第6話 「爆裂のクゥ」 (3)

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2012.03.05. 投稿


◇7


 バトルスペースで対峙するクゥとキノガッサが、睨み合う。
 クゥにとって、超えるべき壁。もっともっとその先へ。誰よりも強くなるために。そのために打ち破るべき、ひとつめの壁。大きな大きな壁を前に、しかしクゥは堂々と、まっすぐに対峙する。

「それでは、試合再開ッ!」
「いっけえっ、クゥ!」

 開始と同時に、クゥはしかけた。一気に距離を詰め、キノガッサを射程に捉える。左の拳を構え、クゥは飛び込む。

「さがれ、キノガッサ」

 キノガッサは、跳びかかってくるクゥの拳を、とーんと軽いバックステップでかわす。ここまでは、以前と同じ。しかしクゥは、以前のようにそこでバランスを崩すことも、隙だらけでキノガッサの間合いに飛び込んでしまうことも、ない。

「今だっ! クゥ、“いわくだき”!」

 クゥが見ているのは、キノガッサの足もと。その地面。拳から伝わり地面の下で炸裂した衝撃は乾いた土にヒビを入れ、砕かれた土の塊が、真下からキノガッサに襲い掛かる。

「ッ!」

 キノガッサは予想していなかった攻撃に怯み、とっさに腕で顔を覆う。その隙を、クゥは、ツバキは、見逃さない。

「“いわくだき”っ!」

 構え直した左拳に、力を集める。そしてそれを、がら空きになったキノガッサのボディめがけて叩き込む。

「……ッ!」

 キノガッサは全身を突き抜ける衝撃にぐらりと体のバランスを崩し、後ずさる。膝をつかせるには至らない。しかし、一撃を入れた。以前、その拳のひとつをも当てることの叶わなかったクゥが。
 そしてそれを一撃で終わらせるほど、ツバキたちは甘い鍛え方をされてはいない。
 キノガッサが“いわくだき”を受けて防御が薄くなっているところへ、さらなる追撃を加える。クゥは拳を構え、キノガッサに向けて再度飛び込む。しかし。

「踏み込め、キノガッサ!」
「っ!?」

 クゥがキノガッサを間合いにとらえるより先に、キノガッサの方から一歩踏み込んで、クゥの間合いへと入ってくる。わずかにタイミングをずらされたクゥは、その勢いのまま、キノガッサに拳を放ってしまう。再びキノガッサのボディを捕えたそれは、しかし先ほどの威力には至らない。敢えて当たりに来ることでリズムを狂わせ、ダメージを軽減する戦術。そしてそれは、防御だけにとどまらない。

「“カウンター”!」

 キノガッサは、踏み込む際に拳を構えていた。それを攻撃の直後でがら空きになったクゥのボディへ、ホクトの声と共に突き出す。クゥの攻撃の勢いを利用したそれは、その威力を倍加させて、クゥの体を突き抜けた。

「クゥっ!」

 衝撃で弾き飛ばされたクゥは、腹部に穴が空くような痛みに膝をつく。それでもクゥは、キノガッサから視線を外さず睨みつける。
 完全に予想外だった。これまでのキノガッサの回避行動が、すべてバックステップだったから。反撃につなげる攻撃的な防御と、そこから派生する返し技。自分の知らない戦い方に、知らなかった技。それを格闘の専門家と戦うことで、クゥは、ツバキは、知る。

「こちらからも、攻めさせてもらうぞ。キノガッサ、“マッハパンチ”!」

 クゥが立ち上がるのを待ってくれるほど、甘い相手ではない。とーんとーんという軽やかなフットワークから、どん! とキノガッサは勢いよく地面を蹴り、ぐっと拳を構えたまま猛スピードで突っ込んでくる。その強靭な脚力が生み出すスピード。立ち上がってからの回避などとても間に合わない。しかし。

「クゥ、“てっぺき”!」

 ツバキの声に応え、クゥは両腕を交差し、ぐっと力を込める。鋼鉄の硬度を持つその腕がさらに硬化し、銀色の光を放つ。
 アズミたちから教わってきたのは、なにも攻撃の技だけではない。こちらにだって、防御の技はある。
 キノガッサの拳を真正面から受け止め、耐えきる。一時的に体を硬化し防御力を高めるこの技は、そうやすやすと崩されはしない。そして。
 教わってきた技。得てきた力。その、最たるもの。クゥが受け止め、憧れ、求めた力。それを今、みせる。

「クゥ、いっけえっ! “ばくれつパンチ”ッ!」
「っ!」

 防御の腕を戻し、クゥは左拳を構える。その拳、その中心となる一点に、力を集中していく。“いわくだき”とは、比較にならないほどの大きな「力」。それを破裂する寸前まで高め、集め、集中させていく。エネルギーが漏れ出して、クゥの拳が光を発する、その瞬間。クゥは全ての力を込めて、その拳を繰り出す。しかし。

