朝日の丘

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作者:雪椿
読了時間目安:13分
彼女は、この丘がとても好きだった。
「えふぃっ!」
 アメジストの目を輝かせ、藤色の毛をなびかせて朝日は丘を登っていく。毎日のように行っているけど、案外飽きないものなんだな……。ペンライトで朝日と丘の一部を照らしながら、そう感想を零してみる。
 一番に丘の上へとたどり着いた朝日は目的を達成した途端草の絨毯に寝っ転がり、ごろごろと喉を鳴らしている。イーブイだった頃はイワンコのように尻尾を振っていたものだけど、進化しただけでこんなにもニャースのようになってしまうとは……。ポケモンはまだまだ不思議がいっぱいだ。
 朝日の邪魔にならないようにボクも腰を下ろすと、規則正しく鳴り続けている喉を優しく撫でる。その途端音が大きくなり、途中で二つにわかれた尻尾もゆったりとしたリズムで動き始める。もう完全にリラックス状態だ。
 喉から耳の後ろに手を移動させて集中的に撫でると左耳なら左足が、右耳なら右足がぴくぴくと動いて見ていると楽しい。エーフィという種族上、この辺りはあまり徹底的にかけないからかゆいのかもしれない。反応を見るのが楽しくて撫で続けていると、さすがにうっとおしくなったのか前足でぺしんと叩かれた。
 爪は出ていないので痛みはないものの、これにめげずに撫で続けたら強い力で押し返されるか噛みつかれてしまうかもしれない。しつこく触ると嫌われると誰かが言っていた気がするので手を放すと、朝日はぐーんと体を伸ばす。
 前足から尻尾の先までぴーんと伸びたその姿はボクに癒しをもたらし、目に入るお腹のモフモフが「さあ、遠慮なく撫でてくれ」と言っているように思えてならない。そっとお腹に触れると、早速太陽の光を吸収して更にモフモフと温かみを増した気がする毛が指を包み込む。
 このまま顔をお腹に埋めてしまいたい衝動に駆られるが、ここで衝動のままに行動したら最大級のサイコキネシスを喰らってしまう。せっかく朝日がリラックスしているというのに怒りを与えてどうするんだ。
 何とか衝動を抑えてごろりとなると、頬をひんやりとした風が撫でる。風も気持ちいいことだし、起きたばかりだけどこのまま眠りの世界に入ってもよさそうだ。そう思って目を閉じると、腰の辺りに温もりを感じる。
 空いている方の手を動かすと、予想通りとはいえそこに朝日がいることがわかった。時々手に尻尾が当たり、くすぐったい。耳の位置から顔の部分を予想して撫でているうちに、ボクは眠りの世界へと招かれていった。

*****

「えふぃふぃ!」
 ぺちぺちと頬を叩かれる感覚で意識が浮上してくる。やけに重たいまぶたを何とかこじ開けると、視界の半分が朝日の顔で隠されていた。朝日の顔以外に注目すると、もう空には帳が下りて星達が己の存在を主張し始めている。
 彼女と共にこの丘に来た時間を考えると、どうやらボクは非常に長い間眠りの世界にいたらしい。ボクがすぐに眠ることのできる人間だとしても、ここまで眠り続けるのはおかしい。丘を登っている時に数匹の草ポケモンとすれ違った記憶があるから、知らないうちに眠り粉でも吸ってしまったのだろう。
 朝日に一旦下がるよう伝えてから上体を起こすと、さっと自分や朝日の体を確認する。朝日が寝すぎで目がぱっちりしていることと、ボクも寝すぎで頭がしゃっきりしていること以外は何の異常もないようだ。
 今日は何時くらいに眠りにつくことができるのだろうか。そんなことを考えながら立ち上がると、朝日が素早く丘を降り始める。ボクがちゃんとついてきているかと、時々こちらを振り返りながら進む朝日。
 そんな朝日を追いながら、今日は長すぎる二度寝のせいで昼食を食べていないことを思い出して夕食はどうしようと悩み始める。一昨日はパスタ、昨日はうどん。まさか今日も麺類というわけにはいかないだろう。朝日のポケモンフーズもここ最近一パターンだし、朝日に食べたいものを聞いてから自分のを考えるとしよう。
 あれだけ寝ていてエネルギーを消費していないというのに、腹の虫は盛大にその存在を主張する。ボクの体に住む腹の虫は、寝ている間でもしっかり活動しているに違いない。そんな働き者をなだめつつ、星の光を目印に家へと帰った。
 扉を開けると同時に、朝日は電光石火を使ったかのようなスピードでご飯皿の前へ移動する。勢いをつけすぎて一度通り過ぎてしまうほどにご飯が恋しかったらしい。位置が少しでもずれていたら、朝日のご飯皿は短い空の旅に出ていたことだろう。
 何を食べたいか聞いてからあげようかと思っていたけれど、アメジストの目はいつものご飯を寄越せと言っている。朝日にしてみれば食事の種類よりもお腹を満たすことの方が大事なようだ。腹の虫のことも含め、ある意味ボクに似たとも言えるだろう。
 帰る際にあれこれ家に何があったかを考えたボクの努力は一体……。乾いた笑いを零しながら、カラカラとポケモンフーズを盛る。最近朝日はダイエットにでも挑戦しているのか少しずつ食べる量を減らしている。ボクから見たらスリムそのものだけど、朝日には朝日なりに思うところがあるのかもしれない。
 朝日がぽりぽりとフーズを食べる音を聞きながら、今度はボクのご飯の用意をする。冷蔵庫には見事なまでに木の実しか入っていないことをたっぷり三十秒は確認した後、近くの棚からカップ麺を取り出す。
 明日こそはちゃんとした夕食を食べるため、例え風が気持ちよくても二度寝するのは止めよう。そう決意すると、お湯を沸かすためヤカンに水を入れ始めた。

