4話 でも、これでいいや

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

  ◇

「こーんな子どもをお金で買おうとするなんて、ほんっとサイテー」
 さすがに、この発言には勇気が必要だった。いくら本心とは言えど、客を相手にするにあたって、普通は言ってはならない言葉。それを今こうして言っているのは、客であるキリキザンのリクエストだからだ。お金をもらうのだから、こういうサービスも、しなければならない。
 体だけは、さすがに売らないけれど。あたしはもう、心は売っている。それより他に、生きてはいけなかったから。
 あたしは目の前の、仕事でもない限り声をかけようとも思わないおっさんにバレないように、心内でため息を吐いた。
「奥さんとか子どもとか、いるの? ま、いる訳ないか」
「どうしてそんな事言うのさ……」
 お前が罵れって言ったからだよ、とツッコミたい気持ちを全力で抑え付け、あたしは妖艶さを意識して微笑んだ。
「だって、あんたみたいな冴えない男に、女が寄って来るはずもないし」
 チラと時計を盗み見る。ああ、この時間が終わってしまう。家に帰る時間が、迫っている。そのぐらいなら、このおっさんの会話相手をしている方が、何倍もマシなのに。
 その苛立ち、そして恐怖が、あたしの口を必要以上に動かす。
「あ、それともいた? 夫婦間が上手くいかなくて、一緒に暮らしてるのに別居してるみたいな奥さんが」
「ひ、酷い……」
 こいつは、かわいそうな自分に惚れこんでしまうタイプだろう。満足しているし、これでいいやと割り切る。
「もう時間ですので、お帰り下さい」
 普段ならもう少し丁寧に応対するけれど、ここでもさっきの苛立ちを引きずって声が尖っていた。
 でも、これでいいや。このおまじないは、本当に万能だ。

「はい、ごはんと日当。今日もお疲れ様」
 オーナーのフローゼルがあたしの肩をポンと叩く。あたしは曖昧に笑いながら、彼の差し出したものを受け取った。
 父親に比べれば、という枕詞が付きはするが、あたしは彼のことが嫌いではなかった。あたしの事情を知っていてなお詮索しようとしないその態度に、やることをやったあたしのことを他と区別せずにキチンとお金や食事をくれる。カップ麺だけど。
 それでも、体を売らせるようなことはなかったし、酒に溺れてあたしや他のポケモンに暴力をふるったりはしない。こんな世界に生きていながらあたしみたいな小学生と接点を持っている時点でアウトなのだけれど、それは努めて気にしないようにしていた。
「ありがとうございます」
 少なくとも、父親に比べれば、遥かにマシなポケモンだから。

  ○

 目が覚めた。ふああとあくびをしながら体を起こす。イブはまだ寝ていた。そもそも、まだ日が出てすぐだ。起きているはずもなかった。
 朝の特訓をするべくリビングに向かって、僕はいつもの場所に置いてあるママの置き手紙を見付ける。
『今日のメニューはここにかいてあります。これのとおりにれんしゅうしてください』
 毎度のことながら、手紙で書く時だけママの口調が凄く丁寧になるのはなんでだろう。最初は笑ってしまったけど、もう慣れた。
 僕は庭の裏手に吊るしてあるサンドバックの所へ向かう。

