22杯目 言葉

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 大切だと思ってしまうなら。
 もう、その存在はいらない。
 そう言って、拾いかけては。
 落としてきたものがあった。
 だから今度は。
 その落としてきたものを。
 一つ一つ。
 拾い上げていくことを。
 始めていこうと思う。



   *



「子連れで朝帰り」

 カウンター席に腰掛け、頬杖をついたつばさがじとりと睨む。

《意味深に言うな》

 その睨みを受け止めるのは。
 その隣の椅子へ飛び乗ったブラッキー。

《あいつが勝手についてきただけだ》

「そんなの関係ない。ラテを夜中に連れ歩くのが問題なの」

 別に連れ歩いてはいない。
 むしろ、気付いてすぐに連れ帰ったくらいだ。
 と、ブラッキーは思いかけて。
 嫌、少し違うなと。
 すぐにそれを打ち消した。
 打ち消して、思い出す。
 背に乗せた幼子が眠っていたとはいえ。
 己が言葉にしたその意味に。
 今さらになって、自分の中で熱を帯始めた。

「…………………あんた」

 つばさの一言に。
 ブラッキーの身体がびくりと跳ねた。

「なに、赤くなってるの…………」

《な、何でもないっ!》

 慌ててつばさに背を向けた。
 ブラッキーが夜に出て行った。
 それはつばさも気付いていたこと。
 まさか、白イーブイまで外に出ていたとは思わなかったが。
 彼女が外へ飛び出した理由は分かるつもりだ。
 彼女は、鋭いところがあるから。
 それに、ブラッキーが一緒だったのだから。
 それについて怒っているわけではない。
 ただ、このように話題を振らないと。
 自分がブラッキーと話せなかったから。
 彼に拒まれた記憶は。
 まだ、新しい。
 彼と普通に話せている現状に、そっと安堵する。
 ただ、彼のこの様子。
 あの彼が頬を染めるなど。

「気持ちわる……」

 ぽつりと本音がもれてしまい。
 つばさは、慌てて手で口をふさぐ。
 聞こえてしまっただろうか。

《………………》

 あ。
 どうやらそうらしい。
 ブラッキーが、肩越しに鋭い視線を向けてきた。
 でも、何だかその視線が。
 少し照れのようなものを含んでいる気がして。
 何だろうかと。
 その理由に触れてみたくなるつばさだが。
 そこは触れないことにした。
 何となくだが、察することもある。
 きっと、あの子絡みだ。
 お互いの深いところで繋がっている。
 つばさとブラッキー。
 彼の心の動きには。
 敏感な方だと思う。
 じゃあ、おしまいだ。
 この話は、これでおしまい。
 触れられたくないことだってあるのだから。
 つばさはそっと目を伏せる。
 見つめるのは、カウンターテーブル。
 木目を何となく眺めて。
 息を吐くように、そっと言葉を紡いだ。

「夢を視たんだ」

《夢……?》

 反応を示した声に、うん、と一つ頷いて。

「昔の夢だよ。忘れたくても、忘れられなかった夢。忘れちゃだめな夢」

 その言葉だけで。
 ブラッキーは分かってしまった。
 つばさが、何の話をしようとしているのか。
 つばさの方を向こうとして。
 身体が強ばっているのに気付く。
 軋む音が、逃げてもいいよ、と言っているようで。
 それでもブラッキーは。
 軋む音に気付かないふりをして。
 つばさの方へ向き直る。

「私ね。あの時に、いろいろなものを放しちゃった。放しちゃいけないものも放しちゃって」

 その言葉を受けたブラッキーの。
 彼の瞳が揺れて、歪む。
 つばさが言った。
 放してはいけなかったもの。
 その中に、きっと。
 彼女が追いかけていた夢も、含まれているのだろう。
 彼のそんな様子に気付くことなく。
 つばさは言葉を続ける。

「たぶん、傷つけた。いろいろなものを。それでも、それが一番だと思った」

 そこでつばさは向く。
 ブラッキーの方へ。
 向いてから、驚きで瞳が瞬いた。
 なぜ彼が。
 そんな痛そうな瞳を向けているのか。

「なんであんたが、そんなに痛そうなの?」

 そっと手を伸ばして。
 彼の頬に触れる。
 そして、固く閉ざされてしまった左目に触れた。

「私の傍にいるの、辛い?」

 ブラッキーの瞳が見開かれる。
 それは、自分が一番聞きたくなかった言葉。
 そうか。やはりつばさは。
 夢を奪ったこの自分を。
 そんな自分の傍にいるのは、辛いのか。
 そこまで考えて。
 つばさの発した言葉に、微妙な違和感を覚えた。
 その言葉が持った響きに。
 今、彼女は。
 自分に、辛いのか、と問うたのか。
 なぜ。
 むしろ辛いのは、彼女の方ではないか。

