同じ歌をうたえる

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 砂漠についた足跡に手を振り、別れを告げる。乾いた砂の丘もしばらく見ることはないだろう。
 ジャン達の話によると、森を横断する旅人の為の、わずかばかり整備された道があるらしい。しばらく歩き、それを見つけて足を踏み入れると、いよいよ別の世界に足を踏み入れたような感じがした。乾いた砂の大地に植物が増えていき、背丈も高くなっていく。
 自前の荷物のないスターが背負ったのは、メンバー共用の道具が入った鞄二つだった。野営をするための道具や、旅に必要な保存食がたくさん入っている。自分はそこまで苦にする重量ではないが、これを持ちながら繊細な楽器を運ぶのはさぞかし骨が折れたことだろう、と彼らのこれまでの旅路を思う。ジャンもヌーシュも、手荷物は自分の楽器のみで、身体が羽のように軽い、と話していた。ロマは楽器の代わりに、小さな鞄を下げていた。
 太陽が南を通り過ぎ、空が白んで来ると、夜を過ごす場所を探した。この辺りはまだ砂漠も近く、水場を探そうにも泥混じりの水たまりがある程度だった。水分補給はまだ無理そうね、とロマは言った。砂漠を越えるにあたって、ロマはヒヤッキーの体内に限界まで水分をため込んでいた。水のない場所を行くときは、ロマの蓄えた水が頼みの綱だということだ。節約を重ねた甲斐あって、今のところ当初の見込みより順調らしく、残りの水はあと4割というところだった。この水が尽きる前に、乾燥地帯を抜ける必要がある。砂漠を生き抜くフライゴンの体では、あまり水分不足の問題に当たることはない。スターにとって彼らの悩みは思いもよらず、新鮮だった。そしてメンバーの増加は、彼らの旅路の重荷にはなりにくそうだと分かり、内心ほっとした。
 場所を決め、草木を集めてヌーシュが火をつける。ロマの尻尾から水を出し、そこにヤナッキーの頭の植物を乾燥させたものを入れて煮出す。出来上がったお茶が、全員の手に渡る。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 スターはロマからヤナッキー茶を受け取る。それを飲んでみると、頭が冴えるような爽快な気分になった。苦みの中に、ほのかな甘みが感じられる。
「おいしいですね」
「でしょ。ヤナッキーの頭の葉っぱってすごく苦いんだけど、日に干したり蒸気に当てたり煎ったりするとこんな味になるの。のどにも良いのよ」
 そう言って、ロマは自分のお茶を少し飲んだ。
「それにしても、スターの羽を楽器にするって言っても、上手く行くのかしら」
 ロマは首を傾げた。
「いい音なんですけどねぇ」
 と、頷くヌーシュ。
「スター、一度ちょっと羽ばたいてみてくれ」
 ジャンに言われるままに、羽を動かす。高速の振動によって、高い音がなる。だが、これをどのようにすれば、彼らの演奏の一部になれるのか、想像がつかない。
「楽器にするには、まず音程をつけられるようにならないとねぇ」
「それって、音の高さを変えるって事ですかね」
 スターは尋ねる。
「そうだ。それを自在に扱えるようになれば、きっと良い楽器になると思う」
「なるほど。ちょっとやってみますね」
 スターは羽ばたく強さや、羽の振り幅を変えて試してみる。だが、羽ばたく強さを落とすと音が消えてしまい、大きく羽ばたきすぎると今度は風が巻き起こってしまう。緻密な調整が必要だ、と感じた。まだまだ楽器には、ほど遠い。
「うーん」
 四人は悩んだ。この羽を演奏に取り入れようと言い出したジャンですら、肝心の方法はまだ出ないらしい。ひとしきり唸ったあと、ジャンは膝を叩いた。
「まぁ、それは追々考えるとしよう。今日の練習だ。スターは聞いていてくれ。耳を鍛えるのも大事だからな」
 スターは頷いた。楽器をそれぞれ取り出し、二曲だけ演奏する。彼らの演奏をもう一度間近で見て、スターは複雑な思いを抱いた。三匹で演奏する姿は輝いていて、それを見ていられる自分はなんて幸せなのだろうと思った。だが、彼らの演奏は非常に緻密な技術の積み重ねの上に成り立つものである、ということも、徐々に見せつけられつつあった。
 きっとこの人たちは、たくさん、たくさん練習したんだろうな。
 自分はいつか、この輪の中に入らなくてはならない。果たして、自分にそれができるのだろうかと、ほんの少しだけ不安になった。
「……ふぅ」
 演奏が終わった。三人とも力を出し尽くしたようで、ジャンに至ってはそのまま体を地面に放り投げて倒れてしまった。
「やっぱり、すごい演奏ですよ。感動しました」
「ありがとう」
 手を挙げてジャンは応じる。
「しかしやはり、慣れない環境での演奏は疲れるな」
「確かに。砂漠のど真ん中ほどじゃないですけどね」
 ヌーシュは笑いながら、自身のギターをケースにしまった。
「あの、みなさんはいつから楽器をされてるんですか」
 スターはふと気になって、聞いてみた。すると三人は恥ずかしがるような、それでいて柔和な表情を浮かべた。まるで、それぞれの思い出に浸るかのようだった。答えてくれたのはヌーシュだった。
「ちっちゃい頃からずっとだねぇ。おじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの代からずっとギターを弾いててさ、僕も教えてもらった。ジャンさんもロマさんも同じでしたよね、確か」
 ヌーシュはジャンとロマの方を見る。ロマは頷く。
