14.見るべきもの

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うっそうと木々が生い茂るこの森には日光があまり入って来ず、現在の時間が曖昧になる程だ。踏みしめる地面にも湿った木の葉が敷き詰められていて、斜め前を歩くイーブイなんかは時折足を柔らかな大地に沈めながら、おっかなびっくりといった様子でゆっくりと歩みを進めている。その頭上ではズバットがその様子を気にかけている。
対してしっかりとした足並みであたしたちを先導しているのはヘラクロス、そのつるんとした背中が今はとても頼もしい。けれど後ろ姿だけでもわかるその自信はどこから来るのか、それとも彼は現在のこの状況を正しく理解していないのかもしれない。
――そうだよ、迷子だよちくしょう!!

好奇心に負けて道をそれたのがいけなかった。それまでは森の中とはいえ獣道のようになっていて道筋がわかるようになっていたのに、今じゃ自分がどこを歩いているのかさっぱりわからない。
油断していた。ウバメに森に入って2日目、野宿も挟んだ後で完全に気が緩んでいた。それにほら、こういう森って色々歩き回って探索したいじゃん!?
頭の中でここにはいない誰かに言い訳をしながらも、こっそりとほくそ笑む。そう、実はこの状況を楽しんでいる自分がいることにはとっくに気が付いていた。
なんとなく当てもなく旅に出たけれど、その判断は大正解だった。たくさんのポケモンと出会い、人と出会い、出来事に出会った。あたしが暮らしていた世界では考えつかないような出会いの数々。元の世界に帰る方法が全くわからないことが気にならないわけではないけれど、この世界にやって来たこと自体は良かったと思っている。だってあたし、今こんなにも楽しい!
けれど、それではいけないこともわかっている。いつかは、元の世界に帰らないといけない。やはりあたしはこの世界の住人ではない、そう思い知ることも多かった。それに元の世界は今頃どうなっていることやら。あたしがこの世界にやってきてからかなり経つけれど、向こうでもここと同じように時間は流れているだろうか。もし帰ることができたら、都合よくあたしがいなくなった時間に帰って表面上は何事もなかったかのように振る舞いたい。そうすればみんなを心配させずに済む……。
…………いけないいけない、つい真面目に考え込んでしまった。いつも明るくて悩みなんてなさそう、なんて言われることが多いあたしだけれど、そんなことはない。そういう暗い気持ちになっても、それを見て見ぬふりをしているだけだ。結局は問題が後回しになってしまうけれど、そうやって無理にでも明るくしていれば大体のことは何とかなる。要は気の持ちようなのだ。
それに、あたしが次に向かう場所はコガネシティ――――あたしの出身地としてトレーナーカードに記載されている場所だ。そこに着いてしまうまでは、ややこしいことは一旦忘れてしまおう。もしかするとそこで大きな手掛かりが見つかって、そのまま元の世界に帰ることができるかもしれない。前向きに考えよう。歩みを続けながら、あたしは少しだけ自分の口角を上げた。

途中木の陰からこちらを見ていたパラスたちに手を振りながら何となく進んでいると、少し開けたところに出た。所狭しと空を埋め尽くしていた木々の葉もそこだけ穴が開いたかのようで、そこから差し込む日の光はまるでその下にあるものだけに当てられているようだった。
ぽつんと置かれたそれは、たぶん、小さな祠。古ぼけた木材はところどころ苔が生えていて、それがかなり昔からあることがわかる。けれどその周りの空気は澄んでいるように感じられて、無意識に深呼吸をする。……うん、気持ちがいい。
「……よし、ここら辺で少し休もうか」
その場に適当に腰を下ろした。

――それにしてもなんだろうな、ここ。
この祠らしきものにはいくつか木の実が供えられているようだけれど、これは人間がわざわざここまで来て供えに来たのか、それともこのウバメの森に棲むポケモンたちが供えに来たのか。けれどどちらかといえば後者だろうな、人間の仕業ならもっと手の加えられたものが供えられているはずだ。ほら、饅頭みたいな。
地面に胡坐をかいたまま正面からじろじろと祠を観察していると、後ろから影が差した。
「……ヘラクロス、これのこと知ってるの?」
影の正体はどこからか入手した木の実を両手に抱えていて、もしかしなくとも自分もお供えするつもりらしい。あたしの問いを無視したままその木の実を祠の前に置いて、人間みたいに目をつぶって手を合わせている。ヒワダタウンに頻繁にヘラクロスがやってくるのは近くにウバメの森があるからだという話だったから、ヘラクロスも野生のころにここでこういうことをしていたのかもしれない。
その様子をしばらく見て、あたしもその場から立ち上がって改めて祠を見た。お参りなんてお正月くらいしかしたことがない。何回礼して何回手を叩く、そういうこともよく知らないけれど……ま、一応拝んどくか。
「……イーブイとズバットもこっちおいで」
仲良く追いかけっこをしていた2匹も呼んで、あたしたちはヘラクロスに倣って目を閉じ、手を合わせた。
――形だけ合わせてはみたけど、これって何か願い事でもした方がいいのか? じゃあ、そうだな……まずはこの旅の無事でも祈っておこう。あとは…………これから進む先、それが知りたい。あたしはこれから向かうコガネシティで元の世界に帰る方法を見つけることができるのか、どうやって見つけるのか。あたしはこれから、何をすべきなのか………………。

