第2話 「孤独な戦士」 (1)

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◇1


 タビダタウンからは、三本の道が伸びている。
 ひとつは、シラナミ本島北端の町ユウレタウンへ向かう、ユウタビ雪洞。その名の通り、雪山を突き抜ける洞窟の道だ。
 ふたつめは、東の町ウミベシティと繋がる砂浜の道、ウミタビーチ。
 そしてみっつめが、南の山林地帯へと続く、ヤマアイ山道。

 タビダタウンを発った旅人の多くは、このうちウミタビーチかヤマアイ山道へと向かう。どちらも危険度の高い野生ポケモンが少なく、比較的安全に進めるからだ。
 特にウミタビーチは海水浴に訪れる旅行者やトレーナーで賑わい、新米トレーナーの肩慣らしの場として好まれている。
 一方ヤマアイ山道はというと、さまざまなポケモンが棲み処に好む雑木林に覆われているため、ポケモンを捕獲して手持ちを増やしたいトレーナーや、木の実の採集をする人々などが訪れる。

 ヤマアイ山道のポケモンは、道なりに歩くだけの者を襲うことは滅多にない。彼らが守るのは自らの縄張りで、踏み固められた山道は人間に譲っている。草木を分け入ってポケモンたちの領域に踏み込めば当然攻撃は受けることになるが、通り抜けたいだけなら道に従っていれば安全に抜けられる。

 はずだったのだが。

「シロ、よけて!」

 真正面から繰り出された拳を、シロは身軽に飛び退いてかわした。パンチを避けられたポケモンは、しかしすぐに体勢を直し、次の攻撃を繰り出してくる。

 ツバキとユウト、シロとクロは、ヤマアイ山道を道なりに進んでいた。目的は先のタビダタウンで出会ったアマサキ博士の研究所から、抜け出したポケモンを探すこと。けれど既に日が傾いていたため、すぐにでも捜索に飛び出していきそうなツバキを抑えて、野営できそうな場所を探していた。
 しかし山道を進む途中で、あるポケモンが道の真ん中に仁王立ちしていた。まるで通行者を待ち受けるかのように腕組みをしていたそのポケモンは、ここを通りたくば自分を倒せとでもいうように堂々と立ち塞がっていた。そしてツバキたちが近づくと両の拳を打ち鳴らし、戦闘が始まってしまったのだ。

「危ない、シロ! もっとさがって!」

 避けるのが間に合わず、シロが相手の拳を受けてしまう。相手の腕が短いからか大きなダメージはないようだが、このまま攻撃を受け続けるわけにはいかない。しかし、倒れたシロへの追撃はなかった。戦意が解かれたわけではない。拳は構えたまま、シロが起き上がると攻撃が再開される。

 そのポケモンの特徴で一番に目につくのは、後頭部に生えた巨大な角のようなもの。垂れ下がるように後ろを向いたその角は、くすんだ金属のように鈍く光を照り返す。体は小柄で、ツバキたちの腰よりも低い。その瞳は真っ赤に燃えて、闘志を映すかのようだった。

「クロ、“サイコキネシス”! あいつの動きを止めるんだ!」

 ユウトの指示を受け、クロが光る目を開く。まるで時間が止まるかのように、ぴたりとそのポケモンが静止した。そのポケモンは一瞬戸惑った顔をしたが、すぐに全身に力を込め、じりじりとサイコキネシスに抵抗する。しかし。

「いまだ! シロ、“でんこうせっか”!」

 ツバキの声でシロが弾むように地面を蹴り、一瞬のうちに間合いを詰める。その瞬間に合わせてクロは拘束を解き、シロのたいあたりでそのポケモンは弾き飛ばされる。ポケモンは起き上がろうとしたが、力尽きたのかそのままぐったりと動かなくなった。



◆2


 空の色が、赤から濃紺へ変わり出す頃。ふたりと二匹は、ヤマアイ山道の中腹でキャンプをしていた。できるだけ開けた場所を選んで、岩で即席のかまどを作り、道すがら集めた木の実などを使って夕食を作る。暮らしていた島でもたまに、木の実を採りに行った森でそのまま夜を過ごすということを経験していた。キャンプもその時に教わったのだ。

