは意気揚々と立ち上がる。痛む体は正直ではあるが、気概は十二分。座っているソラに手を伸ばし、立ち上がるように促す。ソラも笑顔でその手を取ろうとしたところで、何かを思い出したように腕を止める。
「今後カケル自身が戦っていくっていうなら、さすがに服は脱がないといけないかな。普通に過ごす分には別に構わないんだけど、戦いの邪魔になるし。ほら、服の重さで動きが鈍ったり、布が変なところに引っ掛かる事だってあるわけだしね」
「え、ダメなのか!? だって、これ脱ぐと裸になっちゃうし、落ち着かないって言うか……」
「カケル、ボクだって服なんて着てないでしょ? ポケモンだとこれが普通なの。観念して脱いでね?」
「わ、わかったよ! ちゃんと脱ぐから、そんなじろじろ見るなよ。服着てないのが普通だってのは頭でわかってるんだけど、やっぱ恥ずかしいっつーか……絶対に笑うなよな!?」
「大丈夫だって。そんなんで笑いやしないって」
 ネイビーのジップパーカーを脱ぎ、続けてボーダーの入ったシャツを苦労しながら脱ぐ。耳や肩回りが特に引っかかるためか、随分ともたついてしまう。そこまでは普段人間の時もよくやる脱衣の流れだったため、躊躇いなく出来たのだが、その先となると話は違ってくる。実物や図鑑で見る姿と同じになると思えばおかしなところはないのだが、人間の感覚はそう簡単には抜けきらない。妙な気恥ずかしさを覚えたカケルは、そそくさと部屋を出て扉を閉める。
 扉の向こう側でするすると布が擦れる音や、かちゃかちゃと何かが外れる音が響き始める。やや間を置いて再び扉が開いた時には、すっかり衣服を脱ぎ去った状態の、包帯と首元のマフラーが巻かれた以外はよく見るエースバーンらしい野生の格好に戻っていた。
「これで良いんだろ! おれ、変じゃねーよな? 裸になって外に出るなんて普通はしないからさ、変な目で見られないかなって」
「問題ないってば。ポケモンの姿ならその方が違和感はないし、ちゃんと可愛い姿のままだからさ」
「だからっ! そういうんじゃねーって! か、可愛いって言われるの、別に嫌じゃねーんだけど、おれみたいなのが言われるのも何か違う気がして……普段は生意気なクソガキだとか思われてるとばかり思ってるからさ。もう、調子狂うなあ……」
 嬉しいやら恥ずかしいやらで、カケルはがしがしと頭を掻いて頬を膨らませる。怒った素振りには、自身への自信のなさも見え隠れしていた。嬉しくないわけでも、嫌なわけでもないのは、本人の穢れ無き言葉通り。ただ、自分の振る舞いを客観的に見た時に、表現的に相応しくないと遠ざける節があった。それはひとえに、言われ慣れていないのが所以だった。
「ボクはそうは思わないよ。カケルほど真っ直ぐで、明るくて、自分の好きなもののためなら全力を尽くすのを厭わない。見ていて清々しいのもそうなんだけど、そうだなあ。こういうのが兄弟の兄目線で言う、愛らしいとかって事なのかな。カケルの頑張りは、見ていて思わず応援したくなるんだ」
「――っ! お前、なあっ! そう堂々と、恥ずかしげもなく言えるの、ずるい、だろっ。おれ、そういうつもりで聞いたんじゃねーのによ……」
 カケルの言葉一つ一つは、自身の欲望へと直結していた。ただ、それを満たすべき存在がいなかっただけで、こうやって直球の言葉を向けられると、平生を取り繕うなど不器用な少年には出来るはずもなく。灼熱の太陽のような褒め言葉に晒され、服を脱いで解放されたはずのカケルの顔は、真っ赤に燃え上がっていた。これ以上ソラの視線を浴びているとオーバーヒートしそうな気がして、カケルはソラの胸元に顔を埋めて行った。
「おれ、正直言って、ポケモンになって良かったって思っちまった。戻れるかどうか不安なのに、本当は戻らなきゃいけねーってわかってるのに、こうしている事に居心地の良さを感じちゃった。なあ、こんなおれでも、一緒にいたいって思ってくれるか? おれにこれからも、手を貸してくれるか?」
 半分幻滅される覚悟で見上げると、ソラはいつもと変わらない優しい面持ちでカケルと向き合っていた。体から伝わる温もりが、表情から読み取れる温もりが、カケルにとってはかけがえのないものだった。氷のようだった背徳感は、静かに溶けだしていく。
「それは愚問ってやつだね。君と一緒に成長して、リオルからルカリオに進化した時から、その想いはずっと変わらないよ。ボクはいつだって、カケルの明るく真っ直ぐなところが、“正義の心”が、何よりも大好きで傍にいるんだからさ。言葉が通じる今だからこそ聞くんだけど、カケルの方こそ、ボクと一緒で良いの?」
「へへっ……照れるじゃねーか。おれだってなあ! お前と一緒“で”じゃなくて、一緒“が”良いんだっての!」
