Mission #010 それぞれの夜

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その晩、寮の一室で。
テレビでは音楽番組が放映されている。
『ロックミュージックの新星、現る!!』と大々的に銘打って、デビュー曲がアルミア地方のウィークリーランキングで五週連続一位を獲得したというグループの特集をやっている。
今はちょうどデビュー曲を熱唱しているところだが、ダズルもイオリも、そんなものは眼中になかった。
若者に絶大な人気を誇るグループではあったが、彼らにとっては単なるバックミュージック以上の意味を為していなかったのだ。
……というのも。
カツカツカツカツカツカツカツ……
音楽に混じって聴こえてくるのは、ペンがノートの上を軽やかに滑る音。
ダズルとイオリの視線を引きつけているのは、なんてことはない……アカツキが何やら一心不乱に勉強に励んでいる姿だった。
教科書を左に、ノートを右に。
あれこれ独り言をつぶやきながら、教科書の中身をノートに書き写していく。
そのペンの速さたるや、ついに時間の流れを速めることに成功したと言わんばかりの超高速で、あっという間に一ページが埋まって、次のページに舞台を移した。

「…………」
「…………」

一体どうしたと言うのか。
イオリとダズルは顔を見合わせた。
交わす視線が、こんな内容の会話を物語っている。

「イオリ、声かけてみろよ」
「雰囲気的にそれは無理だよ。ダズルの方が話しかけてみればいいじゃないか」
「いくらなんでもかけ辛いって。おまえの方が適任」
「…………割って入るのは勇気が要ると思う」
「……だよなぁ」

相手を嗾けてみるものの、アカツキの背中が放つ『勉強、勉強!!』という雰囲気が、声をかける行為でさえ容易くは許してくれなさそうだった。
しかし、どうしていきなりこんなに勉強熱心になったのかが分からない。
入学試験ではトップの成績を取ったそうだが、この熱心な勉強風景を見れば、それも頷けるし、元はそういう性格なのかもしれない。
ただ、突拍子がなさすぎるのもまた事実だ。
アカツキは笑顔で明るく振る舞う男の子である。昨日だってダズルと談笑に耽っていた。

(何があったんだ? 青空スクールで何か感じたってことなのかなあ……?)

ダズルはベッドの上を転がりながら、そんなことを考えてみた。
……正解である。
アカツキは青空スクールで、ビエンタウンのレンジャーベースから派遣されてきたクラムが途中でミッションのためプエル沖に向かったのを見て、ポケモンレンジャーの厳しさというものを改めて理解したのだった。
——百聞は一見に如かず、という言葉がある。
いくら物事をたくさん聞いても、実際に見てみることには及ばないという意味の言葉だ。
机上でどれだけ勉強しようと、それが現場でどれだけ通用するのかと言われると、正直なところ、それほど多くは通用しない。
それでも、アカツキは必要な知識を得ようとひたすら貪欲に勉強に励んでいた。
三ヶ月という期間では、覚えきれないことの方が圧倒的に多い。
しかし、実際にレンジャーになってから困るよりは、今のうちに勉強を重ねて、一つでも多くを覚えておいた方がいいのだ。
アカツキが本当はマジメな性格の男の子であることを理解していたイオリは、敢えて彼に声をかけなかった。
本人が真剣な顔で勉強しているところを邪魔するのも、気が引けた。
その代わり、ダズルの方には声をかけた。
可能な限りテレビの近くに移動して、アカツキに声が届かないよう声量を絞って。

「君も、アカツキを見習った方がいいんじゃない?」
「オレ? オレは別に大丈夫だし。いろいろ分かってるつもりだから」
「……少なくとも、アカツキはそう思ってないみたいだよ」
「……だよなぁ」

幸いというべきか、勉強することにしか意識を向けていないアカツキに、二人の会話はまったく届いていなかった。
見えない壁でもできているかのようだったが、そんなことさえ気にしていない様子だった。

「あいつ、明るくてお調子者だとばっかり思ってたけど……すげえマジメなんだな」
「そうじゃなきゃ、入学試験をトップで通過するなんて無理だよ」

ダズルの言葉に、イオリは大仰に肩をすくめてみせた。
少しは見習ってみれば?という意思表示だが、ダズルにはまったく通じなかった。

「でも、彼は彼なりに良いレンジャーになろうと必死なんだろうね。
クラムさん……だったっけ?
彼の姿を見れば、そう思うのも無理はないさ。
ダズル、君だってそうだろうし、僕もレンジャーとメカニックの違いはあっても、頑張らなきゃって気持ちにもなった。
……たぶん、アカツキが一番早く行動を開始したってことだと思うよ」
「なるほどね……」

イオリの言葉は的確だった。
IQ160オーバーの頭脳の持ち主だけのことはある。
そこまで言われれば、アカツキがやたらと熱心に勉強しているのも理解できる。
ごろりと一回転してから、ダズルはじっとアカツキの少し丸まった背中を眺めた。

(……こいつ、本気だ。
本気ですごいレンジャーになろうって思ってる。
空気で分かっちまうくらいだから、相当なモンだろうな……オレも負けてられねえな!!)