《なぜ、お前が聞く?》

「……ん?」

《むしろ、傍にいて辛いのは、お前ではないのか?》

 つばさの瞳が驚きで瞬く。

「え……、なんで……?」

《なぜって……》

 そして。
 つばさとブラッキーは。
 同時に口を開いて。
 同時に言葉を発する。

「だって。私はあんたに、一生の重荷を背負わせちゃったんだよ。その原因が傍にいるんだよ」

《だって。俺はお前に、夢を諦めさせた。夢を奪ったんだ。その原因は俺で、傍にいる俺で》

 と、そこまで言って。
 お互いに動きを止めた。
 そして、互いの視線が交わり。
 暫くの沈黙が、その場を支配する。
 降り積もる沈黙を。
 先に吹き飛ばしたのは。

「…………あんた、ずっと……」

 つばさだった。
 そのつばさを、ブラッキーは静かに見る。

「私の夢を奪ったって、気にしてたの?」

 つばさの問いに。
 ブラッキーは。
 小さく、そっと。
 静かに、頷いた。

「あんた、ばかだね」

 嘆息と共に呟かれた言葉。

《…………なっ!》

 反射的に言葉を返しそうになったブラッキーを制して。
 つばさは続ける。

「確かにさ。あの頃の夢を諦めたのは、あれがあったからだけど」

 瞑目を一つ。
 そして息を吸って、吐いて。
 目を開いて、真っ直ぐに見る。
 ブラッキーを。

「それが理由じゃないよ。理由だけど、理由じゃない」

 そう、そうなのだ。
 きっかけは確かにそうだった。
 けれども。
 諦めた本当の理由は。

「あれで初めて知ったの。外にある戦いを、ルールのない戦いがあるってことを。それでね、気づいちゃったんだ」

 つばさは苦笑を浮かべる。

「私に、リーグ出場は無理だって。限界があるって」

 あの頃のあの日。
 あの瞬間。
 あれからだと思う。
 ルールのない戦いがあると知ってから。
 戦うことに、畏怖を感じるようになった。
 それが例え。
 ルールのある競技としての戦い、ポケモンバトルだったとしても。
 そこで気付いてしまった。
 自分の力量に。
 自分では、傍にいるみんなを護ってやれない。
 リーグ出場を夢みてた。
 けれども、そこに辿り着くまでの力を持っていなかった。
 ああ、なんだ。
 始めから無理だったのか。
 そう思ったら。
 すとん、と。
 自分の中で何かが落ちたように。
 落ちた何かを受け止めるように。
 納得できた。楽になれた。
 軽くなった。
 そうだったんだ。
 その程度のものだったんだ。
 こんなに簡単に諦められる夢。
 その程度だった。
 では、自分が過ごしてきた今までの時間は何だったのか。
 両親を説き伏せて。
 飛び出したに近い形。
 これでは、家にも帰れない。
 一気に虚無感に襲われたのを覚えている。
 そんなことを。
 つばさはゆっくりと、ブラッキーへ語った。
 それを彼は、静かに聞いていた。

「でもね。見つけたの、私の夢。自信を持って、胸を張って言える夢」

《それを、聞いてもいいか?》

 そっと問う彼の声に。
 彼女はこくりと頷いて。
 そして。
 くしゃりと笑った。
 ああ、眩しい。
 そう、彼は感じて。
 目を細めた。

「りん達と一緒にいること。ずっと一緒。それからここで、喫茶シルベで」

 そこでつばさの頬が、淡く朱に染まる。

「あいつの帰りを待つこと、かな」

 少し照れ臭そうな彼女の声音に。
 ブラッキーは。
 ああ、そうか。
 自分と同じなのか。
 そう思った。
 つばさの言う、あいつ。
 それは、自分の言うあいつと同じで。
 同じ意味を持つ存在で。
 つばさにとってのあいつが帰ってくるとき。
 自分にとってのあいつも帰ってくる。
 なぜなら、つばさのあいつは。
 自分にとってのあいつのトレーナー。
 共に旅する者達。

