「えっ!? ハクリューさん開拓者なの!?」
「ええ。こう見えてね」
開拓者とは。まだ地図にない未開の地を探索し、地図を広げる。この世界に生きるポケモンなら一度は夢見る憧れの存在だ。
未知の世界に足を踏み入れるのがシゴトと言うだけあって、日々開拓者による新しい発見が号外として町を賑わせる。
その賑わいを毎日のように肌で感じているのだから、町のコドモたちは開拓者を夢見ずにはいられない。
現にいつも流行に逆らうばかりのミミロルですら昔開拓者に憧れていたのだ。
「スゴい! ボク、開拓者さんのお家で寝てたんだ……」
「ふふっ、そんなにー?」
「そうだ! ボクもハクリューさんの開拓者のシゴトに連れてってよ!! そうすればここに残らなくてもいいし、家に帰らなくていいし!」
「んー、そう言うと思った……絶対ダメ」
「なんで!?」
ハクリューは即答する。
開拓者のシゴトはたしかに新鮮なことばかりで夢がある。だがそれは常になにが起こるかわからない危険と隣り合わせと言うことでもあった。
「う~」
「リオル、そろそろ練習に戻るよ」
「あっ、うん。すっかり忘れてた……」
ミミロルに言われて、リオルは胸にわだかまりを残したまま″きあいだま″の練習を始めた。
しかし結局その日、昼ごろまで続けてもリオルの"きあいだま"に進展はなかった。
空の太陽が見えない湖の地下空間では、一日の区切りを数字で表す丸いトケイが時間を教えてくれていた。
「あ、そろそろ行かないと……!」
「ハクリューさん? どこ行くのー?」
「ご飯のきのみを外に取りに行くの。三匹だから減りが早くて」
「ボクもいくよ! 手伝う!」
「ほんと? ありがとう」
長時間の練習のあとで疲れているなか活発に行動するリオル。ミミロルはそれとは反対になにもする気がない様子だった。
「じゃあ私は家で待ってるから、行ってらっしゃーい」
「ダメ! ミミロルも来て!」
「は? なんでよ。めんどくさい……」
「ミミロルも手伝う!!!」
「い、いや……なんでそんな……」
「いーから!!」
「わかったよ……」
猛烈な勢いで言うリオルに押し負けて、しぶしぶついていくミミロル。ブツブツと愚痴を言いながらハクリューの背に座る。
根の下から生命の樹のなかへ、昨晩来たときの道を逆に通る。外は昼のはずだが、枝葉の屋根があまりに分厚く木漏れ日すら通していない。
外に飛び出すと、夜は暗くて見えなかった景色が遠くまで見通すことができた。
「うわぁ! スゴい景色……!」
「ハクリューはいつでも空飛べるんだからズルいよね」
「そうかな~。ふふっ」
草原に着陸し、きのみを入れるカゴを背負う三匹。手分けしてきのみを集めて、カゴがいっぱいになったらまた湖で合流する手はずだ。
乗り気じゃないミミロルがさっさと終わらせようと森に向かうと、リオルも嬉しそうにあとをついてきた。
「あのさ、なんなの? さっきから……私になにか言いたいことでも?」
「あっ……それが、ちょっとハクリューには言えないことなんだけど……」
そう切り出すリオルのようすは、昨日ミミロルに「"きあいだま"を教えて」と言いだしたときと同じだった。嫌な予感がして、すぐにその場から離れたい衝動にかられるミミロル。
「一緒に開拓者にならない?」
「は?」
これもまた"きあいだま"のときと同じように口がポカンと開いて硬直する。
「ねぇっ、どう?」
「ど、どうって……」
「いいじゃん! ミミロルだって、開拓者に憧れてるでしょ?」
「憧れてなんかない。もう諦めた」
キラキラと輝かせるリオルの目から顔をそらす。
「諦めたって、なんで!?」
「私なんかじゃなれないってわかったの」
「そんなことないよ!」
「あるよ。……それにこんなコドモが開拓者なんて、認めてもらえるわけない」
ミミロルも詳しくは知らなかったが、開拓者には"本部"という場所があるらしい。開拓者になるにはそこで手続きを踏まないといけないとか。
つまるところ、オトナに認められなければ正式に開拓者になることはできない、ということ。
「だから……私は……」
「みんなに認められなくてもいいじゃん! 知らないところを冒険すれば、それで開拓者だよ!」
