毒手に花束を

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作者:円山翔
読了時間目安:10分
 生まれ持った体のせいで、子どもの頃から損ばかりしていた。どこへ赴いても、向けられるのは罵声と悲鳴と非難の眼差し。誰かに寄り添ってほしくても、
「臭いから無理」
の一言で片付けられる有様である。これではあまりにも理不尽だ。理不尽だが、仕方がない。おれが今のおれである以上、この事実は変えようがないのである。
 俺の手は汚れている。手だけではない。体全体が汚れているようなものである。おれに指一本でも触れようものなら、たちどころに毒に侵されて、重い病気に苦しむ羽目になる。そんな光景を何度も目の当たりにしてきたからこそ、おれは同族以外の誰かに、進んで近付かないようにしている。そもそも、おれが近付こうとしても、前述の理由で逃げられてしまうわけなのだけれど。
 おれはゴミ処理場に住み着いていた。おれだけではない。俺のように体臭が酷いとか、不潔だとかいう理由で虐げられたポケモンは、大概この場所を根城にしていた。毎日のように大量のゴミが運び込まれるこの場所で、食べ物に困ることはなかった。おれには好き嫌いがない。食っていいと言われれば、いや、言われなくとも、そこに食えそうなものがあれば、なんだって食う。それが生ごみであれ、ガラスの破片であれ、怪しげな化学薬品であれ、腹を満たすことができれば何でもよかった。色々と食べているうちに、体の色がおかしなことになっていたのだが、体のどこかが悪くなったという訳でもない。悪くなったものといえば、性根くらいのものであろうか。同族には多少においがマシになったと言われたのだが、自分ではよく分からなかった。
 こんな汚れたおれでも、誰かの役に立ちたいと思うことくらいはある。唐突に何を言い出すのかと思うかもしれない。しかしできないことを望むのは、生きとし生ける者の性ではなかろうか。というのはあくまで本心であり方便であり、おれに起こったできごとを話すための導入に過ぎない。
 道端に枯れかけている花があれば、行って水と養分を与えたい。そんなことができていれば、今現在こんなに虚しい思いはせずに済んだはずである。おれの手に水をすくった時点で、その水は汚染される。結果、その水をかけた花は、一瞬の後に枯れて土に還ってしまう。それだけならまだいいが、おれの毒は大地をも蝕んで、そこら一帯はしばらく草木も生えない不毛の地になりかねない。だから、枯れかけの花を見つけようとも、おれは手を下してはならないのである。できることといえば、せいぜい雨を降らせることのできる誰かに頼んで、おれは雨が降らないうちにそそくさと立ち去ることくらいのものだ。そうでもしなければ、そのあたり一帯どころか、更に広い範囲にまでおれの毒が流れてしまう。
 暗い路地裏で誰かが恐喝されていようものなら、行って暴漢を追い払いたい。馬鹿言え、追い払う前に、襲う側も襲われる側も逃げてしまうだろう。おれの体臭は、それほどまでに酷いのである。おれは生まれた時から嗅ぎ慣れているからなんてことはないが、同族以外で出会った誰かに「臭い」と言われなかったことはないくらいである。どうにかならないものかと、ゴミ処理場に落ちていた消臭剤なるものを飲んだり食ったりしたこともあった。が、その程度で収まる臭いではなかったらしい。おれの体内の毒と消臭剤なるものが化学変化を起こしたのであろう。おれに「多少はマシになった」と言った同族でさえ、おれに近付こうとしない有様である。

 ともかく、誰かの役に立ちたいというおれの思いが、逆に誰かを傷つけてしまうのは明白なのである。だから、おれは誰かを救いたいと思ってはならなかった。

 はずであった。

 おれの目の前には、小さな花が横たわっていた。
 花とはいっても、厳密には花ではない。花のような姿のポケモンである。それも、おれを見つけるなり
「ミーをお花畑に連れていくでしゅ!」
などと言い出すものだから困ったものである。
 守るべきものに触れる事さえままならないおれに、一体全体どうしろというのだ。
「他に頼りがいないでしゅ。臭いのは我慢するから、早く連れていくでしゅ」
 無礼極まりない言動だが、心中は複雑だった。こうして頼られたのは初めてのことで、失礼な奴だと思うのと同時に、おれは密かに浮足立っていた。心配なのは、花畑に辿り着く前に、おれの毒にやられてしまうことである。おれの心中を察したのか、花はしたり顔で言った。
「ミーはアロマセラピーを使えるでしゅ。多少の毒は気にならないでしゅ」
 花がきゅっと目を閉じると、辺りによい香りが漂った。おれの体臭が漂う中でも認識できるくらいだ。よほど強力な毒さえ、たちどころに治してしまいそうだった。