「まるで、いつか旅に出るのがわかってたみたいだ」

 誰にともなくユウトが呟く。
 旅に出てから必要なこと。役に立つもの。旅の準備をするときも、ユウトが考えつく限りのそれらは思えば全て揃っていた。旅はツバキが言い出したことだ。けれどツバキの考えそうなことぐらい、あの人はわかっていたんだろうか。

 料理の匂いを嗅ぎつけていたのか、水を汲んで戻ってきたツバキは緩んだ顔で口元によだれをのぞかせていた。メニューは木の実と山菜のソテーだ。島と変わらない食材が見つかったおかげで、手際よくユウトは支度を終えた。

「いいにおいー、おなかすいたあ」
「ツバキの護衛おつかれさま、シロ」

 だらしなくへたり込むツバキは放って、ユウトは駆けてきたシロを労う。撫でられたシロは気持ちよさそうにきゅうんと鳴いた。

「近くに野生のポケモンはいた?」
「みなかったー。たぶんだいじょぶだと思うー」

 間延びした返事を返しつつ、ツバキはテントの方を見る。先ほど戦った大角のポケモンが、寝袋をクッションにして寝かせてあった。

「目、覚まさないね」
「ん。だいぶ疲れてたみたいだ。体中あちこち傷だらけだし、おれたちに会う前に、何かあったのかもしれないな」
「そっか……」

 そのポケモンの名は、アマサキ博士から聞いていた。あざむきポケモン、クチートという。小さな体と愛らしい仕草で相手を油断させたところを、振り返りざまに襲うらしい。なるほど頭の巨大な角には、よく見ればキバがずらりと並んでいた。けれど。

「なんか、聞いてたのと違ったね」
「ああ、どっちかといえば逆だった」

 知識通りだったのは姿だけ。赤い目に宿る闘志を隠そうともせず、拳ひとつで戦いを挑む。そして。

「アマサキ博士の、もぐもぐ、ところにいたっていふのも、もごもご、このポケモン、なんだよね」

 できたての夕食を食べながら、ふたりは話し合う。
 研究所の騒動でモンスターボールを出てしまい、一匹だけ見つからなかったポケモン。それがまさにクチートだった。

「だとしたら、むぐむぐ、ラッキーだったかも?」
「うーん、どうだろ。まだわからないよ。食べながらしゃべるな」
「ごっくん。だって、あのポケモンのことなんでしょ? 博士が言ってたのと同じじゃんか」
「別にクチートはあいつだけじゃないだろ。もともとこの辺りに生息してるって話だし、珍しいポケモンじゃないのかもしれない。そんなに運よく、探してるヤツに出会えたりするもんかな」

 焚火から少しだけ距離を置いて、シロとクロが一口大に切った木の実を食べている。クロが無理矢理頬張ろうとするのをシロが諫めていた。ぱちんと薪が弾けて燃える。

「目を覚ましたら、もう少し様子を見てみよう。どうもしばらく起きそうにはないけど」
「そうらね。もぐもぐ、ぐっ、げほほ」
「食べながら喋るなって言ってるだろ」

 同じようにむせているクロに呆れていたシロと、ユウトは目が合って苦笑した。
 お互い保護者役は苦労する。


◇3


 夜。何かが動く物音で、シロは目を覚ました。テントの入り口が少し開いている。ツバキとユウトは、ぐっすりと眠っているようだ。「まだ食べられるもん、おかわり……むふー……」という、ツバキの平和な寝言が聞こえる。
 シロはテントの外へ出てみることにした。外にはクロがいるので、異変があれば知らせてくれるはずだ。昼間は寝てばかりいるクロだが、夜行性であることを活かして夜は見張りを任されている。任されているのだが。

 テントの近くに、案の定クロはいなかった。そう、シロは知っている。クロは見張り役でありながら、すぐに退屈してふらりと出かけてしまうのだ。以前島でキャンプをした翌朝にそのことを問い詰めたら、『見回りだよ、見回り』と、悪びれもせずに答えたのだった。