――――――びいいいいぃぃぃん。

「――――え」
金属の塊が芯から震えているような音。どこか遠くから聞こえているようで、目を開けて辺りを見回しても、何も変わったことはない。

――――びいいいいぃぃぃん。

少し大きくなったそれはどこか1か所からではなく、この森全体で響いているかのようにあたしたちに覆い被さっていく。なぜだか体から力が抜けてしゃがみ込むあたしの肩に、隣のヘラクロスの手が置かれる。あたしも何とか片腕を動かして足元で毛を逆立てるイーブイを抱き込み、もう片方の腕に震えるズバットの足を掛けさせた。

――びいいいいぃぃぃん。

ついに自分たちの体の中が響いているように思えてきた。不思議と恐怖とかいうような感情は沸いてこない。けれど、何か得体の知れないものが近付いてくる感覚はあって。そしてきっとそれは悪いものではない、という根拠のない自信があった。

びいいいいぃぃぃん!

一際大きく、そして近くなった音に思わず顔を上げると、祠の真上辺りに何かがいる。後ろに太陽光とは別の光を背負っていて、そのシルエットくらいしかわからない。
「お前、一体…………ッ!?」
言い切る前にあたしの視界は真っ白に染まり、体ごとどこかへと投げ出された。

―――――…………

――ぺたり、ぺたり。
頬に何かが触れる感覚に目を開けると、大きな青い瞳がこちらを覗き込んでいた。
「…………お前がやったんだな?」
笑顔で頷いたそいつに、起き上がるついでにとりあえず頭突きをかました。自業自得だこの野郎。

