Box.42 ミえないイと

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読了時間目安:13分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ロトムの案内で奥へ奥へと向かっていく。ロトムはぴかぴかとポケナビを光らせながら何度目かの角を曲がった。
 鎖で封鎖された場所へと辿り着いた。ロトムは軽々と封鎖を飛び越え、早く来いと急かしてくる。通行禁止の札がぶら下がっている。迷ったが、意を決してリクは鎖をくぐった。ロトムがいっそう強く輝く光で道行きを照らし出す。接触灯が完全に電源を切られているため、他に灯りはない。強く照らし出すほど、一段と影が濃くなった。
 奥に弱々しい灯りが見えた。誰かいる。あれがジムリーダーだろうか。おーい、と声をかけようとして、喉に引っかかって止まった。リマルカは天才少年と聞いているが、影はほっそりとしたシルエットながら、子供とは言いがたい。ロトムが迷わず、その人物の元へと飛び込んだ。「ぴきゅー!」それはそれは、嬉しそうに。
 影は背中が大きく曲がっていた。暗がりでこちらを向いた顔は、予想より若い。前髪が長く、間隙から目が覗いている。かすかに開く口は木々の割れ目のようだった。
 リクは、その場で立ち尽くしていた。声をかけるのが躊躇われる相手だった。彼は手を持ち上げ、ゆっくり手招きをした。ロトムがぴょんぴょんと跳ねている。緊張を感じ取っているらしく、頭上のリーシャンは身を固くしていた。ここは自分がしっかりしなければ。リクは気を持ち直し、努めて明るく近づいた。

「こ、ここで、何してるんですか? 通行禁止の札があったけど、もしかして、動けないんですか?」

 そうだ、と思い当たった。もしかしたら動けなくなった人のところへ、救助の為にロトムは寄ったのかもしれない。あり得ない想像へと気を逸らしながら、男へとゆっくり近づく。だったら肩を貸そうか、と手を伸ばした瞬間、骨張った大きな手が顎を掴んだ。

「――ぅぎっ!?」
「リ!?」

 男の大きな両眼が覗き込む。「お前は……ソラと一緒にいたガキだな……」隙間風のような声が囁いた。男は、片手にピカチュウの汚いぬいぐるみを抱えていた。リーシャンが念力を放とうとすると、ぬいぐるみの下腹部から影のような爪が襲いかかった。「リ!?」「ひゃん太!」影がシャン太を奪い取り、ロトムがケラケラ笑った。腰のモンスターボールへと手を伸ばした刹那、足下から這い上がってきた影がモンスターボールごとリクを拘束した。底のみえない沼底に浸かっているような冷ややかさが、腰下を包み込む。
 男の目はこちらを覗き込んでいたが、真っ黒な瞳は焦点が合っていなかった。見ているようで見ていない。目玉があちらとこちらの境目をいったりきたりし、不意に、自分ではない誰かに話しかけ始めた。

「くく……くけっ……ああ、そうか……そうか……ふはっ……ヒナタが死んだか……」

 リクは目を見開いた。槍のように突き立った言葉が喉を絞める。こちらが一言も発していないにも関わらず、男は煩わしそうに眉を寄せ、独り言のような会話を繰り返した。

「ははは……怒るな……ハハハハハ……それで、そう……ふむ……お前ェ……」

 急にリクへと目の焦点が合い、ニタリと口を歪める。「くふっ……ソラに、惨敗したらしいな……くふはっ……」

「――離せ!」

 カッと全身が熱くなり、男へ頭突きした。悲鳴。顔面を抑え、男は後ろへとよたよた下がった。拘束する影が突き刺すような冷ややかさを増し、急速に腰を這い上がる。「ひっ!」「リー!」
 男が言った。

「……あまり遊んでやるな。本物の死者とはいえ……攻撃でもされかねん」

 影が、引き潮のように退いていった。冷え切った足がガクンと折れる。ボン! と音がして、エイパムとタマザラシが飛び出した。「キキッ!」「たまたま!」揃って抗議するが、得体の知れない相手に手を出しかねている。エイパムは顔色を悪くしながらも、一歩踏み出して威嚇した。「キーッ!」男が目を丸くする。「お前は……ゲイシャか……」ぎょろりとリクへと視線を移した。

「こいつはどうした……あの死に損ないに、執着していたはずだろう……」
「あんた、に……関係ない……、シャン太を返せ……!」
「……まぁいい……死に損ないの糞婆から、奪い取ったか……こいつの気まぐれか……」

