36話:②~売り言葉に買い言葉~

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「――なるほど、確かにワガママお嬢様」

 シャワーを借りたウィルゼは、濡れた髪をふきながら、アスクルの簡潔かつ明快な説明を思い出してうなずいた。天井まで二メートル以上はありそうな三階建ての豪華な家の、扉にも精緻(せいち)な意匠が凝らしてあり内装も十分お金がかかってそうな部屋に入って、この家の執事だといわれたスーツをぴしっと着込んだやり手そうだがしょっぱなからこちらの値踏みをしてきた失礼かつ不愉快極まりない男性に、彼らが引き継ぎの護衛です、と紹介されたとたんにオレンジジュースをぶっかけられるとは。

「さすがに予想外」
「十分避けられた“予想外”だがな」
「だってあそこで避けたら後ろの壁にあたるじゃん」

 壁は汚れるわ、グラスは割れてあとが大変だわでいいことないぜー? と続けたウィルゼに、シェーリは深々とため息をついた。
 これがかっこつけて言っているのなら切り捨てて終われるのだが、本人は全く自覚なしなのだから始末に負えない。
 などと思っている彼女が、実は一番被害者を生んでいるとは、もちろん気づいていない当人である。

「やー、それにしてもあと一週間? 護衛させてくれんのかね、あのオジョウサマ」
「無理だろ」
「シェーリもそう思う? やっぱなんかなー……。ふん」

 なんか、演技くさい。

 シェーリはさっきの「お嬢様」の行動を反復した。紹介されたとたん、そばにあったグラスを取り、投げる。その一連の動作に不自然な点はないのに、違和感はある。
 何か、そう……こう……。

「分かった。よどみがなさ過ぎるんだ」

 ようやくピッタリ来る表現を見つけてシェーリは指を鳴らした。
 その声を聞いたウィルゼも「そうそう!」と声を上げる。

「まるで“やるぞっ!”って決めてたみたいなんだよ。だから避けるのもどうかなぁと思って」

 ほざいとけ。
 ウィルゼの声を意識から閉め出し考え込む。これは本来ならノワールにされていたはずの依頼だ。彼らが忙しいから自分たちにおはちが回ってきた。すると、「お嬢様」は相手がノワールでも同じことをしたのだろうか?

 そもそも「話が違う」とはなんだろう? この依頼を初めから整理してみると、こういう事だ。

 まず「お嬢様」改めエスターの父親が経営している会社にいたずら電話やファックスが送られてくるようになった。そのいたずらが次第に器物破損・名誉毀損・営業妨害レベルに達し、彼はハイフォンに依頼をした。
 彼らが引き受け調査を開始すると同時に父親が仕掛けられていた罠により軽い怪我をし、同時に脅迫状が届けられる。「○○をやめればもう何もしない」という、オリジナリティのない文面だ。しかしオリジナリティはなくとも説得力はある。
 事態を重く見たハイフォンは会社・自宅、そして家族の者たちに護衛を割いた。エスターに付けられた護衛は二名。ところが、先日、爆弾によりその二名が負傷した。
 任務続行不可能の診断を受け、ハイフォンは急遽(きゅうきょ)代わりの護衛を派遣。ところが、屋敷に着く前に、彼らも何者かに襲われ重傷を負う。そしてハイフォンは残念ながら、これ以上の手がなかった。

 そもそもセクション護衛がハイフォンに持ち込まれる時点で間違っている、とシェーリは思う。彼らの専門は綿密な調査と情報に裏付けされる事実の調査、特に不正の摘発だ。人数からして五十人弱と、一件に割(さ)ける人数はそう多くない。そこに来てこの護衛依頼の偶発、そして五人の戦線離脱。手が足りなくなるのも道理だ。

 そこでハイフォンは提携を結んでいて、なおかつ護衛に適正ばっちりなノワールに応援要請をした。ところがノワールはハイフォンより忙しいチームだ。エスターの護衛にいける人はいなかった。

 と、まあようやくそこで、フィリアル登場となったわけなのである。
 身も蓋もなく言えば、「ちょっと手がたんねーから、もー新人でもいーや。ここまで行って一週間子供を守っていてくれよ」ということである。

 そこで話は戻る。どうして護衛対象のはずのエスターは、「話が違う」という謎の言葉を発してフィリアルにオレンジジュースなどをぶっかけたのだろう。フィリアルだから? 本来来るはずだったのはノワールだからか? だったらあの速さはどういう事だ。ノワールに女性がいないことを知っていたのか?

