02.あれからの二人は

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 つばさの朝も近頃変わった。
 キッチンに立つ。
 ふふん、と鼻唄混じりに準備をする朝ごはん。
 単純にその数が増えた。ポケモンの分と――人の分。
 盛り付けのために並べた皿に視線を落としては、顔をほころばせる。
 二つ並んだ皿。
 一つは淡い桃色に彩られた縁に、真ん中にはフォークを持った、尾先の模様が丸くなったイーブイ。
 角度によっては、ハートの形に見えるかもしれないそれ。
 一つは淡い青色に彩られた縁に、真ん中にはフォークを持った、尾先の模様がとんがりのイーブイ。
 所謂、ペアルック、と呼ぶものだ。
 彼との“それ”が決まった時、一緒に暮らすための準備も一緒に始めた。
 わざわざ隣街の雑貨店まで足を運んで、対になる食器類を探したものだ。
 彼はもともと自分で使っていたものを持ち込むつもりであったらしい。
 けれども、これにはちょっと憧れのあったつばさだ。これについて譲るつもりはなかった。
 それを分かっていたのか、うきうきと陳列されたそれを眺める自分の横で、呆れまじりの苦笑をしてはいたが、彼が口を出してくることはなかった。
 そして毎朝。それらを眺めては、顔をほころばせる。
 それがこの頃のつばさの日課になっていた。

「って、いつまでも余韻に浸ってちゃダメだよね」

 弛みそうになる時期だからこそ、気を引き締めていかないと。
 さて、先ずは野菜スープを皿に。と、おたまを持った時だった。

「へえ、そんな可愛いことしてたんだ」

 突如発せられた声。
 弾かれたようにつばさがそちらを向く。
 キッチンの出入口。そこにすばるの姿。
 腕を組んで、肩口で壁に寄りかかって。
 桔梗色の瞳が楽しそうに笑った。

「いや、な、なんのこと……?」

 視線をそらす橙の瞳に。
 指で自身の顎を撫でながら、すばるはさらにその笑みを深くした。

「いんやーね。もしかして毎朝さ、皿並べながら、その“余韻”とやらに浸ってたとしたら?」

 すばるの笑みが、いたずらっぽいそれに変わった。
 瞬間。つばさの身体が震えた。
 この笑みは何か――。ぞくっとしたものが駆け巡る。
 ゆっくりと足を踏み出すすばる。
 それに対して、無意識に後ろへ下がるつばさ。
 徐々に彼女へ近寄る彼は、いたずらっぽいそれを浮かべたままで。
 どんどんと彼女を壁際にまで追い込む。
 背中に触れた硬い感触。それで追い込まれたことに気付くつばさ。
 橙の瞳が慌てて背後を顧みて、そこに壁があるのを確認した。
 たらりと何かが頬を伝った気がした時。
 つばさの顔に影が落ちる。
 ぱっと顔を上げれば、そこには楽しそうに笑う桔梗色の瞳。
 つばさはこの瞳を知っている。
 これは、彼が嬉しさを抑えきれない時の瞳だ。
 そして、何だかつばさの腹が立つ瞳で、嫌いな瞳だ。

「可愛いなあ、なんて思ったり?」

「――はっ!?」

 思わず声が飛び出た。
 そして、瞬時に頬へ熱が集まる。
 わなわなと口が震えて、言葉が紡げないでいた。
 だって、図星だから。毎朝その“余韻”に浸って、嬉しさを噛み締めていた。
 だから、それを知られてしまった恥ずかしさと。
 それから、彼から可愛いなんて言われて、素直に嬉しく思ってしまった自分への照れ。
 そんな気持ちが混ざって、言葉を紡げなくて。
 そんな自分の様子を嬉しそうに眺める桔梗色の瞳。
 それに耐えきれなくなって、ぱっと顔を背けた。
 けれども、それを許してくれる彼でもなかった。

「こっち向けっつーの」

 少しだけ不満そうな彼の声。
 視界の端で、彼の手が伸びてくるのを見た。
 そうして間もなく、頬に触れてくる感触。
 その感触に思わず、ぶるりと身体が震えた。

「つばさ」

 少しだけ熱を帯びたその声。
 ずるい、とつばさは思った。
 そんな声で呼ぶなんて、と。
 その声は、つばさに抗うことをやめさせる。
 諦めの混ざった気持ちが胸に広がった。
 そうしてゆっくり、つばさがすばるへ顔を向け始めた時。

「そんなに俺と一緒になれたことが嬉しーのか?」

 その声音に、嬉しさが混ざっているのが分かった。
 けれども、同時にその声音が紡いだ言葉に引っ掛かりも覚えて。
 つばさはぴたりと動きを止めた。
 そして、今度はわなわなと肩が震え始める。

「……つばさ?」

 彼女がまとう雰囲気が変わったことを瞬時に感じ取ったすばる。
 そんな彼の手を。自身の頬に触れていた手をつばさが弾けば。
 ずいっと手にしていたおたまを、つばさはすばるの眼前へ突き出した。
 思わず仰け反る彼。
 何かを問おうと声を発しかけるも、睨む橙の瞳に気圧されてしまう。

