125話 別離

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 どこまでも黒が続く空間の中で一際存在感を示す巨大な白い装置。その装置中央にある、半径一メートルほどの透明な玉が、オレンジ色に発光している。
 かつて一之瀬にこれを初めて見せたときよりも、確実に光が強くなっている。が、足りない。当初の現時点での予定の光度に比べると、大きな差が出来ている。
 このままでは今までの健闘も全て水の泡となる。今まで様々なアプローチをかけてきたが、どれもあまり効果が無かった。今回の「これ」が最後の望みだというのに。
 今もこうして私の手伝いをしてくれている一之瀬には悪いが、最悪の場合約束を破らせてもらう。
 そうまでしてでも為さねばならないことが私にはある。たとえたくさんの犠牲を払うことになろうとも。



 一度は沈んだ太陽が、もう一度顔を出した。時計がないから正しい時間は分からないけど、始まる前に言われたタイムアップ、つまり「二度目の日が暮れる」まではおよそ半日と見てもいいだろう。
 あたしこと、石川薫は今二勝しているから、あともう一勝。とはいっても、ここまでの二勝もどれもかなり苦しい戦いだった。次も勝てるとは限らない……。
 いやいや、そんなこと言ってる場合じゃないわ。必ず勝つために見通しのいいこの荒野のエリアで相手を探してるんだから。
 まだ誰とも合流できていないけど、三勝してあの山へ向かえば必ず翔たちがいるはず。それだけが心の支えだった。
 そのとき、遠方に一つの影が見えた。かなりゆっくりとこちらに向かって歩いている……、というよりは、ふらついているように見える。
 正直なところ申し訳ないけど、そんなフラフラな状態の相手なら勝てそうな気がする。もはや相手を選んでいられる余裕はない。
 そうと決まればこっちも待つだけじゃなくて、自分から近づいて行く。そう決めて十歩ほど進み、ようやく顔が見えるようになったころ……。
「……翔!?」
 あたしの声を聞いた翔は、こっちを見るなりその場に崩れ落ちてしまった。慌てて駆け寄って、せめて翔をその辺にある座れそうな岩に休ませた。
 どんなに苦しいときだって真っ直ぐ見据えていたその目が、今は虚空を見つめている。顔のどこにも力がこもっておらず、まさしく文字通り生気が抜けている。
 こんな翔、初めてだ。見ていてあたしまでもが痛々しくなるほど、翔はやつれていた。
「大丈夫!? 翔、どうしたの?」
 いろいろなんとか言って翔を助けてあげたい。助けてあげたいんだけど、何を言っていいか分からない。
 まずは話を聞くところから……。
「蜂谷が……。俺のせいだ……」
 掠れるような声でそう言った翔の目が滲み、膝の上に置いた拳に涙が落ちていく。