 クロに代わってそこにいたのは、予想通りの姿。人の子に似た小柄に、頭の大角。先ほど戦ってツバキたちが保護した、あのポケモンだ。

『なにしてるの?』

 そのポケモン、クチートが振り向く。驚いた様子はない。まるで後ろにいたのがわかっていたみたいだ。
 赤い瞳には、はっきりとした警戒の色。ここでまた戦いたくはない。シロは、刺激しないよう慎重に語りかける。

『そんなところで、なにしてるの?』

 クチートは、答えない。シロの出方をうかがうように、じっと睨みつけてくるだけだ。
 シロは自分が少し怯えていることを自覚する。
 今はツバキもユウトも眠っていて、クロもいない。ケンカを好まないシロにとっては、戦意を向けられるのはやはり怖い。でも、それを気取られてはいけないような気がした。

『黙っていなくなったら、ツバキとユウトが心配する』

 やはり、答えは返ってこない。襲ってくることはなさそうだが、シロとしてもこれ以上どう語りかけたものかわからない。
 しばしの間、沈黙が続く。しかし。

『いっている意味が、わからない』

 ようやく、クチートから返答があった。

『なぜ、心配する?』

 クチートは警戒を解いた様子はない。しかしシロは、恐怖が少し薄らいだような気がした。

『ツバキとユウトは、そういうヒト』
『理解できない』
『あなたは、ケンキュウジョから逃げたポケモン?』

 シロが尋ねると、そのポケモンは顔をしかめた。

『逃げた、じゃない。あそこにいる理由がないから、出てきただけだ』
『ここに来る理由はあったの?』
『ここは、おれの生まれた場所だ』
『傷だらけなのはどうして?』
『おまえには関係ない』

 それきり、クチートは口をつぐんでしまった。シロもまた、語りかけるきっかけを見つけられないでいると。
 ぐうう
 と、おなかの鳴る音が聞こえた。

『……』
『……』

 クチートは何事もなかったように、そっぽを向き続けている。シロはその横顔をじっと見つめる。

『おなか鳴った』
『気のせいだ』

 クチートはぴしゃりと否定する。しかし。
 ぐう、ぎゅるるる、ぐぎゅう
 一層切なげな音が聞こえた。それも、かなりはっきりと。

『……』
『……』

 クチートはやはり、そっぽを向き続けている。しかしその頬が若干赤く染まっているのを、シロは見逃さない。

『やっぱり、鳴ってる』
『空耳だ』

 なかなか強情だ。
 シロは「きゅう」とため息をつく。そして先ほど食事をしていた焚火跡のそばから、皿をくわえてもってくる。それを、ことん、とクチートの前に置いた。皿の上には、切り分けたきのみ。

『……なんだ』
『おなか、すいてるよね?』
『……』

 否定はしないらしい。
 シロはまた「きゅう」とため息をつくと、言った。

『ユウトが、残しておいてくれたの。あなたのために』
『……』
『どうぞ』
『……頼んだ覚えはない』
『おなか、すいてるでしょ?』
『……』
『クロが戻ってきたら、食べられちゃうかも』
『……』
『どうぞ』

 シロは一番小さなきのみをくわえて、まずは自分がしゃくっと食べた。それからにこっと微笑んでみせる。
 クチートは少しの間きのみとシロとを交互に見ていたが、やがて、きのみのひとつを手に取った。そして。

『食べた』
『……。うるさい。わるいか』
『ううん。やっと、食べてくれた』
『……』

 それからしばらく、クチートは黙ってきのみを頬張り、シロは尻尾を揺らしながら見ていた。ユウトが食事を用意するとき、なんだか嬉しそうなのがわかる。きっとこういう気持ちなんだ。
 そんなことを考えていると。

『あっ、てめ、おれの夜食を!』

 うるさいのが、戻ってきた。

『クロ、どこ行ってたの』
『見回り! で、おれの夜食!』

 そうして、夜は更けていく。



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