リオルの声明が森全体に行き渡る。それと同時に風が吹き込んだ。森の隙間から差し込んだ木漏れ日が、ミミロルの目に反射する。木の枝についたたくさんの葉っぱが揺れて、ザワザワと音を鳴らした。
「それに、ミミロルだってほんとは家に帰りたくないんでしょ?」
「……っ!? な、なんでよ!」
「わかんないけど、なんとなく。違った?」
突然図星をつかれ、慌てるミミロル。しかし当のリオルの平然とした様子を見て、ため息をついて落ち着かせる。
「……違わないよ。家にいるのがイヤだから、時々ハクリューのところに泊めてもらうの」
「だったら! 開拓者になって、二匹で旅に出よう!」
「二匹で、旅に…………」
ミミロルが悩んで、リオルの懇願に対する答えを言おうとした瞬間だった。
「ミミロル!!」
ミミロルを呼んだある声。それはリオルのものではない。しかしミミロルにとって厭きるほどに聞かされて、耳に残っている声。
「……!?」
「今いいところなのに~、またミミロルの友だち?」
「ミミロル! あぁ、よかった! 無事だったのね!!」
「お母さん…………? なんで……!?」
森の草木を強引にかき分けて、ミミロルたちの前に現れたのはミミロルの母 ── ミミロップ ── だった。
のんきなリオルの隣で、ミミロルは目を見開いている。
「なんで、ここに……!」
ミミロルの仏頂面の口元が少しほころんだ。しかしミミロル自身はそれに気づいていない。
風が枝にしがみついた木の葉を揺らす。
「今までどこに行ってたの? 心配したんだから!」
「……っ!!」
母の一言にさらに表情が変化する。今度は眉間にシワを寄せて、口をギュッと結んだ。
「お父さんもあなたのことを探してるの。行きましょう?」
「イヤ」
「ミミロル……?」
「帰りたくない」
伸ばされたミミロップの手を払う。ジワジワと心臓に熱い水がたまっていくのを感じた。
リオルは隣で気まずそうにキョロキョロしている。
「ねぇミミロル、家族みんなで話しましょう? ゆっくりでいいから、なにか悩みがあるなら……」
「話したくない」
「でも、それじゃあ何もわからないでしょう?」
「わからなくていいって言ってんの……!」
「よくないの。私はあなたのお母さんだから……」
「そんなの関係ない!」
声を張り上げる。
熱湯が体内を満たす。
息が苦しくなり、声に湯気が混じる。
「親だから何! 本当は心配なんかしてないんでしょ!?」
「そんなことないわ! 私はミミロルのことが大切で ── !」
「ウソだ! 今まで私がいなくなっても探そうともしなかったくせに、何を今さら……!!」
ミミロルが家に連絡もせず、ハクリューの家で夜を過ごすのは今回がはじめてではない。しかし一晩家に帰らないことが何度あっても、両親はミミロルに何も言わなかった。
「それは……!」
なにか言おうとするミミロップだが、言葉が喉につっかえて出てこない。
激しい風が吹き、木の葉は枝から離れ去る。
「ほんとは、どうでもいいくせに!!」
腹部のクリーム色の綿毛をギュッと両手で握りしめた。
宙に投げ出された木の葉は、ミミロルと母の間をユラユラと彷徨いながら下降する。
そしてミミロルの足元にゆっくりと不時着した……。
── それは四年前。
友だちのイーブイを傷つけたことで落ち込んでいたミミロルに、母は言った。
「一緒にがんばろう」
それから二匹は、毎日町の外れにある空き地で"きあいだま"の練習を続けた。
中々上達せず落ち込むことがあっても、母はいつも笑顔で応援してくれる。それはミミロルにとって大きな支えだった。
しかしいつものように練習をしていたある日、見守る母の方を見ると表情が少し曇っていることに気づいた。
その瞬間、母親の笑顔で抑え込まれていた不安が噴き出し体内に蔓延する。
それはミミロルがずっと畏れ、目をそらしていたもの。
もしこのまま"きあいだま"が一向に上達しなかったら、終わりの見えない練習の日々が続いたら、いつか母にも愛想をつかされてしまうのではないか。
ミミロルの不安は的中した。
はじめの前向きさはあっという間に失われ、母がミミロルを見守る目は哀れみに満ちていく。
やがて母はミミロルの練習に付き合うこともしなくなった。
その時ミミロルは「自分は見捨てられたんだ」と悟り、狭い世界を照らしていた矮小な照明が光を失った。 ──