「とうっ!」
 "グロウパンチ"。使えば使う程拳の勢いが増して行き、攻撃力が高くなる技だ。それを何度も振り回し――と言っても毎回ちゃんとサンドバックに狙いを付けてはいるけれど――全力で殴れるようになった所で、動きを加える。サンドバックを中心に時計周りで動きながら(相手をかく乱する練習だ)、その勢いで繰り出すのは"フェイント"。固いガードを破るのに役に立つ。そして、軽く突き出した拳でサンドバックを吹き飛ばすと、それにめがけて飛びかかり"はっけい"を繰り出す。最後の決め技だ。いわゆる僕の切り札。サンドバックがぐるりと一周して、後ろから襲い掛かる。僕はそれをかわした。 最後に『かみつく』(ゴーストタイプ対策。生まれた時から覚えてたらしいけど、ホントに便利)をサンドバックに向かって決めて、今日のメニューは終了だ。
 汗を拭ってふと振り向くと、イブが覗いていた。イブは茫然と、「す、凄い……」と呟いている。
「でしょ? ありがとう!」
「毎日やってるの?」
「だいたいね。ママがいる時は一緒にやってくれるんだ」
「凄いなぁ……毎日続けられるの」
「昨日サボっちゃったけどね」
「あ、それは確かに」
 そう言ってイブはクスリと笑う。
「疲れたでしょ。ごはん作るね。一応、私も料理できなくはないから」
「お願いね。イブの学校の用意はしておくよ」
「ありがとう」
 そう言って僕らは各々やるべきことを始めた。
 イブの筆箱になりそうなものをと探していると、そのものズバリ筆箱を発見。その周りには、ノートに4足歩行ポケモン用の鉛筆や消しゴムなどなど、他にも必要なものが置いてある。
 きっと昨日のうちにママが用意していたのだろうと考えながら、僕はそれをかばんにつめ込んだ。僕の分の用意も済ませ、新聞を取り、後はもうごはんを待つだけだった。
「できたよ」
「はーい」

「いただきまあす」
 2匹の声が重なる。目の前で湯気を立てているおいしそうなスープに僕は思わず舌なめずりをした。イブが口を付け、そして満足そうに微笑む。僕も一口スープを飲んで、そしてビックリした。
 確かにママの料理程おいしいとは言わない。けれど、ママの料理とはまた違ったおいしさが口の中に広がり、僕の口からは思わず感動が零れた。
「よかった」
「イブ、料理上手いね!」
「ありがとう!」
 イブが目を輝かせた。僕はスープを一気に飲み干す。
「ごちそうさま」
 お皿を水で軽く流し、僕は歯磨きして体毛を整え、イブを待った。イブも少し急ぎめでそれを済ませ、僕はイブにかばんを手渡す。
「行って来ます」
 誰もいない家に向けて、僕らはそう声をかけた。

「おはよー、シシコ、ミミロル!」
「おはよう! その子がイブか?」
「ど、どうも、よろしくお願いします」
「そんなかしこまらないでいいよ。私はミミロル。よろしくね」
「俺はシシコ。よろしくな!」
「僕ら、家が近くてさ。ほとんど毎日一緒に行ってるんだ。これからもそうだから、4匹だね!」
「そうなんだ。仲いいの?」
「もちろん!」
 胸を張る僕にシシコも同調する。けれどミミロルは「ま、普通ぐらい?」とつれない。
「なんだよそれぇ」
 じっとりと問い詰める僕に、ミミロルは笑みを浮かべる。
「冗談よ。うん、私たち、なんだかんだ仲はいいと思う」
「よかった」
 イブが微笑んだ。
 その後もなんだかんだといつも通りの――イブがいるとは言っても、雰囲気はあんまり変わらなかった――会話を続け、僕らは学校に辿り着く。
「どう? イブ。こんな感じのクラスメイトだよ。結構楽しそうじゃない?」
 イブはうんの言葉と共に頷く。僕は思わず笑みを浮かべていた。
「そう言ってくれて、私も嬉しいよ。ありがとね」
「これもみんな、俺のお陰だな!」
 シシコの威勢のいい声に、思わず3匹共に吹き出してしまった。先生がやって来て、イブ1匹を連れて行く。転校生は後から先生と一緒に入って来る、ってことだろう。
 教室に着く。クラスのみんなも各々の話を続けていて、僕ら3匹は、それぞれの友達の所へと向かう。
「今日こそイブと遊べるの?」
「遊べる……どころか、今日転校して来ることになったよ!」
「えっ、それホント?!」
 マイナンがこちらに身を乗り出して来る。僕は頷いた。
「僕も、遊ぶのはできても、転校がこんなにすぐだとは思わなかった」
 周りがざわめき出している。けれど、イブそのものはいないから、これ以上の騒ぎは起こらなかった。授業開始の合図が聞こえ、みんなソワソワと自分の席に着く。
 先生がイブを連れて入って来た。イブは見てわかるぐらい緊張している。
「イブ、落ち着いて」
 小声でイブに声を飛ばす。ついでに波導も飛ばせないかと送ってみたが、伝わったかどうかはわからなかった。イブは震えながら、「い、イーブイです。イブと呼んでください。よ、よろしくお願いします」とだけ言い、かくかくと席に着こうとして、周りを見渡す。
「あ、イブ。そこの、チョロネコの隣に座って」
「あ、はい」
 うげ、と思わず小さな声が出る。よりにもよって、チョロネコの隣か。僕はチョロネコの方を見る。彼女はやはり、他のみんなから切り離されて、静かに眠っていた。
 と、チョロネコは顔をあげる。そしてイブの方をチラと見た。

