2-4.蛍火

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「…………うう、ん……」

 瞼が震え、声がもれる。
 ゆっくりと瞼を持ち上げると、木目がみえた。天上、か。
 むくりと上半身だけを起こすも、軽く目眩に襲われる。
 暫く目元を抑え目眩をやり過ごし、そこで初めて、自分がベッドに寝かされていたことに気が付いた。
 あたりを見回すが、記憶にない部屋だ。
 すばるが泊まっていた宿屋ではない。
 どこだ、ここは。
 そう広くはない部屋に、小さな机と一人掛けのソファが向かい合うように二つ並べられているだけだ。
 ベッドの枕元の近くに、小さなランプが置かれた棚があった。
 ランプの他に置かれているのは、赤と白にきれいに分かれるように割れたそれ。モンスターボール。
 それをじっと見つめていると、棚の陰に隠れて、こちらをじっと見つめる紫の瞳を見つけた。
 それを見つけたすばるは、自然と笑みがこぼれ、気が付けば、彼女の名を呼んでいた。
 すると途端に、紫の瞳は涙で揺れていく。
 ああ、きれいだ。と場違いな感想を胸に抱いて。
 勢いのままに自身の胸に飛び込んできた彼女の背を、優しく撫でていた。
 触れていると、彼女の体の震えが伝わってくる。
 桔梗色の瞳が揺らぐ。
 だんだんと、これまでのことを掘り起こしていく。



   ◇   ◆   ◇




 頬に暖かい感触がして、意識が浮上した。
 身体が熱を帯びている。
 瞼を持ち上げるだけだというのに、これほど億劫だっただろうか。怠い。
 何とか瞼を持ち上げると、ぼんやりとした青色が視界に広がる。
 ああ、空だ。
 だが、すばるが空だと思った青色が蠢くと、不安そうに揺れる黒の瞳が姿を現した。
 そこで初めて、青色の正体が空などではなく、ハクリューだと気が付いた。
 揺れる黒の瞳は、今にも大粒の水滴が溢れそうな程揺れている。
 ああ、そうか。
 うすぼんやりとした思考の中、すばるは気が付く。
 最初に足を草の葉で切ってしまったとき、それが毒草だと気が付いていた。
 なのに、それは遅効性だから大丈夫だとたかを括っていたのが、今回仇になった。
 あのときすぐにでも解毒の薬草を探すなどの行動を起こしていれば。
 ハクリューに今のような表情をさせることも。
 今のような気持ちにさせることもなかったのに。
 そんなことに気が付かなくて、気付けなくてごめんな。
 そう言いたいのに、体が言うことを聞いてくれない。
 それが、今はとてももどかしかった。
 その時、再び頬に温かな感触がした。
 ハクリューがぺろりと、すばるの頬を舐めたのだ。
 その行動に、すばるは軽く目を見開いた。
 まるで、それは分かっているよ。
 と、ハクリューが告げているような気がしたのだ。
 いや、告げているような気がではなく。
 その想いが流れ込んでくるような。
 ああ、そうか。
 シンクロ。彼女のその力の影響。
 それが、これ程までに及んでいる。
 彼女が近くにいなくとも、常にその存在を近くに感じている。
 それに安堵を覚える。
 だが、今はそれ以上深く考られるような状態ではなかった。
 油断をすれば、意識を持っていかれそうになる。
 グラエナ達の気配がしないということは。
 すばるが気を失っている間に、ハクリューがあらかた追い払ってくれたということだろう。
 よく見れば、彼女の身体に細かな傷が確認できる。
 あとで手当をしてやらなければ。
 心のどこかでそう思いながら、頭では別のことを考える。
 ハクリューが追い払ってくれたとはいえ、いつまたグラエナ達と遭遇するかはわからない。
 奴等の縄張りから出ないかぎり安心は出来ないのだ。
 だが、そこからどうすればよいのか。
 熱に侵された頭では考えられない。
 いつもなら、すぐに思い付く筈の方法が思い付かない。
 苛立ちだけが募る。
 刹那。傍らにいたハクリューが、威嚇をするような低い唸り声を発した。
 何だ、と訝る。
 自分には感じられない何かを感じているのだろうか。
ポケモンの聴力は、人間のそれを遥かに凌ぐ。
 無意識のうちに息をのんでいた。
 ハクリューの唸り声が一層強くなってきた頃。
 それはすばるの耳でようやく聞き取れるようになる。
 茂みを踏み締める足音。
 これはグラエナのものとは明らかに違う。
 この、固い物で地を蹴るような感じは。蹄かだろうか。
 まさか。そう思った瞬間。
 茂みから飛び出してきたのは。
 真っ赤に燃え盛る、炎の鬣を持った子馬だった。