アカツキが本気で頑張っているのを見て、ダズルも感化されたようだった。
ベッドでゴロゴロするのにも正直飽きたし、やることもないから勉強でもするか。
すごいレンジャーになりたいと思っているのはダズルも同じだった。
机に向かい、教科書を開く。まずは復習から始めるのがベストだ。段階を踏んで次に進んでいく方が確実である。
ダズルは勉強があまり得意ではないが、やはり気合いが大事らしい。
あっという間に勉強モードに突入し、アカツキと二人してペンをノートに軽やかに走らせている。

(単純だ……でも、それがいいところかな)

イオリはダズルがアカツキに感化されて勉強を始めたのを見て、呆れながらも微笑ましい気持ちになっていた。

(進む道は違うけど、僕も負けてはいられないね)

切磋琢磨し、互いに高みを目指すのは良いことだ。
進む道は違えど、自分と同じ立場の人間がやる気になっているのをまざまざと見せ付けられると、やはり負けたくないという気持ちになる。
イオリは物音を立てないように気をつけながらベッドを降り、ミラカドからもらった白衣を羽織って、そっと部屋を出た。
向かう先は、地下に設けられたミラカドの研究室である。

(ミラカド先生の研究室って、最新の設備が揃ってるから、メカニックの勉強になるんだよね)

温厚で懐の深いミラカドの顔を思い浮かべながら、イオリは小さく息をついた。
ミラカドはレンジャースクールの教師でありながら、同時に研究者でもある。
レンジャーユニオン公認の研究者であり、ユニオンから最新設備の提供を受け、教鞭を執る傍ら、研究者としても熱心に研究を行っている。
彼の言葉はイオリにとって大事なものだし、熱心な研究姿勢は見習わなければならないところだ。
それに、最新設備を扱うことはメカニックとしてのスキルアップにもなる。
スクールを卒業した後は、本土にあるメカニックの学校に編入となり、より専門的な知識と技術を身につけることになるが、今のうちに最新設備に慣れるに越したことはない。
そんなことを思いながらサロンに差し掛かると、何やら同じクラスの女子が談笑に興じていた。
足音で気づいたか、それとも視界に入って気づいたか。
ソファーにゆったり腰掛けながら談笑していたヒトミが声をかけてきた。

「あ、イオリ。またミラカド先生の研究室に行くの?」
「うん。勉強になるし、楽しいからね」

声をかけられなければ素通りしようと思っていたが、さすがにこればかりは無視するわけにもいかない。
適当に話をしてから、研究室に向かおう。
特に時間の指定をされているわけではないし、少しくらいは親睦を深めるのもいいだろう。
イオリは女子たちの近くまで歩いていくと、話しかけた。

「それはそうと、勉強とかしないの?」
「勉強? 今はまだ大丈夫」

ヒトミはあっけらかんと答え、手を振った。
アカツキとは双子だそうだが、雰囲気はあまり似ていないような気がした。

「そういうイオリは勉強熱心だよね。
ミラカド先生のところに行くのだって、別に遊びじゃないんでしょ?」
「まあね。勉強になるし、僕自身、すごく興味があることだから」
「いいよね、そういうの」
「ありがとう」

勉強熱心というわけではないのだが、素直に褒めてくれているのだ、悪い気はしない。
イオリはリズミにニッコリ微笑みかけた。
勉強になるからという理由はもちろんあるが、それよりも最新設備への興味の方が強いかもしれない。

「何の話してたの?」
「青空スクールのこと。クラムさん、すごくカッコよかったな〜って」
「そっか……」

青空スクールの興奮がまだ醒めていないらしい。
正規のポケモンレンジャーと話をして、昼食も一緒に摂って、スバメ二体をほぼ同時にキャプチャする技も目の当たりにした。
メカニックを目指しているイオリでさえ、その時はすごく興奮したものだ。やはり、テレビで観るのとは違う。
実際にレンジャーを目指しているヒトミが、時間の経過によっても興奮が醒めやらないのは仕方がないことだが、いつまでも浮かれたままでいいはずがない。
まあ、そこのところは個々人の判断だろうが、熱心に勉強しているアカツキの姿を見ているだけに、苦言も呈したくはなる。
ただ、ヒトミはアカツキの双子の姉であり、言葉には出さなくとも彼を強く意識しているはずだ。
そのつもりがなくとも、比較されればそれだけで嫌な気持ちになるだろう。
だから、何も言わないでおいた。

「結構カッコよかったよね。
いずれはみんなそういうレンジャーになるだろうから、今のうちから頑張っておかなきゃ。
じゃ、僕は行くよ」

適当に言葉を濁し、その場を後にした。
階段を下り、薄明かりの灯った一階も通り過ぎて地下の研究室へ。
薄暗い廊下には研究資料が詰め込まれたと思われるダンボールが積み上げられており、壁には掲示物が貼り出されていた。
研究室はおよそコンピューターや機器類で占領されているため、階段から研究室までの廊下に、自ずと研究資料が溜まっているのである。

(いい加減、少しは片付けなきゃいけないかな……)

