6話 バッカじゃねえの、あの低能

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

  ○

 いつものように朝起きて、僕は特訓を始める。今日はママが相手になってくれている。僕は体を左右に振って、ママをかく乱しようとするのだけれど……。
「遅いよリオル! そんなんじゃ、相手は騙せない!」
 ママの軽い一撃をくらい、地面に叩きつけられた僕は「うー」と悲しい声をあげるのみだった。
「フェイント、動きの筋はいいんだよ。ただ、あんた自身が自分の行動を信じ切らなきゃ駄目。初めから騙そうってのが見えてたら、騙せる相手も騙せないよ!」
「はーい」
「あ、ごはんできましたよー」
 イブの軽い声が聞こえて、僕たちはそちらを見た。
「イブ、ありがとうね! 行くよリオル!」
「うん!」

 半分ぐらい食べた辺りで、イブが「そういやさ」と僕に切り出す。
「修行してるのって、お母さんが警察だから、身を守るためなの?」
「えっと……それも大きいんだけど」
「え、違うんだ」
「うん。僕、誰かのことを護りたいなって思ってて」
「誰かを護るには、頭か力のどちらかがいる。あたしが教えられるのは、力だけだからね」
「ま、僕もバカだし」
 拗ねたように言ってみると、イブはクスリと笑う。僕もそれで笑顔になった。
「でもさ、きっかけはどうあれ、この特訓は楽しいよ! 将来はこういう仕事がしたいぐらい」
「へえ、いいなぁ、将来の夢が決まってて」
「えへへ」
「まあイブについては、将来より過去の記憶だよ。やっぱり何も思い出せないのかい?」
「ああ、それは……はい」
「どうせやったのはその辺のチンピラだと思うんだけどね……。今は別件で時間も取られるんだ。すまないね」
「大丈夫ですよ」
 イブはどうも、割と本心で言っているような気がするのだけれど、ママはため息を吐くだけだった。
「ごちそうさまっ!」
 手を合わせて、明るく言う。僕の声に、2匹はお皿に視線を落とし、そしてまだかなり残っていることを思い出したのか、慌てて食事を再開した。
 朝の用意を済ませて待っていると、イブもすぐに済ませ、僕に向かってこう言った。
「ありがとね」
「うん。それじゃ、行ってきまーす!」
「行ってきます」
 僕らの声に、ママの行ってらっしゃいが響いた。

 シシコやミミロルと談笑しながら学校への道を歩く。イブに宿題を手伝ってもらってる事を話すと、イブは恥ずかしがってうつむき、シシコは反対にうらやましいと身を乗り出し、ミミロルはそんなシシコをたしなめる。こんな会話を繰り広げながら、僕たちは学校へ到着した。
 イブは自分の席に着く。隣のチョロネコの様子はどうなのだろう。昨日、お風呂であんな話を聞かされて、気にならない訳がない。かばんからものを取り出しながら、耳はずっと、そちらの方へ意識を向けていた。
「おはよ」
 返事はない。イブが間違えてて、やっぱり元々そういうポケモンだっただけなんじゃないか……なんて思っていると、イブがまたチョロネコに声をかける。チョロネコはうっとうしそうに顔をあげ、それからイブに向け、こう言っていた。

「うっとうしいんだけど。ちょっと黙っててくれない?」
 僕は思わず、「酷いよチョロネコっ!」と叫んだ。みんなが僕に視線を向ける。
「ど、どうしたの……?」
 マイナンの声も聞かないまま、僕はチョロネコに向けて詰め寄って行く。
「イブ、あんまり積極的なタイプじゃないんだよ! それなのに――」
「リオル」
 イブが首を横に振る。けれど僕は止まらない。チョロネコは何も聞こえないよと言わんばかりに突っ伏していた。
「そんなんじゃ、絶対に友達なんてできる訳ないよっ!」
「リオル! やめてっ!」
 イブが僕に向けて"たいあたり"をくらわした。予想外の方向からの攻撃に対処しきれず、僕は地面に倒れ伏す。
「イブ……?」
「あっ……ごめん、リオル。落ち着いて。これは……読み通りの展開だから」
「えっ」
 僕に圧し掛かった体勢のまま、イブは僕の耳元で囁く。他の誰にも聞こえないように。

