命の焚火

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作者:jupetto
読了時間目安:12分
私の長編小説Blazerk Monster の後日談です。こんな風に過ごしていてくれればいいな、と思いながら書きました。
 涼香が病院で四葉に別れを告げ、再び旅に出て五年の月日が流れた。
 巡と明季葉の引率は二年ほどで終わり、その過程でヒトモシの、その後ヘルガーの果たすべき復讐を果たした。ポケモンを不当に傷つけた罪人として、そいつらは法の裁きが下された。
 四葉も、その間にこの地方が抱える問題を可能な限り解決するために奔走し──最も重要な仕事、リーグチャンピオンが政治への大きな権力を持つというルールを撤廃した。
 いうまでもないことだが、本来トレーナーは政治に詳しくない。うまくできるはずもないし、自分に都合よくルールを変えてしまうものもいた。このルールがある限り、四葉のこの地方をよくするために生きたいという願いは成就されないからだ。
 それが叶ってようやく四葉はリーグチャンピオンを引退し、自身の功績をもって政治のアドバイザーとしての地位に着いた。
 その四葉が、もう一週間もベッドで寝込んでいる。命に関わるほどの状態ではないが、よくなる兆しが見えない。四葉が体調を崩すのはよくあることだが、ここまで長引くのは珍しい。

「……熱、引かないわね」

 涼香が、四葉の額に手を当てる。熱い。しかし四葉当人はベッドの上で大人しくしているものの、毛布と布団をかぶっているというのにわずかに震えている。寒気がひどいのだろう。

「そんなに心配そうな顔をしないでくれ。……君がいつも傍にいてくれるというだけで、心は穏やかだからさ」
「そりゃ傍にいるけどさ。……仕事だし」

 涼香はSPのような黒いスーツを身に纏っている。そう、涼香がここにいるのはお見舞いではなくあくまで仕事だ。
 旅の中でやるべきことを終えた涼香は、四葉のやりたいことを助けたいと思った。といっても勉強が苦手な涼香は四葉の手伝いは出来ない。
 だから、付き人として身を守ることで彼女の支えになろうとした。四葉は他人の前では王者として、体は弱くとも強い心で接している。それができる頭脳と言葉を持っている。だが、常にそれでは気が詰まるはずだ。涼香の弟の死を自分のせいだと思いつめ、涼香と距離を取ったから四葉は千屠という狂人を、巡という代用品を計画に組み込んでしまったのだから。だから親しい自分が傍にいることで、少しでも負担を減らそうと。

「つれないね。いっそ君が僕の妻になってくれればいいのに。逆でもいいけど」
「何言ってるんだか……まだ具合は良くならないって連絡は入れたから、早く寝なさい」

 やれやれとため息をつく涼香。四葉がこんなことを口に出せる相手も涼香だけだし、言われて気安く返せるのも彼女くらいのものだ。

「冗談じゃないよ。まあ結婚に興味はなかったけど……あの時の明季葉を、見たからね」
「……そうね。幸せそうだったあの子。すごく」

 明季葉は、巡と結婚した。先月二人の結婚式が行われ、涼香も四葉も招待された。巡は、厳密には人間とは違う。それでも彼の素直な心が、明季葉の彼を想う気持ちが、二人を結ばせた。
 いつものエプロンドレスよりも大きく真っ白なウェディングドレスに身を包み、成長して一人の大人になった巡と指輪を交換する明季葉は、世界の誰よりも幸せそうな顔をしていた。自分の罪を果たすために生きると決めた二人でさえ、羨ましいと感じるほどに。

「ねえ涼香。……僕、今回は駄目かもしれないんだ」
「えっ?」

 唐突な弱音、涼香が思わず首を傾げて四葉を見る。四葉はベッドから細い腕を出し、小枝のような人差し指で窓の外を指した。窓のそばに生えた一本の木。季節は冬、たくさんつけられた葉が木枯らしに吹きすさび、半分以上が散った後だ。

「あの木から全ての葉が吹き飛んだら、僕の命も消えてしまうんじゃないか。そんな気がするんだ。根拠はないけれどもね」

 どこかの本で読んだような、そんな世迷い事。普段の涼香ならまた冗談かと。そんな迷信あんたには似合わないと一笑に付しただろう。だがそれを許さないほど、四葉は真剣だった。真剣に、自分にそう訴えていた。