「りんと一緒だよ。私もあいつの、すばるの帰ってくる場所になろうって決めたの」

 それが。

「それが、私の夢」

 というか。
 と、口を開いてから。
 つばさが軽く首を横に振って。

「それが、私がここにいたい理由。夢は、ううん。夢じゃない、ね。これからも、ずっとりん達と一緒にいることっていうのは、私の願い」

 だね、と。
 つばさは笑う。
 そしてブラッキーは。
 なんだ、と。
 そうだったのだ、と。
 呆れの嘆息を一つ。
 自分に対しての呆れだ。
 一緒だったのだ。自分とつばさは。
 一緒だった。
 ここにいたい理由も。
 ずっと一緒にいたいと、願うことも。
 何をそんなに恐れていたのか。
 もう、今となっては分からない。
 分かろうとも思わない。

《……一緒、だな》

 ふっと、金の瞳が和らいだ。

《なら、おまえも……》

 今度は、自分が言葉にする番。
 そう思った。

《俺の目に対して、気にする必要はない》

 途端に、つばさの瞳に感情がうずまいて。
 その感情に歪む。

「でもっ……!」

 言い募ろうとする彼女を制して。

《これは、俺の力不足。理由はただそれだけ。それだけだ》

 ブラッキーは、はっきりと言葉にする。

「でもっ……」

 それでも納得できないのか、つばさが口を再び開く。

「何かが引っ掛かってるんでしょ?そうなんでしょ?あの日から、何か思ってる。私には分かるよっ!」

 橙の瞳が揺れる。
 自分には分かるよ。
 隠しても無駄だよ。
 そう訴える彼女に。
 確かに想っていた。
 確かに隠していた。
 そう、彼は思う。
 けれども。
 つばさの思っていることは、どれも違う。
 そうじゃないのだ。

《許せないと思っていた》

 彼のそんな一言に、つばさの肩がびくりと跳ねた。

《お前を泣かせた俺を、許せないと思っていた》

「…………え?」

《大丈夫だと。俺がすぐに取り戻してやると。そう思っていたのに、結果として俺は、取り戻せなかった》

 そしてさらに。
 それだけではなくて。
 彼女に夢を諦めさせてしまう、その原因となってしまった。
 彼女から夢を奪ったのだ。
 そんな自分が、何よりも許せなかった。
 それを、今度はブラッキーが語る。
 つばさへ語る。
 つばさが気にする必要はないのだから。
 隻眼となってしまったのは。
 自分の力不足。実力不足。
 それだけで。
 それは、とうの昔に。
 自分の中では、納得ができていることなのだから。
 ぽつりぽつりと語る、ブラッキーの言葉を。
 つばさは静かに、耳を傾ける。

《だから、お前が気にする必要はない》

 その時、ブラッキーは思った。
 ああ、もし自分が人間だったのならば。
 揺れる橙の瞳をこちらへ向ける、この少女へ。
 手を伸ばして、頭に乗せて。
 そっと優しく、撫でてやれるのに。
 それが叶わないのが。
 なぜだか無性に悔しかった。
 だから代わりに。
 ブラッキーがひょいっと、軽く跳躍する。
 そのまま、つばさの膝上へと飛び移って。
 代わりに、代わりにと。
 自身の頬を擦り寄せた。
 つばさの頬へ、擦り寄せた。

《俺は、その結果が許せなかっただけで、後悔はしていない》

 それに、と。
 口端を持ち上げて、にやりと笑う。

《それに、隻眼はイケてるだろ……?》

 揺れていた橙の瞳が、その動きを止めた。
 きょとん、となり、数度それが瞬く。
 そして、つばさが小さく笑い始めた。

「何それ。まあ、確かにイケてるかもだけどね、昔から」

 目尻にたまった何かを拭い、つばさは続ける。

「昔からあんたは、図鑑と違って目付きの悪いイーブイだったし」

 いたずらっ子のような笑みを向けるつばさに。
 ブラッキーは一気に不機嫌になる。

《放っておけ》

 ふんっと顔を背けると。
 ひらりと、つばさの膝上から飛び降りてしまった。
 それに、少しだけ名残り惜しそうにしたつばさが。
 そっと自身の膝を撫でて
 そっと口を開いた。

「私達ってさ」

 ブラッキーの耳が、ぴくりと跳ねた。

「言葉、足らずだったのかもね」

 金の瞳がつばさを映して。

《そうかもな》

 橙の瞳もブラッキーを映して。
 一人と一匹は笑った。
 ふわりと笑った。
 ただ、それだけだったけれども。
 それだけで、十分だった。



   *



 落としてきたものを。
 一つ一つ。
 拾い上げていくことを。
 始めていこうと思う。


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