 飾り気のない無邪気な笑顔をいっぱいに咲かせ、二人はおでこを当てて誓い合う。ポケモンから人間に戻る解決策もわからない。いつまで正義のヒーローとして戦い続ければ良いのかわからない。そんな不安はなきにしもあらずだが、大事なパートナーがいれば、どんな困難だって乗り越えられる。根拠のない自信ではあるが、突き動かす原動力としては文句なしだった。カケルがポケモンになってより親密に接する事が出来るようになった事で、二人の距離はぐんと縮まりつつあった。
 友情の再確認をし終えたところで、開けっ放しになった窓から一陣の風が吹き抜ける。体毛を揺らす風に、ソラは動じる事はなかったが、カケルは小さく身震いをしてソラから離れた。
「エースバーンになったのは悪くないんだけどさ、いくら体毛がふさふさだからって、服を着てないと寒い気がする」
「その内慣れるよ。それに、今から体を動かすんだから、ちょうど良いさ。きっと、今の君はまだ炎の扱い方がわかってないだけだからね」
 ポケモンとして慣れる事に、幾許かの抵抗があるのは否めなかった。だが、今のままの姿で正義のヒーローをこなすとなれば、四の五の言っていられない状況には違いない。何より今のカケルには、人間の時以上に心強い相棒がいる。頬を叩いて気合いを入れ、カケルはソラを伴って屋外へと出た。
 遥か上空に見える鱗雲が、降り注ぐ陽射しを遮っている。暑すぎず、さりとて寒くもなく、心地良い空模様。服を脱いだせいで肌を撫ぜる風がより敏感に感じられるが、体毛が冷たさを阻んでくれていた。
 いくら広い屋外と言えど、住宅地で技の練習を積むわけにはいかない。周囲に建物のない草原の方に移動をして、特訓を開始する事にした。道すがら、すれ違う人にたまに視線を向けられる事もあったが、カケルはもう不快に思わないくらいには精神的に落ち着いていた。ちょうど人目も少ない広い空き地を見つけたところで、カケルは先程のソラの指摘を反芻していた。
「炎の扱い方がわかってないって、意味はわかるんだけど、どういう事なんだ?」
「単純な話さ。カケルはまだポケモンとしての体の機能を十全に使いこなせていないって事。元が人間でその感覚がなくても、今は立派なポケモンの姿だ。意識して使われていない機能があるってだけで、きっかけさえ与えてあげれば、稼働するようになるとボクは思うよ」
「ほうほう。ソラの言ってる意味はわかる……けど、具体的にはどうすりゃいいんだ?」
「例えば……こうするのさ」
 首を傾げるカケルの前で、ルカリオは足に炎を纏わせる。決め技と称して敵に止めを刺す時に用いる事が多い、十八番の炎ワザ“ブレイズキック”。ごうごうと音を立てて燃え盛る炎を、ソラはカケルの足に近づけた。
「あっちい! いやいや、こんなん荒療治ってやつだろ!? 炎に触れれば炎を使えるようになるなんて――」
「ただ触れるんじゃない。君の体の炎を司る箇所を刺激するんだ。ちょっと足の裏を見せて?」
 言われるがままに差し出したカケルの足の裏には、エースバーンとして肉球が備わっていた。ソラはその足に沿わせるようにして、“ブレイズキック”の炎を近づける。いくら炎タイプの体とは言え、全く効かないわけではない。もちろん元人間として熱さにいくらか抵抗のあるカケルは、反射的に飛び退く。
「カーケールー、特訓頑張るって意気込んだばっかじゃないの? おとなしく足の裏を見せなさーい」
「いやっ、だってな? 熱いのやだし、それで覚醒するとは限らないし、な? だからほら、ソラ、そんな怖い笑顔で近づいてくるなって――うぎゃーっ! って、あれ?」
 観念して押し付けられた炎ではあるが、足の裏で感じてみると思いの外熱さは感じなかった。むしろぽかぽかとして心地が良いくらいで、特に肉球の辺りから全身に温もりが広がっていくような気がした。カケルは至極きょとんした様子でソラの事を見つめる。好奇心からか、ソラの知識に対する尊敬の念からか、その瞳はきらきらと輝いていた。
「ソラ、お前すげーなっ! おれ、自分の体の事なのによくわからなかった。だけど、ソラはいろいろ知ってるんだな!」
「それほどでもないさ。伊達にポケモンやってないってね。ところで、体の方はどう?」
「なんつーか、足が熱いのは当然なんだけど、体の内側から燃えるような感覚がするような……これ、なんなんだ? 胸も熱いしさ」
「体が順応し始めたのかも。その熱を意識的に足の方に集中させてみて?」
 ソラが足を離した後で、カケルは体内で燻る熱を押し出すイメージで力んでみる。目をきつく閉じ、声にならない声を漏らし続ける事数秒の後。足の裏にある三つの肉球から、ぼうっと音を立てて小さな炎が噴き出した。エースバーンになった以上は出来ても不思議ではないが、人間では出来なかった芸当には違いない。自分の体から出た事でポケモンになった事を再認識させられて、カケルは喜びよりも驚きで呆けたように口を開ける。
