05.悩んでいても仕方がない

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ウツギ博士はキャスターの付いた椅子に座って待っていた。先程会った時に見た哀愁はいくらか薄れているようで安心する。
「ごめんねリンさん、待ったかな?」
「いやいや、そんなに待ってないし、大丈夫です!」
椅子ごと振り向いて立ち上がり、こちらに近付く。
「そうかい? それじゃ、本題に入るけど……君は僕に会いに来たんだよね?」
「そうです。ポケモンと一緒にジョウト地方を旅したくて……できればコイツと一緒に、なんて思ってるんですけど」
そう言って腕に抱いたイーブイを見せる。やたらハイテンションだったヒビキの登場で目はすっかり覚めてしまったようだけれど、今も大人しくしてくれている。一安心だ。
「実はこれまでポケモンとちゃんと触れ合うことがなくて、そんなあたしでもトレーナーになっていいものか……」
今の本当の気持ちを、正直に言葉にした。そもそも今日初めてポケモンと触れ合ったのだ。せっかくこの世界に来たのだからトレーナーとして旅をしてみたい……という思いは確かにあるけれど、それなりに心構えが必要だろう。その心構えというものを、あたしは全く知らない。ペットを飼うのですらかなりの心構えが必要だろうに、ポケモンはバトルをする。まだポケモンが怖いだなんて思ったことはないけれど、もしこの先イーブイがあたしに本気で襲い掛かってきたら。今までの少し痛い程度の攻撃とは違う、敵に対する攻撃。体力には多少自信があるとか、そういう問題ではないはずだ。
ひとりで考え込んでいる間、ウツギ博士は目の前のイーブイを覗き込む。頭をひと撫でして、次にあたしの顔を見た。
「その心配はないよ。だってそのイーブイ、とても君に懐いているじゃないか! ポケモンとトレーナーの信頼関係は旅をするにあたって大切なことだけど、その点で言うなら君たちは見事合格点だ。それに、きっとイーブイは、君のことが好きだよ。だからこそ、ここまでついてきてくれたんだ」
にっこりと笑うウツギ博士に、あたしはその言葉を噛み締める。
イーブイがあたしに懐いている、というのは今日何度も言われたことだ。でも……イーブイが、あたしのことを好き。そういう風に言われたのは初めてで、なんだかくすぐったい。なあお前、あたしのことが好きなのか? おい、どうなんだ?
ほっぺたを人差し指でつついてみるけれど、特に反応はない。ならばと今度は指の背で優しく撫でてやると、気持ちよさそうにすり寄ってくる。あれ、普通に可愛いぞ。
「ほら、リンさんに気を許しているんだよ」
「そうなんですかね」
これまで少しの時間で色々やられてきたもんでね、疑わざるを得ないんだよ。今だってあたしに気を許しているんじゃなくてウツギ博士の前で猫被ってるんじゃないかと思っちゃうくらいだからな。
「まあとにかく、旅に出る分には問題ないと思うよ。いざとなったらポケモンが助けてくれるしね」
あまりにもあっさりと認められてさすがに拍子抜けだ。この調子ならシルバーもポケモン泥棒なんかせずともやり方次第では普通にワニノコを譲ってもらえたかもしれない。何やら棚を漁っているウツギ博士の背中を眺めつつ、こっそりと溜息を吐く。
「えーっと、あったあった。はい、モンスターボール。まずはイーブイをゲットしないと」
ウツギ博士が差し出した手のひらには、駄菓子屋やお祭りの屋台でよく見るスーパーボール大の球体。赤と白に半分で分かれているそれは、まさにゲームで見たモンスターボールだった。かなり小さいけれど。スーパーボール大のモンスターボールだなんて意味不明だ。
イーブイを床に降ろし、戸惑いながらも小さなモンスターボールを受け取る。
「いいんですか? これ」
「もちろん! さあ、ボールの真ん中のボタンを押して!」
言われるがままに真ん中のボタンを押すと、いきなりモンスターボールが大きくなって、想像の通りのサイズに落ちついた。どうやって大きくなったのかわからなかった、ハイテクだ。
さて、いよいよだ。ゆっくりと深呼吸をしてから、跪いてイーブイを目を合わせる。
「……イーブイ。あたしと一緒にジョウト地方を旅してくれる?」
しばし見つめ合った後、イーブイはしっかりとこちらを見て答えるようにひとつ鳴いた。
よし、それは肯定と受け取ろう。
モンスターボールをイーブイの額に押し付けると、開いたボールの中から赤い光が漏れ出てイーブイを包み込む。それらが全部モンスターボールの中に収納され、晴れてあたしはイーブイのトレーナーとなったのだった。