  ◇

 イブがリオルに"たいあたり"をくらわせた。その衝撃で目をあげたあたしは、リオルに圧し掛かったイブを見ることになった。
 リオルは正義漢だ。それはわかっている。警察官の家だと聞いている。リオルについては、あたしでも知っているぐらいの、有名事実だ。詳しくは知らないけれど。
 だからそのリオルがあたしに対して激昂するのは理解できる。別にそれでいいやと思っていた。どうせあたしなんて、そのぐらいがお似合いなのだから。
 だけど、イブはあたしを庇った。あたしはため息を吐いて、机に突っ伏す。
 イブの持つ、「私は全てお見通し」という顔と口調。そして、その行動の端々からうかがえる、安い同情。虫唾が走る。同情は、決して優しさの発露なんかではない。むしろ、優越感からくるものだ。自分が相手の優位に立っていると思っていなければ、同情なんてしない。その立場になって考えれば、そのぐらい簡単にわかりそうなものなのに。
 同情は、だから心配している自分に酔っているクズのエゴでしかない。
 そんなものを感じられるぐらいなら、リオルに殴られた方が何倍もマシだ。相性の問題で、それはそれは痛いのだろうけれど、それでも。
 再びため息を吐く。
 少しでも興味を惹かれたあたしがバカみたい。結局、あたしのことをわかってくれるポケモンなんて、どこにもいない。

 さすがのイブも今日はあたしに声をかけることはなく、だからあたしは、暴走していく闇をどんどん増幅させていくことができた。あたしはそれを、家に持ち帰る。帰宅を誰にも伝えずに、親の目を盗んでかばんを下ろすと、あたしは仕事へ向かう。
 親に見られれば、何をされるか分かった物ではない。殴る蹴るは当たり前、酷い時には体の関係を強要しようとしてくる父親。そんな父を見て見ぬ振りして、自分が少しでも長く生き延びたいと言う、それだけに固執して生を無為に過ごしている母親。オーナーだって、金が絡まなければあたしとの関係は切っているだろう。
 あたしは、独りだった。
 あたしその物を受け入れてくれるポケモンは、どこにもいないのだ。
 なぜか、乾いた笑いがこぼれる。絶望に伴う、明るい笑い。
 あたしの苛立ちは最高潮に達して、限界値を超えていた。
「バッカじゃねえの、あの低能」
 誰に向けてでもなく、そう呟く。

  ○

「えっ、嘘もう出て来た……」
 イブはそう小さく言う。驚きがそこには滲んでいた。視線の先にはチョロネコがいる。物陰に潜みながら、僕たちはチョロネコの様子を窺っていた。
「帰ってすぐ家を出て……どこに行くんだろう」
「遊びには行かないんだろうけどさ」
 僕の問いかけに、イブはそう答え、続ける。
「とりあえず、追いかけてみよう」
 僕は小さく頷いて、チョロネコの後を追った。

 チョロネコの家の場所を、誰も知らなかった。だから僕たちは、チョロネコを尾行して彼女の家を特定しようとしたのだ。そうしたら、彼女はこうやって、即座に家から離れて行った。
 その足取りは、まるで逃げるようだった。