気を失うことはなかったけれど、地面に背中を叩きつけられた衝撃はまだ残っている。背中をさすりながら立ち上がって辺りを見回すと、そこは明らかにウバメの森ではなかった。先程まであたしが横たわっていた場所もちゃんと舗装された道で、そしてこの状況を引き起こしたのは目の前で頭を押さえたまま宙に浮いている淡い緑色のらっきょう頭のポケモン……らしき生物の仕業で間違いない。ポケモン、と断定できないのは、その顔に全くと言っていいほど見覚えがなかったからだ。
敵とかいう感じではなさそうだけど……と一応その頭に傷薬を吹き付けてやる。するとすぐさま回復したそいつはあたしにすり寄ってこようとして、ズバットに噛み付かれそうになっていた。空を飛べる者同士の追いかけっこ。らっきょう頭の方は少しふざけているようだったけれどズバットの方は真剣そのもの、珍しく闘争心をあらわにしている。
ちなみにこういう時に一番乗り気になりそうなイーブイはというと、空中戦に参加できずにあたしの足元で吠えながら精一杯ジャンプしている。着地の時にたまにあたしの足が巻き込まれて痛い。
「はーいズバットもそこら辺にしとけよ、イーブイもいい加減威嚇しない」
ほんとこの状況でも騒がず落ち着いているヘラクロスを見習ってほしい……と隣を見ると、ヘラクロスは落ち着いている、というより微動だにしていない。あたしたちを一切見ておらず、ぼけっとしている。
――こいつ実はこの状況について行けずにフリーズしてるだけだな!?
ヘラクロスの目の前で手を振ると、体を大袈裟に震わせ、ようやくあたしを見てくれた。…………そうだな、この状況で落ち着けっていう方が無理だったな。悪かった。
……それにしてもここはどこだろう。見覚えのない場所だけれど、実はちゃっかり元の世界に戻っている可能性はないだろうか。……もしそうだとしたらポケモンも一緒にいるというのは結構な問題だな、ということはここはまだポケモンのいる世界?
この旅で何度もお世話になっているタウンマップを取り出して、その電源を入れた。
「カントー……?」
現在位置を確認する前に、下画面の左下に表示された文字が気になった。この文字が表示されたのは初めてで、いつもなら代わりに『ジョウト』と書かれているはずだった。
――えーと、それはつまり。
「ここ、カントー……!?」
遠い……! 果てしなく遠い…………!
思わず額に手を当てる。だってわかるか、関東だぞ。これから大阪辺りに向かおうとしていたところで、関東。何の嫌がらせだ。
そしてマップに表示されている現在位置は、22番道路。トキワシティの左……西側で、確かここはファイアレッドでライバルと何回かバトルした場所のはずだ。その先にあるのはチャンピオンロード、セキエイ高原、そしてポケモンリーグ。
……まさかあたしはジムバッジを集めるという項目をすっ飛ばしてポケモンリーグに挑むってのか、と顔を上げてらっきょう頭を探すと、少し離れたところでうろうろと飛んでいた。あっちに行ってはこっちに行き、それは迷子の子供のようで、その妖精のような見た目と相まって可愛らしい。何か探すものでもあるのか、と思って近付くとそいつの表情に焦りの色があることに気付く。――なんか嫌な予感。
「…………おいまさか、この期に及んで連れて来るところ間違えたってわけじゃ……?」
躊躇わずにこくりと頷くそいつに大きく溜息を吐いた。ふざけんなよ、お前が連れて来たんだろうが……という言葉はなんとか飲み込んだ。目の前でひたすら慌てふためいているそいつは本当に申し訳なさそうに見えるし、それにただのイタズラであたしたちをこんなところまで飛ばしてきたわけでもなさそうだし。ただこいつが色々しくじったというだけで。
「……わかった、じゃあその場所一緒に探そう。どうせお前の用事が済まないとウバメの森には帰れないんだろ?」
仕方なくそう言えば、わかりやすく表情を明るくさせたそいつが急に近付いてきて、避ける間もなく右の頬に柔らかいものが触れてきた。――――すぐさまズバットのエアカッターによって始末されたことは、言うまでもない。

―――――…………

本当に当てもなく、とりあえず人のいる場所へ向かおうということでトキワシティを目指していた。誰かに会えばこいつがポケモンかどうか、ポケモンならどんなポケモンなのかがわかるし、こいつがあたしをここまで連れてきた目的もわかるかもしれない。
先程のキス事件からうちのポケモンたちのらっきょう頭への警戒心、というか敵対心が恐ろしいことになってしまった。あたしがボールの中に戻そうとしても断固拒否され、結局全員外に出したまま一緒に歩いている。ちなみにその主犯はあたしが再び傷薬を吹き付けたのちにヘラクロスによって首根っこをがっちりと掴まれたまま運ばれていて、かなり可哀想だ。……別にあたしは怒りはしないんだけどな。

「お、あれがトキワシティ?」
そのころには大分日も傾いていて、見えてきた建物の明かりに心底ほっとする。とりあえず町に着いてしまえばこっちのもんだ、どうとでもなる。
気分が上がって足を速めようとすると、ヘラクロスが戸惑ったような声を上げた。振り返ると、その腕の中でこれまで大人しくしていたらっきょう頭がそこから逃れようともがいている。
「……ヘラクロス、ちょっと放してやって」
言ったとおりにすぐに行動に移してくれるヘラクロス、どこぞの茶色い怪獣とは大違いだ。
解放されたそいつは何かを見つけたのか、迷いなくすいすいと飛んで行く。駆け足でそれを追いかけるとそいつは急に止まって、なぜだか木の陰に身を隠し始めた。……いや、こっちからは丸見えなんだけど。
「……どうした?」
すぐ後ろについて聞くと、前方に視線を投げられた。あたしも一緒に見てみると、そこにいるのはこちらに黒い背を向けた男と、その向こうでその男と向かい合っているらしい男の子。そう遠くはない、話し声も聞こえてくる。
――こいつらが目的か。
すぐさまあたしはらっきょう頭やヘラクロスたちと一緒に木の陰に隠れた。

