瞳に宿る星、翼に宿る音

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 自分がナックラーだった頃のことだった。
 砂地獄を作り、その中に落ちた虫や小動物を食べながら暮らす。そんな日々に何も疑問を持つことなく、ただ時間が過ぎていった。自分が何者なのか、自分が何をしたいかなんて考えたこともなかった。ただ食事を取るために餌がやってくるのを待つ。待ち続ける。世界には、ただひたすら広がる砂や岩、それか食べられるもの、それしかないものだと本気で思っていた。
 ある時、砂地獄に何かが転がってくるのを察知した。餌だと思い、中央まで滑り落ちてくるのを待った。今だ、と大きな口を開け、力強い顎で噛み砕こうとした。だが、想像と違う感触に戸惑った。何だこれは、と一瞬慌てた。ナックラーの牙が捕らえたものは、今までに感じたことのない堅さのものだった。岩のようでもあるが、それにしては表面が滑らかで平らだ。みしみし、と音を立て、いくらか牙は食い込んだが、これはどうにも食べられそうにない。
「あらら、参ったな」
 聞き慣れない声に、またしても驚きを隠せなかった。
「俺のラジオが食われてしまった」
 細長い手足を持ち、ひらひらとしたものを身にまとった不思議な生き物。こんなものは、今まで生きてきた中で見たことがない。
「こんなものを食おうとするなんて、お前さんも物好きだなあ」
 陽気な声で、自分に話しかけてくる。何なのだ、こいつは。しゃがみ込んで、こちらを見つめている。危害を加えるつもりなのか。とりあえず逃げなければ、と思い、砂地獄の中に姿を隠そうと身体を砂の中に潜り込ませようとした。だが、牙に刺さったラジオという金属の箱のせいで、完全に隠れることができない。慌ててもがいたが、どれだけ手足を動かしても殆どどうにもならなかった。
「待て待て。落ち着きなよ。今取ってやるから」
 ラジオの持ち主は、暴れるナックラーを宥めようとした。その声が、妙に深い響きを持ったものだったので、何だかすぐに穏やかな気分になったのを覚えている。それが不思議で、彼に俄然興味が湧いたのだった。
「よいしょっ、と」
 彼は踏ん張って、刺さったラジオをナックラーの身体から引き離した。勢い余って彼は後ろに倒れ、自分も地上に引っ張り出された。彼はすぐに起き上がり、金属の箱を触り始めた。しばらくすると、不思議な音が流れ始めた。規則的に響く打撃音と、一体どうやって鳴らしているのか見当もつかない音の数々が、一つのまとまりになってその箱からあふれ出した。
「よし、中は無事みたいだな」
 ナックラーは砂の中に戻らず、彼の方に近づいた。彼は振り返ると、そんなナックラーの様子に気付く。光る瞳の奥に宿る感情を察知したのか、彼は語り始めた。
「興味があるのか。これはラジオって言ってな、この世界中にあふれている音楽をキャッチする機械なんだ。面白いだろう。この砂漠の近くの街で流してる音楽は非常にセンスが良くてね。この辺りに来たときはずっと聞いてるんだ」
 彼の話も、ラジオで流れている音楽も、ナックラーにとっては新鮮そのものだった。
「こんな砂嵐の中で使ったら壊れるぞってよく怒られるんだけど、それでも聞きたいものは聞きたいんだよ。電波が届く限り」
 そう言って彼は笑った。何の話かはよく分からないけれど、彼の語る言葉が楽しそうだったので、ナックラーも楽しい気持ちになった。彼は自分のことをいくらか話してくれた。音楽に出会う旅をしており、背中のギターで曲を奏でながら世界を渡り歩いていること。奏でた曲は何故か彼らの仲間より野生のポケモン達に人気があり、時々教えを請われることもあるということ。おかげで自然の中ではポケモンの力を大いに借りながら過ごしていること。