「キノガッサ、さがれ!」

 “マッハパンチ”の後で隙ができていたキノガッサだったが、クゥの拳が発するエネルギーに直観的な危機を抱き、ホクトの声と同時にバックステップで後退する。クゥの拳は空を裂き、高められたエネルギーは爆発することなく霧散していく。その間、一秒ほどの攻防。その結果残ったのは、あまりにも大きな、クゥの攻撃後の隙。そして、それを見逃すホクトたちではない。

「“スカイアッパー”!」

 姿勢を低くしながら一足飛びでクゥを間合いにとらえたキノガッサは、防御も間に合わないそのがら空きの胴へと、突き上げるように拳をねじりこみ、振り抜く。打ち上げられたクゥの体は宙を舞い、放物線を描いて落下する。音を立てて地面に叩きつけられたクゥは、がはごほと、詰まった息を絞り出すように咳をする。

「クゥっ!」

 ツバキは思わず駆け寄りそうになり、しかし今がバトル中だということに気付いてはっと立ち止まる。そう、クゥは、まだ倒れていない。咳をして、苦しそうな声を上げて、それでもまだ、立ち上がる。まだバトルは続いている。クゥは、まだあきらめていない。

「驚いたな」

 ホクトが、正直な感想を漏らす。

「まさか、その技まで身につけてきているなんて。さすがにそれは、予想しなかった」

 電話で言っていた秘策とはこれか、とホクトはひとり納得し、「姉さんめ」と楽しそうに呟く。
 “ばくれつパンチ”。
 ホクトとアズミの師匠が得意とし、ふたりに教えてくれた技。互いに競い合うように練習し、いつしかホクトとアズミにとっても最も得意とする技になっていた。

 絶大な威力を誇り、決まれば相手をしばらくまともに動けない状態にもできる、強力な技。それゆえに隙が大きく、外せば相手にタダで反撃の機会を与えることにもなりうる、諸刃の剣。
 初心者トレーナーや、戦闘経験の浅いポケモンに教えるような技でも、扱える技でもない。アズミやホクトですら、実戦では安易に使ったりしない。おそらくアズミはツバキとクゥの気持ちをより引き出すための目標として、まだ使いこなせないことは承知の上で教えたのだろう。アズミらしい、大胆な指導法だ。

 アズミは当然、安易に使っていい技ではないということもツバキたちには教えているはずだ。それでもこの局面で打ってきたのは、子どもゆえの好奇心か。それとも、ここぞというところで勝負に出られる度胸の賜物か。
 もしも、クゥが“てっぺき”による防御を、腕ではなく頭の角を盾にして実行していたら。より素早く攻撃に移れたであろうクゥの拳は、ひょっとしたらキノガッサを捉えていたかもしれない。
 ホクトは再度、「おもしろい相手」に出会えた喜びを、ひとりのポケモントレーナーとしてかみしめる。

「それなら当然こちらも、相応のお返しをしなくちゃいけないよな」

 ホクトが不敵な色を込めて言う。キノガッサがその意図を受け取り、すっと腰を落とし、左拳を構える。

 くる。
 ツバキは、クゥは、本能的に感じ取った。二週間前の戦いで、最後に受けた技。それを目指して必死にアズミのメニューをこなして、やっと教えてもらえた技。自分たちではまだ使いこなすことのできない、憧れの技。

「いくよ」

 ホクトが短くそう言って、キノガッサが拳に力を集中させる。莫大なエネルギーが集まり、キノガッサの赤い拳が、熱でさらに深紅に染まる。そして。

「行け、キノガッサ。“ばくれつパンチ”!」

 キノガッサが、その強靭な脚力で、地面を蹴る。
 クゥは、まだふらつく体をやっと起こしたばかりだ。ダメージは蓄積し、まともに受ければまず耐えられない。もう動き回る力は残っていない。それでも、ツバキはクゥに回避を叫ぼうとする。
 その時。
 クゥが一瞬だけ、ツバキの方を見た。何より敵に背を向けることを嫌うクゥが、ツバキになにかを直接伝えた。ツバキはわかってしまう。痛いほどに。

 避けない。
 逃げたりしない。
 正面から、迎え撃つ。

 あの一撃を受ければ、敗北は必至だというのに。あの一撃がどれほど強力なのか、身をもって知っているはずなのに。
 それでも、クゥは逃げない。
 たとえ負けても。たとえ、どれほど痛くても。

 特別な技だから。倒され、憧れ、目指し、やっと教わり、だけどまだ自分には扱いきれない、クゥにとって最も特別な技だから。
 だからこれだけは、決して逃げない。

 ツバキにはわかっていた。痛いほどに。クゥの気持ちを、間近で感じてきた。そして、重ねてきた。だから。
 覚悟を決める。勝負に出る。一緒に、立ち向かう!

