005 だってわたし、足手まといだし

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 翌朝、モモコの部屋ではコノハがオロオロしながら布団に包まっているモモコを大きく揺すっていた。澄み渡るような空が広がる、静かな晴れた朝には不釣り合いな光景だった。

「モモコ、モモコってば!」
「うー……ん? あれ、ケーキの山とグミの花畑は?」
「寝ぼけてる場合じゃないわよ、あと5分で朝礼よ!」
「ふぇ?」

 そんなバカな、と思いながらもモモコは仰向けになったまま、壁掛け時計に目をやる。示されている時間は、確かに朝礼の5分前を表していた。
 目を擦りながら、モモコは時計を二度見する。コノハの焦りようも相まって、ようやく自分の置かれている状況を理解したようだ。

「ぎゃぁあぁああーっ!」

 絶叫しながらモモコは慌てて下に降りる準備にかかる。待っててくれたコノハと階段を駆け下りながら、ふと目覚めてから薄々感じていたある違和感にハッとする。

(わたし、いつからベッドで寝てたんだっけ……?)



* * *



 朝礼を終えた後の音出しの時間に、金管メンバーは再び集ってモモコにあることをレクチャーしていた。

「楽器を吹くための基本は、木管も金管も腹式呼吸って言われてるの……」
「ちょっと、握り拳作って俺のこの辺押してみな」

 トストの言う“この辺”は丁度みぞおちに当たるところ。大の男相手にそんなことをするのは恐れ多いと、モモコは躊躇いを見せる。

「遠慮することねぇってねぇって」

 が、そこは器の大きいトスト。彼の懐の大きさを信じて、モモコは小さな握り拳をトストの示した場所にぐっと押し込む。トストは「ちょっと見てみな」と一言添えるとすぅ、と深く大きく息を吸い込んだ。それと同時に、モモコが押している腹部周辺が、まるで浮き輪のように大きく膨らむ。それだけでなく、彼の固い腹筋も一緒になって、モモコの力を押し返そうとしている。

「あ、お腹が膨らんで……まるで押し返してる!」
「これが腹式呼吸の一番分かりやすい伝え方だな」
「もっと具体的に言えば、寝転んだ時の自然な呼吸とか横隔膜が下がる感覚とかって言われてるけどね」
「習慣付けるためにも、ブレストレーニングは暇な時に俺達も毎日やってんだ。これがそのメニューさ」

 再びトストが手渡した別の紙には、様々なブレストレーニングの練習法が書かれていた。中腰になりながら行うもの、仰向けになりながら行うもの、その種類は様々だ。これを全部こなすのかと、思わずモモコは顔を引きつらせる。

「ボク達の仕事が終わったら、モモコも一緒にやってみようよ」
「う、うん……」

 苦笑気味に気のない返事をしているモモコの様子は、少し離れた場所で音出しをしているミツキも伺うことができた。音出しをしてはモモコの方を、またマウスピースに口を当てて、離して、またモモコを見て。そろそろ自分でも、モモコのことが気になることは分かっていた。

「モモコが気になりますか?」

 ライヤとコノハもミツキの様子に気づいたのか、彼に声をかけてみる。

「金管のメンツ、めっちゃモモコのこと見てやってるじゃない」
「混ざりませんか?」
「別にいい」

 ライヤの誘いまで素っ気なく答えるミツキだが、その答えがまるで何かに言わされているかのようであることをライヤは見抜いていた。同じチームで幼馴染の自分達の言葉なら、まだ聞いてくれるかもしれない__そんな期待を込めていたライヤだったが、とうとう見かねて強めの口調を表してしまう。

「本当にいいんですか? ミツキ。モモコを突き放したり、フィルやみんなに“わざと”攻撃的なことを言うことが、本当にミツキがやりたいことなんですか?」
「ライヤ、悪ぃ。それ以上言うと流石にキレるぞ」
「ミツキ……」

 ライヤとの関係にまで溝を生んでしまうのではないかと不安になるコノハと、何も言い返せずに言葉を失うライヤ。ミツキが抱えているものが根が深いからこそ、どんな言葉をかけるのが模範解答なのか分からずに、その場で足踏みしたままなのだ。
 偶然なのか意図なのか、そんな彼らの空気を打ち破るかのようにマナーレが合奏開始の招集をかける。