「一週間前からね、あの木を見ていると僕の命もあんな風に吹かれて吹き飛んで、誰の気に留められることもなく散ってしまうんじゃないかって思うんだ。だからね。別に結婚式をしようとかじゃない。今、僕と生涯を共にすると。友人を超えて僕を支えてくれる存在になると。僕が死ぬ前に、誓ってほしいんだ。……ダメかな?」

 熱に浮かされた赤い顔で、四葉が乞う。涼香はベッドの前に膝をついて、四葉の頭を撫でた。旅に出るよりも昔、よくそうしていたように。

「……考えてあげるから、一回本当に寝なさい。起きたら、答えを持ってきてあげる」
「約束だよ? それじゃあ、おやすみ」

 ぐずる子供を宥めるような涼香に四葉は満足したように瞳を閉じる。涼香はそれを確認した後、部屋の中で考え始めた。
 確実に言えるのは、四葉は窓の外の葉っぱが全て散ったら死ぬだなんてこれっぽっちも思っていないことだ。
 四葉に結婚願望があるなんて聞いたことはないし、涼香の事もあくまで友人としての付き合いであって恋人としての行為など求められたこともない。
 その上で、彼女は自分にああ言った。
 ならば、四葉は何を求めているのだろうか。
 
「……まあ、私にできることなんて限られてるんだけどね」

 そして涼香は、自分のポケモンに軽い指示を出した後、四葉が目を覚ますのを待った。













 夢の中。真っ白な空間に立つ一本の木。そこに、一人の少年が大太刀を従え、立っている。

『あはっ、風に吹かれて命が消えちゃうなんて、メルヘンな妄想だよねー』

 彼がこの世を去ってもう五年。巡達にとっても涼香にも理解不能な殺人鬼として焼かれた彼は、四葉の夢の中でだけ千屠として生きている。

「君は、そういう迷信は嫌いかい?」
『嫌いっていうかさー。風に吹かれようと吹かれまいと葉っぱの事を気に留めてる人なんていないじゃん?葉っぱの使い道なんて、限られてるし』

 ひらひらと、木から一枚の葉が揺れ落ちる。それを大太刀が、鋭く縦と横に一閃した。何かで固定せずひらひらと落ちるまま、葉は四つに分かれる。

「……お見事」
『ありがと。四葉姉ちゃんトレーナーやめちゃったみたいだし、今の弱った姉ちゃんならこんな風に四つに、いや千切りにできちゃうかもよ?なあダチー』
『オオンッ』

 名前を呼ばれ、大太刀は応える。

「……大丈夫だよ。僕が弱くなっても……今僕のそばには、涼香がいるから」
『そう思うなら、あんなこと言わなくていいのにー。昔から四葉姉ちゃんは回りくどいなあ』

 あの旅を仕組んだ時のことを言っているのか、千屠が皮肉めいた言い方をする。

「君も昔よりは、婉曲的な言い方をするようになったね」

 四葉が言い返すと、千屠は苦笑した。

『何言ってんの? ここにいるのはあくまで四葉姉ちゃんの想像してる俺に過ぎないのにさ。本当の俺は、もうとっくに死んでるんだから』
「……そうだね、ここは夢の中。あの時君のしたことが僕の罪を赦すためだっていうのも、僕の思い込みに過ぎないのかな?」

 千屠は答えない。ただ、うっすらと瞳に弧を描く。いつもそうだ。夢の中の彼は、この問いにだけは答えてくれない。四葉の意識が、覚醒していく。





「……おはよう、涼香」

 四葉が目を覚ますと、もうとうに日は暮れたようだった。暗がりの向こうに、一本の木が見える。葉の量は見えるほど変わっていないが、徐々に減っているのは間違いないだろう。

「熱、一応測って」

 涼香が体温計を渡す。寝る前の返事は、まだする気がないらしい。大人しく受け取り、体温を測る。やはり38度を超えたまま引かない。空調の整えられた部屋は少し熱いくらいだが、体の寒気と重さは消えていない。