「どこ、行くんだよ」
赤い頭をした男の子が、俯いたまま絞り出すような声でそう言った。こちらに背を向けている男と同じく、その表情は見えない。
「…………悪いな、今度の仕事は長くなる。いつも通り皆の言うことをよく聞いて……」
「違うだろ、仕事なんかじゃない…………辞めたんだろ!」
勢いよく顔を上げてそう言い放った男の子の瞳は真っ赤で、そこには悲しみやら怒りやらが入り混じっているように見える。それを見た男の肩も少し揺れていて、動揺したのかもしれない、黙ってしまった。その間にも男の子は声を荒げて話し続ける。
「これから1人で旅に出る、そうだろ」
「………………」
「世界で一番強いんじゃなかったのかよ!? オヤジが率いるロケット団っていう組織は!!」
ロケット団、という言葉に今度はあたしの肩が揺れた。今ロケット団って言ったか、こいつは。オヤジ……つまりあたしに背を向けている男がロケット団を率いていた、それはつまり、この男は。
サカキ。トキワシティのジムリーダーにして悪の組織ロケット団のボス。言われてみればそうかもしれない、と目の前のやけに貫禄のある背中を見て思う。あれはヤクザ映画に出てくる、絶対に敵に回しちゃいけない奴の背中だ。
そしてその息子だというこの男の子。サカキが黒髪なのに対して鮮やかな赤髪を持った彼は、あたしがやったゲームには出てきてはいないはず――――いや、出てきたな、話だけ。サカキの子供は赤い髪をしている、そんな話をどこかで聞いたはずだ。たったそれだけの情報、注意しなければ見逃しそうなテキスト。その正体が、こいつか……。
「今日いきなりジムリーダーも辞めてロケット団も解散させて……一体どういうつもりなんだよ!」
ロケット団の解散…………それは、今から3年前の出来事だったはずだ。けれどこのサカキの息子は、それが今日の話だと言う。おかしい。けれどそのことについて確かめる暇もなく、目の前でサカキ親子は話を続ける。
「…………負けを認めなければ、先には進めない……私はより強い組織を作るため、今は1人になる」
「強いってなんだよ! 大勢で集まったって、結局レッドとかいう子供ひとりに負けたじゃないかよ!」
レッド。この名前には聞き覚えがないけれど……もしかすると、カントーを旅した主人公のことかもしれない。そしてサカキが、ロケット団がそのレッドという少年に負けたということは……やはり、ロケット団を壊滅させたのはそいつだ、ということ。
「大勢の力を組み合わせることで大きな力を生み出す、それが組織というもの……組織の強さなのだ! 私は部下たちの力を活かし切れなかった……! 私はいつの日か必ず、ロケット団を復活させる!」
静かに、そしてはっきりと自分の決意を述べるサカキ。けれど息子はその言葉に拳を握り締め、サカキから目を逸らして地面を睨みつけた。
「……わかんねえ! オヤジの言ってること、全然わかんねえよっ!」
「…………お前にもわかるときがくる」
ついに息子に背を向けたサカキは懐からモンスターボールを取り出し、黒い鳥のようなポケモンを繰り出した。背は低いながらもしっかりとした体格のそいつの背に手を乗せ、そのままそこに乗るのかと思えば思い出したかのように顔だけ後ろ……まだ俯いて立ち尽くしたままの息子の方へと向けた。そして小さく何か呟いた。その言葉は…………いやまさか。でもあいつ、今確かに、息子の名前を口にしたんだよな……?
息子が顔を上げる。その顔に見たことのある顔が重なって、けれどそれと全く同じというわけではなくて。赤い髪に赤い瞳。そう、あたしの記憶の中にあるあいつの顔は目の前のそいつみたいに眉間にしわを寄せてはいたけれど、こんなに幼いはずは……!
頭の中が真っ白に染まったあたしのはるか上空を、サカキは飛び去った。

「なんだよ……ふざけるなよ…………」
サカキの姿が見えなくなってからもしばらくその場で空を睨んでいたそいつは、ようやく言葉を絞り出していた。
「…………オレはオヤジみたいにはならない、1人だと弱いくせに集まって威張り散らすようには……絶対にならないぞっ!」
ぼそぼそと呟くような口調から次第に怒気を孕んだそれは強くなり、ついに叫びとなって辺りの空気を震わす。
「強い男になるんだっ! 1人で強くなってやる! 1人で……!」
何もいない、夕焼けと闇夜の混じった空に向かって叫んだそいつは急にこちらに背を向けて、そして走り出してしまった。
そこで、ずっと停止していたあたしの脳みそがやっと働き出す。
――――待てよ、お前こそふざけんなよ、どういうことが説明しろよ……!
「シルバー…………!」
建物の間に去って行こうとするそいつを追おうと、足を踏み出した瞬間。
聞いたことのある音を全身で浴びながら、あたしはまたどこかへと投げ飛ばされた。

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