第22話 空中戦・後編

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 耳元で、風を切る音が聞こえる。眼下に広がる街並みに、脚ががくがくと震えた。
 正直言って、めちゃくちゃ怖い。だが、これは今この状況下では私にしかできないことだ。唇を強く噛み締め、曲がりかける足を無理矢理に立たせる。

「ソルティ。私の事は良いから、あの男を逃がさないでね」
「……バヴッ!」

 少しだけ間をおいて、それでもソルトアイスは返事をした。ソルトアイスは私の指示に従って、その場から飛び去ろうとするマントの男を全力で追いかける。ソルトアイスのそれは僅かなためらいを感じる返事だった。それを感じ取った私は、焼けつくような焦りの感情を高める。
 私の方が危険だと判断すれば、ソルティはきっと私の指示に背いてでも追跡を止めるだろう。その確信が、今の沈黙からは感じられる。ソルトアイスは私の事が心配で止めるのだろうけど、それは駄目だ。

 私はあの男を決して許さない。一度ならず二度までも、仲間を傷付け、トレーナーとしても誇りを踏みにじるに等しい言葉を放ったあの男を、許してはいけない。

 早く、早く決着をつけねばならない。私に取れる選択肢は限りなく少ない。ソルトアイスが追っている男を一瞬だけ肩越しに振り返った。余裕の表情で、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。私はきっとあの男の掌の上で踊っているのだろう。
 それでも、そうだとしてもだ。私は私自身の為にも、このゼニガメのためにも、最良だと思える選択肢を選ばなくてはいけないのだ。

 例え用意された選択肢全てが、最悪のシナリオへと続いていたとしても。

 視線をゼニガメへと集中する。目の前にいるゼニガメは、ギラギラとした目で私を睨んでいる。ソルトアイスの背中に散らされた水が、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。私達の間を吹き抜ける風は冷たく、全身を差すような寒さだ。

「ゼニ……!」

 ゼニガメは水鉄砲を打つそぶりを一切見せず、ただただ私を見つめる。水鉄砲はもう打って来ないのだろうか。いや、もう打てないのだろう。あれだけ打ったのだから、水鉄砲に使える体内の水が切れてしまったのだと思う。ゼニガメと私は、真正面から睨みあう。水鉄砲が使えなく、今のこの状況下で使ってくる可能性が最も高い技はただ一つ。
 轟々と燃えるゼニガメの瞳の炎。負けじと睨み返す私。意を決したかのように、ゼニガメが雄叫びを上げて動いた。

「ゼニィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!」

 ゼニガメの足が、濡れたソルトアイスの背中を駆けだす。水に慣れたゼニガメの足は滑りにくい。私達の距離はすぐさま縮まっていき、渾身と力の籠った体当たりが私の腹にヒットした。

「ぐっ……ぅ……ッ!」

 全身全霊を持って私は受け止めた。これを無事に受け止め切れれば私の勝ち。もしも足を滑らせたり、押し負ければ、そのときは――――
 
「プテラ。急反転して鋼の翼」

 私の耳に、最悪のタイミングで男の声が聞こえた。

 焦るソルトアイスの鳴き声に、傾く足場。空中に放り出された体は、一瞬の浮遊感と共に落下を開始した。

「うわあああああああああああああッ!?」
「ゼッ!?」

 プテラの攻撃は紙一重で避けきったソルトアイスであったが急激な体勢変化についていけず、私とゼニガメは放り出されてしまった。重なる悲鳴に、上下逆転する世界。ソルトアイスは即座に私を助けようとするが、男は哄笑を上げながらソルトアイスの行く手を阻んだ。

「グルルルッ!」

 殺気に満ちたソルトアイスの威嚇にもひるまない、男の楽しそうな声が風に混じって聞こえてくる。

「ハッハハハハハ! 絶体絶命だなぁカイリュー。早くしないと潰れトマトは確実だぞ?」

 その言葉に、脳裏に浮かんだ数分後の自分の姿。頭から地上に激突し、惨めに死んだ私の姿が――――
 恐ろしすぎる想像に頭を振り、ぎゅっとゼニガメを抱きしめる。確かな感触に、舌をもつれさせそうになりながら囁いた。

「大丈夫だよ。大丈夫。絶対大丈夫だから」

 その根拠のない言葉は、私自身に言い聞かせるに近い言葉だった。〝絶対大丈夫〟など、どの口がほざくのだろう。飛べるポケモンである二匹は、それぞれ瀕死に交戦中で状況は絶望的だ。ぐんぐんと速さを増す私達と頭上ではこれ以上なく楽しそうな男の声と、焦りと怒りの入り混じったソルトアイスの鳴き声。

 ズキン、と頭の何処かが疼いた。

「ア゛、アァ」

 ズキン、ズキン

「あ、ア゛、ア……ッ!」

 痛い、痛い、頭が割れそうになる。

「ああ、あ、ァ、ア、ア゛」

 響く響く、男女の声にソルトアイスの鳴き声。聞き覚えのあるようなないようなその声が、ノイズのように切れ切れに聞こえる。

「アッハハハハハハハハハァッ!」
「バヴ――退け――ヴ――そこを――ヴヴヴヴヴヴ――さもなくヴヴ――消――ヴ」

 ガツンガツンと、誰かが無理矢理に脳内に割り込んでくる感覚。脳内を土足で踏み荒らされるような不快感に喉元に熱いものが込み上げてくる。

「ア゛あぁア゛アあア゛あぁァ゛ァァ゛ッ!!」

 体中を引き裂いてしまうかと思われるほどの、絶叫が喉を引き裂いた。自分の声とは思えない苦鳴に満ち満ちた叫び。ちかちかと目の前に明滅する光が収束し、視界を真っ白に染め上げた。何も見えない、何も感じない。その中で一瞬だけ、誰かの姿が映し出された。
 