積み上げられたダンボールの二割くらいは、自分が手がけた研究の資料が入っている。
廊下が通行不能になってしまう前に、少しは片付けておいた方がいいだろう。
イオリは苦笑しながら研究室に向かって歩いていった。
研究室の前で立ち止まり、扉を叩く。

「ミラカド先生、イオリです。夜分遅くにすいません」

約束をしているわけではない。
もしかしたら、別の場所にいるかもしれないと思ったが、返事はすぐに返ってきた。

「おお、イオリ君か。中へどうぞ」
「失礼します」

研究に時間帯は関係ないのかもしれない。
イオリは背筋をピンと伸ばし、扉を開いた。
研究室に入ると、ミラカドが何やら神妙な面持ちでコンピューターを睨みつけている。
機器類が唸りを上げ、無数のランプが点滅を繰り返している。

「イオリ君。きみに言われたコードを修正してみたんだが、あと一歩だった。
命令系統の容量をもう少し削減できれば問題ないところまで漕ぎ着けられた」
「じゃあ、あと少しですね」
「うむ。それはそうと、ちょうどいい機会だから話しておきたいことがある」
「話しておきたいこと、ですか?」

一通りコンピューターの前で研究の内容について議論した後、ミラカドは胸に秘めた考えをイオリに伝えた。

「イオリ君。
君は卒業後、本土のスクールにメカニック専門として編入となるが……
どうだろう、本土のスクールを卒業したら、アンヘル・コーポレーションで研究者として働いてみる気はないかね?」
「えっ……?」

あまりに突然の申し出に、イオリは驚きを禁じ得なかった。
ミラカドが研究者として、各方面に幅広い人脈を有していることは聞いていたが、まさかアンヘル・コーポレーションとは……
普通の生徒なら、オペレーターやメカニック志望の場合は卒業後、より高度な知識や技術を修得するため本土のスクールに編入される。
しかし、ミラカドは恐らく彼の一存で、イオリに提案をしているのだ。
あまりに突拍子のない話で困惑するイオリに視線を据えたまま、ミラカドは畳み掛けるように言葉を続けた。

「今、アンヘル・コーポレーションが新時代のクリーンなエネルギーについて研究を行っていることは知っていると思う。
知り合いにアンヘル・コーポレーションに務めている研究者がいるんだが、人手が足りないとかで、優秀な研究者がいたら推薦してもらえないかと頼まれているんだ。
……これはわたしの一存で、まだアンリ先生や校長先生にも話してはいないことだが、わたしとしてはきみを推薦したいと思っているんだ。
きみにとっては寝耳に水だろうが、それもきみの能力を見込んでのことなんだ。悪い話ではないと思うが、どうだろう?」
「…………」

本当に寝耳に水の話だ。
しかし、ミラカドの言うとおり、決して悪い話ではない。
アンヘル・コーポレーションは新時代を切り拓くクリーンなエネルギーについて研究を進めている……その話は以前から知っている。
アルミア地方では一番大きな企業だけに、そこに勤めるのは、ある意味名誉なことと言える。
しかも、ミラカドは自分を『優秀な研究者』として推薦しようと考えてくれている。

(僕はメカニックになりたいと思ってるけど、アンヘルの研究者っていうのも悪くない。
……それに、将来転職することになっても、メカニックの知識や技術に応用できるから、ありがたい話かな)

突然の話ではあるが、イオリはすぐにその話に乗ろうと思った。
表情や雰囲気の変化で彼の心情を理解したらしく、ミラカドの口の端に小さな笑みが浮かんだ。
目の前にいる少年は、明らかに天才肌の研究者だ。
メカニックとしても向いているが、何よりもインドア派の研究者としては申し分ない素養と能力の持ち主だ。
アンヘル・コーポレーションの研究者というのは、なろうと思ってなれるものではない。
数少ない機会を逃すような少年ではないだろう。ここで必ず首を縦に振る。
案の定、イオリはミラカドの話に乗ってきた。

「ミラカド先生、まだ正式なお話ではないんですよね?」
「今のところはね」
「……分かりました。その話、ありがたくお受けします」
「ありがとう。きみなら受けてくれると思っていた」

ミラカドが差し出した手を、イオリはギュッと握りしめた。
自分の将来にとってプラスとなる話を持って来てくれた彼には感謝しなければならないところだ。
それに、やると決めたからにはそれ相応の働きはしなければなるまい。
思いもかけないところで進路変更が生じたが、願ってもない好機。逃す道理はない。

「明日にでも、アンリ先生と校長先生に正式に打診して、承認されればすぐにアンヘルにも掛け合ってみよう」
「お願いします。
……それじゃあ、さっそく例の研究のお話なんですが」
「うむ」
「コードの修正はそれ以上無理だと思うので、容量の圧縮はアプリケーションの更新から入っていた方がいいかと思います」
「では、さっそくやってみてもらえるか? 資料は揃えてある」
「分かりました」

話がまとまったところで、さっそく研究に入った。
夜もそれなりに更けてきたが、研究者にとって時刻などほとんど関係ない。研究意欲さえあれば、夜中でも明け方でもやる気は持続するものだ。



——それぞれの想いを胸に秘め、夜は粛々と更けてゆく。






To Be Continued...

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