「…………ポニー、タ……?」

 吐息のように口からもれた言葉は。
 しっかりとポニータに届いたようで、彼女は小さく鳴いた。
 何故ここにポニータがいるのか。
 それはすばるにはわからない。
 だが。風もないのにそよぐポニータの炎の鬣。
 それが。彼にはまるで、道に迷った者を導く蛍火にみえた。



   *



 ポニータはひた走る。
 すばるはそんなポニータの背に、腰を掛ける要領で乗っていた。
 だが、その体勢は今のすばるにとっては辛いもので、ポニータの首に寄りかかる形になっている。
 そんな彼を気遣うように、ポニータは成るべく平坦な場所を選んで足を運んでいた。
 暗い森の中を、ポニータの炎の鬣が優しく照らす。
 触れてもけして熱くないその炎は。
 すばるの心にも。一つ、また一つと灯りを灯す。
 その灯りはまるで、大丈夫だよ、安心して、と告げているようで。
 とても温かな灯りだった。
 そんなことを、静かに揺れるポニータの背でぼんやりと感じていた。
 ハクリューはすばる達に並行しながら頭上を飛ぶ。
 どこからまたグラエナ達に襲われるかわかない。
 いつでも臨戦できるよう、予め指示はしていた。
 警戒は怠らないのだ。
 そして、頭上のハクリューが動く気配を察知する。
 進行方向から外れ、右手の方へ飛び出していったかと思えば。
 すぐに聞こえてくるのは“竜の波動”を放つ音。
 グラエナ達がまた姿を現し始めたようだ。
 だが、その距離を考えると、あちらもこちらの動きを警戒しているのかもしれなかった。
 と、その時。ポニータは高く跳躍した。
 振り落とされまいと、すばるは無意識のうちにポニータの首にしがみつく。
 その直後、先程まで彼らがいた場所に、黒い球状のエネルギー弾が紙一重の差で通り過ぎていった。
 あれは“シャドーボール”。
 接近戦は不利と判断し、遠距離攻撃に切り替えたのか。
 着地したポニータは尚も走り続けるが、今度はそのエネルギー弾が数発に渡って襲い来る。
 それを一つ一つ跳躍してはかわしていく。
 だが。ポニータの動きを予測して打ち出された“シャドーボール”が、着地した直後のポニータに迫り来る。
 流石にこれは避けられない。
 そうすばるが感じ、目を見開いた直後。
 白い光線が放たれ、“シャドーボール”が粉砕される。
 鋭い声を発しながら舞い戻ってくるのは、怒りで瞳を煌めかせたハクリュー。
 彼女の登場にほっと胸を撫で下ろす。
 そのまま“シャドーボール”の発射現の方向へ、彼女の“竜の波動”が放たれる。
 が、その攻撃をかわしていたグラエナが数匹いたようで。
 ハクリューに向かって数発の“シャドーボール”が打ち出される。
 最初の一発は何とかかわしたハクリューだったが、残りの“シャドーボール”はその身で全て受けてしまった。
 持ちこたえられずに、そのまま地面に向かって落下しはじめるハクリュー。
 すばるは慌ててモンスターボールを向ける。
 モンスターボールから放たれた赤い光がハクリューを包み込み、ボールの中へと誘ってゆく。
 ハクリューの入ったボールを見つめる桔梗色が揺れる。
 無意識のうちに、握る手に力が入る。
 身体的にも、体力的にも限界は当に越えていたはず。
 それでも弱音を吐かないでいてくれたのは、自分を護るため。
 ここまで頑張ってくれてありがとう。
 あとは、ゆっくり休んでくれ。
 縮小したモンスターボールを、そっと腰のベルトへと戻す。
 ハクリューが倒れてからも発射される“シャドーボール”を、ポニータは紙一重の差でかわし続けていた。
 だが、それにもやがて限界は訪れる。
 着地地点を予測して放たれた“シャドーボール“が、ポニータとすばるを襲ったのだ。
 すばるの桔梗色の瞳に、黒い球状のエネルギー弾が映りこむ。
 ふいに脳裏に霞むのは、エーフィの姿。
 彼らに衝撃が貫き、後方に押し出されるのも。
 ポニータの自慢の足で、何とか数十センチのところで踏みとどまる。
 そこからポニータはすぐに体勢をたてなおし、飛びかかってきた数匹のグラエナを“ふみつけ”でなぎはらう。
 ポニータの蹄は、ダイヤモンドよりも固いものという。
 かなりのものだろう。
 そう思いながら、すばるは自身の程度を確認していた。
 ポケモンに比べて人間の身体は酷く脆い。
 そんな人間が、ポケモンの技を受けて無事の筈がないのだ。
 なのに、最初に衝撃が貫きはしたが、どこにも痛みを感じはしなかった。
 念のため、その箇所を探ってみる。
 やはり、どこにも掠り傷一つない。
 何故。確かにあの時。すばるにも“シャドーボール”は直撃したのだ。
 すばるの様子を確認するかのように、ポニータも首ごと顔をこちらに向ける。
 すると、ことっと小さな何かが落ちる音がした。
 その音を聞きつけ、両者の視線がそれに向けられる。
 そこにあったのは。きれいに二つに割れた半球状のそれ。
 これがすばるの身代わりとなり、“シャドーボール”を受けてくれたのか。
 赤と白に割れたそれから、すぐにモンスターボールだと判断できる。
 とっさに腰のベルトを探る。
 ハクリューの入ったモンスターボールの無事を確認すると、ほっと安堵の息がもれた。
 では、あれは。
 どこかで、自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。