「…………。埒(らち)が明かん」
「え、何?」

 しばらく黙っていたシェーリから唐突に発せられた言葉を捉え損ねる。かまわずシェーリは足を扉に向けた。

(人の心なんか考えて分かるか)

 内心でそう呟き、シェーリはさっさと廊下を進んだ。







「何よ、まだいたの!? ちょっと! 追い出してって言っておいたでしょう!?」
「しかしお嬢様、彼らは正規のエージェントで……」
「正規だろうとなんだろうと子供じゃない! 身の危険を感じるのよ!」
「お嬢様……」

 自分はその護衛よりはるかに小さい子供であるという事実も無視してかんしゃくを起こすお嬢様。先日の事件のためだろう、頭と腕に包帯が巻かれ、痛々しい様子ではあるのだが、いささか、元気が有り余っている様子では同情も湧き上がらない。子供ながらに弁が立つエスターに弱り果てた様子のメイドが、すがるようにシェーリ達を見た。

(なるほどね、身の危険を感じる、か)

 エージェントはおおかた十歳前後から候補としての研修を受けるため、十五歳はほぼ一人前として扱われるのだが、エスターから見たら、特に自分は、とても一人前とは思えないだろう。シェーリは実年齢よりはるかに幼い自分の外見を客観的に認識していた。
 それを思えば十分納得できる理由である。訊く手間が省(はぶ)けた。
 かといって「はい、そーですか」と引き下がるわけにはいかない。シェーリはメイドの視線をさらりと流して壁により掛かった。傍観モードである。

 しかし十秒とたたないうちにそれは解除される。

「だいたいねっ! ハイフォンにしたって役に立たなかったじゃない! それなのに、こんな駆け出しの子供が、役に立つわけ――ひゃ!?」

 ウィルゼをのぞく誰もがあっけにとられた。
 体重を感じさせない足取りでいつの間にかエスターのすぐそばにまで近づいていたシェーリが、目にも止まらぬ速さでその鼻をつまんだのだ。

「ひゃ、ひゃにひゅゆのひょ(な、何するのよ)!」
「撤回しろ」
「は?」

 じたばたともがくのも軽く受け流し、シェーリは淡々と言葉を紡ぐ。

「ハイフォンはあんたを守るために負傷した。あんたがこの程度の怪我ですんだのは、体を張った二人のおかげだ。護衛に付く前に病院送りになった三人は論外だが、ハイフォンは決して役に立たなかったわけじゃない。――今の言葉を、撤回しろ」
「ひゃんであなひゃがみゅひになゆのよ(なんであなたがムキになるのよ)……!」
「ハイフォンは、知り合いのチームだ」
「ひゃはらって(だからって)!」
「あいつは弱くない。役に立たないこともない。撤回しろ」

 一方的な口調に、もがいていたエスターはむっとした。もともと蝶よ花よと育てられてきたご令嬢だ。もちろん鼻をつままれた経験などない。明るい栗色の瞳が、勝気な色を濃くして碧眼と見合う。

「ひゃーよっ(やーよっ)! ひょんなにひぇっはいさひぇはいのひゃら、ひょうめいしへみたら(そんなに撤回させたいのなら、証明してみたら)?」
「証明……?」
「そうよっ!」

 いいかげんに卒倒しそうな、あるいは頭の血管が切れそうな執事達を気の毒に思ったウィルゼが手をはずさせて、ようやくシェーリ以外にも言葉が聞き取れるようになった。

「強いって証明してみなさいよ! 目の前のことだったら私も疑わないわ」



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