「クゥ、踏み込めえっ!!」

 そのとき、クゥが、笑ったような気がした。

 キノガッサが迫る。深紅に染まった拳が、振り抜かれる。
 それをめがけて。
 真っ正面から。
 受ける!

「クゥ、“アイアンヘッド”ッ!!」

 クゥの黒い額が、ギラリと凶暴な光を発する。鋼鉄の硬度を持つ頭部がさらに硬化する。それを、爆裂するキノガッサの拳に、ぶつける!

 ドガァアッ!!

 エネルギーが、爆発した。クゥの頭部で強烈な爆風を放ったそれは、クゥの頭部を、全身を揺さぶる衝撃となる。頭が吹き飛びそうな衝撃。全身がバラバラになりそうな感覚。それでも。クゥは、踏みとどまる。
 それは、クゥが踏み込んだことによりタイミングがずれ、わずかに威力が軽減されたからか。それでも全身を揺さぶるほどのダメージに一歩とどまれたのは、クゥの想いの強さゆえか。強くなりたい。彼女と、一緒に。その想いを、クゥは再度、拳に乗せる。

「クゥ、いっけえッ!! “ばくれつパンチ”ッ!!!」

 全身の、残ったエネルギーをすべて、拳に集める。それを攻撃後で隙のできているキノガッサのボディへ、叩き込む。その瞬間、拳に乗せたエネルギーを、想いを、爆裂させる!

 ドガァッ!!!

 爆風と、衝撃。確かな手ごたえを感じながら、クゥは、崩れ落ちた。



   ◇



「クチート、戦闘不能! よってこの試合、ジムリーダー、ホクトの勝ちとします!」

 道着の男がそう言って、ホクト側の旗を上げるのが、シロには見えた。キノガッサは、倒れてはいなかった。膝をついて、荒い息を吐いていた。

 シロが見ることができたのは、クゥとツバキの、最後の攻防。キノガッサの攻撃を真正面から受け止め、踏みとどまり、反撃したその姿だった。
 クゥは、倒れ、敗れた。
 それでもクゥは、ただの一度も、相手に背中は向けなかった。最後の最後まで、まっすぐに相手とぶつかり続けた。

 かっこいいなあ。
 素直に、そう思った。
 クゥはこれから強くなる。もっと、もっと。ツバキもきっと、一緒にどんどん強くなっていくだろう。次からは、クロもバトルに参加してくるかもしれない。クロにまで負けるのは、おねえちゃんとしては悔しいところだ。
 わたしも、もっともっと、がんばらなくっちゃな。
 ユウトの腕の中で、シロは、そう思った。



◆8


「これを」

 ホクトはそう言って、ツバキに手を差し出した。その手のひらには、きらりと輝く小さなバッジがのっている。ホクトは穏やかな、しかし真剣な目でツバキを見ている。ホクトはツバキたちを認めている。彼女たちはもうただの素人ではない。立派なひとりのトレーナーと、その相棒たちだ。
 ツバキも真剣にその目をみつめ返し、しかし、小さく首を横に振った。

「受け取れません」

 ツバキは、ちらと、隣に立つクゥを見る。クゥは、まっすぐにホクトの隣に立つ、キノガッサのキノンをみつめていた。その瞳には、まだ熱い闘志が燃えたぎっている。

「クゥは、まだあきらめてない。だからあたしだけ、そのバッジをもらったりできないよ。次は、絶対勝つ。クゥと、シロと、みんなと一緒に」

 ツバキはそう、堂々と言った。クゥがツバキの方を見る。ツバキたちの会話の、その全てを理解しているわけではない。だけどハートは伝わっている。勝てなかった。届かなかった。それなのに今はずいぶんと、気分がよかった。

「そうか」

 ホクトはバッジを持つ手を引きながら、ぐっと握る。まるで更なる楽しみを得たことを喜ぶ、子どものように。

「それなら、これは預かっておこう。きみたちがさらに強くなって、おれたちを倒す、その時まで」
「はい! ありがとうございます!」

 ツバキは、にっと笑って元気よく答える。
 また、必ずここに戻ってくる。そのときは、必ず。ツバキの胸は、熱い気持ちでいっぱいに満たされている。
 ツバキたちの闘いは、この場所から始まった。
 一度目と、二度目。それぞれの意味を持った二つの敗北が、少女たちをさらに強くする。

 そして。
 ふたりと四匹の旅は、まだまだ続く。



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