*****

 いつものように朝日の前足攻撃で目を覚ますと、木の実に支配された朝食を済ませる。甘いと酸っぱいが交互に襲ってくるものの、苦いや辛い、渋いが交互に来るよりは遥かにマシだろう。
 やや物足りなさを訴えるお腹に最後のナナシを突っ込むと、朝日と共に丘を目指す。彼女は朝日を見るのが好きだった。だから朝日にしたんだけど、まさか名前の通りエーフィに進化するとは思わなかった。
 朝日が何に進化しても、ボクの大切なポケモンであることには変わらない。それなのに特定のトレーナーは「最初からエーフィにするつもりでそうつけたんだろう? それはイーブイの可能性を奪っている、もっとポケモンのことを考えろ!」なんて言ってくる。
 名前だけでポケモンのことを考えているのかどうか決められるとしたら、姓名判断師なんかは大変じゃないのか。白いポケモンをクロと呼んだり、海のポケモンをリクと呼んだりする人もいるからそれほど大騒ぎすることでもないんじゃないかとボクは思っている。
「朝日、どうした?」
「……ふぃ」
 長い二度寝のせいで夜はずっと起きていたのか何なのか、歩くのがやや遅い。朝日のペースに合わせて歩いていると、暗かった周囲が段々と明るくなっていくのがわかる。太陽が顔を出し始めているんだ。
 朝日も早く見たいだろうし、ここは彼女を抱っこしてボクだけでも走るか? 太陽は待ってくれないから、考える時間は一瞬だ。朝日はどうしたいのだろうと視線を横にスライドさせてみる。そこに朝日はいなかった。
「……え?」
 ボクより前を歩いていった可能性はない。もしそうなら視界にチラとでも入っているに違いない。前を行ったのではないのなら、残るのは横に行ったか後ろにいった可能性だ。まさか横には行かないだろう。あるとすれば後ろだけだ。
 立ったまま眠ってしまったのかな。あの朝日が立ったままうつらうつらとする光景はなかなか想像できないけど、ないとは言い切れない。そうだったら無理に起こすのはかわいそうだからすぐに丘を降りよう。
 ボクが気づかずにずっと歩き続けていた可能性はありませんように。そう願いながら、ゆっくりと後ろを向く。藤色の体は目と鼻の先にあった。ペンライトに照らされた朝日は草の絨毯に乱暴に手足を投げ出していた。
「あさ、ひ?」
 いくら何でもリラックスするには時間も早いし、まだ太陽を見ていない。嫌な予感を振り払いたくて、慌てて朝日の元に駆け寄った。朝日の顔を覗いてみる。アメジストの目はボクを映しているようで、もう何も映していなかった。