「初めてにしては上出来だね。カケル、実はポケモンとして生きていく才能があったりして」
「複雑だな、それ。けど、炎は全然強くないし、もう一回やろうとしても出ないし。中々難しいぜ」
 同じ要領で力を放出しようとしても、肉球は僅かに熱を帯びるくらいで、火を放つ事はなかった。炎を使う感覚は掴めた。それ自体は大きな前進でこそあるが、すぐに戦いで採用するには程遠い。炎技を使うのは諦めなきゃなのかな――カケルがしょんぼりして膝を抱えていると、すかさずソラがその頭に手を置いてきた。
「つい昨日まで人間だったカケルが、その体に慣れてきているだけでもすごい事なんだ。その上でちゃんと炎まで出せたんだ。自信持って良いんだよ」
「そう、なのか? でも、これだとまだ実戦には使えなさそうだし」
「カケル、いつも口癖みたいに言ってたじゃない。『バトルはいつでもぶっつけ本番。出たとこ勝負でも何とかなるなる!』ってさ」
「そんな無責任な事言ってたっけか?」
「言ってたよ。だけど、それくらい自信過剰なくらいで良いと思うんだよ。だから、ほら、ボクはカケルを褒めるように、カケルも自分の事をもっと褒めてあげないと」
 普段褒められる事がないのが祟ってか、自分を認めたり褒めたりといった事を久しくしてこなかった。あり余る元気さで寂しさを埋めるように振る舞ってはいたが、反面自身の行為が褒められる程のものなのか、一種の自信喪失にも悩まされていた。「何とかなる」の口癖は、楽観主義から来るものではなく、むしろ逆。軽口を叩くその実は、「何とかしなければならない」という、追い込みのような含蓄もあった。
 ソラの優しい言葉が、カケルの心を刺激する。当たり前のようで、その実中々出来ていなかった。自分の頑張りを認めるということ。完璧主義のつもりでもなかったが、成果も出ない内から褒めるのは、少なくとも自分にはしてはいけないと思う節があった。妙なストイックさがあったのだと、ソラの指摘で認知させられる。それは、カケルにとっても良い意味で認識の転換期となっていた。
「うん、ちゃんと炎は出せたんだ。びっくりはしたけど、それ以上にすげー事なんだよな!」
「そうそう。出す感覚が掴めたなら、きっと自在にコントロール出来るようにもなるはず。一歩、大きな前進だよ。そして、今カケルが自分が出来る事をわかって、ちゃんと認められたのも良い事だ。えらいえらい」
「えへへ……って、ちがっ、その。今のは」
 褒める事を褒められて、贅沢過ぎやしないかと不安になるくらいだった。カケルの必死の照れ隠しは、しどろもどろになって全く功を奏さない。目の前にあるソラの笑顔が余計に追い詰めるような気がして、目を逸らせば自分から認めるような気がして、ごまかすための言葉が喉元を出ないまま口をぱくぱくさせる。ポケモンの体以上に、自分の感情に嘘を吐く事が、カケルは滅法苦手らしかった。
「そこに恥じらいなんて感じなくても、素直なままで良いと思うんだけどな。その時のカケルの方が、瞳も波動もきらきら輝いてて素敵だよ」
「そういうのは、意中の相手にでも言えっての! これ以上照れさせてどうすんだよ、ばかぁ……」
 頬を膨らませて俯いたところで、不意にぼうっと炎が弾ける。『顔から火が出る』とはよく言うが、カケルの場合は本当に足から火が出た。感情の昂りに呼応して発火が起こったらしく、無言の一拍の間を置いてソラが吹き出す。
「カケルは本当、素直なんだかそうじゃないんだかわからないね」
「お前がからかうからだろっ!?」
「からかったんじゃなく、真面目に褒めたんだけどなー。ともあれ、これで炎を出す糸口は掴めたみたいだね」
 時間的にも炎の鍛錬にかかりっきりになれる程余裕があるわけでもない。ひとしきり恥ずかしがって、笑い合って、緊張が解れたところで本題に戻る。続くのは肉体の鍛練だが、既に正義のヒーローを目指す時点で身体能力を向上させているカケルに求めるのは、少し違う。具体的には、今しがた炎技に慣れたように、ポケモンが扱う技の感覚を体に叩き込むというのが一番だった。
 特にカケルがなったエースバーンという種族は、体を使って直接攻撃するのが主なバトルスタイル。大事なのは己の肉体をいかに上手く扱えるかであり、体術や身のこなしにおいてはカケルは既に申し分ないレベルとなっている。一方で、“技”の扱いに関してはからっきしであり、ソラが必要性を感じているのもその一点だった。
 故に、それ以降のソラとの午後の修行は、主にエースバーンが本来習得する技を一から叩き込むというものだった。それは炎を出す感覚的なものとは異なり、言うなれば柔術や剣術等の型を体に染み込ませるようで。元々覚えの早いカケルは、その内にポケモンとしての体の動かし方にも着実に慣れつつあった。

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想