「…………ふう」

 その声に答える存在はいない。
 だが、その時一陣の風が駆け抜けた。
 その風は、優しくすばるの栗色の髪を撫でていく。
 脳裏に聴こえるのは。
 ボクは吹き抜ける風のふうだよ。
 と、告げたいつかのエーフィの声。
 桔梗色の瞳が揺れる。
 お前は、いつでも傍らに居てくれるんだな。
 例え姿がなくとも、想いは常に傍らに在る。
 ふわりと肩にその存在を感じた。重さを感じた。
 ああ、そこにずっと居てくれたのか。
 そう思ったら、身体の重さが一気に戻ってきた気がして。
 気力だけで踏ん張っていたものが、ぷつりと切れた。
 そこで再び、すばるの意識は闇の中へと溶けていった。



  ◇   ◆   ◇



 それから程なくして、すばる達をエーフィが見つけたらしい。
 エーフィの周囲を探る能力には驚かされたというのは、共に行動していたハキから後日聞いたもの。
 ハキの家で目覚めてから、本調子に戻るまでさらに二日を要した。
 その間、身の回りの世話をしてくれたハキには、もう頭が上がらず、感謝でいっぱいだ。
 たが、それと同時にぶつぶつと言われた小言は。
 言葉の刃となり、心に深く突き刺さったのは言うまでもない。
 そして今日、やっとこの町を発つ。
 町の外れまで見送りにきてくれたハキと、その愛馬であるギャロップの方へと向き直る。

「本当にお世話になりました」

 そう言い、深々とハキ達に頭を下げるすばるに、いいよいいよ、と苦笑気味に答える。

「…………でも、今度から気を付けるんだよ。どこにでも、私みたいに君の面倒をみてくれる人もいないだろし」

 ちょっと皮肉げに告げる彼女に、すばるは苦笑いしか返せなかった。

「私が思うに。君はもう少し、自分に関心を向けた方がいいな。どれだけ周りが、君を大切に思っているのか知らなきゃな」

 その言葉にすばるは目を伏せる。
 今回の騒動でそれは思い知った。
 あの時の涙で揺れた黒い瞳。
 そして、声をあげて鳴いた小さな薄紫の背中。
 同時に、それらを思い出しては痛む自身の心。
 俯いてしまったすばるの胸中を察してか、ギャロップが傍らのハキを鼻で小突く。
 それにはっとした様子で、ハキは慌てて言葉を綴る。

「で、でも、君も今回ので分かったみたいだし、いろいろね、うん、いろいろ」

 そこで一旦言葉を句切り、何か他に言葉はないだろうかという感じで目を泳がせていた。
 その様子で、元気付けてくれようとしているのだと感じたすばるに、小さな笑みがこぼれた。
 それに気付いたハキは、何だかばつが悪くなった様子で顔を歪ませるも、すぐにつられて笑みがこぼれる。
 でも、すばるにはもうわかっていた。
 エーフィが。ハクリューが。
 どれだけ自分のことを大切に思ってくれているのか。
 だがら、今回の原因となった毒草のように。
 また毒で苦しむことがないよう、様々な種類の薬草をハキに分けてもらった。
 毒消や疲労回復、治癒効果のあるものなど様々に。
 知識を持っていても、それを使わなければ意味のないことだと思い知った。
 そしてそもそも、草で皮膚を傷つけてしまわないように。
 足の露出部分も隠せるよう、スニーカーからブーツに履き替えた。
 そもそも、あんな服装で森に入ったことがまずかったのだ。