 その後も断片的に語る翔の話を聞いて、大筋は理解した。
 エンテイが翔の目の前に現れて、雫さんを倒し、激昂した翔が挑んだところ返り討ちに遭い、寸でのところで蜂谷さんが翔を身を挺して守った。その代わり、蜂谷さん自身が……。
 色んな感情があたしの中でもしっちゃかめっちゃかに混ざり合う。悲しみ、戸惑い、苦しみ……。
 でも、その中で一番クッキリと浮かび上がったのは、怒りだった。
 あたしが翔を好きになった大きな要因は、どんなときでも諦めない、不屈の闘志を宿した目だった。なのに今、その翔の目の中にはその炎が消え失せている。まるで電気の切れた電球だ。
 確かに翔が落ち込む理由だって分かるし、あたしが翔の立場なら落ち込む。それでもそんな時にこそ前を向く、翔の眩しさがあたしは大好きだった。
 あの手この手を使って翔を励まそうとしたが、変に頑固かいつまでも自分のせいだとうじうじしたままで、現状から一歩も踏み出そうとしない。その度にあたしのボルテージが少しずつ上がっていく。
「──だから、いつまでもそうしてたってどうにもならないでしょ!」
「薫は実際に俺みたいな目にあってないからそう言えるんだ」
 自暴自棄に呟く翔のそれを聞き、ついかっとなってしまった。衝動に身を任せれば、気付いた頃には翔の頬を叩(はた)いていた。渇いた空に高い音が鳴り響く。
 さらに体勢を崩した翔の胸倉を掴みあげて、額を合わせて啖呵を切る。
「そんなにうじうじしているヤツなんか知らないわ! あんたなんか翔の偽物よ。あたしと勝負しなさい!」
 自分でも自分の言ったことに驚いたが、でもそれも別に悪くない。こんな翔を見ているくらいならいっそのこと──。
「馬鹿言ってんじゃねえ、落ち着け。そんな短気になって良い事はねーよ」
 後ろから左肩を掴まれ、驚きのあまり翔を掴んでいた右手を離して振り返る。そこには真剣な表情をした恭介さんが立っていた。
「あとお前ら、っていうか薫ちゃんの声がでかすぎてかなり響いてた。まあお陰でいちいち状況聞かなくても分かるけど」
「ごめん……」
「謝るなら俺じゃねえだろ」
 一つ頷いて、尻餅をついて咽ている翔に頭を下げる。
「これで薫ちゃんの分は済んだし、あとはお前だ。お前もお前で薫ちゃんに滅茶苦茶言いやがる」
「でも──」
「デモクラシーじゃねえよ」
「言ってねえし」
「俺だって、向井がいなかったらここにいなかった。向井が俺のために戦ってくれたから、俺は今ここにいる。……薫ちゃん、ごめんな。向井のこと」
 恭介さんの声のトーンが下がる。詳しい経緯はまだ聞いていないから分からないけど、きっと恭介さんも翔と同じようなことがあったのかもしれない。
 ただ、それ以上に向井がいなくなったことが強く胸を打った。
 特別仲が良い、とまではいかなかった。共通する趣味がポケモンカードだけで、性格は正直なところそこまでソリが合うほどでもなかった。でも物心ついたころから付かず離れずあたしの傍にいてくれた人だった。
 今更急にいなくなるなんて……。そんなこと言われたって──。
「薫ちゃんもあんま無茶すんなよ。溜めこんで強がったって別に良い事なんてありゃしない。泣くことが悪いなんて誰が言ったよ」
 首をふるふると横に振っても、体の、心の中から雪崩のように押し寄せてくるものを止められなかった。



