仮面の奇術師

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「私は、何者ですか?」
 かつて、こんなことを訊いたことがあった。まだ旅をする前だったか、旅を終えた後だったかは覚えていない。
 記憶喪失になったわけではない。にもかかわらず、自分が何者なのか解らなくなった。
 “彼”には演者としての才能があった。どんな役でも、与えられた役は完璧にこなした。主役の時にはその存在感で見る者を圧倒し、脇役の時には時に大胆な動きを見せることもありながら、逆に脇役にふさわしい慎まやかな立ち回りで主役をサポートする。“彼”が演じるのは人間だけではない。時にはポケモンを演じ、時には生き物ではないものを演じた。路傍に佇む木を演じた時には、そこに“彼”がいるのかどうかわからなくなるほどに存在感を薄めてしまう。“彼”が何かを演じている時、そこに“彼”は存在しない。ただ、筋書きに書かれた登場人物が、そっくりそのまま存在するのだった。
 だからこそ、“彼”は解らなくなった。
 自分とは、どういう存在なのか。
 自分は今、何を思っているのか。



「君に、君の感情を教えよう」



 それを、“彼”の師匠は教えてくれようとした。



「ついてきたまえ」



 “彼”は魔法使いになりたいと願っていた。
 それが現実にはならないことを教えてくれたのも師匠だった。
 代わりに、師匠は師匠なりの“魔法”を教えてくれた。
 奇術という名の、見る人を笑顔にする魔法を。

 そして、“彼”が10歳になったばかりの頃。共にサート地方にやってきた師匠が、忽然と姿を消した。

 師匠がいなくとも、“彼”は自分一人で旅を完遂した。全ての島を巡り、早々にジムバッジを手に入れ、あらかじめ定められていた滞在期間の残りを使って師匠を探した。しかし、結局師匠の消息はつかめなかった。





 それから時は流れ。弟子と共にこの地方を訪れた“彼”は、探し続けたひとに巡り合った。
 10年の月日を経て再会した師匠は、変わり果てた姿をしていた。最早、人ですらない。
 その師匠とも別れた日の夜だった。










 目を疑った。師匠が、記憶にある姿のままでそこにいたのだから。











「今更戻ってきてどうしたんですか」
「つれないなぁ。折角戻ってきたというのに」

 ついついきつく当たってしまうのは、共に旅をしていた時からの悪癖だった。憎まれ口を叩きつつも、“彼”は仮面を外して笑顔を見せた。
 困ったような柔和な笑みも。ちょっとしたしぐさも。変わらない。あの時のままだった。

「弟子の成長を確かめに来たのさ。よくぞここまで成長してくれた」

 師匠は“彼”の帽子を取って、頭を撫でた。“彼”にとっては久しぶりのことだった。くすぐったくもあり、もう子供ではないという気持ちもあって。

「師匠、今だからこそ、訊きたいことがあります」

 “彼”は真っ直ぐに、師匠に向き合って尋ねた。

「私は、何者ですか?」

 期待の眼差しで、師匠の空色の双眸を見つめて。

「君は――」

 被っていた帽子の鍔で目元を隠しながら、師匠は口を開いた。



 そして。



 師匠は言った。





「何物でもない」





 唖然とした。返ってきた答えに。師匠の表情に。
 それまでの優しい笑みは消え、唇は不気味に吊り上がり。
 まるで、“彼”の持つ仮面のように。

「君が“何か”になれると、いつからそう錯覚していた?」

 師匠の顔が、体が、徐々にドロドロと溶けていく。
 その身体が元の半分程度まで縮んでも、溶ける勢いは止まらない。むしろ、はじめより加速している。

 そして。

「君は、何者にもなれないまま、生き地獄を味わい続けるのさ……!」

 断末魔のような声と共に、師匠の姿も、着ていた服も、目の前から消えて。










「嘘吐き」










 目の前が、真っ暗になった。










 目を開ける。何も見えない――訳ではない。だが、まだ暗い。懐中時計を取り出して、星明りにかざしてみた。時刻はまだ2時を回ったところだった。起きて動き出すにはまだ早すぎる。が、もう一度眠ろうにも、酷く目が冴えていた。
 廃墟の影で手早く服を着替え、すぐ傍の石畳で寝袋に包まった弟子の寝顔を確認して、音もたてずにその場を離れた。

「全く、あのひとは……」

 人工の明かりがないこの島では、夏でも星がよく見えた。
 自然と溜息が漏れる。
 最後まで本当の答えを明かしてくれなかった師匠に。
 あんな質問を、今更投げかけてしまった自分に。
 自分が何者なのか。今なら、尋ねずとも分かるというのに。

「今度は、本当の姿を見せてくださいね。師匠――」



「その時は、私も――」



「私も、ちゃんと本当の自分で向き合いたい――」





 空を見上げて一人呟く“彼”は知らない。
 “彼”の声に呼応するように、“彼”の影がゆらゆらと揺れたことを。



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