「いつか俺の作った曲を形にして、世界中の人に届けられたらいいなって思うんだ」
 夢を語った彼の瞳は、青空よりも更に遠くを見つめていた。そしてすかさず、
「そのためには、もっと人間相手に人気が出て、売れないといけないんだけどね」
 と、おどけた。
「お前は、ずっとここで暮らしているのかい。名前はあるのか」
 旅人はナックラーに尋ねた。ナックラーは首を傾げる。ここで暮らしてはいるのだが、名前は特にない。
「じゃあ、スターって呼ばせてもらおう。目の中に星があるみたいで、かっこいいからな」

 旅人はその後数日間、スターのところに現れては話を聞かせてきた。時折、自前のギターを弾きながら歌ってくれたりもした。またある時は、ラジオを使って世界のどこかで演奏されている音楽を聴かせてくれた。旅人は話に盛り上がりすぎるとすぐに、世界は音楽で繋がっているんだぜ、と言い始める。きっと彼は、根っからの音楽好きなのであろう。格好付けて空回りしたような台詞回しに、そんなまさか、と思ったけれど、彼の話を聞いていると本当のような気がしてきた。スターはすっかり、彼と音楽の魅力にとりつかれていた。音楽はポケモンと人間の壁すら取り除いてしまうみたいだな、と、彼はとても嬉しそうにしていた。
 そんなわくわくするような日々も、やがて終わりを告げる。
「俺もそろそろ、新しい拠点を探しに行こうと思っているんだ」
 その一言が、別れの挨拶の始まりだった。彼は世界中を旅する旅人だ。一所にはずっと留まることはできない。それに、彼には夢がある。ただの砂漠の一ポケモンにずっと構っていられる訳はないのだということは分かっていた。
「そんな悲しい顔はするなって。またどこかで、会えるかもしれないよ」
 旅人はスターの頭を撫でた。そして、表面に小さな穴の空いたラジオを、スターの前に置く。
「これはお前にやるよ。お前、進化するとフライゴンっていう翼を持った大きなドラゴンみたいな姿になるんだってさ。大きくなったら、きっとその翼でどこへだって行けるぞ。他の場所へ行けば、ラジオだってこことは違う音楽を拾ってきてくれる。これはお前が大きくなるためのお守りだ。じゃあな、スター。元気でな」
 スターは彼を引き留めなかった。彼の旅の無事と成功を祈り、見送った。
 しばらくの間、数日間の思い出に浸るように、スターはラジオを流した。彼のように上手く操作はできなかったが、手探りでチューニングを行う。音楽が流れると、スターは旅人と過ごした日々の頃に戻り、心を躍らせた。
 だがそれも、ラジオが壊れるまでのことだった。小さな穴から入り込んだ砂が詰まってしまったのが原因だったが、スターには分かりようがなかった。ぱたりと動かなくなったきり、直す術を持たないスターは、二度と音楽を聴くことができなくなった。進化して、翼を得たとしても、もうどこに飛び出せばいいのか分からなくなってしまった。
 スターの砂漠は、再び静寂に包まれた。





 目の前に広がる演奏を見ているうちに、スターはいつの間にか涙を流していた。目を覆う赤いカバーから、涙がこぼれ落ちそうだった。
 そうだ。僕はこの情熱を知ってしまったんだ。ふと砂漠を渡る誰かを見つけたとき、溢れ出る恋しさ。話してみたいという衝動。僕が本当に出会いたいのは、あの時出会った音楽と、それを教えてくれた名前も知らない旅人。
 演奏が終わっても、涙が止まらなかった。止めどなく溢れる涙が止まるまで、ポケモンの旅人たちは待ってくれた。
「ごめんなさい、急に泣いてしまって」
 スターはジャン達に謝った。
「いいのいいの。改めて、ボーカルのロマ。パーカッションのジャンさん。そしてギターのヌーシュだよ。君の名前は?」
「スターって言います」
「スターさん。よろしくね」