「時間だ、チューニングするぞ」

 昨日と同じようにチューニングを各セクションで済ませると、マナーレは指揮棒を下ろして今日の課題を魔法使い達に提示した。

「今日はロングトーンをやる前に、ソルフェージュをしてもらおうと思う」
「ソルフェージュ?」
「楽譜の音を歌うことさ」

 慣れない言葉に首を傾げるモモコに、トストがそっと耳打ちする。

「このキーボードでベードゥアの音階を弾くから歌ってみて欲しい。モモコ、お前もやってみろ」
「あ、はいっ!」

 マナーレに促され、モモコを含めた魔法使い全員が楽器を椅子の上や床に置いて立ち上がった。最初の音として、マナーレがキーボードでチューニングのベーの音を鳴らす。

「さん、はい」

 マナーレの合図で魔法使い達は一斉に音階を歌い始めた。クレイやトストのような大人の低い声から、コノハやリオンのような美しいソプラノまで。流石は楽器を毎日吹いているだけあって歌も上手い、とモモコは歌いながら感心する。

「フローラ、よく聞け。自分の歌ってる音と、この鳴らしてる音、全部ズレてるぞ」
「分かってるわよぉ……」

 フローラは楽器でも声でも音程を取るのが苦手であり、眉間にシワを寄せながら頬を膨らませる。

「よし、座っていいぞ。次は楽器で」

 魔法使い達が着席し、今度は楽器でベードゥアの音階をロングトーンで吹き始める。みんな同じ音で同じことをしているハズだが、モモコには別の音が微かに聞こえた。ベー__ピアノで言うシのフラットの音の時はファ__エフの音、ツェーの時はゲー、デーの時はアーといったように、綺麗なハーモニーを形成している。

(あれ? 別の音が聞こえる?)
「いい感じに倍音が鳴っているな。音階だけじゃなくて各自の魔法や練習曲も歌えるようにすること」

 これが倍音といい、音程がピッタリ合った際に聞こえる別の音である。



* * *



 合奏が終わって、今日は金管メンバーだけでなくライヤとコノハもモモコの側にいた。依頼がないため、今日やる仕事といったらパトロールぐらいだったのだ。ミツキは相変わらずその場にはおらず、今どこにいるかは定かではない。ただし、ライヤとコノハ曰く“お気に入りの場所”に行っているものだという心当たりはあるらしい。

「これがメジャーっていって、長調の音階の楽譜だ。基礎練習ではこのスケールをロングトーンや八分音符で練習したりする」

 トストが手渡した楽譜には、音符が規則正しく並んでいる。楽譜の隅にはフラットが2つ、3つ、4つとあり、それぞれ別の曲のようなものであることが示されている。

「ある程度慣れてきたら半音階の練習も取り入れてみるといいかもしれません。音階には出てこない、音程が取りにくい音に慣れるって意味でも」
「おおっ、流石セクションリーダー。基礎練の組み方にも隙がない」

 フィルはライヤをセクションリーダーと呼び讃える。あくまでフィルは、魔法使いの仕事に対してソリが合わないミツキといがみ合っていただけであり、他のポケモンとは仲が悪いというワケではなさそうだ。

「ライヤは低音セクションをまとめるリーダーなの」
「えっ、凄い!」
「まぁ本当は木管と金管のセクションリーダーも立てないといけないんだけど、金管には適任者がいなくて、木管はユズネっていう奴が__」

 続くトストの言葉に、魔法使い達の顔付きが変わった。
 リリィは嫌なことを思い出すかのように絡めている自分の指に視線を向け、ライヤとコノハに至っては顔を見合わせて都合が悪そうにしている。
 状況を掴めず、また昨日の朝のようにしどろもどろになるモモコだったが、この重い空気を取っ払うようにフィルがそっとトストに耳打ちした。無論、トストも悪気がなかったようで自分の発言で魔法使い達の気を損ねたことを申し訳なさそうにしていた。

「トスト、その話は……」
「あ、あぁ。すまねぇ」

 またユズネ。ユズネという単語を聞く度に、魔法使い達の顔付きや声色が険しいものになる。
 昨日の合奏の時も、みんながみんな怖い顔になるものだから一体ユズネは何者なのか、またユズネというポケモンと魔法使い達との間に何が起こったのか。モモコの中では「気になる」という好奇心と「聞いちゃダメだ」という自制心が葛藤を起こしていた。

(まだハッキリ聞くのは、こわい)



* * *



 住宅街の中にある希望の時計台の最上階は、町一番の高台であり非常に見晴らしが良い。星空町と自然と海を一望でき、その気になれば都会町のビル街や、隣の港町なんかも見ることができる。
 そんな贅沢な場所は、ミツキの特等席だった。1匹になりたいときは、決まってここに来る。気持ちを落ち着かせる時も、楽器の練習の時も、いつもミツキはここに来ていた。

