妹とほんの少しの勇気さえあれば、たいていのことはどうにでもなる

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:9分
「なおとお兄ちゃん……やめてよ……そこ……汚いよ……舐めるのやめてよ……そこ……おしっこするところだよ……」

妹の悲痛な泣き声が聞こえるが、俺はかまわず便器を舐め続ける。

「お兄ちゃん、もうやめて!」

理由もなく、意味もなく、ただ俺は便器を舐める。

没頭していたせいか、すぐ近くで妹が泣いているのにもかかわらず、とても静かに感じる。

汗が頬を伝い顎から落ち床にあたって弾ける。

雫の破裂音さえ聞こえてきそうな恐ろしい静寂だった。

今日の昼飯は何にしようか。

頭の中で冷蔵庫の中身を思い浮かべ献立を考える。

昨日はたしかうどんだったな。

今日は気合を入れて昼からカレーでも作ろうかな。

俺は妹の制止をも振り払い、便器を舐め続ける。

「もうやめて!」

形振り構ってられなかった妹の渾身のビンタは俺の後頭部に直撃した。

その勢いのまま額を便器にぶつけ倒れる。

「お兄ちゃん……なおとお兄ちゃん……」

薄れゆく意識の中で、外でけたたましく鳴くセミの声が聞こえる。

最近は晴れの日が続き、セミたちも活動を始めたようだ。

「そうか…もう夏か…」

これはトイレの中で大の字で眠る俺と妹の物語である。



俺はマサラタウンのなおと。

16歳の引きこもり。

今は夕飯のそうめんを食べています。

「ピンクと緑は私のね」

この可愛らしい妹はバーギナー。

明日で10歳になる世界一可愛い女の子だ。

「明日はオーキド博士のところにポケモンをもらいにいくのよ。あいつみたいにバカなことはしないようにね」

「うん、わかってる……」

そう、俺は6年前にバカなことをしてしまったせいで引きこもりになっている。

あの日、俺は寝坊をしてしまった。

時間に間に合わず、ポケモンをもらえなかった俺はこのポケモン世界では生きていけなかった。

隣町に行くために草むらに入ろうとすれば、ポケモンを持っていないからと家に帰される。

初めは何度も試みたが、1週間経ったころからは立派な引きこもりになっていた。

同い年だったサトシやシゲルは風の噂で今も10歳だと聞いた。

意味が分からない。

そして明日には妹も旅立つ。

これで俺は独りになってしまうな。


次の日、朝早くからバーギナーは出かけたらしい。

どうやら俺の二の舞にはならなかったようだ。

午後2時ころ、起床した俺は遅めの昼食をとるためリビングへと向かった。

そこには無邪気にポケモンと遊ぶバーギナーの姿があった。

バーギナーは俺に嬉しそうにポケモンをもらったことを話した。

興奮しているせいか、何を言っているかあまり理解できなかったが、どうやら可愛いという理由で「だーくらい」という
ポケモンをもらってきたそうだ。

「いつ旅に出るんだ?」

今まで楽しそうに笑っていたバーギナーの表情が陰る。

「わたし……旅には出ない……」

「なんでだ?」

「だって……お兄ちゃんと一緒がいいから」

なんて可愛い妹なのだろうか。

今すぐお医者さんごっこがしたい。

そう言ったバーギナーは本当に旅に出ず、次の日もその次の日も家にいた。

日中は外でダークライと遊んでいるらしく、夕飯のときに俺に報告をしてくる。

どうやら今日は素早さに努力値を252振ったそうだ。

こうすると上からダクホがうてるんだと言っていた。

意味が分からない。

そういえば最近、妹に先を越された劣等感からなのかわからないが悪夢をよく見る。


「なおとよ、目を覚ませ」

聞いたことのない成人男性の声が聞こえる。

「目を覚ませ」

声に従い俺は起きる。

そこには人の気配はなく、ただ声だけが聞こえた。

「私はイグドラシル。世界を観察し管理するものだ」

よくわからないことを言ってきたので、とりあえずてきとうに相槌だけうっていた。

「お前は選ばれし子供たちだ。これを使って世界を導いてくれ、勇気ある者よ」

そう言うと、俺の手元にボールと通信端末のようなものが降りてくる。

それを掴むと眩い光に包まれ、声の主もさっきまで自分がいた場所も消えていった。


「お兄ちゃん起きて!」

バーギナーの柔らかい感触とほどよい振動に興奮しながら目覚めた。

今日も続いた悪夢も天使の微笑で一瞬で吹き飛んだ。

時計を見ると朝の9時。

こんな時間に起こしてくるなんて珍しい。

「街に変な人たちが来て大変なの!助けて!」

泣き叫ぶ妹への興奮を押さえつつ、窓の外を見る。

そこには胸にでかでかとRの文字がプリントされた、くそださい集団がポケモンを使って街を襲っていた。