 バオッキーのヌーシュが、にっこりと微笑んだ。ヒヤッキーのロマも同じような微笑みを見せる。ジャンだけは、何か考え事をしているような浮かない表情で、歓迎してくれているのかどうかがよく分からない。演奏前に見せた柔らかい表情と、どっちが本当の彼なのだろうか。スターはとりあえず、聞かせてくれてありがとうございます、と、頭を下げた。
「ところで、みなさんはどこへ行くつもりなんですか」
 楽器を片づけ終わったあと、スターは尋ねた。それに対し、ジャンが答える。
「遙か東の海辺に、遺跡がある。俺たちが目指しているのはそこだ。それはこの砂漠を越えて、山を越え、更に森を抜けた先にある」
「砂漠を避けようと思ったけど、結局突き抜けて行った方が早いのよね。確か」
 ロマが頬に手を当て、三人の話を反芻する。
「そうそう。東にまっすぐ。ルートさえちゃんと取れば、砂漠を抜けるのに二日もかからないくらいだって話だし」
「今のところは順調で、余裕もある。あの大きな岩が見えたら、残りの距離は半分もないくらいだ」
「それで一曲演奏しようって言い出したのよね、ジャン」
 ロマの一言で、ジャンの動きが止まった。その瞬間、少し彼の姿が小さくなったような気がした。
「楽器に砂入ったらどうするの、って言っても聞かないし、場所くらい選んでくれてもいいのに。口の中が砂だらけにならないようにするの大変だったんだから」
「はいはい、そこまで! スターさんも見てるんだし。ごめんね、こっちの話でさ、あはは」
 ヌーシュは取り繕うように笑った。
 ジャンさんは音楽好きだけど時々周りが見えなくなっちゃうんだ。その後いつもロマさんに怒られるんだけどね。とこっそり耳打ちした。ロマにくどくどと言われて、ジャンは居心地が悪そうにしている。悪かったよ、と言いながら、ジャンは頭をかいた。不器用なジャンの暴走をロマが諫め、ヌーシュは二人を宥める役どころなのだろう。三人とも仲が良いんだな、とスターは温かい気持ちを抱いた。
 そのときふと、誰かに背中を押されたような気がした。この背中の翼があればどこへだって行けるのだと、旅人が言った言葉を思い出す。そして直感した。ここではないどこかへ飛び立つチャンスが、今目の前に転がり込んできたかもしれないと言うことを。
「あの、もし良かったら」
 ぎゅっと拳を握りしめ、大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
「みなさんの旅に、僕も一緒に連れて行って欲しいんです。力はたぶんあると思うので、荷物も持ちます。砂漠の果てまでだったら、乗せて飛びます」
 どうかよろしくお願いします、と頭を下げた。
 三人はすぐには返事ができなかった。いきなりのことで、戸惑ったのだろう。しばらくすると、ジャンが口を開く。
「とりあえず、砂漠の果てまで乗せてくれるのは有り難い」
 スターは顔を上げた。ありがとうございます、と最大限の喜びと感謝を叫んだ。
「だが」
 ジャンはスターを制止する。
「それは演奏料として受け取らせてもらう。悪いが、砂漠より先のことはもう少し考えさせてくれ」

 荷物と人員を、二回に分けて運ぶことにした。砂漠の果てを目指し、ロマとヌーシュと、彼らの荷物を持って飛ぶ。羽根が巻き上げる砂粒は、自身の身体にぴったりとくっついていればダメージは少ない。みはらし岩の辺りをねぐらとしていたが、長年暮らしていたおかげで、砂漠の地理はおおよそ頭の中に入っていた。飛行を続けていると、砂地の中にだんだんと背の低い草木が茂り始め、その数と高さは徐々に増していった。このあたりでいいだろう、と判断したスターはロマとヌーシュを下ろし、最後に一人残ったジャンを迎えに行く。砂嵐に彼を巻き込まないため、みはらし岩を目印に地上に降り、彼らに会いに行った時のように歩いて合流する。
