世界というのは、1つの出来事でガラッと変わる。
それはまさにこの世の不思議とも言うべきだろうと私は思う。
出会いは、奇跡のうちの1つ。 それを実感したのは、小さくて大きな、1つの出会い。
それは突然だった。
トレーナーズスクールからの帰り道、私が見たのは道の脇にうずくまる小さなポケモンだった。 隣には、砕かれたモンスターボールのようなものが散らばっている。トレーナーに、捨てられたのだろうか。そのポケモンは、毛並みはボサボサで、土で薄汚れていた。 ずっと俯いたままで、生きているのか分からないくらい、何も動かない。 私は息を呑む。
......手を、伸ばしてみよう。 私はゆっくり、その子に手を近づける。 ーーすると。
「シャーッ!」
「うわっ!?」
......びっくりした。 まさか突然叫んでくるとは。 でも、生きていることが分かり、私は少しホッとする。
でも、このまま放っておいたらどうなるのかな......? まさかこのまま......?
少し考えた末、私は1つの決断をした。 その子へと手を伸ばす。
私はそのまま家へと走った。 未だ弱く叫ぶその子をなだめながら。
「あらまあ......!」
玄関で出迎えてくれたお母さんは当然驚く。......当然かもしれないな、娘が帰ってきたと思ったら、そこには1匹のポケモンが抱かれていたのだから。
私の家はそこまでお金持ちな訳じゃない。特に何にもない普通の家だ。 トレーナーズスクールには、可愛いワンピースを親に買ってもらったとか、珍しいポケモンを強いポケモントレーナーに捕まえてもらったと言う子もいるけれど、正直その話にはついていけない。 単に自分の性格の問題かもしれないけど。
何故、こんなことをここで言及するかって? ーーとにかく、心配だったのだ。 親は受け入れてくれるのかどうか。 お金持ちなら、何の躊躇いもなくいいと言うだろう。でも、我が家はそうではない。 漫画とかであるみたいに、「返して来なさい」とは言われないだろうか。 多分、そう言われてもこの子を返す事なんて私には無理だ。 ドキドキしながら親の答えを待つ。
しかし、返ってきたのは予想外の答えだった。
「もちろん良いよ。私達の力でめいっぱい、この子を幸せにしてあげよう」
「えっ......良いの!?」
「ええ。頑張りましょ!」
「......うん!」
私は部屋の隅っこにうずくまるあの子に目をやり、よろしくねと優しく呟いた。その子はこちらを見向きすらしなかったけど。
その子の種族名はエネコというらしい。
エネコはみるみるうちに元気になっていき、ポケモンフードをバリバリと食べるようになった。 豪快なせいか、ポロポロとフードを落とす。 その姿はとても微笑ましかった。
そしてエネコが全快した後、彼女(メスだったらしい)は正式に私のパートナーとして、トレーナーズスクールに通うことになった。
しかし、エネコはバトルが強いわけではなかった。 負けることを度々繰り返す。流石に少し落ち込む私に、お母さんはこんな言葉をかけた。
「エネコはきっと、強さばかりを追い求めるトレーナーに捨てられたのだと思うの。 生まれてからそんなに間もなかったし、詳しくは知らないけど、おそらくタマゴ厳選......ってやつかしらね。
まあそうであるにしてもないにしても、あなたはエネコとしっかり向き合ってあげなさい。 バトルだけが、ポケモンと通じ合える時間じゃないの。
あなた達だけの、絆の形を見つけなさい」
その言葉は、やけにストンと自分の中に落ちてきた。 私とエネコ。私達の関係は、バトルによるものではない。 普段の何気ない生活が形作った。 だからこそ、私達だけの輝きがある。 それに気づいた瞬間だった。 やっぱ、お母さんには敵わない。
その後、私は部屋に戻る。エネコは私のベッドの上でぐっすりだ。
「......自分のベッドあるじゃん」
私はエネコをそっと撫でた。 愛おしむように、慈しむように。 私の顔には、自然と静かな微笑みが浮かんでいた。
そこから年月はあっという間に流れる。 私とエネコはずっと一緒だった。
風邪を引いた時も。
苦しくて泣いた日も。
頑張りが報われた時も。