 ポケモンの気配を感じないような路地裏に入り込んでいるチョロネコはけれど、僕はともかくイブの気配にも気付かない。イブの尾行はお世辞にも上手いとは言えないけれど、チョロネコもあんまりそういうのに敏感な訳ではないらしい。
 チョロネコは迷うことなく、そして振り返ることもなく進んで行く。
「チョロネコ、来慣れてるな……」
 イブの囁きに、僕も頷いた。
「かなり遠いのにね」
「毎日来てる……のかな」
 イブは呟きながら、また歩き始める。僕は「しっ」と歩く音量に注意を促し、それについて行った。
 しばらく歩くうちに、雰囲気がどことなくいかがわしくなって来る。イブが唐突に身震いした。
「ねえ……何か、来るんじゃ」
「えっ」
 僕は辺りを見回し、それから物陰に隠れている1匹のホルードを見付けた。彼は別に隠れていた訳ではないらしく、僕らをみとめると、こちらへ歩み寄って来た。
「お嬢さんたち、こんなとこに来てどうしたんだい?」
 口調は丁寧でこそあるが、長い耳の伝えるどす黒い感情に、胸がむかつく。
「ここは……風俗街ですか?」
 イブが震えながらも問いかけた。ホルードはその通りと頷く。
「残念ながら、ここは君たちみたいな子どもが来るべきところじゃないねぇ。それか……こっちに来てもいいんだけど?」
 イブがひっと悲鳴をあげる。
「なら……チョロネコはどうなの? チョロネコも、僕らと同い年だよ!」
 少しホルードは舌なめずりをして、それから言う。
「チョロネコは、子どもじゃないんだ。もう、こっち側に来ているからね、僕ちゃん」
 僕はその声を聞いて、ホルードに向けて殴り掛かった。もう、我慢の限界だ。自分の中で、何かが暴れている。
 コロセ。
 そう、その何かは告げている。
「リオルっ! 無茶よっ!」
 僕は拳を固く握りしめ、"グロウパンチ"を彼の顔面に炸裂させる。不意を突かれたのか、彼はたたらを踏んで後退した。
「ふーっ、ふーっ」
 息が荒くなっているのを感じる。口から一筋の血を流しながら、ホルードはニヤリと笑う。
「そうか……なら、無事に返す訳にはいかねぇなぁっ!」
 ホルードが耳を大地に突き立てると、その衝撃が僕らに伝わって来る。
「"じならし"か……」
 バランスを崩して倒れたイブがそう呟いていた。僕も体勢が危うい。そんなとこを敵が見逃すはずもなく、ホルードは僕に向けてその耳を振り被る。僕は咄嗟に足を踏みしめ、返す刀で"グロウパンチ"をぶつけた。しかし、押し負ける。力が強い。
「"てだすけ"っ」
 イブが僕に声援を送る。それで少し力が湧いて、僕の拳はホルードの耳と互角に渡り合えるようになった。しかし、初めから体勢がよくなかった僕は、それでも不利だった。
「リオルっ! しゃがんでっ!」
 不意にイブの声が聞こえ、僕はしゃがむ。その頭の上を、ホルードのもう片方の耳が通り抜けて行った。
「うおっ」
 ホルードはその勢いで、バランスを崩し、綺麗に1回転する。僕はその胴体めがけて、"はっけい"を繰り出した。ホルードの口からうめき声が漏れる。
 僕は雄叫びをあげた。ホルードはまた攻撃を仕掛けてくるが、その動きは腹部の痛みのせいか鈍い。なんなくそれを回避して、僕はまた"はっけい"を叩き込む。苦悶の声を聞きながら、僕はまた、その場所を攻撃する。何度も、何度も……
「やめてっ! もうホルードに、戦う意志はないっ!」
 イブが僕の肩に掴まる。その重さ、体温にふと気付いた。ホルードは、口から血を吹いて倒れている。
「これ……僕がやったの……?」
 イブは頷いた。どことなく、拳にざらついたような感覚は残った。だけど、と僕はイブを見る。
 イブを護れたから、これでよし。
「まあ、正当防衛ではあると思う。だけど……逃げた方がいいよね、これ。まずはママに相談しよう」
 イブがそう言って、有無を言わせず僕を引っ張る。僕も逆らうつもりはなかった。どう見ても、これはやり過ぎだ。

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