「…………さてっ。忘れ物はないかな?」

 ハキの声で思考切り替えたすばるは、その言葉に頷き返す。

「はい。…………ところで、本当にこいつを連れて行ってもいいんですか?」

 そう言うと、すばるは傍らに佇むポニータに視線を向ける。
 ポニータの背には鞍が装備されているが、それはすばるが前に、乗馬の際に使っていた鞍とは随分違うものだった。
 人が跨ぎ乗る部位の後方に、左右に備え付けられた鞄のような形状の袋。
 割りと大きいもので、それなりの荷物が入りそうだ。
 そんな彼の様子ににやりとしたハキは答える。

「いいんだ。その子も君にすっかりなついてるし、あの馬小屋から連れ出してくれたのは君だから。君と一緒に、外の世界を見て欲しいんだ。だから、その鞍は私からの餞別だよ」

 改めてハキは、ポニータの首筋を優しく撫でると、自分の額とポニータのそれを重ね合わせた。

「いっといで、ポニータ。…………違うね。いってらっしゃい、ほたる」

 それに答えるかのように、ほたると呼ばれたポニータは頷き返した。
 まるで、いってきますと言っているようだった。
 ハキがポニータから離れていく。

「じゃ、俺達そろそろ行きます」

「うん、またいつか立ち寄ってね。そしたら、今度こそすばる君のお菓子ご馳走してね」

「はいっ!必ずっ!」

 それに元気よく返し、彼らはハキ達に背を向ける。
 新たな仲間と共に、再び旅が始まる。
 が、その時すばるの首からさげられた真新しいモンスターボールが。
 かたかたと音をたてて揺れ始めた。
 かと思えば、そこから白い光と共に飛び出してきたのは。

「ふう」

 エーフィだった。

《すばるひどいっ!ボクだって、ハキさんに挨拶したかったのにっ!》

 小さな怒りで揺れる紫の瞳に、すばるは呆れ気味に答える。

「そう思ってたけど。朝起こしても全然起きなかったのは誰だっつーんだよっ!」

《…………っ!だからって、そのままモンスターボールに戻すのはどうなのさっ!》

「いいじゃねえか。お前、そのまんまの状態だと重いし」

《…………おもっ!?》

 エーフィの眉がぴくりと跳ね上がる。
 一変したエーフィの空気に、咄嗟に身構えたすばる。
 彼らを止めたのはハキだった。

「まあまあ二人とも」

 笑いを堪えるのに必死な様子のハキに、エーフィはばつが悪そうに明後日の方向を向いた。
 だが、その頬が僅か朱に染まっている気がした。
 一方のすばるは、恥ずかしそうに頬のあたりを指でかいていた。
 エーフィのそばまで近づいたハキは、膝を折り曲げ彼女の目線に近づくとにこりと笑った。

「ふうちゃん、すばる君がまた無茶なことしないように、しっかりと手綱握っておいて」

《わかってる。ボクにどーんとまかせてよっ!》

 心なしか胸を張っている気がする。
 そんな彼女達のやり取りを聞き、すばるの目が据わる。
 そのままふいっと背を向けると、すたすたと歩き始める。
 傍らにいたポニータは、困惑した表情ですばるとエーフィを交互にみたあと、意を決したようにすばるの後を慌てて追いかけ始めた。
 それに気付かないエーフィではないが、彼女は慌てることなくハキに挨拶をしていた。

《じゃ、ハキさん。ボクもそろそろ行かなきゃ。本当にお世話になりましたっ!》

 そう言うと、すばるとポニータの背を追いかけるように駆け出した。
 ハキが立ち上がる頃には、助走を付けてすばるの肩に飛び乗るエーフィの姿がみえた。
 またその様子から、彼らの口論が再開されていると予想がつく。
 何だか可笑しくなって、ハキとギャロップは静かに笑った。



   *



 これが、俺達の始まり。
 ほたると出会ったきろく。

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