―――――…………

「ところでウツギ博士」
「なんだい?」
「このイーブイって、オスとメス、どっちですかね?」
そういえば、ここまでこいつの性別について全く考えていなかった。トレーナーになった記念すべき瞬間だというのに、なんとも締まらない。
「ああそれなら、調べるついでにトレーナーカードの登録をしようか」
「登録?」
「そう。トレーナーカードに手持ちポケモンを登録すると、もしはぐれてしまってもポケモンセンターで誰のポケモンかすぐにわかるんだ」
ちょっとそのボール貸してね。その言葉に素直に手に持ったままのイーブイが入ったモンスターボールを渡す。ウツギ博士はそれを何かの機械にセットした。スイッチを押すと、横に置いてある大きなモニターが光り始めた。
「おお……」
「見るのは初めてかな?」
「はい! なんか大がかりですね」
「本当はポケモンの回復もできるんだ。ワカバタウンにはポケモンセンターがないからね、ここがその代わりにもなっているんだよ」
まあ見たところ風車があるだけの田舎町みたいだったし、それにわざわざこの町に来るということはこの研究所に用があるってことだろうから、その方が都合がいいということか。
その間にイーブイの情報がモニターに映し出される。それによると、このイーブイはオスらしい。イーブイといえば愛らしいイメージだけれど、オスならあの暴力行為にも納得がいく気がする。将来はサンダースかブースターあたりに進化させたらイメージにぴったりかもしれない。バトルで大活躍しそうだ。
「じゃあ次は、トレーナーカードを出して」
言われるがままにトレーナーカードを取り出すと、モンスターボールをセットした近くにある小さな画面を指差される。ここにタッチしろ、ってことか。改札で使える某ICカードよろしく画面にかざす。電子音の後すぐに大きなモニターに情報が映し出される。そこにあるのは今のあたしによく似た顔写真。高校の学生証の写真もこんな感じだった気がする。
それと出身地などの情報に紛れて表示されていた所持金の桁には気付かないふりをしておこう。見てない見てない。7桁もあるなんて知らない知らない。きっとこれは気付いてはいけない奴だ、気付いたら夢から覚めてしまう。ウツギ博士がイーブイの方の表示を見ているのをいいことに、頭の中で記憶を消去してしまおう。
そのうちに、画面に新たな表示が出てきた。『イーブイをリンの手持ちポケモンとして登録します』――はい、だよな? 画面の表示に従って操作パネルを色々動かしていると、無事に登録は完了したらしい。ほっと息をつく。
「よし、これで終わりだよ」
「はい、ありがとうございました!」
とにかくもう終わったらしいので、急いでトレーナーカードを戻し、モンスターボールからイーブイを出してみる。青白い光の中から現れたイーブイは身体を震わし、あたしの足元を動き回っている。時々柔らかい体毛が足首を撫でてきて、くすぐったい。
「そうそう、今日はここに泊まるといいよ。宿泊設備はちゃんと整っているし、何なら晩御飯は僕の家で家族と一緒に食べたらいいし」
機械の電源を落としたウツギ博士がそう提案する。そういえば30番道路で目覚めてからここまで何も食べていない、ドタバタしすぎて全然気が付かなかった。今晩の宿も決まってしまったし、本当に至れり尽くせりだ。
「助かります!」
「それと、これ! 旅に出るのなら、他にもモンスターボールの予備や傷薬がいるだろう?」
「えっ、さっきイーブイのモンスターボールもらったし、お構いなく!」
さらに色々持ってきたウツギ博士をさすがに止める。貰えるものは貰っておいた方がいいだろうけれど、こうも貰い過ぎると気が引けてしまう。
「気にしないで! さっきヒビキくんにも分けてあげたんだ、貰ってくれると嬉しいよ」
「じゃ、じゃあ……遠慮なく」
これ以上遠慮していても逆に失礼に当たるということで、ありがたくウツギ博士が持っていたものを受け取った。ええと……小さいままのモンスターボールがいくつかと、スプレーのような形の、これが傷薬か? スプレーということは、何回か使うことができるのだろう。とにかくこれだけあれば、とりあえずしばらくはポケモンについて困ることはなさそうだ。
「本当に何から何まで、ありがとうございます!」
「いいんだよ、新米トレーナーの旅立ちのお手伝いができることは、僕にとっても嬉しいことだからね」
人の良さそうな笑顔を向けられて、なんだかこちらまで嬉しくなってくる。本当にいい人だ、さすがポケモン博士。あたしが頼ることになった人がこの人で良かった。