  ◇

 あたしの隣の席なのか。先生、何を考えているんだろう。事情を知らない先生にとって、あたしはどう考えても問題児なのに。いや、だからこそ、だろうか。そんなことはどうでもよかった。
 昨日少しだけ湧いた興味に従って、あたしは顔をあげる。イブと名乗るイーブイは小さく、「よろしくね」と呟いた。あたしはまた突っ伏して、「ん」とだけ答える。イブは腰を下ろし、それから真面目に教科書を取り出していた。ぱっと見では、警察にお世話になるような子には見えないけれど、一体どうしてそうなったのだろう。裏に何かあるのだろうか。警察官の家に引き取られたということは、もしかして。
 チラと、もしかしたら仲良くなれないだろうかと思ってしまう。ありえないのに。ありえてはいけないのに。

 半分寝ながら授業を聞いている。みんななんでこんなのがわからないの、と思うような簡単な問題だけれど、みんなは次々間違えている。
「それじゃあ、イブ」
 先生がイブを指名した。イブは「は、はい!」と立ち上がり、それから少し息を吸って、一気に述べた。正解だった。しかも完璧。それどころか、説明も先生より上手い。あたしのその判断の直後、先生が「そう!」と叫ぶ。教室がざわめいた。リオルがさすが! なんて声をあげている。
 あたしは少し顔をあげてイブを見る。イブは照れたような笑みを浮かべていた。
 先生がひとつ咳払いして、授業は元の路線に戻って行く。あたしはあーあと思いながら突っ伏した。
 緊張してるんでしょ、どうなっても知らないよ、イブ。

 案の定というか、イブはみんなに取り囲まれていた。隣のあたしまで巻き込んで、クラスの喧騒はイブを追い立てる。褒め言葉に対し、終始イブの謙遜が続いた。その声には、当惑が混ざっている。こうなることぐらい読めたでしょう、あの説明力があるのなら。あたしはぼんやりと喧騒を聞いていた。

 放課後、クラスメイトたちはイブを遊びに誘っている。なんとなく、イブは断るんじゃないか、と考えていたが、結局断り切れずにという風情で、イブは遊びに行くことに決まっていた。
 リオルが「こっちこっち!」と笑って手を振る。あたしは帰り支度を済ませ、それを無視して帰ろうとし……。
「ねえ、チョロネコ」
 イブがあたしに声をかけて来ていた。え、と振り返る。
「何の用よ」と困惑して返すと、イブは真顔で言った。
「ねえ、あなたって……いや、いいや。なんでもない。これからよろしくね」
 そう言って、イブは後ろを振り返り、駆け出して……転んだ。
「だ、大丈夫?!」
 リオルの声を後ろに、あたしは学校を出た。
「……何よ、あんたなんかが、何を知ってるってんのよ」
 小さく呟く。イブ、何を言いたい訳。あたしに……同情でもしてるの?
 あたしは小さく笑った。

 なんだ、結局イブは、そういうポケモンだったのか。

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