(柔らかい音、柔らかい音だ。もっと優しく、アタックもソフトに)

 トランペットを構え、モモコがやってきた日の明け方に吹いていたものと同じ曲を演奏する。音の並びも簡単で、それでいて歌いやすいメロディーはミツキにとって相性のいい練習曲だった。
 しかし、どうしたものか楽器を吹いていても、ミツキの邪念が取っ払われることはなく。

__うーん……トランペット、もっと柔らかい音出ないのか? ユズネのオーボエのような……。
__こんな時ユズネがいれば……。

 今日以前にまで遡り、ユズネに関する様々な言葉がまだ頭にこびりついて離れない。吹けば吹くほど、考えてしまい楽器の音にも影響してしまう。

(分かってる、俺も、みんなもユズネが大事だって)

__キミ、それでも魔法使いなのかい……!?

 怒りに満ち溢れたフィルの顔と、困ったように何も言えないモモコの姿が、頭いっぱいに映し出される。もちろん、あんなことは本心で言ったワケじゃないが、モモコを傷つけるのも、フィルを怒らせるのも当たり前だ。

(あいつだって、そりゃあ魔法使いが増えるに越したことはねぇよ。でも……)

 次いでミツキの頭に昔の光景がフラッシュバックする。思い出したくもない、しかし忘れたことはただの一度もないあの光景。自分を庇ったひとつの影。

(同じ思いはもうしたくないんだ。 だったら、最初からこうしていればいいんだよ)

 考えれば考えるほど、ミツキの心に作られた囲いは固いものへと進化を遂げていく。それが、自分をさらに苦しめ、孤独にしていることもミツキは分かっていた。分かっていても、この負のスパイラルを止めることはできなかった。



* * *



 その日の夕食後、モモコは練習室で1匹で基礎練習を行っていた。書斎と違って鍵は中から掛けるシステムになっており、自由に入れるようになっている。
 テンポを刻むメトロノームに合わせて、一定の拍まで音を伸ばす。少しだけインターバルを置いて今度は次の音に移り変わる。これを何セットも行うのだが、集中力を保つのはなかなか難しいようで。

「い、息がぁ……酸素が……」

 人間時代、ポケモントレーナーだったモモコは各地を旅してきたこともあり基礎体力は少しはついていたハズだった。しかし、魔法使い達に言及されたように肺活量は足りないし、腹式呼吸も身についていない。
 やっぱり自分はまだまだ、他のみんなの足手まといにしかならないのだろうか。そもそも、成り行きで魔法使いになってしまってよかったのだろうか__気が付けばモモコは、自分でもビックリするほど、かなり弱気になっていた。

「ん……? またアイツかよ」

 マジカルベースに戻ってきて、練習室の前を偶然通りかかったミツキはモモコのことが気になったのか、そのまま少しだけ開いている扉の隙間から様子を伺ってみる。

「晩メシ出来たのが7時で、30分で食べ終わったと考えたら……3時間もロングトーンやってたってことかよ……!?」

 ミツキは勲章の時計を見ながら計算して、モモコとそれを交互に見ながらギョッとする。何も基礎練習はロングトーンだけではない。タンギングという舌つきの練習や、リップスラーという、滑らかに音を変える練習等様々な種類がある。
 魔法のことも、音楽のことも左右が分からず闇雲にロングトーンばっかやってるのか、ミツキはそう合点した。
 無意識に、ミツキの手は練習室のドアノブに伸びていた。見てられないからモモコに少しでもアドバイスのひとつでもしてやろうかと思ったのだが、かつての言葉が頭の中に響き渡る。



__ユズネにとって、ミツキは大事な仲間だから、だから__。



 また大事なものを増やしてしまうのか、あの時と同じ過ちを繰り返すのではないか。その気持ちが恐怖となり、ミツキに扉を開けることを躊躇わせた。しかし同時に、今日ライヤに言われた言葉が続いてくる。

__本当にいいんですか? ミツキ。モモコを突き放したり、フィルやみんなに“わざと”攻撃的なことを言うことが、本当にミツキがやりたいことなんですか?

 今ここでモモコを見捨てることが、自分にとってもモモコにとってもいいこととは、とても思えなかった。きっと見て見ぬフリをしていたら、自分は後悔してしまうだろう。現にクライシスからモモコを守ったことも、これっぽっちも後悔していなかった。
 何もしないで後悔するよりは__そう思いながらミツキは扉を開いていた。