 目的地までは、そう遠くはない距離であった。といっても、それはおれにとっての話である。体の小さい花にとっては、大変な距離だったのであろう。小さいと同時に軽いわけで、強い風が吹けばどこへともなく飛ばされてしまいそうだった。それに、周りに擬態する花さえない道を花が歩いていたら、それこそ鳥ポケモンの格好の的である。要するに、おれは護衛として雇われたということになる。それならば、おれはうってつけだ。前よりもマシになったらしいとはいえ、悪臭は健在である。それに、みるからに毒々しい色をしたおれに、好き好んで近付くやつなど、よほどの愛好家か、自らの身の心配よりも空腹を満たすことに脳が支配された者か、毒が効かない体の持ち主か、あるいはよほど狂った輩くらいのものである。よくよく考えてみれば、この状況で花とおれに襲い掛かりうる敵は、案外多い事に気付いて戦慄した。結局は杞憂に終わるわけなのだけれど、悪い想像というものは、膨らみ始めたらきりがないものである。

 程なくして、その花の言う花畑に辿り着いた。時間はそれほどかからなかったし、途中で誰かに襲われるということもなかった。正直、拍子抜けした護衛だった。それはあくまでおれがおれであったからなのかもしれないし、単純に花にとっての脅威が現れなかっただけなのかもしれない。真相は定かではないが、花もおれも全くの無事であった。
 喜び勇んで花畑に飛び込む花を、おれは少し離れた場所から見送った。おれが花畑に入れば、たちどころに枯れてしまうのは目に見えて分かっているからである。完全に花の姿が見えなくなったところで、おれは元来た道を戻り始めた。途中でおれが足を止めたのは、気まぐれではない。花畑に消えたはずの花の声が、おれの耳に届いたからである。
「待つでしゅ! お礼がまだでしゅ!」
 ふよふよと舞い戻ってきた花は、別の花を連れていた。おれよりも背丈の大きい、絵本に出てくるお姫様みたいな姿をしていた。目を疑った。汚れた手でこすっても、消えやしなかった。おれなんか一生お目通りが叶わないはずの花姫が、おれに花束を差し出していた。
「感謝のしるしでしゅ。受け取るでしゅ」
「おれに? このおれにか?」
「他に誰がいるんでしゅか! 早く受け取るでしゅ!」
 小さい方の花に急かされ、おれはその花束を手に取った。その花からは、小さい花が撒き散らしたアロマセラピーと同じ、良い香りがした。そのせいなのだろう。おれが触れても、花束はまだ花束の形を保っていた。

 花姫と小さい花は、おれに別れを告げて花畑に消えた。
「また来るでしゅ! おまえなら大歓迎でしゅ!」
 という小さい花の言葉が、いつまでも頭の中を駆け巡っていた。

「あははははは!」

 思わず、笑いがこみ上げてきた。

「あははははは!」

 おかしくて笑いが止まらなかった。

「あははははは!」

 このおれが、誰かに感謝されるなんて。汚れたおれの手でも、誰かの役に立つことができるんだって。それまでのおれとあまりにもかけ離れていて、おかしかった。
 ひとしきり笑った後、おれは花畑をあとにした。
 来ていいと言われたものの、本当は来るべきではないことを分かっていた。だから、おれがその花畑を訪れることは二度となかった。
 俺の腕の中にある花束も、いずれは朽ちてしまう。それがおれの毒のせいだとしても、単に枯れてしまうからだとしても。この世にあるものは、いずれは形を変えてしまうものなのである。そうと分かっていても、おれはその花束を捨てることはできなかった。

 ゴミ捨て場に帰ったおれは、まだ汚染されていないと思しき地面に、貰った花を一輪一輪植えていった。やがては枯れてしまうのなら、せめて自然にある形で枯らしてやりたいと思ったのだ。汚れたおれの手で触れても枯れなかったのだから、少々のことで息絶えることはないであろう。それに、水をやることはできなくとも、雨を降らせることのできる誰かを呼ぶことはできる。育てることはできなくとも、見守ることはできる。考えてみれば、できることは案外転がっていた。

 いま、この辺り一面に咲き誇る赤い花。それは、おれが植えたあの花の子孫だ。まさかここまで見事な花畑になるとは、思ってもみなかった。ここがゴミ処理場だったなんて、知らなかった奴にとっちゃ考えられないだろう。草花はとても繊細だ。おれたちみたいなのが住み付いてる場所の周りじゃ、息づきもしないはずである。それでも、そうならなかったのは。きっと、植物ってのは、おれたちが思ってたよりもずっと強かったってことなのであろう。

 名前さえ知らないその花は、今でもその場所に咲き続けている。

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