「ジャンさーん」
 スターが手を振ると、ジャンも振り返した。
「お待たせしました」
「それじゃあ、よろしく頼む」
 ジャンがしっかりと自分の身体に掴まっていることを確認すると、翼を羽ばたかせ、ロマとヌーシュの待つ砂漠の果てへと向かった。
「すごい砂嵐だな」
「すみません、どうしてもこうなっちゃうんです」
「いや、いいんだ」
 ジャンの言葉はどことなく遠慮がちだった。何か考え事をしているようだったが、一体彼が何を思うのか、スターには想像がつかなかった。
 目のカバーのおかげで自分は目標を見失うことなく飛ぶことができるが、ジャンにはつらいことだろう。早く抜け出してしまうのが、彼の為でもある。彼らの旅をどうするか決めるのは彼ら自身だ。今日初めて会ったばかりの自分がその中に入っていくというのは、彼らの決め事を砂嵐に巻き込み、吹き飛ばすようなものだ。愛おしいほどの音楽を紡ぐ彼らを、自らの翼で壊したくはなかった。
 それ以上、二人は会話することなく、空の旅は静かに終わりを告げた。
「ありがとう。俺たちにとって砂漠の旅は難しいんだ。助かったよ」
「いえ」
 遠慮がちにスターは言った。
「本当は森の向こうまで乗せていけたらよかったんですけど、羽ばたきで森を荒らして、木々がこちらに飛んできてしまうので……」
「いやー、十分ですよ。僕たち、森の方が得意ですし」
 ヌーシュが言った。そうそう、とロマも相づちを打つ。
「スター」
 ジャンが、ふいに自分の名前を呼んだ。
「ちょっと羽ばたいてみてくれないか」
「え、いいですけど」
 言われて、とりあえず大きくしならせるように翼を動かす。会ってすぐの時のように、砂を巻き上げるような羽ばたき方だ。
「いや、そうじゃなくて。もっと細かく、小刻みに動かしてくれ。空を飛んでいる最中のように」
 ジャンの指示に従い、翼を振動させる。
 あっ、とロマは声を漏らした。ヌーシュも同じように、何かに気付いたように目を輝かせていた。ジャンも満足げに頷いている。一体何だというのだろう。その正体は、ヌーシュの一言によって解き明かされた。
「やっぱり、いい音だよねぇ」
「うん。楽器みたい」
「だろう」
 彼らはどうやら、スターの羽音に何かを見出したようだ。
「演奏している最中に起こった砂嵐の中から、その羽音が聞こえたんだ。とても音楽的で、魅力的だと思った。あの時俺たちは演奏を中断したけど、砂嵐の危険を悟ったからだけじゃない。その笛のような音色に、惹かれたんだ」
 ジャンは語った。彼の言葉には、今日一番の情熱がこもっていた。この翼の羽ばたきは、誰かを傷つけるだけではなかった。それが証明できたことに、スターはたまらなく嬉しくなった。
「スター、改めて聞く。君は音楽は好きか」
 ジャンがまっすぐにスターの目を見つめ、問う。
「はい」
 スターは大きく頷いた。
「それでは、自分で楽器を演奏してみたい、と思うか」
 スターは拳を握りしめた。今、試されているのは勇気だと思った。砂漠を捨てて、新しい世界へ飛び込んでいく勇気だ。
「はい」
 スターは答えた。ジャンは大きく頷いた。彼はロマとヌーシュの方を向いた。彼らも、同じように頷く。
「君がよければ、俺たちの旅に付き合ってくれないか。そして、その羽の音を使って、俺たちの演奏にも加わって欲しい」
 ジャンは頭を下げた。もし、広い世界を見ることができるというのなら。旅人が見つめた、あの空の向こうをこの目で見ることができるのなら。そして、そんな旅路を誰かと一緒に行くことができるのなら。きっとこれほど素晴らしいことはないだろう。
「はい。こちらこそ、喜んで」
 スターは、涙がこぼれそうになった。

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