エネコがエネコロロに進化してからも、それは変わらなかった。 このまま、ずっと良い関係でいたいなと、心から思っていた。
ーーそして、悲劇は突然訪れた。
エネコロロが、5歳になって少し経った頃だっただろうか。 彼女は、少し元気の無い様子だった。 そこでスクールに連れて行くのはやめ、親が医者に連れて行ってくれることになった。 この日は春のうららかな日であったが、私の中にはそんなことへの感慨などなかった。 どうか無事であれと、ずっと、ずっと願い続けた。
夜になる。 少し帰るのが遅い時間になってしまった。 ドアを開けると、お母さんの元気の無いおかえりが聞こえる。
嫌な予感がするのを感じながら、私はリビングに踏み入る。 そこにいたのは、泣き腫らしたような目をしたお母さん。 ......そして、初めて家に来た時のように小さくうずくまるエネコロロだった。
......病名の意味は分かった。 内容も、ちゃんと理解出来る。 だけど。 どうしても、他人事のように思えてしまい、フワフワしたような心地がする。 現実だと理解するのには、少し時間がかかってしまった。
だから、最初はお母さんの言葉を静かに頷きながら聞いていた。 エネコロロの病状や、病院での検査について。そして、だんだんと理解し、実感していくうちに。 お母さんが再び涙ぐむうちに。 私も、湧いてくるものを抑えるのが不可能になった。
ーーかつてのエネコロロの楽しそうな顔が、私の頭の中に浮かぶ。
これが、消えてしまうのか? 自分の目の前から?
沢山のものを貰ったというのに。 沢山の喜びを、笑顔を、家中に溢れさせてくれたのに。
......このまま、何も、恩返しも出来ないまま?
「.....っ」
涙がこぼれ落ちる。どうしようもなく心が苦しい。辛い。悲しい。 鼻が真っ白になって、辛そうなエネコロロを見るたびにその思いは加速した。 親子で、静かに泣き続けた。
......そして、さらに悪いことにエネコロロは、病院での検査で辛い思いをしたのか、こちらに心を閉ざしてしまっているようだった。 私は震えながら、手を彼女に伸ばしてみる。
「......シャー」
力無く、彼女は声を上げる。 私は、その時感じてしまった。
もう、今までの関係には、戻れないと。
あの日から、どうしていくべきかを少しずつ考えた。医者の意見を参考にして、親子で。 だが、余り迷いは無かった。
何よりもエネコロロの幸福のことを考え、私達は1つの結論を出した。
完全に治すために彼女に辛い思いをさせるより、せめて出来る限り長い時間、彼女に笑っていて欲しいと。
そして私は決意した。 戻れないのなら、もう1度作り直していけば良い。 例え少しずつでも。
......そして、また半年の月日が流れた。
「エネーッ!」
「ああ待ってよエネコロロ! ちゃんと病院行かなきゃ!」
「エネ?」
「うっ......かわっ......って、いやいや、[メロメロ]出してもダメ! ほら、行こっ!」
「エネー!」
「ああもう! 逃げるのうますぎでしょ......頭いいんだからもう!」
あれから、エネコロロは元の元気さを取り戻していた。 勿論今も手放しでは喜べない。
でも、彼女はちゃんとご飯を食べる。 家中を走り回る。 鼻はピンク色。 医者にも毎度褒められている。
そんな彼女は、まさに我が家の誇りだ。
ーーもし、エネコロロと出会えてなかったら、自分はどうなっていたのだろう?
そんな考えがたまに頭を巡る。 でも、正直どうでもいい気持ちの方が強かった。
だって、幸せなんだから。この子と出会えたことが。 出会えてなかったらなんて、正直考えたくもない。
この子がいなければ、あの苦しさを味わうこともなかったのは事実だ。 でも、それらを全部ひっくるめて、初めて「世界が変わった」といえるのだろう。
この子が教えてくれた喜び、悲しみ。 ーーそれによって広げられた世界は、私の中に深く根をはり、息づいている。 きっと、それで十分なのだ。
ーーコトンと、机の上にシャーペンを置く。私は息を吐き、ノートを閉じた。 エネコロロが、私の側に擦り寄る。 私は静かに微笑み、彼女の背中を優しく撫でてやった。