―――――…………

今日の出来事は、本当に夢のようだった。
真っ白なシーツが敷かれたベッドに飛びこみ、しばし回想する。

あの後ウツギ博士から色々な道具の使い方の説明を受けている間に、すっかり日は落ちてしまっていた。ずっと作業をしていたらしい助手も帰宅し、あたしは研究所の2階にあるウツギ宅に招かれた。
ウツギ博士には奥さんと息子さんがいて、その一家団欒の夕食に混ぜてもらった。息子さんはランドセルを背負うにはまだ早いくらいの男の子で、奥さんが用意してくれたポケモンフーズをがっついているイーブイを見て瞳をキラキラと輝かせていた。ポケモン博士の息子といえども、イーブイは珍しかったらしい。そんな微笑ましい光景にほっこりしつつ、ウツギ博士の奥さん特製の美味しい夕食を楽しんだ。
夕食を終えてしっかり後片付けも手伝い、ウツギ博士の案内で本日の宿泊部屋に入った。中には大きなベッドと机と椅子が1つずつ、そして洗面台やユニットバスも揃っていて、広めのビジネスホテルのようだ。このようなつくりの部屋がいくつかあるらしく、元々住み込みで働いてくれる助手たちのためのものだったらしい。けれど今は助手は1人だけでその人も近くに家があるということで、ここ最近はほとんど使われることなく毎日ウツギ博士の奥さんによって掃除されるのみとなっていたらしい。なんともったいない。研究所より断然綺麗なのに。
「どう? ここで大丈夫かな?」
「もちろんです! 研究所を見てちょっと不安でしたけど」
「ははは……」
研究所が散らかっているという自覚はあるらしく、ウツギ博士は頬を赤く染めて恥ずかしそうに笑っていた。

――まあそんな感じでお風呂に入ったり歯を磨いたりしてベッドにダイブして今に至る、というわけだ。
今日は本当に疲れた。身体的にではなく、精神的に。ゲームの中の世界に入り込んでしまうなんて夢みたいな出来事だし実際に今日だけでもすごく楽しかったけれど、色々なことをごまかすのにかなり気を遣ってしまった。何とかみんな騙されてくれているのにはひとまず安心だ。これからは旅に出ることになったし、ただの旅人の詳しい事情なんて誰も気にならないだろう。あたしはただただ旅を楽しむだけだ。
……いや、楽しむだけじゃいけない。どうやって元の世界に帰るのか、全く手掛かりがないのだ。まずはイーブイと出会ったあの場所に向かうとして、その後は。ジョウト地方を一通り旅し終えてもまだ元の世界に帰ることが出来ないままだったら。その後は、一体どうしたらいいんだ。一体、どうしたら……。
……色々考えているうちにさらに疲れてしまった。今考えていてもどうしようもない。考えるのは明日からにして、今日はもう寝てしまおう。
大きく欠伸をして布団の中に潜ると、部屋に出して自由にさせていたイーブイがベッドに上がって来た。胸の辺りで足踏みをしている。おいそれセクハラだぞ。
「なに? 一緒に寝たいってこと?」
撫でようとしてイーブイの頭に手を伸ばすと、腕を出したことでめくれた箇所から布団に入ってきてしまった。本当に一緒に寝る気満々の様子で、もう目を閉じている。全く自分勝手な奴だ。
「ま、夢かもしれないけど……おやすみ」
その頭を今度こそ撫でながら、自分も一緒にゆっくりと目を閉じる。これが長い長い夢ならば、次に目が覚める時はきっと、いつもの見慣れた風景だ。そう、見慣れた風景……。
ぼんやりとあたしの部屋を思い浮かべる。ベッドに横たわると見えるのは、クリーム色の天井。起き上がって周りを見回すと、勉強机があって、棚やクローゼットがあって。きっと典型的なひとりっ子の子供部屋だ。
そこからドアを開けて廊下に出る。そこから……あれ、居間へのドアは左右どっちだったっけ。眠気のせいなのかうまく思い出せない。
とにかくあたしの部屋から居間へ。そこには食卓に着いて新聞を読んでいる父親とキッチンであたしの朝食の準備をしてくれている母親。そう、父さんと母さん……。
……あれ、おかしいな。父さんと母さんの顔にもやが掛かってる。全然表情がわからない。あたしよっぽど疲れてたんだな、全然思い出せないや……。
何とか両親の顔を思い描こうとしているうちに本当に眠気がやってきて、あたしは温かいイーブイを抱きながらそのまま眠りに落ちたのだった。

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