 深い青と水色の、二色の長い長いローブ。顔を隠すフードを落とし振り返った少年は、長い前髪の合間から私を見つめていた。



『僕が必ず、君を助けるよ』



「あ……ッ!」

 少年の声がすると同時に、パチンと光が弾け飛んだ。腰元のモンスターボールから一条の光が走る。その赤い光は空中でみるみる姿を変えると、ゼニガメを抱えた私をがっしりと抱きしめた。その姿は私の見覚えのある姿とは違っていて、私は驚きのあまり声も出なかった。

「カメェェェェェェェェェェェックス!!」

 大きな巨体のカメックスが、私達を抱きかかえていた。

「メロン……パン……?」
「カメッ!」

 メロンパン? なカメックスは、ジャキンと砲台を構えると、勢いよく水流を発射した。凄まじいまでの密度で地上に向けて放たれる水流は、その反動で私達を反対方向へと猛スピードで向かわせる。その向かう先は、交戦中の空中。
巨体が狙い違わず、プテラの腹に激突した。

「プデガッ!?」

 苦鳴を上げてよろめくプテラに、キラリとソルトアイスの目が光る。隙を逃さず、ソルトアイスが私達を空中から掻っ攫った。

「ソルティ!」
「バ……ヴヴヴヴヴ!?」
 
 喜びの声を上げる私に応えようとするが、ソルトアイスの高度は急激に下がった。今のメロンパンの重さは流石のソルトアイスでも無理があったようだ。メロンパンが即座に私に視線を向けたので、私はすぐにメロンパンをモンスターボールに収めた。

「いまのは……少し驚いた」

 男の声に、私はソルトアイスに掴まれた状態で睨む。体勢を立て直し終えたプテラの上では、男がバックを片手に静か私を見据えていた。その手に持たれたバックは、明らかに私の物だ。

「わ、私のバックが!」
「……」

 男は私のバックから取り出したらしいバッジケースを、無言で左手に持って見せた。そのままバックを私の方へ投げる。慌ててソルトアイスを向かわせて空中でバックをキャッチしたが、大切なバッジケースは未だ男の手の内だ。

「返してよ!」

 バックとゼニガメを抱きしめたまま怒鳴ると、男はニヤリと笑った。その後に、訳のわからない言葉を吐く。

「俺が憎いか?」
「当たり前じゃないか!」

 男は笑みを深くした。そして、あろうことかバッジケースを空中へと投げ出した。

「なッ!」

 私はソルトアイスと一緒にバッジケースへと向かおうとする。だがその前に、男の笑みが顔一杯に広がったのが見えた。その口からプテラに向けて、私達が止めるよりも早く、命令が放たれる。

「プテラ、噛み砕け」

 全てがスローモーションのように感じた。空中に放り出されたバッジケースに向かって、大口を開けるプテラ。必死に速度を上げるカイリュー。「止めろ」と叫びかけの私。
 何処までも愉しそうな、男の顔。


 バキン、バキバキ、ゴックン


 プテラがバッジケースを噛み砕いた。目の前でバラバラに砕けていくケースと、呑み込まれていくバッジに、私の顔から血の気が引いて行く。真っ白になった頭に、今までのジムリーダー達の姿がよぎっていった。

『お前が勝ったら望み通りグレーバッジをくれてやろう』

『負けんじゃねぇぞ!』

『相手してやろう、挑戦者』

『ひとつ、ふっきれたようですね。これで私も安心して戦えます』

『俺の目が曇ってるって言いたいのか?』

『ジム戦は出来ないが、それでも君にそのバッジを受け取って欲しい』

 バッジが。私達の大切な、大切なバッジが。

「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 憎しみと、怒りと、悲しみと、悔しさと、様々な感情がごちゃまぜに押し寄せてくる。その感情のまま、私は咆哮した。目からかは次々と涙が勝手に零れて、嗚咽と罵倒が口から飛び出す。心に汚泥のようなどす黒い感情が渦巻き、私は生まれて初めて誰かを絞め殺してやりたいと思った。

「あぁ、その目だ。憎いか、俺が憎いか小娘! 憎いなら追ってみせろ、俺を倒してみせろ! 貴様には永遠に不可能だろうがなぁ!」

 私はソルトアイスに指示を出した。ひたすらに、めちゃくちゃに、ただ攻撃の指示を喚く。

 ソルトアイスは私の指示に無反応だった。

 男がプテラに乗って飛び去っていく。私も後を追うようにソルトアイスに悲鳴のように繰り返し叫ぶ。

 ソルトアイスは私の指示に無反応だった。

 私は泣き、喚き、ソルトアイスに何度も指示を繰り返した。

 ソルトアイスは、私の指示に無反応だった。


 ――――男の後ろ姿が小さくなり、その姿が消えるまで、ずっと無反応だった。




 To be continue……?




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