「おい」

 目の前にミツキが現れたものだから、モモコは言葉を失ったまま彼を凝視していた。彼女の反応を見て、あれだけ冷たく意地悪にしていたのだから、当然の反応だろうなとミツキは思った。

「な、何? こんな時間に」
「それはこっちのセリフだ。こんな夜遅くまで練習してると明日に響くぞ」

 ミツキの中では今までで初めて、モモコに優しい言葉を投げていたと思った。この前のクライシス拉致未遂は、彼らへの敵意が先行していた部分もあったが今はただ単純に、モモコへ向けた彼なりの真心なのかもしれない。

「そ、それは分かってるよ。でも、少しでも他のみんなと足並みを揃えたくて……だってわたし、足手まといだし」

 足手まとい発言がここまで影響していたとは。モモコに無理強いをさせていたのは、自分の言葉だったのかと思うと、ミツキは罪悪感でいっぱいになる。
 モモコからしたら、罪悪感から無言でうなだれているミツキの様子が珍しいのか、一瞬どんな反応をしていいのか戸惑っていた。

「違う、違うよ! 別にミツキのせいにしてるんじゃなくて__」
「いや、いいんだ。それは別に」
「本当?」

 躊躇いなく覗き込むように自分を見上げるモモコに、思わずミツキは心臓が跳ね上がりそうになった。コノハは自分より背が高いし、ライヤにそんなことを感じていたら色々と誤解される。他のメスポケモン魔法使いを引き合いに出しても、リオンは自分と同じぐらいの背丈であり、フローラはモモコとはタイプが違う。リリィやマナーレはコノハよりももっと大きい。
 異性にこんな対応をされるのも、ミツキは初めてだったのだ。

「本当だよ! それより__」

 紅潮しかかっている顔を何とか隠すように、ミツキは必死でモモコから目を逸らしてその場をしのぐと、落ち着きを取り戻して話題を変える。

「闇雲にロングトーンばっかやってても、集中力続かねーし意味ねぇよ。タンギングとかリップスラーとか、フィル達から教えてもらってるだろ?」
「えっ? あ、うん。これのことだよね」

モモコはひらっ、と金管ポケモン達から貰った基礎練習の楽譜をミツキに見せる。

「ああ。基礎練習はロングトーンも中心的にやるが、こーゆー練習も時間を決めてやっておかねぇと曲とか吹くときにだいぶ困る。特にリップスラーは金管のヤツはできてねぇとだいぶ厳しいんだ」
「なるほど……」
「昨日も夜遅くまで勉強してたんだろ? 頭に入ってねぇじゃん」

 口は悪いけど、やたらと優しいししかも親身__前に助けてくれた時もそうだったが、やっぱりミツキは本当は悪いポケモンではないんだ。モモコの憶測は確信へと変わっていった。それと同時に、モモコには今のミツキの言葉に引っかかるところがあったようで。

「え? 昨日わたしが勉強してたの、なんでミツキが知ってるの?」

 ギクリとミツキは身体を硬直させる。 おかしいと思っていた。やっぱり自分は勉強しながら寝落ちしてしまい、きっとミツキがベッドまで運んでくれたのだ。

「そ、それは……」
「ありがとね」

 感謝の言葉をモモコから受け取ると、ミツキは頬を指で掻く仕草をし照れ臭そうにする。お礼を言われるのは、悪い気はしなかったのだ。
 もしかして、ミツキと少しだけ仲良くなることができたかも。モモコも何だか嬉しくなった。



 同じ時。同じ階に位置するモデラートの部屋では彼とマナーレが深刻な顔付きでじっと佇んでいた。モデラートの両腕からは、空色の光が発光しておりまるで何かの波動を感じているかのようだった。

「マスター、いかがですか?」

 マナーレは心配そうにモデラートに尋ねる。彼女の目に映っているモデラートは、浅い呼吸を繰り返しており苦しそうだった。まるで、波動の力に圧倒されているかのようでもあり、自分の力を使い果たしているかのようにも見えた。

「間違いないよ。やっぱり、モモコは……ボク達の探していた子だ」

 それを聞くと、マナーレはモデラートに寄り添うように介抱しながら、これから起こる大きな波乱に不安を寄せるように、変わらずに美しく瞬く夜空の星を窓から見つめていた。



* * *



 そして、明くる日の合奏の時間。いよいよモモコも本格的に奏者として合奏に臨むこととなった。

「ん? モモコ、今日から吹くのか?」

 マナーレが首を傾げると、モモコはやる気に満ち溢れた目をしながら元気よく答えた。

「うん! よろしくお願いします!」

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