 エイパムの視線は、リーシャンを拘束する影に注がれている。同時に彼は、リク達を守るように立っていた。男が喉奥で笑った。最初は小さく、だんだんと強く、腹を抱えて、甲高く笑い始めた。同調し、幾重にも笑い声が合唱する。

「……くく……くくくくく……そうか。おい、お前ェ……死者に……生き物の区別は、あると思うか……?」
「区別?」
「死したるものに区別なし。死に損ないがあの世で声を聞くように……仮にお前が今すぐ死ねば、サニーゴの恨み言のひとつでも……聞けるかもしれんなァ……くふっ……」

 男の目の焦点が再びおぼろげになった。彼は、彼は――サニーゴの霊と、もしや話しているのではないか? その予感を裏づけるように、声なき声が聞こえたように感じられた。手が震えている。恨み言のひとつでも。顔を歪めたリクを見て、男はにまりと口元を歪めた。

「たまー!」

 タマザラシが飛び出した。男の向こうずねに勢いよくぶつかる。男は呻いて膝を折った。チャンスを逃さず、エイパムがリーシャンを拘束する影に飛びかかる。リーシャンを取り返してタマザラシの尻尾を引っ掴み、一足跳びに飛び戻る。「きぃっ! きー!」唖然とするリクに、さっさとここから離れろ、と主張した。
 リクは忠告に従いかけ、ハッとして叫んだ。「ロトム!」ロトムは心配そうに男の周囲をぐるぐると飛び回っている。喉がひくついた。ロトムは敵だったのかもしれないが、体はヒナタのポケナビだ。どうしようどうしようと足踏みするリクの服を、リーシャンとエイパムが引っ張った。「分かってる、分かってる……でも、」ロトムが取り憑いた瞬間、数え切れない着信が鳴り響いた。多くの見えない糸が、あのポケナビには繋がっている。手放してはいけない。
 身を深く折った男が、迷うリクを前髪の隙間から見上げた。目玉がロトムとリクの間を緩慢に移動し、苦々しげに言い放った。

「他人など、厄介なだけだぞ……足を引っ張り……嘲笑し……勝手に評価し……身勝手で、傲慢で! ……捨ててしまえ! 煩わしい!」

 男が手を差し出すと、ロトムが嬉しそうに収まった。男はリクに、追い払うように手を振った。

「……出て行け。暗く、長い道のりを、一人で惨めに帰るがいい……くふ……っ」
「キーッ!」

 エイパムが抗議した。触発され、リクも拳を握って言い返す。「ポケナビを返せ!」男はちらちらと、手中のロトムをこれ見よがしに左右に動かした。そうだなぁ、と玩具を弄ぶ子供のようにニヤついていたが、不意に止まった。

「……怒るな、と言っただろう。こいつと引き換えに……良い場所を教えてやる……」

 目の焦点がずれている。「そう、そちらの方向に……嫌な感じがあるだろう……古い……罪人の行き着く場所……お前に、力を与える場所……恨み妬みが、後悔が揺蕩う場所……」タマザラシが首を傾げ、リーシャンが顔を険しくし、エイパムがうわぁ……と顔色を悪くした。目の焦点の合わない間はこちらを認識していないとリクは判断し、ロトムへこっちに戻れと手振りする。「ぴきゅ!」拒否された。ポケナビに取り憑かせるんじゃなかったと心底後悔する。男が息をつき、すっと指を持ち上げた。
 全員の視線が集中する。
 タマザラシが「なに?」という顔をしていた。つん、と伸びた影が丸い体をつついた。タマザラシはそのままの表情で、ころりと転がった。つん、つん、とつつかれ、ころころと転がる。つつく指が先々でリレーのように現れる。つん、つん、つん、とん、と。「たま? たまま?」ころころころころ。タマザラシが、坂を転がるボールのように遠ざかっていく。ぽかんとリク達はそれを眺めていた。

「そぅら……追いかけないと、竪穴に落ちるぞ……地下水路に落ちれば……二度と会えまい……」

 地下水路に、落ちれば。

「タマザラシっ!」
「ききーっ!」
「リー!」

 駆けだした。迷ってる暇もなく、どんどん転がり小さくなるタマザラシを追いかける。転がっていく道は不自然に明るい。リーシャンだけが一瞬振り返った。男の姿はすでに闇のとばりに隠れていた。先ほどまでの会話どころか、男がいたことさえも幻だったかのように静まり返っていた。