「……翔。確かにお前のせいで蜂谷は消えちまった。でもな、言い訳くさいかもしれないけど俺はまだ死んだと限ってはいない、って思ってる」
 薫がある程度落ち着くまで恭介は待ち、腰を下ろして俺の目を見て言う。
「それにお前にはもっとやるべきことがあるだろ」
「償い、か」
「0点」
「じゃあなんなんだよ」
「蜂谷の想いを、希望を繋げることだ」
 黙りこくった俺の反応を待たず、恭介は続ける。
「まさか蜂谷が何も思わずに、わざわざお前を身を挺して守ったとかでも思ってんのか? そうだとしたら俺も一発ぶん殴ってやる。蜂谷はお前が大事だから、お前ならと信じたから体を張ったんじゃないのか? そうでも思ってないと人間そんなことは出来ないさ」
『間違っても自分を責めるなよ。お前のせいで、俺が消える訳じゃない。俺がお前のために体を張りたかっただけだ』
『お前は俺の……。俺たちの希望なんだ。お前ならきっとどんなピンチだって乗り越えられる。そんな気がするんだ。……だから頼む』
 頭の中で蜂谷の声がリフレインする。一日すら経っていないっていうのに、もうすっかり何か月も前の事のように思えた。もうそれほどまでに遠くて淡い。
「PCCのときに風見が『勝者は敗者の気持ちを受け継ぐ義務がある』って言ってた。責任感が強いあいつのことだからそう言ったんだろうけど、俺もようやく分かった。
 向井が出来なかったことを俺が代わりにやってやることが、その気持ちを受け継ぐっつーか希望を繋げるっつーか、そんな感じのことなんじゃないかって。だから俺はやりきるまでは絶対に立ち止まらない。有瀬とかいうヤツの顔面殴り飛ばして全て終わるまで俺は走り続ける。
 ……くっそ、言いたいことはあんのに上手くアウトプット出来ねえ。……そう、人間はいつだってやんなきゃなんも始まんねえ。逆に言えば、やればなんだって変えられるんだ。まだ何にも終わってないし、ましてや何にも始まってない。男なら根性見せて立ち上がれよ!」
 俺は弱い。だからこそ姉さんがエンテイにやられたとき、俺は蜂谷の言う通り自制が出来ず、何も考えずにエンテイに挑んだ。
 俺は弱い。あのエンテイの強大な力を目の当たりにしたのに、何も考えずに戦って、ボロボロにやられた。
 俺は弱い。蜂谷がいなかったら、こうして今生きていることすら出来ない。俺は蜂谷に生かされている。なのに、このザマじゃあその命もどぶに投げ棄てているようなもんだ。
 俺は弱い。だからこそ、強くなりたい。もう負けたくない。負けるなんて真っ平だ! 勝って失うものがあるとしても、負けたらもっとたくさんの大切なものを失ってしまった。もう泣きたくない。もう誰の泣き顔も見たくない。
「今こそ弱い自分を脱ぎ捨てる時なんだ。新しい奥村翔を見せてくれ」
 岩肌に右手を置き、それを支えとして立ち上がる。薫がまだ赤い顔をしながらこちらを向く。薫も恭介も、さっきから声をかけ続けてくれたのに久しぶりに会ったような、そんな感じがする。
「薫、さっきはごめん。それと……、ありがとう」
「……うん」
「恭介もありがとうな。まだそんなすぐに変わったり出来るか分からないけど」
「ああ。やればなんだって変えられる。その気持ちは絶対無駄にはなんねーよ」
 心に開いていた風穴が、全て塞ぎきったとは思わない。でも体中に染み渡るような、穏やかで心地よいものが広がっていく。
「決めた。もう俺は誰にも負けない。負けたくない。これ以上目の前で大事なモノを失いたくない。だから、勝つ。エンテイにも、自分自身にも」
 右手で強く握りこぶしを作り、二人に向かって言い放つ。恭介は首を縦に振り、薫も目じりを拭って笑いかけてくれた。
 そのときだった。背後から突如威圧感を感じ、背に冷や汗が流れだした。
「ほう。なかなかどうして、言ってくれるじゃないか」
 聞き覚えのある声に振り返ると、いつの間にか近くにいたエンテイが俺を見下ろしていた。
 右手を横に出し、恭介と薫へ手出しをさせまいとすると、何がおかしいのかエンテイがくつくつと笑い出す。
「安心しろ。まずはお前からだ。今度こそ邪魔はさせない。確実に息の根を止めてやろう」
「お断りだ! 俺こそもう二度と負けない。負ける訳にはいかない!」
 互いに距離を取り、俺はバトルベルトを起動させてバトルテーブルのスタンバイをする。その一方で、エンテイは地鳴りのような声をあげて大地を揺るがすと、エンテイの目の前の地面が隆起してテーブルのような岩の塊が現れる。
 デッキポケットからデッキを取り出そうとして手が止まる。……そう、今までと一緒じゃいけないんだ。確かに気持ちが変わればいろんなことが変わる。でも、気持ちだけじゃあ足りないことだってたくさんある。いつものデッキポケットの隣から別のデッキを取り出して、バトルテーブルにセットする。
『対戦可能なバトルテーブルをサーチ。パーミッション。スタンダードデッキ、フリーマッチ』
「翔、頑張って!」
「……負けんなよ」
 背中に暖かい声を受けながら、目の前の敵と対峙する。敵と味方がどうかなんて話はどうでもいい。誰が相手でも、もうあんな惨めな思いだけはしたくないんだ。
「行くぞ!」



恭介「今回のキーカードはボルトロス!
   充電してエネルギーを溜めて、次の番には
   ディザスターボルトで大ダメージを与えてやれ!」

トルネロス HP110 雷 (BW1)
無 じゅうでん
 自分の山札から雷エネルギーを1枚選び、このポケモンにつける。そして山札を切る。
雷雷無 ディザスターボルト  80
 このポケモンについているエネルギーを1個選び、トラッシュする。
弱点 闘×2 抵抗力 - にげる 1

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