「私の歌い方も、お母さんから教えてもらったものだし。森に住んでるポケモン達、みんな何かしら音楽をやってるわね。私たちの種族は特にそう。森から出たら、よそじゃこんなに音楽やってないって知ってびっくりしちゃったくらい」
「へえ、そうなんですね」
 彼らが住んでいたのは、音楽が盛んな地域だったということなのだろうか。彼らの故郷に思いを馳せ、砂漠の外にはまだまだ未知の景色が広がっていることを知らされる。
「ヌーシュさんの持っている楽器、ギター……でしたっけ。僕、大昔に見たことがあると思うんです」
「何だって?」
 ジャンが起き上がり、スターの話に興味を持った。
「僕もまだ小さかったころのことなんですけど、とっても仲良くしてくれた人がいたんです。その人、とっても音楽が好きで、ギターを持って僕に弾いて聞かせてくれたことがありました。だから、ヌーシュさんが持ってるのを見て、すごく懐かしくなったんです。できることなら、あの人にもう一度会ってみたいと思うんですけどね」
 空を見上げると、一面に星が光っていた。砂地獄の中心から見上げた彼の顔と、彼の好きだった歌を思い出す。
「へぇ、僕たち以外にも砂漠を渡る演奏家っているんだねぇ」
 ヌーシュは笑う。
「聞いてる時に体がいい調子で揺れてたから、ひょっとしたら音楽聴くのは初めてじゃないのかなー、って思ってたわ」
「えっ、揺れてました?」
「うん、揺れてた揺れてた。結構リズム感ありそうな感じ」
 自分では全然気付かなかった。指摘されると、少し恥ずかしい。
「どんな歌を歌っていたか、覚えているか」
 ジャンが言う。記憶を辿り、その旋律を再現してみる。歌詞まではさすがに覚えておらず、鼻歌で印象に残っている部分だけを歌ってみる。
「えっ、この歌……」
 ロマの自然に漏れ出た呟きに、思わず歌うことを止めてしまった。三人の表情を見ると、なぜか驚きに満ちたものになっていた。信じられない、と言わんばかりの顔だった。
「ちょっと待ってくれ、その続きって、こうじゃなかったか」
 ジャンが同じように鼻歌を歌う。スターは驚きを隠せなかった。その旋律は、確かに自分が今歌おうとしていたそれと、全く同じだった。
「そうです。その歌ですよ。でもどうしてジャンさんがこの歌を?」
 スターが尋ねると、ジャンは口元を歪ませた。そして、手を顔に当て、額を覆った。
「その歌は、俺たちの遙か昔のご先祖様から伝わる子守歌だ。親が子を寝かしつけるときにだけ歌い、それ以外の時は一切口外しない、そういう歌なんだ。外に漏れて誰かが演奏しているなんてことは考えられないんだが」
 そう言うと、ジャンは押し黙った。それきり、四人の間には深い混乱に落ちていくような空気が流れた。三人とも何かを言おうと言葉を探したが、うまく繋がらない。それはスターも同じだった。思いがけない繋がりに驚きこそすれ、喜ぶことの一切ない三人の姿には、戸惑うほかなかった。
 長い沈黙の後、口を開いたのはヌーシュだった。
「スター、君が出会ったっていう旅人ってさ、どんな姿だった?」
「ええと」
 ナックラーの頃の記憶を引っ張り出し、旅人の姿を声に出して説明する。
「全体的にはみなさんと同じような体をしているんですけど、もう少し大きくて、ひらひらとしたものを全身に纏っていたような気がします」
 スターが彼の容姿を説明したその瞬間、三人の表情に光が差したような気がした。彼らを悩ませる疑問に、一つの答えが出たようだ。その確信について、ヌーシュは説明した。
「それ、たぶん人間っていう種族だと思う。僕らのご先祖様はその人たちから音楽を教わったんだ。子守歌は人間の間で一時期流行っていた歌だって聞いたよ。それを知っているってことは、君は僕らとは比べものにならないくらい長生きしてるってことだ。おじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの時代から」
 確かに、長い時間を一人で過ごして来たという自覚はあった。それは他の誰かから見ても、本当のことだったのだ。彼らの感覚からすれば更に長い、気の遠くなるような時の流れを生きてきたことになる。
「それとね」
 ヌーシュは少しためらった後、口を開いた。
「人間はもうこの星にはいないって言われてるんだ。僕たちも長いこと旅を続けてきたけれど、一人も会ったことがない。ただ世界のあちこちに、彼らが暮らしていた証拠が残っているだけなんだよ」
 思い当たる節はあった。かつては、旅人と同じ姿をした種族の往来はあったのだ。進化して砂漠を広く眺めるようになって、確かに布を纏った生き物の姿は何度も見かけた。だが、その姿を見ることはいつの間にかなくなっていた。気が付けば、自分が追いかけていたのはポケモンばかりになっていたように思う。
 あわよくば、この旅路のどこかであの旅人に会うことができたら、という期待があった。だがそれは、脇に置いておけるほど小さな願いではなかった。願いが叶わないと知った瞬間、スターの心がどれほど再会を望んでいたのか、自覚してしまった。あの人にもう一度会いたい。そんな気持ちにもっと早く気付いていれば。最後の別れの時に、やっぱりついていきたいという気持ちを旅人に見せていれば。
 スターは最早、目を背けることができなかった。砂漠を離れる勇気を出すには、あまりにも遅かったと言うことに。

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