「わたしが助けなくちゃ……」

半べそかきながらバーギナーは外へ走っていく。

俺も追いかけなくちゃ。

急いでベッドから降りると見覚えのないものが視界に入る。

いや、見覚えはある。

さっき夢の中で見たボールと通信端末だ。

いちいち通信端末と呼ぶのはめんどくさいので、ポケヴァイスと名付けた。

俺はボールとポケヴァイスをポケットに入れ、外に駆け出した。

「こんなガキに……」

「なんて強さだ……」

妹のピンチを救ってやろうと颯爽と登場しようとしたが、バーギナーが強いのか、敵が弱いのか、敵の戦力の9割が瀕死だった。

「上からのダクホは最強なのです」

バーギナーが意味の分からないことを叫んでいる。

「それはどうかな?」

「親分!!」

唯一残っていた敵がポケモンを繰り出す。

「いけ!ファイアロー!」

「そんなんじゃ、わたしのダークライはとめられません!いけ、ダークh——

「これだからお子様は甘い!ファイアロー、ファイナルダイブクラッシュ!」

謎の舞の必要性を小一時間問いたいが、今はその余裕はなさそうだ。

ファイアローのすさまじい威力にダークライは瀕死になってしまった。

「なぜ……」

「私のファイアローははやてのつばさ!どんなに素早さが高かろうが優先度+1の前では無力!」

「そんな…ごめんね、ダークライ」

バーギナーは泣きながらダークライに謝る。

ダークライ無き今、こいつらを止める方法はない。

大人しく蹂躙されるのを待つしかないのか。

バーギナーは涙で濡れている。

バーギナーはびちょびちょだ。

バーギナーはもはやぐちょぐちょだ。

「ま、まだ俺がいる!」

妹にかっこいいところを見せたいがために見切り発車してしまった。

震える足を叩き自らを鼓舞する。

今の俺にできることと言ったら土下座だろうか。

いや、もう一つある。

あのボールとポケヴァイスだ。

「一か八かだ……行け!」

思いっきりボールを投げる。

「ブイブイ!」

なぜかアルファベットの22文字目を連呼する犬のようなポケモンが出てきた。

「あ、イーブイだ!可愛い!」

バーギナーがイーブイと呼んだ。

それよりお前のほうが可愛いぞ。

ところで〇〇可愛いって言ってる女のほとんどが〇〇可愛いって言ってる自分可愛いアピールである。

俺はこのイーブイを信じるしかない。

勇気を振り絞れ。

「行くぞ!イーブイ!」                          

「ブイ!」 

ポケヴァイスが光り、謎の紋章が浮かぶ。

「これが勇気の紋章、お前の力だ」

どこかでイグドラシルの声が聞こえる。

これが俺の力。

「イーブイ進化!」                           

イーブイは光り、姿を変える。                     

鋭く美しい毛を生やし、電を身に纏う。                  

「これが…サンダース!!」                        

「これなら種族値もサンダースが勝ってるし飛行も半減。完璧だよ、お兄ちゃん」

「当たり前だろ」                           

何を言っているかわからないが、とりあえず合わせておく。         

「これでトドメだ!スパーキングギガボルト!」              

サンダースから放たれた電撃は避ける隙も与えず、ファイアローに突き刺さる。

電気に焦がされ、焼き鳥となったファイアローは立ち上がることもできない。

「お、覚えてろよ!」                      

捨て台詞を吐いたくそダサい集団は全力で逃げ帰っていった。        

「お兄ちゃんすごいよ!イーブイはどうしたの?」

「せっかちなサンタさんの贈り物かな」

「サンタさんなんかいないよ」

論破された俺は何も言えず、ただ微笑み続けた。

戦いが終わるとサンダースはイーブイへと戻った。

「退化するポケモンなんて初めて見た」

バーギナーはもの珍しそうにイーブイをモフっていた。

俺はイグドラシルの言葉を思い出していた。

(選ばれし子供たち)

もしかしたら俺のほかにも同じ力を持ったやつらがいるのかもしれない。

「なあ、バーギナー」

「なに?」

「一緒に旅に出るか」

「うん!!」

二人で旅に出ることを母親に猛反対された俺たちは深夜に二人で抜け出した。

あのときの母親の犯罪者を見るような目は、きっと一生忘れないだろう。

こうして俺たちの旅は始まった。

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想