*****

「朝日が好きだった花を持ってきたよ」
 太陽の光が降り注ぐ丘の上で、ボクは太陽とよく似た花を朝日に見せる。朝日を見るのが好きだった彼女は、同時にこの花のことも好きだった。夏は庭に咲く花を見て一緒に楽しむのが好きだった。
 朝日が突然どうしてボクの前からいなくなってしまったのか。それは今になってもわからない。朝日は病気だったわけでもないし、バトルで無理をさせていたわけでもない。少しずつ食べる量が減っていたことを考えると、もしかして寿命とかだったのかな、なんて思うこともある。
 いくら原因を考えたところで朝日が戻ってくるわけでもないし、いつまでも自分に囚われていては朝日も困ってしまうだろう。なんて、もう前に進んでいるような言葉を紡いでみるものの、本当に進めているのかどうかはわからない。
「ぶーい?」
 いつまで経っても花を持ったままで動こうとしないボクを不思議に思ったのか、一匹のイーブイ……夕日が声をかけてくる。夕日の頭を優しくぽんぽんと撫でると、そっと花を立てかけた。
 夕日は朝日がいなくなった翌日に家の前をうろうろしていた迷いポケモンだ。ポケモンセンターで調べて貰ったところ誰かのポケモンというわけでもなさそうだし、親ポケモンとはぐれた感じでもない。トレーナーに逃がされたのならそのトレーナーの元に帰ろうとする場合の多いというのに、そういう気配もない。
 たまたま迷い込んできた野生であれば、元の住処に帰って貰うことになっている。なので帰って貰おうとしたものの、イーブイはボクから全く離れようとしなかった。あれこれ話し合いをした結果、イーブイは自分の意志でボクのところへ来たということになってあっという間にボクの手持ちとなったのだ。
 夕日がどうしてボクのところに来たのかはわからない。夕日を見るのが好きなこのイーブイは、まるで朝日が空けていった場所を埋めるかのように行動している。当たり前ながら朝日と夕日が会ったことは一度もない。兄弟姉妹であれば可能性はありそうだけれど、朝日にそういうポケモンがいるという話は聞いたことがない。

「――えふぃっ!」

 突然、朝日の声が聞こえてきた。恐らく、いや絶対幻聴だ。そう思いながらも、声のした方向に視線を向けていく。
「……朝日?」
 ボクの視界には、朝日が、あの朝日がこちらに向かってくるのが映り込んでいた。これは都合のいい夢なのかもしれない。心のどこかで朝日に会いたいと思うばかりに、脳が幻を創り出しているのかもしれない。ボクのどこかが目の前の出来事を否定する一方で、別のどこかがこれは現実だと囁きかけてくる。
 夢でも幻でもいいから朝日を抱きしめたい。屈んで両手を広げてみたものの、肝心の朝日はボクのところには飛び込まず、夕日の中に吸い込まれるようにして消えていった。夕日は固まっているボクの両手に飛び込んで嬉しそうに頭を擦りつけている。
 今のは一体。そしてどういうことなんだ。誰かにそう尋ねたい衝動を抑えつつ夕日のふわふわの毛を楽しんでいると、ふとある仮設を思いつく。
「……まさか、ね」
 あるわけないと思いながら、ずっと頭をぐりぐりしてくる夕日を抱き上げる。懐いてくれるのは嬉しいものの、こうずっとやられると摩擦などで手が痛くなってくる。夕日は痛く鳴ったり熱くなったりしないのだろうか。表情に変化がないところを見ると、毛でしっかりとガードされているに違いない。
 ぱたぱたと振られる尻尾が体に当たるのを感じながら、ボクは心の中で朝日に今までのお礼を言う。定期的には来るとは思うけれど、お礼は今のうちに言っておきたかった。まだ残っている寂しさや虚しさは、すぐに夕日が埋め尽くしてくれるだろう。
「夕日、今夜は何を食べたい?」
「ぶいっ!」
 耳をピン! と立てて、元気にそう返してくる。その声には明らかに強い意志を感じ取ることができ、彼には今日食べたいものがあるという事実をボクにハッキリと告げてくれた。
「じゃあ家に着いたらそれを教えてくれよ?」
「ぶいぶい!」
 これから長い間続くであろう会話を繰り広げながら、ボク達は夕日に照らされた丘をくだっていった。


「夕日の丘」 終わり

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