「さあ涼香、返事を聞かせてくれるかな」
「ええ、勿論」

 涼香は窓を開ける。この地方の夜は寒く、冷たい夜風が部屋の中に鋭く吹き込む。ひゅうと頬を叩くような一陣の風に四葉の体が震えた。

「……あんたは一本の木から葉が落ちたなんて理由で死なない。でもきっと、その命は私や巡達より短いんだと思う」

 頷く。それはおそらく、変えようのないこと。チャンピオンになるために、四葉は人には言わないが虚弱な体で相当の無理をしてきた。代償は少なくないはず。最低限やるべきことを果たした自分は、これからさらに衰弱していくのだろう。その兆候はこの引かない高熱に表れ始めている。
 涼香は窓を閉めない。さすがに体に障るよ、と四葉が言おうとした時だった。

 木が、暗い炎に包まれた。ぱちぱちと拍手のような音を立てながら、窓のそばで葉が燃えていく。その熱気は窓から入り込み。頭でもなでるように優しく。四葉を覆った。


「四葉の命は、誰にも気に留められず落ちていったりなんかしない」


 燃える木を見つめ、四葉に背を向けながら涼香は言う。おそらく木の下には、ヘルガーかシャンデラがいるのだろう。

「四葉は、チャンピオンとしてこの地方をよくするために頑張った。巡も明季葉も、奏海だって自分の目標を叶える手伝いをしてくれたあんたにすごく感謝してる。……私だって、そうよ」

 正面を向かないのは、照れくさいからか。それとも、四葉が死んだときの事を考えて少し目頭が熱くなっていたりでもするのだろうか。起き上がって顔を見に行けないのが残念だなあと四葉は思った。

「四葉が死んでも、それは風に吹き散らされたんじゃない。ずっと命を燃やして、この地方を温かく照らして燃え尽きた。……だから、安心して」

 涼香が窓を閉める。温風は入ってこなくなったが、窓の外で燃える立木は讃えるように音を鳴らしているのが聞こえる。

「ふふっ、こういう時は四葉は死なないとか、死なせないとか言ってくれると思ってたんだけどね?」
「そんな薄っぺらな言葉、あんたは信じないでしょ。それこそ迷信よ」

 弱気な態度、子供のような慰めを求める言葉に、涼香は真剣に考えてこの木を燃やすことで四葉の心を温めようとしたのだろう。それが嬉しくて、四葉はいつものからかうような笑みがこぼれた。
 きっと数年もすれば今生の別れは訪れてしまうだろうけど。その時は、涼香が傍にいてくれる。涼香と自分が償いを果たす過程でつながった人たちも、自分の死を想ってくれるはずだ。千屠の事をちゃんと覚えている人がこの世にいなくなるのは寂しいけれど。もし向こうで会えたらそんなのどうだっていいと彼は笑うのだろう。

「さて、果物くらいなら食べられるかしら? 用意するから、ちょっと待ってなさい」

 涼香は用意していた果物かごをもって、四葉の横に椅子を置いて座る。手を伸ばせば触れられる距離で、果実の皮を剥き始めた。

「涼香、どうせならウサギの形がいいな」
「明季葉じゃないし、そこまで出来ないわよ……」
「涼香、テレビは何か面白いのはやってないかな?」
「最近はオリンピックの事しかやってないわね」
「ふふ、そうかい。じゃあ涼香、何の話をしようか?」
「……えらく名前を呼ぶわね。はい、食べて」

 涼香が小皿に綺麗に切られた果物を置く。四葉はゆっくりと体を起こして、一口小さく齧った。少し酸味が強いけど、甘くて優しい味がした。
 四葉は誰かに恋をしたことがない。涼香にも、友人である以上の感情を持ったことはない。だけどその彼女が今こうして四葉を憎むこともなく。四葉も彼女を嗤ったり本心を隠すことなく、むしろ誰よりも素で語らえることが。自分の命が尽きるまで彼女が傍にいてくれることが。涼香が、自分の気持ちを汲んでくれることが。

「……幸せだなあ」
「……そうね」

 涼香も、いつもより穏やかに微笑んでいた。自分と考えていることは違うかもしれないけど、幸せを感じて自分のそばにいてくれていると四葉は思う。
 なんてないことを話して、眠って、体が落ち着いたらまたこの地方のために命を燃やそう。燃え尽きるまでは、涼香が火を灯してくれるのだから。 

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