思い出すほどに水は熱を増していき、ジワジワと胸を焼いていく。
「親だから、こんなところまで来て! 心配したふりしてるんでしょ……!?」
「ミミロル!!」
「本当は、私なんかっ……!」
ミミロルの体に力が入る。
足元の落ち葉を、自分の足で踏み潰した。
「ほんとは私なんか、いなくなった方が良いに決まってる!」
「やめなさい!!!」
初めて聞く母の怒鳴り声に、思わずビクッと体を震わせ硬直する。
「……ごめんなさい。大きな声だして」
「……う、うぅっ……」
なにも言えず、涙がこぼれるのを隠そうと下を向く。
足元には粉々になった落ち葉。
怯えるように体を震わせるミミロルに、母は静かに語りかける。
「イーブイちゃんが、行方不明になったの」
「…………え?」
「最近町のコドモたちが突然いなくなる事件が続いていて……。もしかしたらミミロルにも何かあったんじゃないかって心配になって……」
木々が風に吹かれてザワザワと揺れる。
「信じてもらえないかもしれないけれど……お母さんたちにとってミミロルは、何よりも大切な存在なの。だから、そんなこと言わないで……」
ミミロルの目からこぼれた雫が、落ち葉に落ちて砕けた。
「じゃあ、なんで……。一緒にいてくれなかったの……?」
「ミミロル……」
「家にいないとき、いつも"きあいだま"の練習してるの。知ってたんでしょ……!?」
ミミロルは一匹でも、それを続けるしかなかった。
大抵のポケモンは子どもの頃から、いくつか弱いわざを覚えることができる。
しかしミミロルは、"きあいだま"以外のわざを一つも持っていなかった。なにもできないなかで唯一できたわざが"きあいだま"だけだったのだ。
それは一向に成長しない灯り。それでも暗澹とした姿無き世界でミミロルに出来ることは、小さな灯りにすがることだけだった。
「独りにしないでよ……! 私にはこれしかないのに! それなのに……見捨てないでよ……! 」
熱に水没した体から、やっとの思いで白い叫びを吐き出す。
「……ごめんなさい、ミミロル。お母さんたちも迷ってたの。"きあいだま"は普通は覚えないわざだから、どうすれば力になれるかなって……」
寄り添おうとする言葉の一つ一つが、「お前は手間のかかる厄介者だ」とミミロルを睨みつける。
「見捨てたわけじゃないの。ただ、私もどうすればいいかわからなくて……ごめんなさい……」
「なに、それ……」
「そんなこと、聞きたくない」とまた目から水が溢れ出す。
「だったらもう……ほっといてよ……」
風が吹く。
落ち葉だった一つ一つが、ボロボロのパーツが散り散りに飛んでいく。
ミミロルは母に背中を向けて、歩き始めた。
「ミミロル……いいの?」
二匹のやり取りをずっと黙ってみていたリオルが、心配そうな声で言う。ミミロルは足を止めない。
ミミロップは思わず手を伸ばし止めようとするが、「待って」の一言は言わなかった。
「ねぇ、ミミロルってば……」
「なに?」
「いいの? お母さんと帰らなくて」
「……」
ミミロルはイライラとしたようすでリオルを睨む。それでもリオルは怯まない。
「いいに決まってるでしょ」
「でも!」
「言ったでしょ。私、親嫌いなの」
「ウソだ……! だってミミロル、お母さんに会えて嬉しそうだったもん!」
「……は?」
なぜか涙目のリオルの訴えを聞いて、ミミロルの顔がさらに強張る。
「なに、それ……。次変なこと言ったら、キレるから」
「も、もう怒ってるじゃん。せっかく仲直りできそうだったのに、なんで……!」
「うるさいって言ってんの! なにも知らないくせに……!」
「知らないけど、でも探しに来てくれただけ良いじゃんか! ボクなんか……」
そう言いながら俯くリオルに、ミミロルは言葉をつまらせる。とっさに「ごめん」と謝ろうとするが、何となくシャクで口には出さなかった。
「はぁ~……」
ぐったりと地面に座り込む。
ためらいを隠すように俯き、手で草をいじりながら言う。
「リオル。さっきの話だけどさ」
「ん? さっきの話って?」
草を握りしめ、顔をあげた。
「……開拓者、やろう」
その発言を理解するのに時間がかかったのか。一瞬間をおいてから、泣きそうだったリオルの顔が快晴に変わった。