「すぐ戻るつもりだったから、迎えに来なくても良かったのに」
「そういうわけにはいきません」
「僕は大丈夫だよ」

 リマルカとソラは並んで元の道を辿っていた。リマルカはソラの予想通り、兆域の最奥にいた。聞くところによると、時間が空いたので見回りを行っていただけらしい。一仕事終えたヒトモシがリマルカの腕の中でキャラメルを囓っている。

「やっぱり、あの場所はかなり古い場所だったよ。空気が違う」
「中から出てきそうですか」
「しめ縄は張り直したし、誰かがわざと切らない限りは大丈夫。そもそも近寄りがたいし。それよりリク君達は?」
「ポケモンセンターに行かせました」
「ああそう。それなら早めに戻ってあげた方が良いね。怖いだろう」
「怖い?」

 ソラが眉を潜めた。

「だって一昨日ジョーイさんも避難したし。そりゃまだ機械は使えるように残しておいてくれたけど、二人っきりは怖いんじゃないかな」

 行きがけに見たポケモンセンターは煌々としていた。その時、「ソラくーん!」と前方からコダチとクロバットが駆けてきた。リマルカが言った。「ほら。やっぱり怖くなってこっちに来たんだよ」「コダチ……?」コダチのそばには誰もいない。ソラとコダチ、二人が同時に口を開いた。

「ソラ君! ちゃんと戻ってこれたんだね! 良かった~」
「コダチ! リクはどうした?」
「え?」
「え?」

 二人は目を瞬いた。リマルカが挨拶する。

「君がコダチちゃんだね。僕はリマルカ。カザアナのジムリーダーだよ、初めまして」
「こんにちは! 初めまして! ……え? ジムリーダー?」

 コダチがじっとリマルカを見つめ、戸惑いきった声で言った。

「君がジムリーダー?」
「驚くのも無理ないけど、今は僕だよ」

 ほら、とリマルカはジムリーダー認定証を取り出した。仕舞い込んでいるジムリーダーが多いのだが、きちんと携帯しているところを見るに、こういったやりとりに慣れているらしい。しげしげとそれを眺め、コダチはソラへ振り向いた。

「じゃあジムリーダーさんは、本当にこっちにいたの?」
「コダチちゃん、リクは?」
「あの……え……? だ、だってロトムが言ってたよね、ね、ジョーイさ――」

 コダチは誰もいない場所を振り返り、ぴし、と硬直した。リマルカが呟いた。「ゴースト達にからかわれたかな」

「ひとまず、リク君はどこに? ロトムと一緒?」
「あ、う……あ……」

 ぎぎぎ、と顔を戻したコダチが半泣きで話し出す。ポケモンセンターでのやりとり、ロトムに出会ったこと、ロトムが「ジムリーダーはこっちだ」と言ったので、リクはそれに着いていったこと。リマルカが身を乗り出した。

「ジムリーダー? 本当に、ロトムが〝ジムリーダーはこっちだ〟って案内したの?」
「う、うん」
「――みんな!」

 リマルカが声を張った。瞬間、ざわりと空気が変わった。暗闇の中で蠢き囁き合う声なき声が一斉に返事をする。

「街を封鎖して! 誰も出さないように! 父さんを暗闇ひとつ見落とさないように探すんだ!」

 ざわざわざわざわと無数の影が応え、四方八方へと散っていく。洞窟の壁全てを埋め尽くし這い回る、虫の大軍のような空気が動き出す。コダチの足下を何者かが駆け抜けていき、ソラの肌が総毛立った。リマルカはコダチの手を掴んで走り出した。
 
「コダチちゃん! ポケモンセンターまで走るよ! ソラ、リク君にすぐ連絡をとって!」
「なっなっなっなにぃいいいいいい?」

 ソラも走りながら言った。「ロトムが取り憑いたのはヒナタさんのポケナビです」「ええとじゃあヒナタさんのポケナビに連絡してその前にリク君が戻ってたらロトムが」「あの人は発見次第、確保しますか」「そうして!」「えっとリクちゃんがジムリーダーさんに会ってでもリマルカ君はこっちでえええええええ!?」ポケモンセンターまでたどり着くと、そこに光はなく、誰もいなかった。
 リクもロトムも、誰一人。

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