「俺と一緒になれたことが嬉しーのか、だって?」

「……つ、つばさ?」

「そんな、“俺のおかげです”みたいには言われたくないよね?」

 ずいっと、勢いよく半歩踏み出したのはつばさ。
 それに気圧されたように、後ろへ半歩下がったのがすばるだ。

「あんた、本当に煮え切らない態度しかとらないんだから。それで一緒になろうって言った私からで、“え、あ、うん”ってぎこちなく頷いたのはすばるだよね?」

「…………あ、ああ」

「じゃあ、“一緒になれてそんなに嬉しいの?”って訊くのは私だよね?」

「…………そ、そうです」

「で? あんた、どうなの?」

「…………う、嬉しいです。一緒になれて嬉しいです」

「うん、よし」

 そこでようやく、突き出していたおたまを下げて。
 つばさは満足そうな笑みを、その口の端にのせた。

「じゃあ、分かったらすばるはあっち」

 びしっと、つばさがおたまで指し示したのは出入口。
 それを目で追っていたすばるが振り向いた。

「は?」

 何のことだ。桔梗色の瞳が困惑気にゆれる。

「イチとニアちゃんが騒いでるみたいだから、それを諌めるのはすばるの役目でしょ」

 そう言われてからすばるもようやく、ぴいぴい、と騒ぐ声を耳で捉えた。

「あいつらまた……」

 毎日とは言わないけれども。
 それでも、呆れるくらいの頻度ではある。

「へいへい、諌めてきますよ……」

 くるりとつばさに背を向けて。
 ひらりと片手を上げ、行って来ますの合図。
 だが、そんなすばるの背に近付く気配。
 ん。肩越しに見やる。そこにはいたずらっぽく笑った橙の瞳。
 彼女がすばるの肩に手を置いて、そこに小さく体重を乗せた。
 突然のことに、一瞬すばるはよろめきそうになる。
 背伸びした彼女の口が、すばるの耳の傍で何かを紡いだ。
 はっきりとは声にならなかったけれども。
 ふふっと楽しそうに笑った彼女が離れていく。
 そのまま朝ごはんの準備を再開させるため、キッチンへと戻っていく彼女の背を見送りながら。
 とたとたと出入口である戸口を通り抜けたすばるは。

「勘弁しろよ……」

 片手で目元を覆い、近くの壁にもたれれば。
 ずるずると滑るように座り込んだ。

「あんなん、ずりいっつーの」

 桔梗色の瞳がゆれて。その頬は朱に染まる。
 けれども、先程の彼女の言葉を思い出して。
 さらに深く、その頬は色付いた。

「――ホント、ムカつくよな……」



“私も、すばると一緒になれて嬉しいよ。――幸せだよ”



   *



―――ねえ、兄ちゃん?

―――なに?

 妹ファイアローの呼びに、兄ファイアローは警戒を強めて。
 胡乱な目付きで隣の彼女を見やった。

―――兄ちゃんのご飯、多くない?

 兄の朝ごはんが盛られた皿。
 それを覗き込んだ彼女は、不満気に声をもらす。

―――そんなことないよ

 けれども、兄と自分のを交互に見比べて。

―――ううん。やっぱり、あたちの方が少ない

 不満気な声に不満気な瞳。兄の顔を見上げた。
 そして、言外に訴えてみる。交換してよ。と。
 そんな妹の訴えを察した彼。
 けれども、その彼が首を縦に振ることはなかった。振るわけがなかった。

―――訴えてもダメだよ?

 ふいっと顔を背けて、さりげなく自分の皿を彼女から離す。
 その行動にまゆをひそめた彼女が、きっと彼を睨んで。

―――何でっ!

 ばさばさ。気分を害したことを態度で示すように、両翼をばたつかせる。

―――何でもだよ。これは僕が“直接”つばさちゃんからもらったご飯だもん

 つばさが自分のために用意して。
 つばさが自分へ渡してくれたものだ。
 だから、これを交換だなんてとんでもない。
 それが兄の言い分だった。
 それを聞いて、呆れたように息を吐いたのは妹で。
 ぽそりと一つ、言葉を落とした。

―――べったり野郎……

 瞬間。兄の片まゆが跳ねた。

―――いつまでも懸想してさ。つばさちゃんさんは、すばるさんとつがいになったのに

 ふんっと妹は鼻を鳴らして。

―――それなのに、いつまでもべったりしちゃってさ

 小馬鹿にしたように笑う。
 そして、妹は兄の出方を伺う。
 兄が少しでも隙を見せれば、その隙をついて奪う腹づもりだ。

―――……さっきから黙って聞いてれば

 兄が肩越しに妹を振り返る。
 刹那。きらりと妹の目が光った。獲物を捉えたのだ。
 よし、今だ。木目の床を蹴る。
 放たれた矢の如く。一直線にそれへ。
 あと少しで嘴が届く。そう思った刹那。
 首に衝撃。突然のことに身構えることも出来なくて、息が詰まった。
 一瞬、気道が塞がれたのだ。
 床に伏せられて初めて気付く。
 脚を振り降ろされたのだ、と。

―――僕が油断するとでも?

 抑揚のない、冷めた声が降ってきた。

―――ニアの考えることなんてお見通しだよ

 ふっと鼻で笑う兄に。
 ぐぬぬ、と悔しさを滲ませる妹。
 押さえつけられてしまっては、もう動くことは出来ない。

―――朝ごはん、交換してよ! 兄ちゃんの方が多いのずるいっ!

 結局、訴えることにした。
 それに対して、兄のため息が落ちて来たけれども気にしない。
 心だけは折れないのだ。じっと兄を見上げる。けれども。

―――食いしん坊

 そんな一言が返ってきただけだった。
 瞬間。その場の空気が張り詰める。

―――ねえ、交換してよ?

―――やだ

 ぴりりと痺れるように。
 そして、どたばたと二羽が暴れ始めるまで――あと数秒。
 そのあと、つばさが騒ぎに気付き、すばるが現れるまで続くことになる。
今日はいい夫婦の日。
ということで、新婚なこんな二人をば。

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